【仮想戦記】 The Islands War 二次創作 作:perry
日本国 十二月一日 首都東京 某喫茶店
カランコロン、とドアベルを鳴らして、寺岡祐輔は落ち着いた雰囲気の喫茶店に足を踏み入れた。
表には派手な看板もなく、地味な色で『コロンビア』とだけ書かれているせいか、昼時だというのに店内の客はまばらだ。
本当に、ここが待ち合わせの場所で合っているのだろうか――寺岡はポケットの紙に書かれた店名と時間をもう一度確かめたが、確かにここらしい。穏やかなジャズが流れる店内は、なるほど話し合いやちょっとした暇つぶしにはいい場所だろう。もっとも、それは相手が友人や同僚であればの話だ。
しかし、彼が待っている相手は、ほとんど面識のない人物――共政会党首、士道武明なのである。
そして、その士道が待ち合わせに指定したのが、ここ喫茶店『コロンビア』であった。
寺岡はマスターの勧めに従い、奥のテーブル席に腰を下ろした。
店の奥の少し曲がったところにあるその席は、他の客の視線を気にせずに済むようになっている。マスターにアイスコーヒーを頼んだ寺岡は、ふと、近くに置かれた雑誌の表紙が目についた。
『武装勢力との緊張高まる! 今後の日本の行く末は!?』
思わず雑誌を手に取り、ページをめくる。
センセーショナルな記事が売りの週刊誌らしく、過激な書きぶりも目立つが、これまでの経過は上手くまとめられていた。
八月十日に行われた総選挙。それによって実現した共政会と自由民権党の連立。そして十一月五日に公開された、ローリダ側からの"最後通牒"は、国民に大きな衝撃をもたらした。
日本は、ノイテラーネ及びスロリア亜大陸に有するすべての影響力を放棄せよ。
日本は、ローリダ共和国に対するすべての反抗を停止せよ。
日本は、その保有する軍事力を削減し、ローリダ共和国の管理下に置かしむべし。
日本は、今後ローリダの開戦許可の手続きなしに戦端を開いてはならない。
日本は、今後ローリダ共和国の推奨する内政顧問を採用し、一切の内政、財務体系をその管轄下に置かしむべし。
日本は、今後ローリダ共和国の派遣する徴税官以外の徴税機構を停止、もしくは廃止すべし。
日本は、スロリア亜大陸及び日本本土におけるキズラサ教布教の自由を認めるべし。
日本は、その諜報機関を解散させるべし。
今次の周辺地域にまたがる騒乱の責任のすべては日本にある。日本はそれを認め、ローリダ共和国に謝罪し、賠償金五千億デュールを支払うべし。
もし、日本が上記の条項を拒否したる場合、ローリダ共和国は相応の対抗手段をとる。
これらの要求が公表されるや世論は激昂し、各種の世論調査では、かのローリダ共和国という"武装勢力"へのPKF派遣を容認する声が八十パーセントを超えた。
この状況を見るかぎり、神宮寺総理の打った博打は成功したと言っていいだろう、と寺岡は思う。しかし同時に、この状況ははたして歓迎すべきものなのか、という疑問も消えなかった。火に油を注いだような騒ぎ、一方通行の世論、それを煽るマスコミ……
そんなことを考えながら、運ばれてきたコーヒーを一口飲む。その意外な美味しさに驚いていると、入口のほうから来客を知らせるベルの音が聞こえてきた。
寺岡はテーブルから身を乗り出して、入口を見やる。
そこには、トレードマークの不敵な笑みを浮かべた黒縁眼鏡の男――士道武明が立っていた。
まずは互いに握手を交わし、士道は寺岡と同じコーヒーをマスターに頼んだ。そして開口一番、こう言った。
「いやぁ、寺岡さんがこっち側についてくれるとは思いませんでしたよ。てっきり、蘭堂さんの方につくものだとばかり思ってましたから」
そう言いつつも、顔に浮かぶ不敵な笑みは、本心を隠しているように寺岡には思えた。本当に、彼はそう踏んでいたのか――それは分からない。
「……そうですか?」
「ええ。寺岡さんは河前首相の評価も高く、いろいろとお話もされていたようですし」
マスターの淹れたコーヒーを啜り、士道は顔をほころばせながら話しだす。
寺岡も同じようにコーヒーに口をつけ、士道の次の言葉を待った。
「今後は、うちの勉強会に参加してもらったり、退官後は身内のシンクタンクに籍を置いてもらったりすることになると思います。できれば、外務省のお友達方も引っ張ってきてもらえると助かりますね」
「……ええ、分かっています」
そう答える寺岡に、士道は笑みを深くした。
上機嫌に見える士道は、ようやく舌が軽快に回りはじめたようだった。
「これからは、うちの若いもんとも大いに話し合ってもらいます……いや、実際中に入ってみると、喧嘩みたいになることも多いですけどね。まぁ、血の気が有り余っているような奴ばかりで、最初は猫をかぶっている奴もいるんですが……」
「寺岡さんは、共政会のことをどう思っています? そこらの有象無象みたいに、単に右翼の一言で片付けるような人ではないと重々承知しているんですけど、ちょっと興味があるもので」
いたずらを仕掛ける子供のような顔で、士道はそう問いかける。
「……そうですね、新聞で知られている程度のことしか」
寺岡が曖昧に答えると、士道の目が鋭く光った。
慌てて言い直そうとした寺岡を、士道は手のひらを突き出して制する。
「大丈夫、大丈夫です。寺岡さんをどうこう言うつもりは毛頭ありません。それに、誘ったのは私たちのほうですし、ね」
よほどご機嫌らしい。寺岡は、目の前の浮かれた――およそ彼らしくない――士道に、わずかな違和感を覚えた。彼のことを深く知っているわけではないが、テレビで見る雰囲気と違うのは確かだった。
寺岡のもとに士道から誘いが来たのは、蘭堂の名刺を前に悩んでいた頃だった。
その頃、寺岡は今後の身の処し方に悩んでいた。もちろん、今の事案が収まるまで悠々自適の老後生活などあり得ない。彼が悩んでいたのは、そんな現実的な選択ではない。もっと観念的で曖昧な――あえて言うなら、自分の『スタンス』、目指す『場所』というようなものである。
それは、退官を前にして、突然天から降ってきたような選択だった。
これまでの毒にも薬にもならない官僚人生について、思うところがないわけではなかった。それでも、おおむね満足のいく人生だった。転移の時には苦労もしたが、それも甘さを引き立てる苦味のようなもので、振り返ってみればいい思い出である。
しかし、今回は一官僚の価値観で判断できる決断ではない。官僚としての寺岡ではなく、一個人としての、一国民としての寺岡の価値観や理想像――それが問われていたのだ。
日本という国の問題が先鋭化したかのような事案に、思いも寄らず関わったことで、遅まきながら彼自身にも、自分の意志というものが芽生えてきたのかもしれない。そんな自分に苦笑しつつ、彼はひたすら、目の前の二枚の名刺の間で思案に暮れたのだった。
「細かいことはこれからすり合わせるとしても……私たちの日本に対するビジョン、というか、あるべき姿といったものが似通っているからこそ、寺岡さんは私たちを選んでくれたんだと思います」
しみじみとそう言う士道に、寺岡は曖昧に頷く。
「私は、河前首相や神宮寺さんたちの考えは少し……いや、かなり遅れている、と思うんです。それが今回の件で明らかになった、と私は考えています」
「……遅れている、とは?」
「ああ、言葉が足りませんでしたね。
……戦後、日本は実際はどうあれ、平和・協調路線を軸に国を運営してきました。それはそれで正しかったと思うんです。高度成長や、先進国になれたことがその証明です。たとえ対米従属だと言われたとしてもね――戦略的には十分成功してきた」
そう語る士道に、寺岡は、自分が共政会に同調した理由を見た気がした。
――自分は、彼のビジョンに日本の将来を見たのではないか?
「しかし、状況は変わった。転移という、神のおふざけか何かでね」
「……」
「少し話は変わりますけど、寺岡さんは、この国があの敗戦で変わったと思いますか?」
突然話を変えた士道に、寺岡は少し戸惑う。
「私は、この国の本質は変わっていないと――そう思うんです。そりゃ、表面上は変わりましたよ。明治維新、敗戦……どれを経ても、本質的なところは変わっていない。私はそう確信しています」
「そう、かもしれませんね」
その点に関しては、寺岡も同意見だった。
「結局ね、日本人は八百万の神というアニミズムの価値観から変わっていないんですよ。何にでも感情移入する、節操のない気性からね。……いや、それが悪いと言っているわけじゃないんです。まず、それを自覚していない人が多いのは問題だと思いますけどね」
「はぁ」
「……まぁ、そんな怪訝そうな顔をしないで、もう少し話させてください。私自身の考えをあなたが知っておくのは、かなり重要だと思いますが?」
そう笑う士道は、いつもの不敵な笑みではなく、心から楽しそうに見えた。
寺岡は少し意外に思った。
「感情移入しやすいというのには、短所も長所もありますよね。ある物事に神を見て、一つのことに心からのめり込むというのも一長一短だ。その一つのことを追求する職人精神が、日本の高品質な工業製品を生んだんでしょうし……あの九条を守れという人たちも、ある意味、それに感情移入しすぎた結果なんでしょうね。たぶん、彼らの中で九条は『神様』なんでしょう」
「……日本人は極端から極端に走りやすい、なんて言いますね」
「ええ、『信じやすい』という特性は変わっていないから、"改宗"するときには端から端へいってしまうんでしょう。それを純粋と呼ぶかどうかは、言葉の定義の問題だと思いますが」
「それが、今回の件とどう関係があるんでしょう?」
「ああ、失敬。少し脱線しすぎました。つまり、彼らは――河前首相や神宮寺さんたちは――前の世界の常識をまだ『信じている』んですよ。それは間違いで、修正すべきことなんです。なぜなら、ここは前の世界とは違うのですから」
そう言って、士道は笑みを深めた。
「日本は外交下手だって言うでしょう? そりゃそうです。変化に対応するのが外交だというのに、一つのことだけを信じたい日本人が、それを得意なわけがありませんからね。
……そう、つまりは周りを見て行動しなければならないんです。そんな当たり前のことができていない。前の世界の平和・協調路線を信じて行動した結果、どうなりました? 千人以上の邦人がすでに死んでいるんですよ? 明らかに失敗です。つまりは、この世界に合っていない。この世界にはこの世界の正解があるのに、それを見ようとしない。前の世界の平和・協調路線という『神様』を信じて見て見ぬふりをするのは、この国の国益を損なうことになります」
「それは……戦争をして領土を広げる、他国を植民地にするということですか!?」
「――まぁ、落ち着いて。私も、今すぐ帝国主義に走ろうなんて言うつもりはありません。ただ、それがこの世界での正解かもしれない。しかし、今の政府はそれを選択肢にすら入れていないでしょう? それは、間違いなのですよ」
反射的に、詰問するような声を上げた寺岡だったが、彼の話に心惹かれている自分がいることも自覚していた。
『君は残って、この国の今後を見守ってくれないだろうか』
河前首相の言葉が、寺岡の頭に響く。それが一種の呪いなのか、それとも別の何かなのか、今の寺岡には判断がつかなかった。
そして、先ほどの週刊誌の記事を思い出す。センセーショナルな記事で国民を煽り、戦争へ突き進む……今回は相手がひどすぎるということもあるが、それだけではないだろう。この構造が、また別の機会に発揮されないという保証はない。寺岡には、それが戦前の状況と重なって見えた。
この国の、国民の危うい気性のまま戦争に突入することが許されたとして、過去と同じ過ちを繰り返さないというのは希望的観測だろう。
であるならば、そのことを十分に理解し、国を導いていける政治家が必要ではないだろうか? そうでなければ、あの敗戦と同じ結果を、この世界でも再び招いてしまうのではないか?
そう、寺岡は思う。
「そして、この世界での正解を得るための戦略として――寺岡さん、あなたが必要なんです」
考え込む寺岡に、士道は真面目な顔でそう語りかけた。
「……一つ、疑問があります。どうして私なんでしょう? もっと有望な人材なら、いくらでもいるでしょうに」
誘いを受けた時から抱いていた疑問を、寺岡は士道にぶつけてみた。
士道は真剣な表情を崩さずに答える。
「寺岡さん、あなたにしかできないことがあるんですよ。植民地軍の……エンクルマという男でしたっけ? 寺岡さんは、彼にずいぶん気に入られているみたいですね」
一瞬、士道の言葉が飲み込めず、寺岡の思考が止まる。
――なぜ、彼らが出てくるのだ? エンクルマとどういう関係が?
湧いて出たそんな疑問に、寺岡は心の中でため息をつきながら得心した。
――よく考えてみれば、平凡な官僚の一人にすぎない自分に特別な価値がある理由など、一つしか考えられないじゃないか
「思い当たるところがあるみたいですね」
士道はにやりと笑った。
「彼らの側のスパイから、接触を受けませんでしたか?」
そこまで知られているのか、と寺岡は嘆息した。
あの時、寺岡は家を訪ねてきたスパイを家に上げた。
スパイはローリダの現状を説明し、そして帰っていった。ただ、それだけのことだ。寺岡はそのことを他人に話さなかった。話したところで何も変わらないだろう。もはや『衝突』という路線を変えられるはずもないのだ。
もちろん、交渉の場であれば必要な情報に違いない。しかし今は必要もなく、寺岡がその出所を示すこともできない。
かえって痛くもない腹を探られかねない――寺岡はそう判断したのである。
「もちろん、彼らスパイの存在を公安の方々は承知しています」
だろうな、と寺岡は頷いた。
そうでなければ、士道がそのことを知りうるはずがない。
そして、寺岡が彼らのことを話さなくてもよいと判断した理由のもう一つが、これだった。スパイなどは日本のしかるべき機関が監視しているだろうし、もし交渉でその情報が必要になれば、上から伝えられるはずだ。
中途半端な知識は、かえって邪魔になりうるのだ。
「公安の方々の中にも、私の話に興味を持ってくれた人たちがいましてね。外務省の、周りの皆さんは知っていましたか?」
「……いいえ、おそらく知らないでしょう」
「ふむ、そうですか」
少し考え込んだ士道だったが、数拍ののち、顔を上げて口を開いた。
「……この世界での正解を得るための戦略ですが、私はこの世界に、管理された冷戦を作りたいと思っています」
「管理された、冷戦?」
怪訝そうな顔をした寺岡に、士道は頷く。
「ええ。日本がこの世界でプレゼンスを拡大するには、それ相応の『大義名分』が必要です」
「大義名分……まさかっ!」
「――さすがです、寺岡さん。日本がこの世界に進出するためのヒール役を、かのローリダに演じてもらいます。彼ら植民地軍側とも利害は一致しますしね」
もう話はついている、と士道は言う。
「彼ら穏健派がローリダ国内で主導権を握るには、今次の戦争で、ある種の得点を挙げなければならないのですよ。そして、こちら日本も、軍事的に余裕があるわけではありません。寺岡さんもご存じだと思いますが、今の自衛隊では、補給やいろいろな都合で、相手の植民地を奪取するところまではいけないのです。……そこで、彼らとほどよいところで停戦します」
「停戦、ですか?」
「ええ。それこそ朝鮮半島のあの線のように睨み合うことになれば、言うことなしです」
「……なるほど。彼らが主導権を握るための『ある種の得点』というのが、日本を交渉で停戦に持ち込んだ、ということになるのですか」
「そういうことです。そして我々は、各国に関与する絶好の口実を得られる……」
士道はにんまりと笑う。
「彼らとて、軍隊は軍隊です。明確な敵があってこその軍隊ですからね。彼らの目的にも合致する。ウィンウィンの関係というやつですね、これは」
寺岡は愕然とした。
彼の描く青写真が、かなりの確率で成功しそうだから、というだけではない。この計画が外務省や今の内閣の外で進められ、そして成功しそうだという事実に、戦慄したのである。
おそらく、彼の計画を支持する公安がそれを外に漏らさなければ、外部の人間は何も知らないまま、事態はこのとおりに進んだに違いない。そして、そのことを知り得た外部の人間は、この自分ただ一人だったのだ。
その自分も、すでに彼らの側になってしまった。
これで、日本国内にこのことを知る外部の人間はいなくなったのだ。
動揺を隠せない寺岡を横目に、士道の話はまだ終わらない。
「それで、寺岡さんには停戦交渉に同行してもらいます。大丈夫、何があっても私がねじ込みますよ。もともと、寺岡さんが適任ですしね。
……停戦の理由にも事欠かないでしょう。先に言ったように自衛隊の能力のこともありますが……彼らは核兵器を持っているらしいですから。こちらより数十年遅れた核保有国、素晴らしいじゃありませんか!」
「……出来レース、ですか」
「聞こえは悪いですが、まぁ、そういうことですね。物事というのは、高度になればなるほど予定調和だったりするものですよ。それが公開されているかどうかは、別にしてね」
そう結んで、士道はコーヒーをすすった。