万年雪の館で、魔女は今日も暖まりたい   作:かみりあ

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第七章 「雪灯祭」

 夕暮れが雪凪国の空を淡い藤色に染め始める頃、町にはそろそろと人々の姿が集まり始めていた。今日は一年に一度の雪灯祭。町の広場には大小さまざまな雪像が並び、人々は最後の仕上げに余念がなかった。冷たい空気が息を白く曇らせる中、笑い声と楽しげな会話が冬の静寂を優しく包み込んでいた。

 

「そこの角、もう少し削った方がいいかな?」

 

「うん、そうすると光の反射がきれいに出るよ」

 

 職人たちの会話が軽やかに飛び交う。大人たちは雪像の細部を丁寧に磨き上げ、子どもたちはわくわくした様子で灯り用の氷の器を運んでいた。どの顔にも祭りへの期待と喜びが輝いている。

 

 館の窓からその様子を見つめるナグサの瞳も、柔らかな輝きを帯びていた。

 

「皆さん、楽しそうですね」

 

 そっと呟く声は温かい吐息のように静かに漂う。彼女の長い銀髪は窓から差し込む夕日の光を受けて、淡い水色の輝きを放っていた。

 

 ドアが静かに開き、コユキが現れた。彼女の頬は寒さで少し赤みを帯び、明るい空色の瞳は今日ばかりは特に輝いていた。

 

「ナグサ様、もうすぐお時間ですよ。お支度をお手伝いしましょうか?」

 

 ナグサは窓から離れ、優しく微笑んだ。

 

「ありがとう、コユキさん。でも、今日は少しだけ変装して町に行こうと思って」

 

 コユキの目がぱっと輝いた。

 

「それは素敵なアイデアです! 普段とは違う景色が見られますね」

 

 コユキの手助けで、ナグサはごく普通の町娘のような服装に着替えた。銀髪はフードで隠し、普段着るような豪華なドレスではなく、厚手のウールのガウンを纏った。それでも彼女の儚げな雰囲気は隠しようもなく、コユキは思わずため息をついた。

 

「ナグサ様、いくら変装しても、お姿の美しさは隠せませんわ」

 

 ナグサは照れたように俯いた。

 

「そんなことないですよ。これで十分、町に溶け込めます」

 

 ふたりは館の裏口から静かに外へ出た。冷たい空気が頬を撫でるが、不思議と寒さを感じない。祭りへの期待が心を温かくしていた。

 

 町へ向かう小道は既に柔らかな灯りで導かれていた。氷で作られた小さな器の中では、魔法の炎が静かに揺らめいている。その光は冷たい空気の中でより一層温かみを増し、道行く人々の顔を優しく照らし出していた。

 

「わあ、きれい……」

 

 ナグサの呟きに、コユキが嬉しそうに頷く。

 

「今年は特に出来がいいですよね。ガンテツさんが新しい魔法の炎を開発されたんですって」

 

 町の広場に近づくにつれ、人々の笑い声や会話が聞こえてきた。ナグサは少し緊張したようにフードを深く被った。

 

「大丈夫ですか、ナグサ様?」

 

「ええ、ただ……少しどきどきして」

 

 普段は人々の前に立つ立場であるナグサだが、今日ばかりは一人の町娘として祭りを楽しみたいと思っていた。それでも民たちの様子を直に感じ取れる貴重な機会でもあった。

 

 広場に足を踏み入れると、そこはもう別世界のようだった。無数の雪像が夕闇の中に浮かび上がり、それぞれが独自の輝きを放っている。動物の形をしたもの、抽象的な彫刻、中にはナグサを模したと思しき優美な雪像もあった。

 

「すごい……どれも素敵ですね」

 

 ナグサの瞳は感動で細くなった。人々の創造力の豊かさ、技術の高さに心打たれる。そして何より、どの顔にも笑顔が溢れていることが彼女の胸を温かくした。

 

 ふと、近くで会話が聞こえてきた。

 

「お母さん、この雪像すごくきれい!」

 

「そうね、でももっと綺麗になるわよ。まだ灯りが点いてないから」

 

 幼い女の子と母親らしき女性の会話だった。女の子は期待に胸を膨らませ、雪像を見つめている。

 

 別の場所では、年老いた職人たちが談笑していた。

 

「今年の出来はなかなかだな」

 

「お前の雪像も悪くないぞ。しかし、ナグサ様に見ていただけると思うと緊張するな」

 

 ナグサは思わず息を呑んだ。人々が彼女のことを気にかけてくれていること、祭りを楽しみにしながらも彼女の存在を意識していることが伝わってきた。

 

 コユキがそっとナグサの袖を引いた。

 

「ナグサ様、あちらに良い見場所がありますよ」

 

 ふたりは広場の端にある少し高くなった場所に移動した。そこからは広場全体を見渡すことができた。無数の雪像が夕闇の中にシルエットとなって浮かび、点灯の時を待っている。

 

 ナグサは胸の高鳴りを感じた。これほどの光景を、これほどの温かい空気を、彼女は日々守り続けているのだ。責任の重さを感じると同時に、大きな喜びが胸を満たしていった。

 

 遠くにユキナリの姿が見えた。彼は数人の町の代表者たちと話しながら、静かに場を整えている。銀縁の眼鏡が最後の夕日の光を反射し、冷静ながらも温かい眼差しで祭りの準備を見守っていた。

 

「ユキナリさんもお忙しそうですね」

 

「ええ、でもきっとお楽しみですよ。雪灯祭はユキナリさんにとっても特別な日ですから」

 

 コユキの言葉にナグサは優しく頷いた。彼女は知っている。ユキナリがこの祭りをどれほど大切に思っているかを。

 

 ふと、視界の隅で何かが動いた。振り返ると、フミが少し離れた場所に立っていた。彼女は革装丁の手帳を手に、静かに場を観察している。その視線は時折ナグサの方に向き、ほんの少しだけ頷くと、再び手帳に書き込むのだった。

 

「フミさんも来ているんですね」

 

「記録係ですから、こういう行事は欠かせませんよ」

 

 ナグサはフミのその様子に安心感を覚えた。全てがきちんと記録され、後世に伝えられていく。彼女の国の美しい瞬間が、決して忘れ去られることなく。

 

 時が経つにつれ、広場にはさらに多くの人々が集まってきた。老若男女、皆がそれぞれの笑顔を輝かせ、点灯の時を待ちわびている。寒さなどどこへやら、人々の熱気と期待感が空気を温めていた。

 

 ナグサはフードの隙間から冷たい空気を吸い込んだ。その息は白く曇り、すぐに消えていった。彼女の心は静かな感動で満たされていた。これが彼女の国、彼女の民たちの姿だ。

 

「そろそろ時間ですね」

 

 コユキが小声で言った。空はすっかり紺碧色に変わり、最初の星々がちらほらと輝き始めていた。

 

 広場の中央にユキナリが立ち、静かに手を挙げた。すると、たちまち周囲の会話が静まり返った。数百人もの人々の視線が一斉にユキナリに向けられる。

 

「皆様、本日は雪灯祭へお越しくださいまして、誠にありがとうございます」

 

 ユキナリの声は澄んでいて、広場の隅々まで響き渡った。

 

「今年もまた、素晴らしい雪像が集まりました。一つ一つに作者の想いが込められております」

 

 ナグサは思わず息を詰まらせた。ユキナリの言葉の一つ一つが、彼女の胸に深く響く。

 

「そしてこれらは全て、私たちの愛する冬の国、雪凪国への賛歌であります」

 

 拍手が湧き起こった。温かい、心のこもった拍手だった。

 

 ユキナリが静かに手を下ろし、続けて言った。

 

「それでは、点灯の時を迎えましょう」

 

 一瞬の静寂が広場を包んだ。まるで世界が息を止めたかのように。

 

 そして、ユキナリの合図とともに、無数の灯りが一斉に点った。

 

「わあっ!」

 

 感嘆の声が広場に響き渡った。雪像の一つ一つが内側から柔らかな光を放ち、冷たい雪を温かな輝きに変えていった。光の色は様々で、青白いもの、黄金色のもの、淡いピンクのものまであった。それぞれの雪像が独自の輝きを放ちながら、全体として調和の取れた美しい光景を作り出している。

 

 ナグサは言葉を失った。目の前の光景があまりに美しく、胸が熱くなるのを感じた。彼女の淡い氷青色の瞳に、無数の灯りが揺らめいて映る。

 

「きれい……本当に、きれいですね」

 

 彼女の声は感動で震えていた。コユキも同じように感動に満ちた表情で広場を見つめている。

 

 光り輝く雪像の間を、人々がゆっくりと歩き始めた。どの顔にも感動と喜びがあふれ、子どもから大人まで、皆がこの幻想的な光景に魅了されていた。

 

 ナグサはふと、近くの雪像に目をやった。それは小鳥の形をした雪像で、羽根の一つ一つが細かく彫り込まれ、内側から青白い光を放っていた。その美しさに思わず見とれてしまう。

 

「すみません、そちらの雪像はどなたが作られたのですか?」

 

 ふと尋ねた声に、ナグサははっとした。近くにいた年老いた職人が彼女に話しかけていた。

 

「あ、いえ、私はただの見物人で」

 

「そうか、すまなかったね。でも、なかなかの出来だろう? うちの孫が作ったんだ」

 

 職人の誇らしげな表情に、ナグサの胸が温かくなった。

 

「お孫さんが? それは素晴らしい技術ですね」

 

 職人は満足そうに頷いた。

 

「あの子、将来は立派な雪像職人になるんだ。ナグサ様に認めていただけるように、毎日練習しているんだよ」

 

 ナグサは胸が締め付けられるような思いだった。人々が彼女のことをこんなにも慕ってくれていること、彼女に認めてもらいたいと願っていること──その想いの深さに、目頭が熱くなった。

 

「きっと、ナグサ様もこの作品を気に入ってくださると思います」

 

「そうだといいなあ。では、失礼」

 

 職人が去っていく後ろ姿を見送りながら、ナグサは静かに息を吐いた。彼女の吐息は白く曇り、冷たい空気の中に消えていった。

 

 その時、奇跡のような現象が起こった。ナグサの吐息が、なぜかキラキラと輝き始めたのだ。まるで無数の小さなダイヤモンドの粉が空中に舞っているかのように。

 

「あら……」

 

 ナグサは驚いて目を見開いた。彼女の感情が天候に影響を与え始めていた。感動と感謝の気持ちが高まり、それがダイヤモンドダストとなって現れたのだ。

 

 最初はほんの少しだった輝きが、次第に広がっていった。ナグサの周囲の空気中に、無数の小さな光の粒が舞い始める。それらは雪像の灯りを受けて、さらに輝きを増していった。

 

「ナグサ様、ご覧ください!」

 

 コユキが興奮した声で叫んだ。ダイヤモンドダストは広場全体に広がり始め、雪像の輝きと相まって、さらに幻想的な光景を作り出していた。

 

 人々もこの突然の現象に気づき、感嘆の声を上げ始めた。

 

「わあ、ダイヤモンドダストだ!」

 

「すごい! これも祭りの演出なのかい?」

 

「きれい……」

 

 ナグサは少し慌てた。変装がばれてしまうかもしれない。しかし同時に、人々が純粋にこの現象を楽しんでいる様子を見て、安堵とも嬉しさともつかない感情が湧き上がった。

 

 ふと、遠くに立つフミと目が合った。フミは少し驚いた表情だったが、すぐに優しく微笑み、そっと頷いた。そして手帳に何かを書き込むのだった。

 

 ナグサはほっと息をついた。フミは彼女の正体に気づいていたが、それを表ざたにはしないだろう。

 

 ダイヤモンドダストはますますその輝きを増し、今や広場全体を包み込むほどになっていた。無数の光の粒がゆっくりと舞い落ち、人々の肩や髪にふわりと積もっていく。しかしそれは冷たさではなく、むしろ温かな輝きのように感じられた。

 

 ナグサは胸の高鳴りを感じながら、この光景を見つめ続けた。これが彼女の感情の現れだ。人々への感謝、この国への愛おしさ──それらが形となって現れたのだ。

 

「ナグサ様、大丈夫ですか?」

 

 コユキが心配そうに尋ねた。ナグサはゆっくりと頷いた。

 

「ええ、ただ……とても幸せで」

 

 その言葉と同時に、ダイヤモンドダストの輝きがさらに強まった。無数の光の粒が優雅に舞い、雪像の灯りと調和して、まさに夢のような光景を作り出していた。

 

 人々はこの予期せぬ美しい現象に、さらに歓声を上げた。子どもたちは空中に手を伸ばし、輝く粒を掴もうとする。大人たちは感嘆の声を上げながら、この光景を写真に収めようとする。

 

 ナグサは静かに目を閉じた。彼女の心の中には、言葉にできないほどの感謝の気持ちが溢れていた。この国に生まれ、この人々と共に過ごせることへの感謝。そして何より、彼女の感情を純粋に喜びとして受け止めてくれる人々への感謝。

 

 しばらくして、ダイヤモンドダストは次第に収まっていった。輝く粒はゆっくりと消え、再び普通の雪が静かに降り始めた。しかし空気中にはまだ魔法のような余韻が漂い、人々の顔には深い感動の表情が残っていた。

 

 ナグサは深く息を吸い込んだ。冷たい空気が肺に染み渡り、彼女の高ぶった感情を少しずつ落ち着かせていった。

 

「そろそろ戻りましょうか、ナグサ様」

 

「ええ、そうですね」

 

 コユキの提案に、ナグサは優しく応えた。もうすっかり暗くなった空には、無数の星々が輝いていた。館へと続く小道の氷の灯りは、依然として温かな光を放ち、二人を導いてくれる。

 

 振り返ると、広場ではまだ祭りが続いていた。人々は雪像の間を歩き回り、その美しさを楽しんでいる。笑い声や会話が冷たい空気に乗って、優しく響いてきた。

 

 ナグサはほほえんだ。この光景を、この温かい空気を、彼女は決して忘れないだろう。

 

 ふたりは静かに広場を離れ、館へと続く小道を歩き始めた。周囲にはもう祭りの喧騒はなく、ただ静かな夜の音だけが響いていた。足音が雪に軋む音、遠くで聞こえるかすかな笑い声、そして時折吹き抜ける風の音。

 

「今日は本当に素敵な祭りでしたね」

 

「ええ、そうですよね。皆さん、本当に素晴らしい作品を作られていました」

 

 ナグサの心はまだ高揚していた。あの光景、あの感動が、彼女の胸の中で静かに輝き続けている。

 

 突然、背後から聞き覚えのある声がした。

 

「ナグサ様、お待ちください」

 

 振り返ると、フミが少し息を切らして追いかけてきた。彼女の手には相変わらず革装丁の手帳が握られていた。

 

「フミさん、どうしたのですか?」

 

「いえ、ただ……今日の記録をお伝えしたくて」

 

 フミは手帳を開き、淡々と語り始めた。

 

「雪灯祭、点灯時刻より無事開催。参加者数は例年並み。雪像の質は特に優れており、町民の技術の向上が窺えます」

 

 ナグサは静かに聞いている。フミの報告はいつもながらに正確で、客観的だ。

 

「点灯後、突然のダイヤモンドダスト発生。現象は約15分間持続。町民の反応は驚きと賞賛。特に悪影響は確認されず」

 

 フミが顔を上げ、ナグサをまっすぐに見つめた。

 

「そして……ナグサ様のご様子。感動と感謝の表情が窺え、天候への影響は肯定的と判断」

 

 ナグサは少し照れくさそうに俯いた。

 

「ばれていましたか」

 

「ええ、ですがご安心を。他には気づいた者はいないようです」

 

 コユキが安堵の息をついた。

 

「よかったです、ナグサ様」

 

 フミは再び手帳に目を落とし、最後に付け加えた。

 

「今日の祭りは、雪凪国の平穏と繁栄を象徴するものとなりました。ナグサ様のご感情が天候に反映され、町民との絆の深さを物語る出来事であった──冬の記録より」

 

 ナグサの胸がまた熱くなった。フミの言葉は、彼女の心のうちを的確に表現していた。

 

「ありがとう、フミさん。あなたの記録は、いつも私たちの国の大切な記憶を守ってくれていますね」

 

「お役に立てて光栄です」

 

 ふたりが歩き出そうとした時、再び声がかかった。今度はガンテツだった。彼は作業用の外套を着て、少し慌ただしい様子で近づいてきた。

 

「ナグサ様、お見送りに参りました」

 

「ガンテツさん、どうしたのですか? 祭りはまだ続いていますよ」

 

「ええ、ですが館の暖炉の準備をしておきたくて」

 

 ガンテツさんの忠実さに、ナグサは心打たれた。彼はいつも彼女のことを第一に考えてくれる。

 

「あなたは本当に気が利きますね。ありがとう」

 

「とんでもありません。ナグサ様が温まれるように、暖炉はしっかりと焚いておきます」

 

 三人は並んで館へと歩を進めた。ガンテツは無口ながらも、要所々々で道案内をし、危ない場所があればそっとナグサを支えるのだった。

 

 館が見えてきた。窓には温かな灯りが灯り、煙突からはゆらゆらと煙が立ち上っている。まるで帰りを待っているかのようだ。

 

「ああ、家に帰ってくるといつもほっとします」

 

「そうでしょうね。ナグサ様の館は、雪凪国で一番温かい場所ですから」

 

 コユキの言葉に、ナグサは優しく微笑んだ。確かにこの館は温かい。しかし本当の温かさは、そこに住む人々の心から来ているのだと彼女は思う。

 

 館のドアが開き、ユキナリが現れた。彼は相変わらず落ち着いた表情で、銀縁の眼鏡が館の灯りを反射している。

 

「お帰りなさいませ、ナグサ様。祭りはいかがでしたか?」

 

「とても素敵でした。ユキナリさん、準備から運営まで、本当にありがとうございました」

 

 ユキナリは深々と一礼した。

 

「とんでもありません。町民の皆さんのご協力あってのことです」

 

 館の中に入ると、暖炉の温かな熱気がすぐに体を包み込んだ。外の冷たさが嘘のように、体中がじんわりと温まっていく。

 

「ああ、温かい……」

 

「すぐにお茶を用意いたしますね」

 

 コユキが駆け出していく。ガンテツは暖炉のそばに行き、火の調整を始めた。ユキナリはナグサの外套を受け取り、丁寧に掛けてくれた。

 

 ナグサは暖炉の前の椅子に腰を下ろした。体の芯まで冷えていたのが、少しずつ温まっていくのを感じる。

 

「今日のダイヤモンドダストは、ナグサ様の深いお喜びの表れだったのでしょう」

 

 ユキナリが静かに言った。

 

「町民の皆さんも、大変喜んでおられました」

 

 ナグサは暖炉の炎を見つめながら、ゆっくりと頷いた。

 

「ええ、私はただ……みんなの笑顔が見たくて変装して行っただけなのに、逆にすごく温かい気持ちをもらってしまいました」

 

 暖炉の炎がぱちぱちとはぜる音が、静かな館に響く。外ではまだ静かに雪が降り続けている。

 

 コユキがお盆を運んでやってきた。上には温かい紅茶と、小さな焼き菓子が載っている。

 

「ナグサ様、どうぞ。体が温まりますよ」

 

 ナグサは紅茶のカップを受け取り、そっと息を吹きかけた。湯気がゆらゆらと舞い上がる。

 

「ありがとう、コユキさん」

 

 紅茶の温かさが指先からじんわりと伝わってくる。香りもよく、心までほっとする。

 

「今日の祭り、一番印象的だったのはどんな場面でしたか?」

 

 ユキナリが尋ねた。彼は窓のそばに立ち、まだ続く祭りの灯りを遠くに見つめている。

 

 ナグサは少し考えてから答えた。

 

「やはり、点灯の瞬間でしょうか。一斉に雪像が輝き始めた時は、息を呑むほど美しかったです」

 

「それから……あの職人さんとの会話も忘れられません。お孫さんのことを誇らしげに話されていて」

 

 ナグサは紅茶を一口含み、温かな液体が喉を通り抜けるのを感じた。

 

「みんながそれぞれの想いを込めて、この祭りを作り上げているのですね」

 

 沈黙が訪れた。しかしそれは決して気まずい沈黙ではなく、温かい、充実した静寂だった。暖炉の炎の音、時計の針が進む音、遠くの祭りの喧騒──それらが調和して、心安らぐ時間を作り出している。

 

 ナグサは窓の外を見つめた。館からは町の灯りが小さく、しかし確かに見える。雪灯祭はまだ続いているのだろう。人々の笑い声がかすかに聞こえてくるような気がした。

 

「ナグサ様、少しお疲れのようですよ」

 

 コユキが心配そうに言った。

 

「今日は早めにお休みになった方がいいかもしれません」

 

 ナグサは微笑んだ。

 

「大丈夫です。もう少しだけ、この温かさを楽しんでいたいのです」

 

 しかし確かに、少し疲れを感じ始めていた。一日の興奮が静まると共に、ゆっくりと疲労が訪れている。外の雪は相変わらず静かに降り続け、時折風が窓を軽く叩く。

 

 ガンテツが暖炉の火を少し強くした。炎が勢いを増し、館の中がさらに温かくなっていく。

 

「ナグサ様、明日の予定ですが、特に急ぎの用件はありません」

 

 ユキナリが報告する。

 

「ゆっくりとお休みいただけます」

 

 ナグサは安堵の息をついた。

 

「ありがとう、ユキナリさん。あなたはいつもきちんと調整してくれますね」

 

 ユキナリは微かに笑った。

 

「それは私の役目ですから」

 

 ナグサは再び紅茶を一口含んだ。もう少し冷めていたが、それでも温かさは残っている。焼き菓子を一口かじると、甘さが口の中に広がった。

 

 今日一日の出来事が、ゆっくりと頭の中を巡る。祭りの準備をする人々、点灯の瞬間の感動、ダイヤモンドダストの輝き──どれもが大切な思い出だ。

 

「フミさんはまだ祭りにいますか?」

 

「ええ、おそらく最終まで記録を取っているでしょう」

 

「フミさんの記録は、いつも正確で詩的ですね。読むだけでその場の空気が伝わってくるようです」

 

 ナグサは暖炉の炎を見つめながら、ふと思い出した。

 

「そういえば、あの小鳥の雪像は本当に素晴らしかったです。羽根の一つ一つが丁寧に彫られていて」

 

 コユキの目が輝いた。

 

「あの雪像、私も見ました! 本当に繊細で美しかったです」

 

 会話は自然と祭りの思い出話に花が咲いた。それぞれが印象に残った雪像や、面白かった出来事を語り合う。館の中は温かい笑い声に包まれた。

 

 やがて、ナグサはあくびをしてしまった。

 

「あっ、すみません」

 

「いえいえ、ナグサ様、そろそろお休みになった方が」

 

 コユキが心配そうに言う。ユキナリも頷いた。

 

「ええ、明日も一日があります。ゆっくり休まれてください」

 

 ナグサはゆっくりと立ち上がった。体が少し重いが、心地よい疲労感だ。

 

「そうですね。それではお先に失礼します」

 

 階段を上がりながら、ナグサは窓の外をもう一度見た。町の灯りはまだ輝き続けている。祭りは深夜まで続くのだろう。

 

 部屋に入ると、既に暖房が効いていて温かかった。ベッドの傍らには、コユキが用意してくれた温かい石が置いてある。彼女の細やかな気遣いに、ナグサはまた胸が熱くなった。

 

 窓辺に行き、カーテンを少し開けた。外では相変わらず雪が静かに降り続けている。町の灯りが雪に反射して、柔らかな輝きを放っている。

 

「今日は本当に、素敵な一日でした」

 

 そっと呟くと、窓の外の雪の輝きがほんの少し強まったように見えた。彼女の感謝の気持ちが、また天候に反映されたのかもしれない。

 

 ベッドに入ると、羽毛布団の温かさがすぐに体を包み込んだ。疲れた体にはこれ以上ない安らぎだ。

 

 目を閉じると、今日の光景が瞼の裏に浮かんでくる。輝く雪像、笑顔の人々、ダイヤモンドダストの輝き──どれもが美しい記憶として、彼女の心に刻まれていく。

 

 遠くで祭りの音楽がかすかに聞こえるような気がした。あるいはそれは風の音かもしれない。どちらにせよ、それは心安らぐ子守歌のように感じられた。

 

 ナグサの意識はゆっくりと遠のいていった。体全体が温かく、心地よい重さを感じている。心は感謝と幸福で満ちている。

 

 最後に頭をよぎったのは、あの年老いた職人の言葉だった。

 

「ナグサ様に認めていただけるように、毎日練習しているんだよ」

 

 その言葉を思い出すと、自然と微笑みが浮かんだ。彼女はこの国を、この人々を、これからもずっと守り続けていこうと心に誓った。

 

 そしてナグサは、温かな安らぎに包まれながら、静かな眠りについた。外では雪が相変わらず静かに降り続け、町の灯りは優しく輝き続けている。雪凪国の夜は、深い静寂と温もりに包まれていた。




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