お前の冥福を祈ったりしない   作:ホネホネ

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傷にもなれない

 

「ユディト様について詳しいか、って?ボクらに聞いてんの?」

「バッカじゃねーの!?あたしらが詳しいわけねえだろーが!天上人だぞ!話したこともないっつの!」

「なんだよ、藪から棒に。…………『女のことなら女のほうが詳しいと思った』だあ?」

「その理屈が通るなら、男の人はみんな陛下に詳しいってことになると思うの……」

「……オイ、なんだよそのツラ。今のはミニーのほうが筋通ってるだろ」

「ユディト様ねえ……あたし苦手」

「話したこともないのに?」

「あーゆー何もしないでも元からキレイなやつってムカつくんだよ」

「キャンディちゃんって自分より美人な子みんな嫌いじゃ〜ん!」

「あったりまえだろ!?あたしは毎朝早起きして何時間もかけて髪巻いてメイクしてるってのに、適当なスキンケアとメイクと服で済ましてるくせに元がいいからってどうとでもキマるやつがいっちばんムカつくんだよ!」

「てか、性格もキツそうだよねー。ドS系氷の女王様って感じ?反応悪そうだし、ボクもあんまりー」

「でも前に男の人たちがユディト様見かけたってわいわい騒いでましたぁ。みんなああいうひとがタイプなのかなぁ」

「タイプだから陛下も結婚したんだろ。知らねーけど」

「つーかテメェマジで急になんなんだよ、ストーカーか?キメェんだけど」

「ストーカーとかヤバァ、陛下にバレたら殺されるんじゃない?」

「その陛下くらいだろ、皇妃に詳しい奴なんざ」

「ハッシュヴァルトはどうですかぁ?側近だし、昔からいるって聞いたことありますけどお」

「知らなァい」

「知ってたとしてあいつがベラベラ喋るたまかよ」

「確かにな。つか逆に説教されそう」

「何時間も座らされてバンビちゃんみたいに叱られるよーッ」

「そういや、キルゲは?ユディト様の護衛したことあるって聞いたことあるぜ」

「うわしてそー」

「教官って人妻好きそうだよねー」

「うわ好きそー」

「狙ってたらどうするよ」

「うわやばー」

「処刑処刑」

「ウケる」

「てかバンビちゃんどこいったの?」

「知らないですぅ。お花摘みじゃないですかあ」

「いつもの男漁りじゃん?」

「んなビッチより昼飯どうするかのほうが大事だろ」

 

……何故こいつらはこんなにも姦しいのか。

 

 

 

 

 

一度だけ、並んで現世の街を歩いたことがある。

 

暖かな春の日だった。

何の起伏もなかったあの日のことを恐らく自分は生涯忘れることはないだろうが、彼女はとうに忘れてしまっているかもしれない。或いは、忌まわしい記憶としてならば覚えているのかもしれないが。

 

何一つして記憶されないことと、呪いのような記憶としてケロイドのように残り続けることのどちらが幸福だろうか。

少なくとも、彼女にとって穏やかで安らぎのある記憶として残っているだろうという可能性は考えたこともない。

 

 

それは今となっては昔のこと。

唐突に陛下からの招集を受けて彼の前に膝を付いたのが始まり。

 

その日の私は非番で制服さえ着ておらず、緊急の招集に着替えることさえままならなかったのだが、陛下がそれを咎めることはなかった。むしろ彼は都合がいいとさえ言った。

 

そうして、現世へ向かうという皇妃の護衛を任された。

一瞬驚き、しかし納得もした。自分は大抵、拘束か嬲り殺しのために使うことが多かったが、陛下から与えられた力は使いようによっては確かに護衛向きではあったからだ。

 

「いつですか?」と問う私に、陛下は「今からだ」と答えた。

「皇妃はどちらに?」と問えば「すでに門に」と返ってくる。

 

慌てて向かおうとする私に、陛下は普段とお変わりがない落ち着き払った様子で玉座に腰掛けたまま唇を開く。

 

「いくらか好きにさせてやれ」

「死んでいなければ構わん」と。

 

そう口にした時の陛下は笑っておられた。

その笑みがどのような意味を持つものであったか、ということを評するのは難しいことだ。彼の心の内を理解できると思うことさえ烏滸がましかったし、実際のところ理解できるはずもなかった。

しかし、自分が理解できそうな感覚で評するのならば……反抗期の娘を見守るようなものとでも言おうか?勿論これは自分のそれらしい例えでしかなく、陛下の御心を適切に表せたものだとは少しも思わないが。

 

とかく、勅命を受けて私は太陽の門へ向かった。

そこには護衛も付けずに現世へ向かおうとする皇妃をその玉体に触らずにどうにか止めようと苦心する数名の騎士と、彼らを前に微かに眉間に皺を寄せたユディト様の姿があった。

 

自分がその間に割って入り、護衛であることを話せば彼女を止めていた騎士たちも離れていく。彼女はそんなやり取りを硬い表情のまま見つめていた。

 

「キルゲ・オピー、陛下より御身の護衛という勅命を頂き参上仕りました。この身に代えてもユディト様、貴女をお守りいたします」

 

左胸に手を当て、恭しく頭を下げれど彼女の表情は変わらなかった。氷のような表情でこちらを見つめ、それからその薄い唇を開く。

 

「……あの男がそう言ったのか?」

「え?」

「その身に代えても私を護れ、と言ったのか?」

 

その言葉に面食らい、思わず黙り込む。「死んでいなければ構わん」と言ったのは陛下だった。その言葉をその通りに受け取るのならば、例え脚がもがれようが、目が潰れようが、生きて帰しさえすれば問題ないということになる。

嘘はつけないが、事実をそのまま伝えるのも憚れた。一瞬、間を置いてから「いいえ」と言葉を紡ぐ。

 

「私自身の意志にございます」と。

 

そうすれば彼女は変わらず表情でこちらを見つめ、それからさしたる関心などなさそうに「随分とよく回る舌だ」とだけ言った。

それは酷くそっけない声音ではあったが、こちらを拒絶する色はないように思えた。それだけ言って、視線を切り、さっさと門をくぐっていく彼女を追いかけて私達は現世へ向かったのだった。

 

 

降り立った現世はよく晴れた春の日だった。

吹き抜ける暖かい風は花の香りを纏っていて、それだけのことがやけに新鮮に感じられた。

常に月夜のような見えざる帝国とは異なり、現世はあまりにも明るく、色彩が多く、目が潰れそうだとさえ思う。通りを行く人もまた、帝国の街の中よりもずっと多く、自分よりも遥かに華奢な彼女が目眩を起こして倒れてしまわないか不安に思うほどだった。

 

そんな不安を他所に、問う間もなく彼女は歩き出した。行く先があるのかもわからないが、とかくその隣を並んで歩く。

 

現世にいる間、彼女のことは「奥様」と呼ぶことにした。

貴き人の名を現世で軽々しく呼ぶことなどできるはずも無かったし、下手に皇妃などと呼んで耳聡い人間に関心を持たれても面倒だ。上流階級の奥方とその使用人。やや時代遅れかもしれないが、そういう振る舞いをすることを選んだ。

 

皇妃ユディトという人は、陛下以上に遠い存在であった。我々の最高司令官であり、最高指導者である彼とは多からずとも政治的にも軍事的にも関わることがある。だが、彼女はそうではない。陛下のご意思か彼女のご意思か、騎士たちの前に出ることは滅多に無い。多くの騎士たちにとって彼女は幻想の類いであり、閉ざされた扉の向こうにある見えない秘密の花園だった。

 

陛下にのみ中へ入ることが許されるその花園へ己が招かれたなどと思えるほど愚かではなかった。

むしろそう思えていられたほうがマシだったのだろうに。

 

「本日はどのようなご用事でしょう」

「なにも」

「そうですか。もし必要なものがありましたら、私が手配いたし〼が」

「不要だ」

「左様でしたか。ご用命があればいつでもなんなりとお申し付けください」

 

そう告げて微笑みかける。素っ気ない物言いに腹を立てることは無かった。むしろ昔新兵だった頃、遠目に一度だけ見た彼女へ抱いた印象は過ちではなかったと知る。

指を震わす氷と他者を反射する硝子。彼女は国母でも聖母でもない。戦士だ。戦う者であり、敗北を知る者の目である、と。

 

「……私が望むものなど、お前には命を対価にしても用意出来る筈がない」

 

透き通るその瞳の色で、彼女は私を見上げた。

その奥に沈む自嘲と諦観。その目が輝く様を、私が見ることはないのだろう。

 

「自ら鳥籠の中で生きることを受容したお前たちとは違う。望んだことなどない。あんなところは嫌い。あの男ごと滅び果ててしまえと何度呪ったことか」

 

彼女は足を止める。明るくて暖かくて花の香りがする街で、所在なさげに立ち尽くす。

 

陛下と皇妃の間に、一般的な男女の抱くような感情が無いことくらいとうに悟っていた。それでも明確に言葉にされて、少しだけ怯む。怯んでから、自分は彼らの間にどうか美しいものがあるようにと願っていたのだと知る。

 

不意に彼女のそばを、外見だけならばそう変わりない年齢に見える女性が通り過ぎていった。勤め人だろうか、纏うフォーマルな服装に皺は見えない。ユディト様はその女性を視線で追いかけようとして、しかしすぐに目を伏せる。

 

「……だというのに、私はもうあの鳥籠の中でしか生きる術を持てないのだ」

 

その感覚だけは私にも僅かに理解できた。

帝国民であること、陛下の臣下であること、滅却師であること。その全てを心から誇りに思っている。時を巻き戻そうともそれ以外の選択を選ぶことなど有り得ない。

それでもこうやって明るい世界に立つと、自分が異邦人であるということをまざまざと自覚させられるのだ。

 

華やかな街の中を行き交う人々。

この中で、一体どれだけの者が人を殺したことがあるというのだろう?

 

もしも私が滅却師でなかったのならば、虚に怯えることもなく退魔の力も持ち得ず、明るい陽の元を躊躇いなく歩くのだろうか。騎士でも軍人でもなく、もしかしたら妻や子が?

……嗚呼、それはなんて悍ましいことだろう!

そんな世界で生きる自分など想像もつかないし、想像したいとも思えない。あり得るはずのないIFに安らぎを求めてしまったら最後、最早今を生きる己に価値など無いのだ。

 

だってそれはもう、私ではない。

積み重ねてきた過去と現在のその全てをもってしてようやく私は私になる。それが少しでも欠けているのならばそれは最早私ではなく、そんなものが私である必要はない。ミキサーに掛けられる前の雛と掛けられた後の雛を同一だと心から思える人間が殆どいないように。

それはきっと貴女も同じことだろう、と思った。

 

「……それでも貴女には望まれるものがあるのですね」

 

問いかけではなく、確信のように口にする。その不敬を彼女は裁かなかった。痛みに耐えるように目を瞑り、それからその痛みさえ受け入れるように瞼を開く。

 

「……ああ、そのためだけに生きている。それがどれだけ無意味で無様であったとしても」

 

それしか無いから、それだけは守り抜く。彼女の矜持は冬を前に散りゆく運命を持つ花のようだった。

 

「……馬鹿馬鹿しいことだ。私が何をしようと、あの男の傷にさえならないのに」

 

籠に戻るとわかっている鳥を追いかけるはずもないのだと、彼女は目を伏せる。

彼女の望みを問いはしない。彼女が答えるはずもなく、そして私は知ってもいけない。彼女の望みが叶う日を願うことも許されない。どこまでいっても私は陛下の臣下なのだから。

彼女の望みの中にある絶望からは目を逸らした。陛下は私にユディト様の護衛を命じた。好きにさせてやれ、と仰られた。

彼女に届くはずもない陛下の細やかな愛情に気がついていたのは外側にいる私だけだった。呪いであろうと生きる理由となるのならばと笑うことは、目に見えぬ風を撫でるようなもので、きっとあのお方は伝えようなどとは思ってはいないことだろう。故にその意を汲んで、ただ道化のような微笑みを浮かべる。

 

それから彼女は歩き出した。その隣を並んで歩く。暖かな日差しの中、ほんの少しだけ人のふりをする。

その時、彼女は皇妃ではなく、私は兵士ではなかった。他人から見た我々はなんだったのだろう?良家の夫人と使用人?夫婦や恋人?或いは、誰も私たちを定義しなかったのか。

 

私が持つ春の日の記憶にそれ以上の起伏は無い。

彼女の心がそれ以上吐露されることはなく、花園への扉は閉ざされたまま。

捕らえずとも、鳥は籠に戻ると知っていた。だから手を伸ばす理由を失くした。

 

それが少しだけ、惜しい。

 

 

 

 

 

「……ユディト様、ですか。なるほど、貴方が興味を持つのも当然のことだ。事情ならば私も軽く聞いてい〼から。…………ええ、確かに。私は以前陛下の勅命を受けて、ユディト様の現世へ御幸の護衛を任されました。とはいえ、関わりといったものがあるとしたらその一度きりですがねえ。……貴方のことだ、皇妃のお力や経歴が知りたい、というわけでもないのでしょう。知りたいのは彼女の為人(ひととなり)、か」

 

「しかし、私が皇妃の護衛をしたなど何処で?……ああ、彼女たちですか。まったく人の噂も七十五日などと言ったのは一体何処の誰なのか。余程栄えたところに住んでいたのでしょうね。閉鎖的なこの国では一度きりの過去さえ一生他人の娯楽にさせられる。………………はい?私が人妻趣味などと一体誰が……などと、聞くまでもありませんねえ、あの跳ねっ返り共が。貴方も沈黙の価値を理解出来ない連中の言葉に耳を貸すのは止めなさい。まったく……いいですか、私は陛下へ忠誠を、この身の全てを捧げているのです。あのお方を裏切ることなどできるわけもありませんし、しようとも思いませんね。そもそもそのような考えを抱くこと自体が、陛下や皇妃への不敬なのですから」

 

「ああ、失礼。ところで貴方の頼み事ですが、ええ、断りますよ。ユディト様のことを話す気はありません。…………決して意地悪ではありませんよ。むしろ善意と知りなさい。……逆に問いますが、貴方は他者の目に映る彼女の姿に真実を見るおつもりで?…………ええ、よろしい。では早く行きなさい。気の長い方ですが、それは彼女を待たせる理由にならないのだから」

 

 

 

 

 

柱の陰に潜んで、通りがかった彼女の影に黙って入る。

そうすれば、叱ってくれると知っているから。

それ以外に、話しかけてもらえるキッカケを知らないから。

 

笑った顔を見たことはない。口角が上がっていたりとか、柔らかく目を細めていたりとか、そんな顔は知らない。

でもたまに、気を緩めたような顔をするのを知っている。笑顔にはほど遠いけれど、顰め面でもないような、そんな顔。

 

甘いものは好きではないというくせに、いつもポケットにはお菓子が入っていて、いつもひとつかふたつ、くれる。

 

一度だけ、紅茶を淹れろと言われたからやったことがある。結局酷いものが出来たのに、彼女は眉間に皺を寄せ、罵詈雑言を言いながらもポットのものを全部飲み切っていた。捨てればよかったのに。

それ以降、紅茶を淹れるのはいつも彼女だ。欲しいと言わなくてもカップはいつもふたつ用意されていて、紅茶の味なんてよくわからないけど、与えられたから飲んでいる。

 

彼女の影にいると安心する。

生きていることを許されている気がする。

ハハオヤって、こういうものなのだろうか。

こういうものが、ハハオヤなんだろうか。

ずっと想像のなかにしかなくて曖昧だった幻想が、彼女の形を模して構築されていく。

 

煙草の先端じゃなくて、体温の温かさ。

ゴミ溜めじゃなくて、古本と紅茶の香りが混じる部屋。

腐っていなくて、甘くて小さなチョコレート。

怒号や罵倒じゃなくて、少し低く穏やかな声音。

 

「ニャンゾル」

 

名前を呼ばれると嬉しい。

目を合わせてくれるのが嬉しい。

此処にいることを許してくれるのが嬉しい。

 

「あい、ユディトしゃま」

 

ユディト様と会わせてくれてありがとうって、陛下に思った。

 

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