【仮想戦記】 The Islands War 二次創作 作:perry
日本国 九月二十九日 首都東京郊外
「君のことは外務省でも噂になっているようだな」
「はぁ……」
と、情けない返事をしたのは、いま注目の的であるローリダ共和国との会談を終えて帰国した、東スロリア課課長・寺岡祐輔である。
ここは首相官邸。後に世界の中心と呼ばれることになるこの場所で、寺岡は日本国の最高権力者と、その親友に対面していた。
座り心地のいい椅子に腰掛けた寺岡の正面には、内閣総理大臣・河正道が、その透き通るような目でこちらを見つめている。その横には、面白そうに口を歪めて語りかけてくる自由民権党幹事長・神宮寺一の姿があった。
「いや、何も叱咤しようというわけじゃないんだ」
神宮寺は苦笑しつつ、要領を得ない様子の寺岡に言う。
「ただ、前評判というか……寺岡君はもっと大人しい気質だと聞いていたのでね」
神宮寺の言うのは、先日行われたローリダ共和国との会談での、寺岡の対応のことであった。会談の途中で席を蹴るという衝撃的な終わり方は、ローリダ・日本双方にとって予想だにしない終幕だった。
そして、あの激しい幕引きが寺岡の判断で行われたということも、事情を知る者の間では格好の話題になっている。
結果、外務省での彼への評価は、真っ二つに分かれた。
交渉を途中で蹴るとはけしからん、という一見もっともな意見から、ローリダのあの態度を受けてなら仕方がない、という擁護まで。いつもは真ん中に意見が集まりがちな、日本人らしからぬ割れ方であった。
「……では、君のローリダ共和国への印象を教えてもらえるかな」
これまで沈黙を守っていた河が、やっと口を開いた。
はい、と頷いて寺岡は話し始める。
「彼らは……これまで、同程度の発展を遂げた国と出会ったことがないと思われます。それに加えて、彼ら特有の宗教から来る世界観。さらに経済的・政治的な理由から、今回の東スロリアの懸案に対して、彼らが武力行使を厭うことはないでしょう。むしろ、積極的に行使してくるかと」
「なるほど。文化的な理由というのは、レポートにもあったキズラサ教のことだね。政治的な理由というのは……?」
「はい。私たちが事前に会談した相手、ローリダ植民地軍総司令は、戦争回避の道を模索していました。しかし今回の会談では、それとは正反対の急進派が出てきた――ローリダ国内で政変があり、急進派が勝利した、と見るべきです」
「ふむ……。確かに、戦争に肯定的な集団がそれを旗印に勝利したのなら、彼らはもう止まれないだろうな」
横で聞いていた神宮寺が頷く。
河はその推測に同意しつつも、どこか納得していないように、寺岡には見えた。
「その、反対の立場である植民地軍総司令には、連絡は取れないのかね」
「はい。残念ながら……」
本当に残念だ、と寺岡は悔やむ。
あの会談でもっと彼らを信用し、通信機なども預けておけば、このような不確かな推測の上で話し合うこともなかっただろうに、と。
納得のいかなさが顔に出ているのを、自覚しているのだろうか。河は寺岡に向けて、帰国した時にも言われた言葉を繰り返した。
「君を任命したのは私自身だ。君の判断と行動の責任は、すべてこの河にある。君のことをとやかく言う輩は、無視すればいい」
「君も、考えなしに会談を蹴ったわけではないだろうしな?」
神宮寺が、イタズラ好きの子供に似た笑顔を浮かべながら茶々を入れた。
その言葉に、寺岡はあの時のことを思い返す。確かにあの行動は会談を台無しにした。しかし、無駄ではなかったと信じていたからこそ、彼は少々演出過剰とも思える退出劇を演じたのだ。
――どうせあのまま話し合いを続けたところで、何か結果が出たとは考えにくい。いや、確実に出なかっただろう。それでも交渉を続けるべきだとのたまう者は、外交に対してまったくの素人と言わざるを得ない。あの行動で寺岡が示したかったのは、日本はローリダに簡単に屈する国ではない、ということ。今までのような国ではないのだと、彼らに伝える必要があったのだ。
そのような力強いメッセージは、言葉などという貧弱な方法で簡単に伝わるものではない。
武力を背景としない外交が意味を成さないように、時として外交でも、言葉以外の手段でこちらの意思を相手に伝えなければならない場面があるのだ。
そんなことを頭の中で巡らせていた寺岡に、河は言葉を放った。
「……今度の招聘に、私は応じようと思う」
驚いたのは寺岡だけではない。隣の神宮寺も、その言葉に目を見開いていた。
二人の反応を微笑んで眺めながら、河は言葉を重ねる。
「彼らは、平和に価値を見出す我々とは違う価値観を持つ――寺岡君の意見は、とても参考になった。しかし、そんな彼らといえども、一国の首相が自ら会談に臨むことの重みを、理解できないはずはあるまい」
「しかし……彼らは危険です! 首相自らというお心意気は立派だと思いますが……」
「私も反対だ。河君、ここ数週間の間に彼らがしたことを思い返してみ給え。彼らに通常の感性を期待するのは間違っている」
外交交渉中に起きた挑発行為。そして日本側に衝撃を与えたのは、その後に続いて、南スロリア海で七隻もの巡視船が沈められたことである。さらには、今回の懸案とは無関係と思われていた石油施設への攻撃……どう考えても挑発の域を超えた、一方的な戦闘行為であった。
その理由を交渉決裂の腹いせに求める者もいたが、その責任を寺岡らが取るべきだなどと言う血迷った者はいなかった。重ねて、彼らがスロリアへの侵攻を開始したとなれば、最初から侵略の意図を持ち続けていたことは明白だったからだ。
そのローリダ共和国――いや『武装勢力』へ、首相自ら交渉に出向こうというのだ。二人が反対するのも、無理からぬことに思える。
二人の反対に、河は静かに首を横に振った。
「だからこそだよ。彼らに、こちらの強固な意志を見せる。そのためには、この手段しかないように思える」
「確かに、こちらの固い意志を知らせることはできるかもしれません。しかし、あまりにも……」
その渡航に固執する河に、寺岡は微かな違和感を覚えた。
――彼とて、今回の渡航の危険が分からないわけではあるまい。対話を進めようという、その言葉の表面どおりが、本当の真意なのだろうか……?
寺岡はある一つの可能性に思い至り――即座に、それを打ち消した。
反対の立場を崩さない神宮寺に、河は静かに首を振るのみだ。その強固な意志は、彼の親友でさえも翻すことができなかった。
そして、その不自然なほどの意志の固さに。寺岡は、先ほど打ち消したはずの推測を、支持してしまいそうになるのだった。
寺岡は、河前首相らとのその会話を思い出して、ため息を吐いた。
結局、ローリダに招かれて赴いたあの会談は、最悪の結果に終わった。河首相を含む外交団の爆殺――その衝撃的な結末は、確かにこの国を変えたように思える。
――遅い。遅すぎる。
既に千人以上の犠牲者が出ていたあの時点で、まだ楽観的に構えていた議員がいたと聞いて、寺岡は愕然としたものだ。だが、さすがにそうした連中も、今回の件には肝を潰したらしい。明日は我が身、とでも思ったのだろうか。
あの必死の説得も、今から思えば、もう少し食い下がれたのかもしれない。そう考えるたび、寺岡は今でも暗い気持ちになる。
『君は残って、この国の今後を見守ってくれないだろうか』
あの後、二人だけになった時に言われた言葉が、今でも頭から離れない。
――静かな、けれども熱いものを確かに目に宿していた河首相は、何を考えて、あんなことを自分に言ったのだろうか。この自分に、何を期待して?
その問いへの答えは、もう永遠に得られない。
結果、寺岡は退官を前に、身の処し方に悩んでいる。
今日は久しぶりの休暇で、寺岡は家でのんびりと過ごしていた。
日々の忙しい業務から離れてみれば……頭に浮かぶのは、やはり河前首相のことばかりだ。
――結局、彼の意図がどうであれ、この国が彼の死によってある種の『決意』をしたことは、喜ばしい。
そう寺岡は思う。
この国がこの世界で指導的な立場に就くだろうことは、必然だ。国力からも、技術水準からも自明に思える。
何もこの国が、前の世界の某国のように世界の警察を気取るべきだとは思わない。しかし、警察とは言わずとも、消防くらいは――この世界で起きる火事を消すくらいは、すべきではないのか。むしろその責任が、この日本という大国にはあるのではないか。寺岡はそう思うのだ。
そこまで考えを進めて、寺岡はテーブルの上の名刺に目をやる。そこには『国会対策委員長 蘭堂寿一郎』の文字が、黒々と光っていた。
『ピンポーン』
思考を中断させたのは、玄関のチャイムの音だった。少し固まった寺岡は、そういえば家族は買い物に出かけていたな、と思い出す。
二階から降り、ダイニングにある受話器を取る。彼の家では、ダイニングの画面越しに玄関の来客と会話できるのだ。
「はい」
「……すみません。寺岡祐輔さんでいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだが……あなたは?」
画面には、中肉中背の男が映っていた。目立たない大人しい服を着た、外国人であった。
彼は薄く笑みを浮かべて、こう返す。
「ローリダ共和国植民地軍の者です」
◆◆◆
ローリダ共和国 九月三十日 首都アダロネス エンクルマ邸
エンクルマ邸のダイニングの一角は、相も変わらず、たくさんの書類に占領されていた。
その中に埋もれているのは、送られてきたレポートを一心不乱に読むエンクルマである。そのいつもの姿に、エミリーは心配と安心という、相反する二つの気持ちを抱くのだった。
「……エンティ、そろそろご飯にしましょう」
声をかけたのは、午後二時を過ぎた頃である。朝からずっと紙の山に埋もれっぱなしの夫を、さすがのエミリーも心配していたのだ。
彼がこの家で「宣言」をしてから、早くも二ヶ月が経とうとしていた。今までも目の下の隈が絶えないほど働きづめだったエンクルマだが、今はその倍も働いているように、エミリーには見える。
シンパたちとの会合、植民地軍官僚との勉強会、情報部からの報告……それらすべてを精力的にこなす彼からは、もはや鬼気迫るものすら漂ってきそうだった。
もちろん、妻であるエミリーも、ただ見ていたわけではない。会合の設定から秘書仕事まで、様々にこなしているあたり、彼女の才女ぶりが分かろうというものだ。
それでも――彼のこの精力的な行動が、結局のところ何を目指しているのか。どこに収束するのか。それは彼女にすら分からなかった。彼が脇目もふらず進む道の先に、何が待ち受けているのか。怖いような、楽しみなような、不思議な気持ちを抱いていた。
エンクルマの暗躍の目的を、一番近くにいるエミリーでさえ把握していない。その事実はつまり、すべてがエンクルマの頭の中だけで完結していることを意味する。
そんな事態が許されているのは、普通ではない。この尋常でない状況を支えているのは、彼への信頼――いや、盲信であった。彼を取り巻く、その宗教にも似た信頼は、権威が失墜した後のほうが、ある意味で純化しているとさえ言えるのかもしれない。
――この状況を理解し、危うさを把握し続けられるのは、この私だけではないか。そうであるなら、自分は、自分だけは、エンクルマのそばに居続けなければならない……!
エンクルマという台風の目の中にいる彼女は、その明晰な頭脳で、そう決意するのだ。
夫のそうした危うさを理解し、支えられる。その意味で、彼らは理想の夫婦であると言えるだろう。
「ああ。もうそんな時間か。あ、ちょっと待ってくれ」
エンクルマが顔を上げた、その時。テレグラフ機が、情報の詰まった紙を吐き出した。
ちらりと見えたそれは、確か植民地軍情報局からの報告書だろうか、と彼女は推測する。
紙面に視線を走らせていたエンクルマが、突然、拳を握って突き上げた。
「――よしっ! これで前提条件はクリアだ」
久々に聞く、エンクルマの明るい声だった。
その「前提条件」が何を意味するのか、エミリーには分からない。それでも、その明るい声に、自然と心が浮き立っていくのを自覚した。
「おめでとう、エンティ。で、お昼にコーヒーは要る? それとも後?」
「あ、ああ。後にしてもらおうかな」
嬉しそうに答えるエンクルマに、自然とエミリーの頬が緩む。
昼食を用意しながら、「前提条件が整った」ということについて、軽く考えを巡らせてみる。
――そういえば、一昨日のことは関係あるのかしら?
一昨日というのは、大学で、あの国防軍の英雄ロート大佐と話し合いを持つと言っていた日のことだ。
普通に考えれば、ややこしい事態を招きかねない行動である。しかし、彼が必要だと考えて実行したからには、何かしらの意味があるのだろう。
「一昨日のロート大佐の件だけど、あれはあれでよかったの?」
というのも、ロート大佐が協力を断ったことを、彼の口から聞いていたからだ。
その問いに、エンクルマはイタズラの成功した子供のような、眩しい笑顔で答える。
「うん。成功も成功、大成功さ。彼があの場所に来た――そのことが重要であって、彼の返答は正直どうでもいい。大事なのはね、彼が『英雄』でなくなることなんだから」
分かったような、分からないような答えに、エミリーは首を傾げる。
食器を手にテーブルへ向かう彼女に、エンクルマは楽しそうに言ったのだった。
「英雄は二人も要らないのさ、エミリー」