お前の冥福を祈ったりしない   作:ホネホネ

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泥に落ちる花

 

男に生まれなかったことが私の最大の不幸だったと言えるだろう。

星の数ほどにもある私の不幸の中でも他の不幸が霞むほどに一等強い光を放つ凶星だ。

 

私が男だったのなら。

女王ではなく王であったのならば。

とっくの昔にこの世界とおさらばできていたことだろうに。

 

 

 

私が一人で弓矢を作ったのは5歳の時だった。

見様見真似で作った歪なそれを見て母はたいそう喜んでいた。

 

「嗚呼、なんて優秀な子でしょう。あなたは誇り高き滅却師(クインシー)としてこの国を導いていくのですよ」

 

弓と矢。それから、クインシー。

この目に映るそれを見た時、その音が鼓膜を揺らしたその瞬間、脳味噌の奥深く、忘却されかけていた記憶が蘇る感覚があった。

 

どろり、と混ざる感覚。

まだ幼くて何も知らない今此処にいる『わたし』と、もっと大きくてもっと昔でそれでいて遠い未来の果てにいない『私』。

内側の『わたし』と、それを外側から観測する『私』。

ページの中に描かれた『わたし』と、それを読んでいる『私』。

掻き回して、ぐちゃぐちゃにして、混ざりあって。

 

真っ白なミルクに、真っ黒な珈琲を注ぎ込むように。どこまでも不可逆で、可塑的で、二度と元には戻れない。

まったく別で何一つ同じではなくて、本来ならば永劫に触れ合うはずのなかった『わたし』と『私』が、薄皮一枚の向こう側へ爪を立てて決壊する。

『わたし』と『私』は混じり合い、混ざり合い、溶けて、解けて、融けて、ひとつになる。

 

そうして私が生まれた。

 

知っている。

弓と矢を持って虚を倒す滅却師という存在を。

幼い『わたし』が見てきた現実として。

いつかの『私』が見ていた虚構として。

この世界は『わたし』にとっての現実であり、そして『私』にとっては物語でもある。

 

ああ、しかし、困った。

BLEACHは尸魂界編までしか読んだことないんだよなあ。

 

 

 

『わたし』は滅却師という種族が暮らす王国の王女として生まれた。

『私』の曖昧な知識で言えば、その国は中世ヨーロッパのような雰囲気であった。少なくとも私が知っている極東の島国ではない。

 

その国では滅却師と呼ばれる、言ってしまえば戦闘民族が共同体を組んで暮らしている。

戦闘民族。そう言い表すほかない。なまじ戦う力を持っているとそれを使いたくなるものなのだろうか、同様に滅却師たちが暮らしている他国と小競り合いをしたり、小競り合いでは済まない戦争を頻繁に繰り返したりしている。野蛮すぎる。

滅却師ってこんなのだったっけ?石田ウリューってもっとインテリメガネみたいな感じじゃなかった?意外と血気盛んなんだったっけ?

 

こいつらヤバすぎワロタ近寄らないでクレメンスと思って遠巻きにしていられたのならよかったのだが、悲しいことに私の立場はこの国の次期女王であった。

なにせ両親が男児を産まず、彼らの子は私ただ一人であったのだから。

将来的に私はこの野蛮な国の野蛮な連中をまとめ上げていかなくてはならない。最悪だ、と平和に暮らしていた記憶しかない『私』は心の底から嘆いていた。

 

私が16の頃、母が病で亡くなった。

その後すぐに父も体を病んだ。

妻を亡くしたことが堪えたのだろうか、そう待たずして追いかけるように彼もこの世を去った。

 

そうして突如女王としてひとり矢面に立たされた私は、周囲に弱みを見せまいとしながらも足を震わせていた。

なにせこの国は強さこそがすべて。ただでさえ女の立場が弱い時代だ。弱いだけの女などに民はついてこない。

この国と民を守るためには、民に統治者として認められるためには、誰よりも強くどこまでも残酷に君臨しなければならなかった。

 

国の中にも私を倒して王位を狙う者などいくらでもいたし、そもそもろくな治世ができなければ民に打ち倒される。それに弱い国など容易く他国に食い荒らされる。

城の中も城の外も国の中も国の外も、すべてが私に刃を向けてくるかのよう。綱渡りのような日々、正しい選択肢を選び続けることだけが生き延びる方法だった。

 

ある時、臣下から捕虜の扱いを問われた。

『わたし』は残忍な振る舞いを求められていると思った。

『私』は私にそんな事が出来るのだろうかと思った。

私は捕虜全員を串刺しにして城外に晒した。

 

ある時、私の暗殺を目論んでいた貴族の処罰を求められた。

『わたし』は女王は畏れられなければならないと思った。

『私』は可哀想だけれど仕方のないことなのだと思った。

私はその者に自らの死刑宣言文を読ませ、自身の墓穴を掘らせてから首を斬った。

 

打倒した他国の人間を捕らえ、その血を絞って風呂の湯にして浸かるのはどうだろうと『わたし』は思った。

衛生観念的に無理と『私』は思った。

その案を私は破棄とした。

 

捕虜を晒し上げ、処刑する様を市民に娯楽として公開するのはどうだろうと『わたし』は思った。

民の不満が高まった時にその矛先がこちらに向かないようにそうするのも良いのではないかと『私』は思った。

その案を私は肯定的に保留とした。

 

国内と為政の安全のため不穏分子を事前に見つけて処刑しようと『わたし』は思った。

それならばもっと効率よく発見できるように国民間での密告制度を成立させようと『私』は思った。

その案を私は採用した。

 

侵略者を殺し、反逆者を殺し、敵を殺し、罪人を殺し、殺して殺して殺して殺して殺して殺し続けた。

 

これは現実だ。この世界は現実だ。私は数多の人間を殺している。『わたし』が私に指を向ける。

これは虚構だ。この世界は虚構だ。誰も彼も私も実在していない。『私』は私に笑いかける。

 

いいえ、『わたし』などはじめからいない。『私』などはじめからいない。可哀想な私が作り出したイマジナリーフレンド。右手と左手にパペットを嵌めて、私は『わたし』と『私』の一人三役。母様も父様もどこにもいないから、一人遊びばかりが上手くなってしまったの。この世界は現実?この世界は虚構?虚構は私が作り出したそれらしい偽りの記憶なのではないか。この虚構は現実なのではないか。ここにいる私は現実なのではないか。ここにいる虚構は私なのではないか。ここにいる現実は虚構なのではないか。『わたし』とは、『私』とは、私とはなんだ。虚構とはなんだ。現実とはなんだ。

 

──ああ、そんなことはどうだっていい。

殺さなくては。私に楯突く者すべてを。私を脅かす者すべてを。蹂躙し、弾圧し、侵略し、君臨しなければ。そうしなければ殺されるだけ。私は殺されてしまう!弱い王などいらない。弱い女などいらない。強くなければ誰も私を認めてはくれないだろう。戦えと、強くあれとお前たちが私に望んだのだろう。

 

嗚呼!残酷で悪辣で無慈悲な女王よ!

 

誰も彼もが私を怯えた目で見る。悍ましいものを見る目を向ける。構わない。その畏れを喜ぼう。そう望まれたのならそうあり続けよう。

愛しい民よ、我が祖国よ。

私はお前たちのためにある。お前たちのためになら、私は魔女にでも成り果てよう。

 

 

「女王陛下!光の帝国より書状が参りました!」

 

私が王位を継承してから十年が経った頃だった。

滅却師による独立国家としては最大規模となる帝国からの書状。

他国を取り込み、制圧し、さらに巨大になったその帝国がさらなる領土を求めていることは火を見るよりも明らかだった。滅却師の統一だの共栄だのと世迷い言を語っているのを知っていたから。

 

届いた書状の内容は我が国との国交を求めるような文言ではあったが、それが遠回しな侵略であるということはわかっていた。

外交として圧をかけ、この国の為政をコントロールし、やがて緩やかに私の首を帝国の手の者に挿げ替えるのだろう。そんなことが許されるわけがない。

 

「拒否せよ。拒絶せよ。却下せよ。この国は私の国である。帝国の化け物などに触れさせはせぬ」

「……よ、よろしいのですか、陛下。光の帝国は強大な国家です。戦争になるのでは……」

「それの何が問題だ?」

 

首を傾げて問いかければ、書状を持ってきた兵は途端に怯えた顔をしてみせた。王の間がしんと静まり返り、誰も彼もが凍りついたよう。喉奥を引き攣らせて黙り込む兵を見下ろしながら「何も問題はあるまい」と私は続ける。

 

滅却師(おまえたち)の望む戦争ではないか。また人が殺せるのだぞ?悦んで新たな戦火を歓迎するがいい。……ああ、あちらの皇帝は人ではなく化け物なのだったか?まあいい、些末なことよな」

「へ、陛下……」

「殺せ!すべてを殺せ!我らの前に立つ者、その尽くを殺すのだ!」

 

拒絶から戦争が始まった。

建前を失くした帝国は大軍をもって我が国を制圧せんとする。日々伸びていく戦死者のリストを受け取って私は微笑む。

平和主義の私にはわからないが、滅却師というものはこうした争いが好きらしいのだ。私の民は喜んでいるだろうか?それならば嬉しいのだけれど。

 

軍靴の音が鮮明に鳴り響く。

甘き死が私の元へ這い寄ってくる。

背後の影の中に立つ、死神のように。

 

……死神、なんて。

なんだかとても懐かしい言葉な気がした。

 

 

 

その日はよく晴れた日で、城の中は酷く静まり返っていた。

私以外に誰もいない、不自然なくらいに伽藍洞な王の間、その奥にある玉座に座ったまま、私はこちらに向かってやってくる足音をただ待ち続けていた。

 

戦争が始まって数ヶ月が経った頃のことだった。

 

ノックも無く乱暴に王の間に雪崩込んで来たのは、白い軍服の者たちだった。我が国のものではない制服を纏った彼らはチェスの駒のように私の前に並ぶと、当然のように弓や剣を向けてくる。

まるで退治すべき化け物を見るような目だ。私は玉座に深く座ったまま、無礼者たちへ問う。

 

「……まったく、礼儀のなっていない者共だ。ここは私の国であり、私の城である。貴様らは誰の許可を得て、この尊き場所へ踏み入っている?」

 

アームレストに肘をつき、指の先を頬に当てて首を傾げる。私の声がこの広間に響き渡るが答えはない。チェスの駒たちは警戒を強めながらも黙り込み、動かないまま。

しかし、独り言を重ねる趣味もない。声を上げる気がないのならば私が上げさせてやろうと、真っ直ぐ視線の先にいた隻眼の騎士へ指先を向けた、その時だった。

 

「──私が望み、私が命じた。門は初めから開かれ、衛兵はみな武器を降ろし、我々を拒まなかった。それこそが我らがお前の元へ辿り着いた理由だ」

 

地を這うかのように低い男の声が広間の空気を揺らす。白い軍服の群れは海のように割れ、そこから黒い男が現れた。

西日に伸びる影のようにその男の背丈は高く、晴れ渡る空に突如かかった暗雲のようにただそこにいるというだけで周囲を圧倒させるようなものがあった。

 

「民はとうにお前を見捨てた。我らが向かう先を知りながら、その歩みを許した。暴虐の女王よ、悪辣なる魔女よ。お前に傅く臣下は絶えた。例え玉座に座ろうとも、お前はすでに女王ではないのだ」

 

影のような男は駒の群れからさらに一歩私の元へ近づく。揺れる赤黒い外套の隙間から見える白い軍服はやけに鮮明で煩わしいほどに目についた。眉間に皺を寄せる私を、男は顔を上げて見据える。

 

そうして、私たちは目を合わせた。

男の赤い瞳が私を映し、私の金の瞳が男を映す。男の顔を、貌を、形を見る。

 

──その瞬間、私はその男に見惚れた。

 

肩まで伸びた黒髪。

彫りの深い顔立ち。

口元に生やした髭。

纏い靡く黒。

むしろその風貌それそのもの。

 

──私はこの男を知っている。

『私』の記憶、虚構の中。すでに私のなかで磨耗し、掠れ切った残骸のようなものでしかないけれど、私は確かにこの男を知っていた。

それはまるで月のような、あるいは剣のような。

その感覚さえ曖昧でどこまでもぼやけている。

名前もわからない。為人もわからない。何者なのか、誰なのか。そんなことは何も知らない。

 

それなのに、私はその男を見て酷く──安堵した。

 

敵として現れたはずの男を前に、なぜそのような感覚を抱くのかさえわからない。

けれど、まるで迷子の子どもがようやく見慣れた道に戻ってこられたかのような、言葉もわからない異国の街の中で聞き慣れた母語を耳にしたかのような、そんな感覚が私のなかに押し寄せてくるのを感じた。

 

「…………お前の、名は」

 

無意識にそう呟く私の様子に気がついてか、どこか訝るような視線を向けながらも男は言葉を返す。

 

「……ユーハバッハ。我が名はユーハバッハだ」

 

ユーハバッハ。

その名を聞いた瞬間に、何もかもが冷めていく感覚を覚えた。

 

理由は分からない。

幻想の泡が弾けるように、ただ()()のだと知った。

 

私は一度目を瞑り、それからゆっくりと開く。

もう『私』はいない。私は誰でもない私のまま、君臨者として振る舞う。紅を塗った唇を吊り上げて、嗤うように威嚇をした。

 

「嗚呼、お前がか。悍ましい化け物だと聞いていたが、なんともまあ色男だこと」

 

思ってもいないことを口にして私は嘲笑う。そんな私を男は静かに見つめるばかり。

こちらの一挙一動どころか、この世界の何もかもを理解しているとでも言いたげなその瞳が私には煩わしくて仕方なかった。すぐに口角を下げて問いかける。

 

「して、何用だ?そうも大勢で押しかけられては茶の準備も間に合わん」

「不要だ、話はすぐに済む。私が此処へ来たのはこの地を我が領土の一部とするために、だ」

「私がお前の望みを許すとでも?」

「私がお前の意思を問うとでも?」

 

それまで僅かながら軽口を叩く程度には軟さのあった空気が瞬間、薄氷の上に立ったかのように張り詰める。

互いに向け合う霊圧は重く、ミシリミシリと割れるような音が微かに響いた。練度の足りない騎士が数名、強大な霊圧に耐えきれずに膝をつく。

 

しかしどんな音も他人も、私と目の前の男の間には関係などなかった。互いに互いを見据え、まるでこの瞬間、世界の中には私たち二人だけしかいないかのようだった。

ユーハバッハが静かに霊子を収束させ剣をその手に持った時、私は白いドレスの裾を翻して玉座から立ち上がっていた。その剣を瞳に写して口角を上げる。

 

「ほう、私を殺すか」

「……そのつもりであった」

「できるとでも?」

「お前のゆく先は地獄にほかならぬ。美しい白百合が枯れ落ちる前に手折るも優しさであろう」

「それはお前が決めることではない」

 

私の手の中に馴染む柄の感触。収束した霊子は槍となり、私の手に収まっていた。主人の背丈ほどもある槍は血に塗れたかのように赤く、その切っ先は眼前の敵へ向けられる。

 

「我が名はユディト。女王ユディト。この国に君臨する女王であり、お前の死を看取る者である」

 

高らかに名乗ったその瞬間、男は微かに笑った。

嘲笑かと思ったが、どうにもその色には見えず、内心で微かに困惑する。

そんなこちらの内心を知ってか知らずしてか、ユーハバッハは喉を鳴らすように言葉を紡ぐ。

 

「……そうか。ならば私はお前を屈服させ、その後にゆっくりと未来を選択するとしよう」

 

お前に未来などあると思うな。

脳裏に浮かんだ言葉はそのまま口から吐き出された。

高いヒールも纏う白のドレスも己の戦闘服であり、それは他者に遅れを取る理由にならない。

ユーハバッハより先に動き出した私は地を蹴ると一拍の間に距離を詰める。槍と剣では当然ながら前者のほうが長い。己の間合いの中、けれど彼奴の間合いの外に体を置き、瞬く間もなくその首を狙って槍を振るう。

 

この男の血が見たかった。

化け物にも私と同じ色の血が流れているのかを知りたかったから。

 

けれど私の槍が男の血に濡れることはなかった。

臆すること無く目を開いたまま、最低限の動きで槍を避けたユーハバッハは槍を振り抜く動きのために空いた私の首を狙って刃を横薙ぎに振るう。私は素早く体を落とし、天に腹を見せるように体を捻っては男の刃が眼前を通り抜けていくのを見送る。

 

間合いはこちらのほうが長くとも、懐に入られれば小回りの利きづらいこちらのほうが不利になる。槍では防ぎきれなかった切先を体を捻るようにして避けた後、槍を体を軸に回転させるようにして身を守りながら後退する。

 

そうすれば間を置くことを許さぬようにユーハバッハは私へ追撃をする。男の高い背丈や長い四肢はそれだけで武器だった。振り下ろす動きに剣は加速し、接触すれば強い衝撃となる。そのようにして天上高くから振り下ろされたかのような重い一撃を、柔よく槍の柄で受け流す。まともに受ければ槍ごと叩き斬られるだけだとわかっていた。

 

流した槍を翻して攻勢に移る。回転の勢いで加速させた穂先で狙った脳天はしかし、ユーハバッハが構築した二振り目の剣に防がれた。

慣れたその手つきに二刀流か、と見当をつける。これまでの戦いが本気ではなかったことに微かな不快感を得る。

 

剣閃、繰り返される紙一重の攻防は奏でられる音楽のように。入れ代わり立ち代わり立つ場を変えて戦う様は手を取り踊るワルツのように。

目の前の相手を殺すことにこれ以上ないほど懸命になりながら、伴わない結果が腹立たしい。

 

「ユディトよ、お前は何のために戦う。孤独な君臨の果てに何を求める?」

 

槍と剣で競り合う最中、不意にユーハバッハはそう問いかける。体に張り巡らされた血管に霊子を流して肉体強化をしながら、私はその問いかけに顔を歪めた。そんなもの、王が王として君臨する限り問うまでもないことだ。

 

「知れたことを。民の幸福の他に求めるものなどない」

「ならば重ねて問おう。民とは誰だ。今や誰一人としてお前を拝する者はいない。誰もがお前を見捨てた。お前を愛する民など、もうどこにもいはしない」

「…………」

 

気がついている。知っている。

誰も私のもとに来ない、と。

誰一人として私を助ける者はいない。私の生存を望んでいる者はいない。まだ生きている者たちはみな、私がこの男に殺されればいいと思っている。それどころか私の末路さえ見ようとはしない。

この国のために尽くしてきたはずだ。民に認められるために強くなった。滅却師たちが望む戦いも用意した。

 

報いを求めたわけではない。……けれど、何故?

何が足りない?何が欲しい?これ以上、何を求める?

 

「私はこんなにも愛していたというのに……!」

 

競り合う得物を押し返して強く弾く。2人の間に生まれた距離はこれまでより長い。互いに一拍では届かない距離。

瞬間、私は赤槍を持った右手を肩より後ろへ強く引く。斬り、薙ぐための動きではなく、投げるための動き。

肉体に霊子を巡らせ、自らの前へ立つ男を殺すためだけに肉体を脈動させる。前へ出していた左足で割るほどに地を蹴り、投擲と共に右脚を前へ送り出す。

 

ユーハバッハの心臓目掛けて、一撃必殺の槍は放たれた。

 

その速度は槍と空気の摩擦によってその周囲が熱を持つほどに速く、空気を裂くような音を立てて推進する。

人の肉体程度、容易く貫くその槍をユーハバッハは避けようともしなかった。ただ一言、呟く。

 

「お前の愛は届かない」

 

一閃、男の剣が私の槍を弾く。あらぬ方向へ飛んだ赤槍など誰も目もくれない。剣を振り上げ、男は踏み出す。

槍を再構築しようとしたが、僅かに遅い。せめて身を守るように脆い槍を両手で掴み、身体の前へ出す。そんなことに意味がないとわかっていた。

 

「──ただ一人、私を除いて」

 

すでにユーハバッハは眼前にいた。

振り上げられた剣は鋭く、一切の躊躇いなく槍ごと私を袈裟斬りにした。

 

「────あ」

 

声を上げることもままならなかった。自身の胸から噴き出す血は赤く、熱く、溢れていく。

瞬き一つ、気がつけば私は仰向けに倒れていた。

 

理解する。

王としても、戦士としても敗北したのだ、と。

 

身体から流れ出る血はどこまでも熱く、しかし身体は確かに冷えていく。これが死か、と酷く冷静な頭で思う。心の中にあるのは穏やかな安堵だった。

 

嗚呼、ようやく死ねる。ようやく終われる。

もう苦しまなくていい。もう私はユディトでなくていいのだ。

 

見上げた天、その視界の中でユーハバッハが私を見下ろしている。憎々しい男だ。だが、この男が私にとっての甘き死なのだと思えばむしろ愛おしくさえ思えた。

 

「ユディト、奪い、踏み躙り、蹂躙することでしか民を愛せなかった哀しき女よ」

「……こ、ろせ」

 

か細い声でそう言えば、ユーハバッハは私を見下ろして笑った。そこにあるのは嘲笑ではなく、虚笑でもなく、もっと色の違うものだった。男は私のそばに膝をつき、目を細めてこちらを見る。

 

「……嗚呼、愛しき我が妻よ」

 

その言葉、そしてその瞳のなかにある熱を認識した瞬間、私は素肌の上を数多の虫が這いずるような、そんな悍ましさを覚えた。

 

「……は、?」

「お前を前に虚言は無い。この結末の果てに、私はお前という未来を選び取るとしよう」

「……ッ、貴様、一体なにを、……っ、やめろ!私に触れるな!早く殺せ、……あ、いや、やめ、あ、ああ……あああ゛あ゛!」

 

男の手が抵抗のできない私へ伸びる。切り裂かれたばかりの私の胸の傷に男は指を入れる。その奥の心臓を求めるかのように、深く裂けた肉を撫で、顕になった骨をなぞり、不意に爪を立てる。

 

蹂躙されている。痛めつけられている。その度に私は悲鳴を上げる。そうしながら、治されていく。生かされていく。私の意思に反して。

 

 

もしも私が男だったのなら。

私の結末はここで終わっていたはずだ。

殺されて、死んで、終わる。そうなるはずだった。そうなりたいと願っていた。

 

私が男だったのなら、きっとこのような末路には辿り着くはずもなかったのに。

 

 

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