雪は静かに降り続き、館の窓辺に優雅に積もっていた。ナグサは白銀のドレス姿で執務室の窓辺に立ち、遠くの町並みを眺めている。柔らかな雪のカーテンがかかったような景色は、いつ見ても心を落ち着かせてくれた。
「ナグサ様、次の雪灯祭りに関するご提案ですが……」
老執政ユキナリの落ち着いた声が背後から聞こえる。銀縁の眼鏡をかけた彼は、濃紺の冬装束に身を包み、数枚の文書を手にしていた。
「はい、お願いします」
ナグサは窓から離れ、優雅に椅子に腰を下ろした。毛皮の縁取りがされたドレスの裾が、ゆっくりと広がる。
ユキナリは丁寧に文書を広げながら説明を始めた。
「祭りの日程としましては、来月の満月の夜を予定しております。氷像の展示場所や屋台の配置については……」
ナグサは真剣にうなずきながら話を聞いていたが、心のどこかで町の様子が気にかかっていた。祭りの準備は順調に進んでいるのだろうか。皆、寒さに負けずに元気に過ごしているだろうか。
「……以上が現時点での案となりますが、いかがでしょうか」
ユキナリの言葉で我に返る。
「そうですね……どれも素敵な提案ばかりです。ただ、町の方々のご意見もお聞きしたいところです」
「お気遣いありがとうございます。では、近日中に町の代表者たちと再度話し合いをさせていただきます」
ユキナリは温かい眼差しでナグサを見つめた。
「ナグサ様、少しお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ただ、少し町の様子が気になって……」
するとドアが軽くノックされ、コユキが現れた。淡い水色の髪を肩まで切り揃えた彼女は、白と薄青の巫女装束に身を包み、心配そうな表情を浮かべていた。
「ナグサ様、また朝食をほとんど召し上がっていらっしゃいませんね! 無理はだめですよ!」
コユキは手に持った銀盆をテーブルに置くと、すぐにナグサのそばに駆け寄った。
「大丈夫ですよ、コユキさん。ただ、少し町のことが気になって……」
ナグサは優しく微笑んだが、コユキは首を振った。
「ナグサ様はいつもそうおっしゃいます。でも、たまには息抜きも必要ですよ。今日の午後はゆっくり休まれませんか? それとも、町へお出かけになってみては?」
「町へ……ですか?」
ナグサの淡い氷青色の瞳がかすかに輝いた。
「はい! 変装してなら、誰にも気づかれずに町の様子を見てこられると思います」
ユキナリが慎重に口を開いた。
「危険は伴いますが、コユキの言う通り、たまの息抜きは必要かと。もちろん、細心の注意を払ってのことですが」
ナグサはしばらく考え込み、そっとうなずいた。
「そうですね……それでは、少しだけ町まで行ってみましょうか」
コユキの顔がぱっと明るくなった。
「では、すぐに変装の準備をいたします!」
数分後、ナグサは質素な灰色の外套をまとい、銀色の長い髪は深いフードのついた帽子で隠していた。普段着ている白銀のドレスやヒールブーツとは似ても似つかない、ごく普通の町娘のような姿だ。
「どうかお気をつけて、ナグサ様」
コユキが心配そうに見送る中、ナグサは館の裏口から静かに外出した。
冷たい空気が頬に触れ、ほのかな安堵感が胸を満たした。館の中も静かで落ち着ける場所だが、外の新鮮な空気はまた違った安らぎを与えてくれる。
「皆さんは今日も元気でしょうか……」
そう呟きながら、ナグサは雪に覆われた小道を町へと向かった。足跡が新雪に刻まれ、すぐに優しく降り積もる雪に覆われていく。
町へ近づくにつれ、人々の活気ある声が聞こえてきた。笑い声、作業の音、そしてどこか楽しげな会話が混ざり合い、冬の静寂の中に温かな生命の鼓動を刻んでいた。
広場では、雪像職人たちが祭りの準備に勤しんでいた。大勢の職人たちが大小さまざまな雪の塊を彫り上げ、見事な彫刻へと変えていく。中でも一人の老人が、丁寧に氷の彫刻を仕上げる様子が目に留まった。
老人は細い鑿を手に、氷塊に細心の注意を払いながら繊細な模様を刻んでいた。その指先は年季が入っているのに、一つ一つの動きは驚くほど滑らかで優雅だった。
ナグサは少し離れた場所に立ち、そっとその様子を見守った。老人の集中した表情、時折浮かぶ満足げな微笑み、そして完成していく作品の美しさ──すべてが雪凪国の職人の誇りを物語っていた。
「おじいさん、相変わらず腕が落ちてないねえ!」
近くの職人が声をかけると、老人は顔を上げてにっこり笑った。
「馬鹿言え。わしの腕前が落ちるわけがない。この彫刻、今年の祭りの目玉にするつもりだ」
「またナグサ様の像を彫ってるのかい? 毎年のことながら、本当に似てるよな」
ナグサの胸が温かなもので満たされた。人々が彼女のことを想い、その姿を雪像に刻んでくれる──それ以上に嬉しいことはなかった。
屋台の準備をしている人々の間を通り過ぎると、甘い香りが漂ってきた。焼き菓子や温かい飲み物の湯気が冷たい空気の中でゆらめき、人々の笑顔をより一層輝かせている。
「今年は新しいスパイスを試してみたんだ。きっと皆に喜んでもらえるよ」
「わあ、いい香り! もう少し甘みを足したらどうかな?」
店主たちの会話は楽しげで、祭りへの期待に満ちあふれていた。ナグサは思わず微笑みながら、その様子を見つめた。
ふと、路地の方から子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。興味を引かれて声のする方へ歩いていくと、数人の子供たちが雪だるまを作っているところだった。
「もっと大きいのを作ろうよ!」
「でも頭が重すぎるよ。倒れちゃいそう」
「大丈夫、私が支えてるから!」
ナグサは少し離れたところからそっと見守っていたが、小さな女の子が困っている様子に気づいた。どうやら手袋を忘れてしまい、冷たい雪で手がかじかんでいるようだ。
ためらいながらも、ナグサは近づいた。
「すみません、よろしければこれを」
そう言って、自分の予備の手袋を差し出した。声をできるだけ低く、自然に響くよう心がけた。
女の子は驚いたようにナグサを見上げ、そして照れくさそうに笑った。
「ありがとう、お姉さん! でも、これをもらっちゃだめだよ。お姉さんが寒くなっちゃう」
「大丈夫ですよ。私はもう一枚持っていますから」
ナグサは優しく微笑みながら、手袋をそっと渡した。女の子の手は確かに冷たかった。
「わあ、あったかい! ありがとう、お姉さん!」
女の子の笑顔がぱっと花開いた。その無邪気な笑顔に、ナグサの胸は温かいものでいっぱいになった。
「お姉さんも一緒に雪だるま作らない?」
別の男の子が誘ってくれた。ナグサは少し躊躇したが、うなずいた。
「ええ、少しだけお手伝いさせてください」
しばらくの間、ナグサは子供たちと一緒に雪だるまを作った。普段は館で過ごすことが多いので、こんなふうに無邪気に遊ぶことはほとんどなかった。雪の冷たさ、子供たちの温もり、はしゃぎ声──すべてが新鮮で心地よかった。
「見て見て、魔女様みたいにきれいな雪が降ってきたよ!」
突然、一人の子供が空を指さして叫んだ。ナグサも空を見上げると、確かに粉雪からより細やかで輝く雪──ダイヤモンドダストへと変化し始めていた。
子供たちはキャッキャッとはしゃぎながら、キラキラと輝く雪の粒を手のひらで受け止めようとした。
「本当だ! ナグサ様が喜んでるんだよ!」
「魔女様、今日も元気だね!」
ナグサは思わず胸に手を当てた。自分の幸福感が、こんな形で天候に現れているのだ。人々はそれに気づき、喜びさえ感じてくれている。
子供たちはナグサの正体に気づくことなく、輝く雪に歓声を上げ続けた。それでよかった。魔女として敬われるよりも、今のように町の一人として受け入れられることの方が、時には嬉しいこともあるのだ。
しばらくしてから、ナグサはそっとその場を離れた。子供たちはすっかり雪遊びに夢中で、彼女の去り際に気づく者もいなかった。
町の中をさらに歩き回ると、人々の温かい日常がいたるところで展開されていた。老夫婦が手をつなぎながら歩いていたり、友人同士が温かい飲み物を囲んで笑い合っていたり、商人たちが商品を並べながら楽しげに会話を交わしていたり。
どの顔も生き生きとしており、冬の寒さなどまったく意に介していないようだった。むしろ、この季節を心から楽しみ、愛しているようにさえ見えた。
ナグサはそっと胸のあたりを押さえた。この温かい感情が、また雪を変化させてしまうかもしれない。でも今日ばかりは、それでもいいと思った。
夕暮れ時が近づき、空の色が淡い桃色から深い藍色へと変わり始めた。町の灯りが一つずつ灯り、雪原に浮かぶ星々のように輝きだした。
ナグサは町を後にし、館へと戻る道を歩き始めた。振り返れば、町の明かりが温かく輝き、人々の笑い声が遠くまで響いている。
「ありがとうございます」
そっと呟く。誰に言うわけでもない、町全体への感謝の言葉だ。
空ではダイヤモンドダストが夕焼けに照らされ、無数の小さな宝石のようにきらめいていた。光の粉雪がゆっくりと舞い落ち、町を優しく包み込む。まるで優しい母親が子を抱くように、静かに、そして確かに。
「また明日も、皆に美しい雪を届けましょう」
ナグサは空を見上げながら、静かにそう誓った。疲れは少し感じたが、心は温かく満たされていた。これこそが、魔女としての幸せな瞬間なのだ。
館が見えてきた時、ふとコユキのことを思い出した。きっと彼女は心配しながら待っているだろう。少し早めに帰って、温かい紅茶でも一緒に飲みながら今日の出来事を話そう。もちろん、町での様子をどこまで伝えるかは、コユキの心配を増やさないように気をつけなくては──だが、町の人々が元気で幸せそうだったことは、きっと伝えられる。
館の裏口に近づくと、窓から温かな灯りが漏れていた。もうすぐ夜──静かで落ち着いた、冬の夜が訪れる。
ナグサは最後にもう一度振り返り、遠くの町並みを見つめた。町の灯りは夕闇の中でより一層輝きを増し、雪原に浮かぶ宝石のようだった。
「今日も、平和でいてくれてありがとう」
そう呟くと、ナグサは静かに館のドアを開けた。中からは、温かい紅茶の香りがほのかに漂ってきた。