ダンジョンマスター系の短編、中編集   作:合歓木あやめ

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陽の届かぬ庭で、花は咲く
第一話「地の底で、息をする」


 暗い。

 

 目を開けているのか閉じたままなのか、それすらわからないくらいの闇だった。

 

 背中に冷たいものが張りついている。石だ。ざらざらした、硬い石の感触。指先を動かすと爪が地面を引っ掻いて、小さな音が暗闇に吸い込まれた。

 

 土の匂い。それからかすかに——水の匂い。

 

 どこかで水が滴る音がする。ぽたん、ぽたん、と規則正しく、まるで時計みたいに。

 

 ここは——どこだろう。

 

 体を起こそうとして、頭の芯がずきりと痛んだ。脳を直接握られているみたいな、鈍くて重い圧迫感。無理やり上半身を持ち上げると、めまいが波のように寄せて返した。

 

「……っ」

 

 声を出そうとしたけれど、喉がからからで、掠れた息しか出なかった。

 

 しばらく膝を抱えてうずくまっていた。頭の中がぐちゃぐちゃで、何も整理できない。

 

 ただ、ひとつだけはっきりしていることがあった。

 

——私は、死んだはずだ。

 

 断片的な記憶が割れたガラスみたいにちらついた。横断歩道。信号は青だった。右側からタイヤが軋む音がして、振り向いて——

 

「……やめよう」

 

 首を振る。思い出す必要はない。思い出したくもない。

 

 深く息を吸うと、湿った冷たい空気が肺を満たした。洞窟か何かの中にいるらしい。死んだはずなのに呼吸はできるし、心臓も動いている。体は確かにここにある。痛みも、寒さも、喉の渇きも。全部ちゃんと感じる。

 

 夢にしてはリアルすぎる。

 

 暗闇に目が慣れてきたのか——それとも別の理由なのか——ぼんやりと周囲の輪郭が見え始めた。

 

 岩の壁。低い天井。狭い空間。

 

 そして、その奥に。

 

 光。

 

 淡い青白い光が、脈動するようにゆっくりと明滅していた。

 

 立ち上がる。足がふらついて壁に手をついた。指先で岩の凹凸を確かめながら、光の方へ歩く。引き寄せられているのか、自分の意思で歩いているのか、その境目がよくわからなかった。ただ、行かなければならないという確信だけが、胸の真ん中にあった。

 

 狭い通路を抜けると、少し開けた空間に出た。天井は頭上二メートルほど。壁の表面にうっすらと苔が光っていて、部屋全体をぼんやり照らしている。

 

 そして、その中央に。

 

「……何これ」

 

 拳ふたつ分くらいの結晶が、岩の台座の上に浮いていた。

 

 透き通った青。内部に光の粒がゆっくり渦を巻いている。結晶が明滅するたびに、部屋の明るさが波打つように変わった。

 

 綺麗だ。

 

 綺麗だけど——異様だった。

 

 手を伸ばす。触れなければならないと思った。理由は説明できない。ただ、そうすべきだと体が知っていた。

 

 指先が結晶に触れた。

 

 瞬間——

 

 頭の中に光が流れ込んできた。

 

 映像でも言葉でもない。もっと直接的な——概念そのものが注ぎ込まれるような。

 

 迷宮。核。魔力。守護者。

 

 奔流のように押し寄せるそれらに耐えきれず、私は石の床に膝をついた。両手で頭を押さえる。痛い。割れそうに痛い。でも情報は止まらなかった。

 

 やがて、少しずつ——本当に少しずつ、嵐が凪いでいく。

 

 床に手をついて息を整えながら、私は頭の中に刻まれたものを確かめた。

 

 この結晶はダンジョンコアという。この洞窟は生まれたばかりの迷宮であり、コアはその心臓。

 

 そして、私。

 

 ダンジョンマスター。

 

 この迷宮の主。

 

「…………は?」

 

 膝をついたまま、しばらく呆然とした。

 

 前世の記憶はある。柊凛。十七歳。高校二年生。趣味は読書とゲーム。友達は片手で足りるくらいで、休みの日は基本的に部屋から出ない。

 

 そんな何の取り柄もない私が、異世界に転生して、ダンジョンマスター。

 

「…………」

 

 笑えばいいのか泣けばいいのか。

 

 とりあえず深呼吸をして、立ち上がった。コアの青い光が、何も知らないみたいに穏やかに明滅している。

 

 混乱していても仕方がない。状況を整理しよう。

 

 コアに触れたことで頭に入った知識は、まだ断片的でぼんやりとしている。教科書を一瞬だけ見せられたような感じで、全体像はつかめない。でも、いくつかはっきりわかることはあった。

 

 コアは魔力を蓄える。その魔力を使って、迷宮の壁を操り、通路を掘り、部屋を作れる。モンスターも生み出せるらしい。そして私はコアと繋がっている。迷宮の中にいる限り、コアを通じて全てを感じ取ることができる。

 

 ……迷宮の中にいる限り。

 

 この言葉が、妙に引っかかった。

 

 頭に刻まれた知識の中に、明確な言葉にならない警告のようなものがあった。外へ行くな、ではなく——外へ出たら終わる、という直感に近い感覚。

 

 三方向に伸びた通路のうち、ひとつから微かに風が流れてくる。乾いた、温かい風。外に繋がっているのだろう。

 

「……確かめないと、気が済まないか」

 

 その通路を歩いた。

 

 進むにつれて空気が変わる。洞窟の湿った冷気に、外の大気が混じり始める。そして通路の先に——白い光。

 

 コアの青白さとは違う、圧倒的に強い光。

 

 自然光だ。

 

 通路の出口まで来ると、その向こうに世界が広がっていた。

 

 見たことのない緑の木々。どこまでも続く森。木の枝の間から覗く青い空は高くて、白い雲がゆっくり流れている。空気の匂いが全く違う。草と土と、花の香り。鳥の声が遠くから聞こえる。

 

 綺麗だ、と思った。

 

 こんなに綺麗な景色を見るのは初めてかもしれない。前世では窓の外を眺めることすらあまりしなかったけれど。

 

 一歩、踏み出した。

 

 足の裏が外の地面に触れて——体の奥底が、ぎゅっと握り潰された。

 

「——っ!?」

 

 崩れるように膝をついた。心臓が急に暴れ出して、指先から血の気が引いていく。息が吸えない。吸おうとしても、空気が肺に入ってこない。まるで水の底に沈められたみたいな——

 

 いや、違う。水の底ならまだ浮き上がれる。これはもっと根本的で、理不尽な拒絶だった。

 

 私の体が。外気そのものを。拒んでいる。

 

 這うようにして通路に戻った。入り口から数歩離れただけで、嘘みたいに楽になった。心臓が落ち着き、指先の感覚が戻ってくる。

 

「はっ……は……」

 

 通路の壁にもたれかかって、荒い呼吸を繰り返す。額に冷や汗が浮いていた。

 

 さっきの警告は、これか。

 

 ダンジョンマスターは外に出られない。

 

 外気に触れると衰弱する。

 

 そういうルールで、この体はできている。

 

「…………」

 

 しばらく、何も考えられなかった。

 

 壁にもたれたまま、目を閉じて、水の滴る音だけを聞いていた。

 

 前世では引きこもり気味だった。自分の部屋が一番落ち着いたし、外に出るのは面倒だった。でもそれは——出ようと思えば出られる上での話だ。

 

 出られないのは、全然違う。

 

 外にはあんなに綺麗な景色があるのに。空があるのに。

 

「……しょうがない」

 

 立ち上がる。

 

 しょうがない。受け入れろ。ここは前世じゃない。私は柊凛であると同時に、もうダンジョンマスターだ。

 

 戻る場所はここしかない。元の世界には帰れない。外にも出られない。だったら、この暗い洞窟の中で——生きていくしかない。

 

 コアの部屋に戻ると、青い光が変わらず迎えてくれた。穏やかで、静かで、ちょっとだけ温かい光。

 

「よし」

 

 自分に言い聞かせるように、声に出した。

 

「やれることをやろう」

 

 まず、コアに意識を集中してみた。

 

 すると、迷宮の全体像が頭の中に浮かび上がった。地図というよりは立体的な透視図で、通路の太さ、部屋の広さ、行き止まりの位置が手に取るようにわかる。

 

 今の迷宮は、本当にちっぽけだった。コアの部屋を中心に三本の短い通路。一本が外へ、残り二本は行き止まり。部屋はここだけ。

 

 これが私の領域の全部。

 

「……狭い」

 

 自分の四畳半の部屋を思い出す。あれより少しマシか、同じくらいか。

 

 広げよう。コアを通じて岩壁を操れることはわかっている。行き止まりの通路の先にそっと意識を向けて、壁を後退させるイメージを描いた。

 

 低い振動音が響いた。

 

 通路の突き当たりの岩壁が、粘土のようにゆっくりと形を変えていく。削れたのではなく、岩そのものが後退して、新しい空間を生み出した。

 

「おお……」

 

 思わず声が漏れた。

 

 二メートルほど通路が延びて、その先に小さな部屋ができている。四畳くらいの空間。壁は粗いけれど、ちゃんとした部屋だ。

 

 嬉しい。なんだか楽しくなってきた。ゲームでマイクラの最初の拠点を作ったときの気持ちに似ている。

 

 壁を丸く整える。天井をもう少し高くする。床の凹凸を均して平らにする。少しずつ思い通りの形になっていくのが、たまらなく面白い。

 

 調子に乗って、外に繋がる通路の幅も少し広げてみた。

 

 すると——何かが変わった。

 

 空気の流れだ。外からの風に混じって、目に見えない何かがゆっくりと流れ込んでくる。温かくて、ふわふわしていて、コアに向かって漂っていく。

 

 コアに目をやると、結晶の中の光の粒が心なしか増えたような気がした。

 

「……通路を広げたら、多く入ってくる?」

 

 魔力だろう。外の世界に満ちている魔力が、通路を通じてコアに流れ込んでいる。そしてその量は、導線の太さに比例する——そんな感覚を覚えた。

 

 ただ。

 

 通路が広いということは、外から何かが入ってきやすいということでもある。

 

 獣。あるいは、人間。

 

 魔力が溜まったコアは価値がある——コアから流れ込んだ知識の断片が、不意に頭をよぎった。詳しいことはわからないけれど、嫌な予感はする。

 

 防衛手段がいる。

 

 罠を作れるかもしれないけど、今の魔力じゃ心許ない。もっと直接的なもの——

 

「モンスター、か」

 

 コアから得た知識によれば、ダンジョンマスターは魔力を使ってモンスターを生み出せる。迷宮の通路や部屋に配置して、侵入者を迎え撃つ。

 

 何を生み出せるかは、手持ちの魔力に依存する。今の微々たる蓄えでは、選択肢はほとんどないだろう。

 

 コアに触れて、意識を深く沈める。

 

 生み出せるもの——

 

 浮かんだのは、たったひとつ。

 

 スライム。

 

「……最弱の代名詞じゃん」

 

 RPGなら最序盤の雑魚モンスター。でも贅沢を言える立場じゃない。ないよりはマシだ。

 

「よし、やってみよう」

 

 コアに両手を当てて、魔力を流す。スライムのイメージを思い浮かべる。丸くて、ぷるぷるしていて、青くて——

 

 ……。

 

 ふと、意識の流れが揺らいだ。

 

 コアを通じて感じる魔力は、私が思い描いた固定的なイメージを素直には受け取らなかった。もっと柔軟な形を求めている。もっと自由に、もっと有機的に——

 

「え、ちょっ——」

 

 気づいたときには、もう遅かった。

 

 コアの前の床に、青い光の粒が溜まり始めていた。ぽたぽたと水滴が落ちるように集まって、液体のような塊を作っていく。

 

 塊は丸くならなかった。

 

 上に伸びた。縦に伸びて、くびれて、枝分かれして——

 

 人の形を取り始めた。

 

「ちょ、待って——」

 

 止めようとしたけれど、魔力はもう私の手を離れている。コアから注がれるエネルギーが、勝手に形を紡いでいく。

 

 頭。肩。腕。胴。腰。脚。

 

 半透明の青い体が、人型に固まっていく。輪郭はゆらゆらと揺れていて、水でできた彫像みたいだった。体の中を白い光の粒がゆっくりと漂っている。

 

 髪に相当する部分は水が流れ落ちるように肩を滑り、顔にはシンプルだけどちゃんとした目鼻立ちが浮かんでいる。

 

 背丈は私より頭半分くらい低い。体つきは華奢で、年齢で言えば中学生くらいに見える。

 

——スライム。でも、少女の形をしたスライム。

 

 彼女は、ゆっくりと目を開けた。

 

 深い青の瞳。透き通っていて、でもちゃんと光を宿している目。

 

 その目が、真っ直ぐに私を捉えた。

 

 数秒の沈黙。洞窟の奥で、水が滴る音だけが響いていた。

 

「……あ」

 

 先に声を出したのは、彼女のほうだった。

 

 水の中で鈴が鳴るような、不思議な透明感のある声。

 

「あるじ、さま」

 

 首をわずかに傾げて、私を見上げている。

 

「……」

 

 私は口を開けたまま固まっていた。

 

「あるじさま。あるじさま?」

 

 反応がない私を心配したのか、彼女がおずおずと一歩を踏み出した。ぷるん、と体全体が揺れる。足に見える部分は地面と曖昧に溶け合っていて、歩くというよりは滑るように移動していた。

 

「あ——えっと——うん」

 

 ようやく声が出た。口が動くことを思い出したような気分だ。

 

「あなた、スライム……だよね?」

 

「すらいむ」

 

 彼女はきょとんとした顔で復唱した。その表情がやけに人間くさくて、余計に混乱する。

 

「わたし、すらいむ?」

 

「私に聞かないで……」

 

 自分で生み出しておいて何だけれど、想定と違いすぎて頭がついていかない。なんで人の形をしているの。なんで喋れるの。もっとこう、ぷよぷよした塊が床を這い回る的なのを想像してたんだけど。

 

「あるじさまが、つくった。わたしを」

 

 彼女はそう言って、自分の手を見つめた。透明な指を開いたり、閉じたりしている。光の粒が指先を通り抜けて、きらきらと散った。

 

「うごける。おもしろい」

 

 無邪気な声だった。生まれたばかりの子供が、初めて自分の体を認識したときの——

 

 不意に、胸の奥がきゅっとなった。

 

 この子は、たった今生まれたのだ。私が生み出して、この世界に存在し始めたばかりの命。

 

「……名前」

 

 気がつくと呟いていた。

 

「んん?」

 

「名前。つけないとね、あなたに」

 

 彼女の目がぱっと見開かれた。瞳の中の光の粒が、くるくると忙しく回っている。

 

「なまえ。わたしの、なまえ?」

 

「うん。——いい?」

 

「つけて!」

 

 即答だった。体全体がぷるぷると震えて、興奮を隠す気がまるでない。

 

「つけて、つけて!」

 

「わ、わかった。ちょっと待って」

 

 青い体。透き通った水みたいな質感。中を漂う白い光の粒は、深い湖の底で光る砂みたいだ。

 

 瑠璃。

 

 その言葉が頭に浮かんで——

 

「ルゥ」

 

 口から出たのは、考え込む前の音だった。

 

「ルゥ?」

 

「うん。ルゥ。……どうかな」

 

 自信はなかった。生まれて初めて誰かに名前をつけるなんて経験、前世にはなかったし。

 

 彼女は私をじっと見つめた。青い瞳に、コアの光が映り込んでいた。

 

 それから——花が咲くみたいに、笑った。

 

「ルゥ」

 

 自分の名前を確かめるように、一度。

 

「ルゥ。ルゥ! わたし、ルゥ!」

 

 飛び跳ねた。着地するたびに体がぶよんと変形して、慌てて元に戻している。それでも嬉しさが抑えきれないみたいで、何度も何度も跳ねた。

 

「ルゥ、ルゥ、ルゥ。えへへ」

 

 ……可愛いな。

 

 思ってしまってから、少し戸惑った。自分が作ったモンスターに対して「可愛い」って——まあ、可愛いものは可愛いんだからしょうがない。

 

「あるじさま」

 

 ルゥが笑顔のまま近づいてきた。

 

「あるじさまの、なまえは?」

 

「私? 私は——」

 

 一瞬迷ったけれど、この世界での名前なんて持っていない。

 

「凛。凛だよ」

 

「りん」

 

 ルゥが私の名前を舌の上で転がすように呟いた。

 

「りん。りん。……りん!」

 

 名前を呼ばれる。ただそれだけのことが、妙にくすぐったかった。

 

「ルゥは、りんが、すき」

 

「……へ?」

 

「つくってくれた。なまえ、くれた。だから、すき」

 

 真っ直ぐな目で言われて、返す言葉に詰まった。

 

「あ——う、うん。ありがとう……?」

 

 好きと言われて「ありがとう」って何だ。我ながらコミュ障すぎる。前世から何も成長していない。

 

 ルゥはにこにこ笑ったまま、さらに距離を詰めてきた。半透明の手が私の手に触れる。ひんやりしていて、でも柔らかい。水に手を浸したときみたいな感触。

 

「りん、つめたい?」

 

「え? いや……ちょっとひんやりするけど、嫌じゃない」

 

「そう? じゃあ——」

 

 ルゥが、するりと腕に絡みついてきた。

 

「なっ——」

 

「あったかい。りん、あったかい」

 

「いや、近い近い近い」

 

 半透明の体が私の腕に密着していて、服の上から体温を吸い取られている気がする。というか物理的にくっついて離れない。

 

「ルゥ、ちょっと——腕が」

 

「やー」

 

「やー、じゃなくて——」

 

 引き剥がそうとしたけれど、スライムの体はぬるりと逃げて、形を変えてまた貼りつく。無駄な抵抗だった。

 

「……わかった。好きにして」

 

「えへへ」

 

 諦めた。こんなにべったりされるのは前世を含めて初めてだけれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 体温を分け合うようにくっつきながら、私たちはしばらくコアの前に座っていた。青い光が二人を照らして、静かな時間が流れた。

 

 ルゥは黙って私の腕に頬を寄せている。表情は穏やかで、目を細めて、心地よさそうに。

 

 こういう時間が、前世にはなかったな——と思った。

 

 誰かの体温をこんなに近くで感じることが。

 

「……りん」

 

 しばらくして、ルゥが小さな声で言った。

 

「ん?」

 

「りんのダンジョン、ちいさい」

 

「……知ってる」

 

 いきなり現実に引き戻された。

 

「ちいさくて、まりょく、すくない。このままだと——あぶない」

 

 ルゥの表情が少しだけ曇って、外に繋がる通路のほうを見た。

 

「そとに、なにか、いる。すこし、におう」

 

「……におう?」

 

 私もコアを通じて意識を外に向けてみた。迷宮の透視図が頭の中に浮かぶ。外に繋がる通路の先、入り口の付近——

 

 微かな気配があった。人ではない。獣だ。いくつかの気配が洞窟の入り口の周りをうろついている。

 

「いまは、はいってこない。こわがってる。でも」

 

 ルゥが私の腕から離れて、真っ直ぐに私を見た。

 

「ダンジョン、おおきくなると、もっとつよいのが、くる」

 

 コアから受け取った知識が、ルゥの言葉に重なった。ダンジョンコアは魔力を蓄えるほど価値が高くなる。そしてその価値は、外の世界の存在を引き寄せる。獣だけじゃない。もっと厄介なもの——人間とか。

 

 大きくしなければ魔力が集まらない。でも大きくすれば、狙われる。

 

「……厄介なジレンマだね」

 

「じれんま?」

 

「どっちに転んでも大変ってこと」

 

「んん。でも、ちいさいままは、もっとあぶない」

 

 ルゥが小さな拳をぎゅっと握った。半透明の手が形を歪めて、でもすぐに元に戻る。

 

「ルゥが、まもる。りんのこと」

 

「……ルゥ」

 

 頼もしいことを言ってくれる。体はぷるぷるしてるし、形は頻繁に崩れかけるし、正直なところ戦闘力がどれほどかは未知数だけれど。

 

 でも、その気持ちが嬉しかった。

 

「ありがとう」

 

 素直に言えた。前世だったらきっと、照れくさくてごまかしていたと思う。

 

「でも、ルゥだけに頑張らせるわけにはいかない。私も考える。この迷宮をどう育てていくか——二人で」

 

「ふたりで」

 

 ルゥが復唱して、ぱあっと笑った。

 

「ふたりで! うん!」

 

 また飛び跳ねている。今度は着地に失敗して、下半身が一瞬液体に戻った。慌てて足の形を作り直している姿に、思わず笑ってしまった。

 

「笑わないでー!」

 

「ごめんごめん」

 

 笑いながら、頭の中では考えを巡らせていた。

 

 まずは迷宮を少しずつ広げて、魔力の流入量を増やす。同時に、通路を複雑にして、侵入者がコアに辿り着きにくい構造にする。ルゥの配置場所も考えないといけない。

 

 やることは山ほどある。時間があるかどうかはわからないけれど。

 

「ルゥ」

 

「はい!」

 

「今日からよろしくね」

 

「うんっ」

 

 暗い洞窟の底。外の光は届かない。

 

 でも、コアの青い輝きと、ルゥの笑顔があれば——悪くない。

 

 そう思った矢先。

 

 ルゥが、ぴくりと体を強張らせた。

 

「……りん」

 

「どうしたの?」

 

「そと。さっきとちがう、におい」

 

 ルゥの瞳が、するどくなった。さっきまでの無邪気な表情が嘘のように消えている。

 

「けもの、じゃない。——にんげん」

 

 心臓が跳ねた。

 

 コアに意識を集中する。迷宮の入り口付近、外の通路の先——

 

 複数の気配。獣よりもはっきりした、意思を持った足音。まだ遠いけれど、確実にこちらに向かっている。

 

「何人?」

 

「さん——ううん、よにん? よくわからない。でも」

 

 ルゥが私の前に立った。小さな背中が、私を庇うように。

 

「まりょくの、においが、ぎらぎらしてる。やなかんじ」

 

 外の景色を思い出す。森の中の洞窟。人の手が入っていない自然。こんな場所に、目的もなく人は来ない。

 

 私たちのダンジョンに——誰かが来る。

 

「……早いな」

 

 呟いて、私はコアに手を置いた。

 

 やるべきことが、一気に増えた。

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