ソードアートオンライン・捻くれ者の攻略   作:たけのこの里

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第1話

人は、誰かを助ける時に理由なんて考えない。――そういう人間も、いる。

 

九条恒一は違う。

 

少なくとも今は、違うと言い切れる。行動には理由がある。 選択には根拠がある。 感情はただのノイズで、判断を歪める異物だ。

 

 

そうやって、自分を納得させてきた。けれど。その前提は、ある日を境にして成立しただけの“後付け”だ。本当は。最初からそんな風に割り切れていたわけじゃない。

 

――あの日までは。

 

昼休み前授業と授業の狭間にある、どこにも属さない時間。

 

教室は騒がしい。だがそれは均一な騒がしさではない。音には偏りがある。人にも、距離にも、温度にも。

 

中心はいつだって明るい。 笑い声はそこから生まれて、波紋みたいに広がっていく。けれど。その波紋に触れない場所がある。意図的に避けられた、静かな空間。

 

「……」

 

九条恒一は、そこを見ていた。窓際の席。春の光が差し込む位置。

 

そこに、結城明日奈がいる。背筋を伸ばしている ノートを開いている視線は落ちているいつも通りのはずの姿。なのに決定的に違う。笑っていない。それだけで、十分だった。

 

記憶が、勝手に引きずり出される。砂場の匂い。 午後のぬるい風。 ブランコの軋む音。

 

幼稚園の頃。

 

小さな手で鎖を握りしめて、必死にバランスを取っていた女の子。

 

「ねえ、見てて」振り返って、笑う。何度も失敗して。 何度も転んで。 膝を擦りむいて。それでも。「……だいじょうぶ」

 

 

 

そう言って、また立ち上がる。結城明日奈は、そういうやつだった。強がりで。負けず嫌いで。簡単には泣かなくて。でも。助けてほしい時ほど、何も言えなくなるやつだ。

 

「……っ」喉の奥が、微かに軋んだ。

 

おかしい。こんなの、ただのクラスの出来事だ。 自分が関わる必要なんてない。そう判断するだけの材料は、いくらでもある。

 

けれど。

 

身体が、先に動いていた。思考が追いつく前に。理屈が形になる前に。――あいつがああなってるの、放っておけるわけねぇだろ。

 

足音が、やけに大きく響いた気がした。教室の中心。笑い声の発生源。そこに踏み込む。

 

「おい」声は、思っていたより低く、そして強かった。視線が集まる。驚き。 疑問。 わずかな苛立ち。

 

全部が混ざった目。「なに?」軽い調子。でも、その奥にある温度は低い。――気に食わない。理由なんていらない。

 

ただ単純に、その態度が腹立たしかった。「さっきから何やってんだよ」言葉が、前に出る。「は?」

 

「普通に話してるだけだけど?」笑いが混じる。だがそれは、さっきまでのそれとは違う。排他的で、閉じた笑い。

 

違う。

 

そんなわけがない。あいつは。明日奈は、クラスの輪の中にいるべき人間だ。ああやって、一人で黙ってるようなやつじゃない。「嘘つくなよ」一歩、踏み込む。「明らかに外してんだろ」

 

空気が、軋む。でも、止まらない。止める理由が、見つからない。「なんであいつだけ無視してんだよ」言い切る。

 

“あいつ”。

 

名前を呼ばなくてもいい。呼ばなくても、わかる距離にいる。「別に無視してないし」誰かが言う。不機嫌そうに、視線を逸らしながら。

 

「じゃあ話しかけろよ」

 

即答だった。「輪に入れればいいだけだろ。何が難しいんだよ」それだけでいい。それだけで、元に戻る。

 

幼稚園の頃から、ずっとそうだった。転びそうになったら手を引く。迷ってたら声をかける。困ってたら隣に立つ。それで、全部うまくいってきた。少なくとも、自分はそう思っていた。

 

「そんなことで空気決めてんの、くだらねぇんだよ」言葉が、教室に落ちる。次の瞬間。何かが、はっきりと壊れた。

 

「……なにそれ」

 

「九条くん、ウザいんだけど」「急に何? 関係なくない?」笑いが、質を変える。

 

矛先が、こちらに向く。でも。関係ない。どうでもいい。守りたいのは、そこじゃない。「関係あるだろ」睨み返す。

 

「あいつが困ってんだろ」言い切った。それで十分なはずだった。それだけで、終わるはずだった。そう思っていた。

 

 「……やめて」小さな声。けれど、確実に届く音。振り向く。結城明日奈が、立っている。俯いたまま。顔は見えない。「余計なことしないで」拒絶だった。

 

「は?」

 

理解が追いつかない。助けている。昔から、ずっとそうしてきた。なのに。

 

「頼んでない」その一言で、世界の前提が崩れる。「……一人でできるから」震えている。わかる。

 

声も。肩も。握りしめた手も。全部、知っている。――だからこそ。「できてねぇだろ」否定した。「今のどこが大丈夫なんだよ」

 

正しい指摘。客観的事実。昔から、そうやってきた。無理してる時は、無理だって言う。 強がってる時は、違うって言う。

 

それが、正しいと思っていた。それで、守れると思っていた。――なのに。「……だからやめてって言ってるの!」

 

顔が上がる。その目を見た瞬間、言葉が止まった。怒りじゃない。恥。 悔しさ。見られたくなかったものを暴かれた、あの顔。「そういうの、一番嫌い」静かに、終わった。

 

その後の記憶は、曖昧だ。教室は元に戻る。笑い声も戻る。ただ一つだけ、確かなことがある。

 

結城明日奈は、そこにいなかった。そして。九条恒一もまた、そこにいなかった。

 

廊下。夕焼けが、やけに赤い。「……なんだよ、それ」呟く。理解できない。間違っていない。

 

あいつだから動いた。 あいつだから、放っておけなかった。幼稚園の頃から、ずっとそうだった。

 

それが、自分のやり方だった。なのに。結果は最悪だ。状況は悪化した。 明日奈はさらに浮いた。 自分も、同じように浮いた。

 

全部、壊した。「……意味わかんねぇ」

 

答えは出ない。

 

ただ一つだけ、残る。――あいつだから助けた。その事実と。あいつに、結城明日奈に拒絶された。その結果だけが。

 

この日。九条恒一の中で、何かが確実に歪んだ。優しさは、正しくない。感情は、役に立たない。だったら。

 

次は、間違えない方法を選ぶ――たとえそれが。誰も救えないやり方だとしても。

 

終わりは、いつも静かにやってくる。爆発も、悲鳴もいらない。ただ一言。ただ一つの視線。それだけで、人と人の間には戻らない線が引かれる。

 

翌日。

 

教室の風景は、何も変わっていなかった。机の配置も、黒板の文字も、朝のざわめきも。ただ一つを除いて。

 

「……」

 

結城明日奈は、そこにいた。昨日と同じ席。 同じ姿勢同じようにノートを開いている。

 

けれど。決定的に違うのは――こちらを見ないことだった。いや。 “見ないようにしている”のが、わかる。

 

視線が合いそうになるたびに、ほんのわずかに逸れる。偶然を装って、距離を保つ。それは、拒絶よりも明確な意思表示だった。

 

「……」

 

九条恒一は、何も言わなかった。言うべき言葉が見つからなかった、わけじゃない。むしろ逆だ。言葉なら、いくらでも思い浮かぶ。昨日のは違う。 やり方が悪かっただけだ。 明日奈のためにやった。

 

どれも、間違っていないはずの言葉。だからこそ。口に出した瞬間、もっと壊れるとわかってしまった。

 

時間は進む授業は始まり、終わる。休み時間が来て、また過ぎるそのすべての中で。九条恒一と結城明日奈は、一度も会話をしなかった。

 

数日後。

 

変化は、ゆっくりと形を持ち始める。明日奈は、完全にに戻っていた。女子グループの中。笑い声の中心。

 

だが、どこか違う笑っている話している。 表面だけ見れば、何も問題はない。それでも、時折、ふとした瞬間に笑顔が、遅れるほんの一瞬誰も気づかないくらいの、わずかなズレ。それを九条恒一だけが、見ていた。

 

「……」

 

理解はしている。あれは、無理をしている顔だ。幼稚園の頃から、何度も見てきた。転んで、膝を擦りむいて。それでも。

 

「……だいじょうぶ」そう言って笑う、あの顔。同じだ。なのに。今の自分には、それを指摘する権利がない。さらに数日後。変化は、もう一つの形で現れる。

 

「九条君ってさ」昼休み。何気ない会話の中で、自分の名前が出る。「空気読めないよね」「正論マンっていうか」「ちょっと怖い」笑い混じりの評価。

 

否定ではない。だが、肯定でもない。分類。人間”としての、ラベル付け。「……」反論は、しなかった。できなかったわけじゃない。必要がないと判断しただけだ。――どうでもいい。

 

そう結論づけるのは、簡単だった。実際、他人からどう見られるかなんて、本質的な問題じゃない。正しいかどうか。それだけが、重要なはずだ。なのに。胸の奥に、妙な引っかかりが残る。

 

それを言語化することは、しなかった。季節が進む春が終わり、夏が来る。蝉の声が、教室の外を満たす。変わらないものと、変わるもの。

 

結城明日奈は、変わらないように見えて――確実に変わっていた。隙がなくなる弱さを見せなくなる。誰かに頼ることを、やめていく。そして、九条恒一もまた、変わっていく。口数が減る関わりを減らす。余計なことを言わなくなる。

 

あの日のように、感情で動くことはなくなった。いや。動けなくなった。と言った方が、正確だった。放課後。人気のない校舎裏。

 

偶然、二人は同じ場所にいた。距離にして、数メートル。それだけなのに。

 

埋められない距離が、そこにあった。「……」「……」沈黙風が吹く。木の葉が揺れる。

 

それだけで、時間が過ぎていく。

 

本当なら。何か言うべきだった。昔みたいに。何も考えずに、話しかければよかった。けれど

 

その“昔みたいに”が、もう存在しない。「……じゃあ」先に動いたのは、明日奈だった。短い言葉。それだけで十分だった、それ以上の会話は、必要ないという意思表示。

 

「……ああ」恒一は、それを受け入れる。引き止める理由を、見つけられなかった。

 

 

空気が冷たくなる。服の上に羽織るものが増える。時間は、確実に進んでいる。そして、関係は、確実に固定されていく。

 

結城明日奈は、完璧な生徒になった。成績優秀品行方正誰からも評価される存在。そこに、隙はない。そこに、弱さはない。少なくとも、表面上は。

 

一方で、九条恒一は、変わらない。

 

いや。

 

変わらないようにしている。感情を抑える距離を取る関わらない。そうすれば、間違えない。そう信じることでしか、あの日を処理できなかった。

 

 

卒業が近づく、教室には、どこか浮ついた空気が流れる。別れと期待が混ざった、不安定な温度。その中で、二人の距離だけが、最後まで変わらなかった。縮まることもなく広がることもなくただ、最初に壊れた位置のまま、固定されていた。

 

卒業式名前が呼ばれる。一人ずつ、壇上に上がる。結城明日奈の名前が呼ばれた時。恒一は、ほんの一瞬だけ顔を上げた。

 

背筋を伸ばして歩く姿迷いのない足取り。完璧だった。あの日、震えていた手の面影は、どこにもない。

 

「……」

 

視線を落とす。それで、終わりだ。声をかけることもない。何かを取り戻すこともない。

 

ただ、一つだけ、確かなことが残る。自分は、間違えた。その事実だけが。

 

卒業式の後。校門の前で、人が集まる。写真を撮る声。 笑い声。 別れを惜しむ声。

 

そのすべてが、遠く感じられた。九条恒一は、一人で歩く振り返らない。振り返ったところで、何も変わらないと知っているから。だから。前だけを見る。次は、間違えないために。それだけを、考えながら。

 

そして。

 

この時点で、すでに決まっていた。九条恒一という人間が、どんな選択をするのか。どんなやり方で、誰かと関わるのか。そのすべては。あの日、壊したものの上に成り立っている。

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