ダンジョンマスター系の短編、中編集   作:合歓木あやめ

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第2話 「最初の隣人」

 時間の感覚がないまま、何度か眠って何度か起きた。

 

 リゼと交代で眠り、交代で起きている。どちらかが必ず目を覚ましている——という約束だったけれど、二度ほど二人とも寝落ちしていたことがある。起きた時にリゼが隣で寝息を立てていて、少し安心して、少し不安になった。

 

 食事の問題は深刻だった。

 

 リゼの荷物は水袋ひとつと短剣だけ。食料はなかった。逃げてきたのだから当然だ。水は最初の部屋に溜まっていた地下水で補充できたけれど、食べ物はない。

 

 私自身は——不思議なことに、空腹をほとんど感じなかった。喉は渇くけれど、胃が食事を求めている感じがしない。ダンジョンマスターの体が普通の人間とは違うのか、コアから何かしらの栄養を受け取っているのか。わからない。でも、死にそうにはなかった。

 

 リゼは違う。

 

「……腹、減ったな」

 

 三度目に——たぶん三度目に——目を覚ました時、リゼがそう呟いた。何気ない口調だったけれど、声に力がなかった。

 

「ごめん。何もなくて」

 

「あんたのせいじゃない」

 

「でも」

 

「でもじゃない。……外に出れば何か見つかるかもしれないけど」

 

 リゼは言いかけて、口を閉じた。外。追っ手がいるかもしれない外。

 

「出たら、戻ってこれる?」

 

「場所は覚えてる。崖の中腹の、草に隠れた穴だ。見つけにくい場所だとは思う。でも——」

 

「でも?」

 

「私が出入りしたら、足跡が残る。追っ手に見つかるかもしれない」

 

 リゼの目が暗く沈んだ。

 

 その追っ手が誰なのか、まだ訊けていない。訊くべきなのかもしれないけれど、リゼが自分から話さないものを引き出すのは気が引けた。

 

「……ねえ、リゼ」

 

「ん」

 

「モンスターって、食べられるのかな」

 

「——は?」

 

 リゼが素っ気ない顔のまま、こちらを見た。

 

「スライムのこと言ってるなら、やめてくれ」

 

「スライムじゃなくて。もう少し魔力が貯まったら、別のモンスターも作れるかもしれない。たとえば——ネズミとか」

 

「ネズミ……」

 

 リゼが微妙な顔をした。

 

「食えなくはない、か」

 

「食べたことあるの?」

 

「ないけど。焼けば食えるだろ、たぶん。火があればの話だけど」

 

 火。そうだ、松明はとっくに燃え尽きている。火を起こす手段もない。

 

 問題が多すぎる。ひとつ解決しようとすると、別の問題が二つ現れる。

 

 コアに手を置く。魔力の残量を確認する。

 

 通路を通じて外から少しずつ流れ込んでくる魔力と、リゼが掘り出してくれた魔鉱石の欠片。その積み重ねで、コアの魔力はスライムを生成した直後よりはだいぶ回復していた。小動物くらいなら作れるかもしれない。

 

 でも、それよりも先にやりたいことがあった。

 

「リゼ。通路、どのくらい広がった?」

 

「最初よりは少しだけ。入り口近くの一番狭いところを重点的に削ったから、大人二人がすれ違えるくらいにはなったと思う」

 

「ありがとう。もう少し広げてほしいんだけど——」

 

「わかってる。家賃だからな」

 

 リゼが立ち上がりかけて——ふらついた。壁に手をついて、体を支える。

 

「リゼ」

 

「大丈夫。立ちくらみだ」

 

 大丈夫じゃない。見ればわかる。もともと痩せていた頬が、さらに削げている。唇が乾いて白い。

 

「今日は休んで」

 

「休んでたら腹は膨れないだろ」

 

「いいから。少し——考えがあるから」

 

「考え?」

 

「うまくいくかわからないけど」

 

 リゼは怪訝な顔をしたけれど、結局は座り直した。逆らう体力もなかったのだろう。壁にもたれて目を閉じる。すぐに寝息が聞こえてきた。

 

 よほど消耗していたのだ。

 

 私はコアの前に座って、目を閉じた。

 

 ——新しい部屋を作る。

 

 コアから得た断片的な知識によれば、ダンジョンマスターは魔力を使ってダンジョンの構造を変えられる。新しい通路を掘り、新しい部屋を作り、空間を広げることができる。ただし、大量の魔力を消費する。

 

 今の魔力で、どこまでできるか。

 

 意識を集中する。ダンジョン全体の「形」が、頭の中にぼんやりと浮かぶ。入り口の穴から続く一本の通路。途中にある二つの小部屋。そして最奥のコアの部屋。それだけ。本当にそれだけの、シンプルすぎる構造。

 

 一つ目の小部屋——入り口に近い方——の壁に、新しい通路を伸ばすイメージ。そこから小さな空間を作る。ちょうど、既存の通路から枝分かれするような形。

 

 意識を押し出す。

 

 ぐっ、と何かが動いた。頭の中ではなく、実際に。地鳴りのような低い振動が足元から伝わってくる。

 

「——ッ」

 

 魔力が抜けていく。スライム生成の比ではない。体の芯から根こそぎ吸い取られるような消耗。視界が暗くなりかけて、慌てて手を離した。

 

 振動が止まる。

 

「な、何だ!?」

 

 リゼが飛び起きた。短剣を掴んで、きょろきょろと周囲を見回す。

 

「ごめん。私がやった」

 

「あんたが——?」

 

「部屋を作ろうとした。新しい部屋。でも魔力が足りなかった」

 

「…………先に言えよ! 地震かと思ったぞ」

 

 リゼが胸を押さえて大きく息を吐いた。心臓に悪い、という顔。

 

「……で、できたのか?」

 

「わからない。見てくる」

 

 立ち上がる。足元がおぼつかない。魔力の消耗がそのまま体力の消耗に直結しているようだった。壁に手をつきながら通路に出て、一つ目の小部屋まで歩く。

 

 ——あった。

 

 壁の一面に、新しい穴が開いていた。人一人がかがんで通れるくらいの小さな穴。その奥に、半畳ほどのごく小さな空間ができている。

 

 当初のイメージよりはるかに小さい。途中で魔力が尽きたのだから当然だ。でも、穴は開いた。構造を変えることは、できた。

 

 覗き込むと——穴の奥の壁面に、きらりと光るものが見えた。

 

 魔鉱石。リゼが通路で見つけたのと同じ、暗い赤色の鉱石。それが小さな空間の壁に、いくつか露出していた。

 

「——リゼ」

 

「どうした」

 

 後ろからリゼが追いかけてきていた。壁に手をつきながら、ふらつきながら。

 

「寝てなくていいの」

 

「あんたが危なっかしいから追いかけてきたんだろうが。——何があった」

 

「これ、見て」

 

 穴を指さすと、リゼが覗き込んだ。赤い光を見つけて、息を呑む。

 

「魔鉱石——こっちの方が多いな。粒も大きい」

 

「掘り出せる?」

 

「あんたが先に休め。顔が真っ白だぞ」

 

「でも」

 

「でもじゃない。何度言わせるんだ。いいから戻れ。掘るのは私がやる」

 

 有無を言わさない口調だった。リゼ自身も空腹でふらついているくせに、私を押し返すように通路に立ちはだかる。

 

「…………わかった」

 

 コアの部屋に戻って、コアに手を置く。

 

 残りの魔力はわずか。スライム一匹分にも満たない。でも、リゼが魔鉱石を掘り出してくれれば補充できる。そうすれば——

 

 考えているうちに、意識が薄れた。眠ったのではなく、気を失ったのだと思う。魔力の使いすぎ。

 

 次に意識が戻った時、目の前にリゼの顔があった。

 

 近い。

 

「起きたか」

 

 安堵の色が一瞬見えて、すぐに消えた。いつもの仏頂面に戻る。

 

「……どのくらい寝てた?」

 

「結構長い。起こそうかと思ったけど、起きなかった。――もう無茶はするなよ」

 

 体を起こすと、コアの光が目に入った。

 

 ——明るい。

 

 前よりも、明らかに。青白い光が部屋全体を照らしていて、リゼの顔がはっきり見えるくらいだった。

 

「コアに入れておいた。掘った分」

 

「全部?」

 

「全部。十個くらいあった。大きいのもあったぞ」

 

 リゼが顎でコアを示す。確かに、コアの結晶自体もわずかに大きくなっているような気がした。拳より二回りほど大きいくらいに。

 

 手を置いて、魔力を確認する。

 

 ——増えている。大幅に。スライム生成前の水準を超えて、さらにその倍近く。

 

「すごい。リゼ、ありがとう」

 

「家賃」

 

「家賃にしては働きすぎ」

 

「余計なことは言わなくていい」

 

 リゼがそっぽを向いた。

 

 でも、問題は残っている。食料だ。

 

 モンスターを作れる。今の魔力なら、スライムよりも上位のモンスターを——と思って、選択肢を探る。頭の中にイメージが浮かぶ。

 

 虫系。ネズミ系。コウモリ系。植物系——

 

 植物。

 

「……リゼ」

 

「ん」

 

「キノコって、食べられる?」

 

「種類によるだろ。何の話だ」

 

「ダンジョンにキノコを生やせるかもしれない。食べられるやつ」

 

 リゼの表情が変わった。疲労した目に、小さな光が灯る。

 

「できるのか」

 

「やってみる」

 

 コアに意識を集中する。植物系——正確にはモンスターではなく、ダンジョンの環境を変化させる機能。コアの知識の断片がまたひとつ形を取る。ダンジョン内に「生態系」を構築できる。苔、菌類、地衣類。魔力を微量に消費し続けるけれど、維持可能。

 

 キノコ。地下に生えるキノコ。食用のもの。イメージを絞り込む。

 

 ——あった。「洞窟茸」。灰白色の傘を持つ、素朴なキノコ。毒性なし。味は淡泊だが、焼けばそれなりに食べられる。

 

 焼けば。

 

 ……火の問題は後だ。

 

 魔力を注ぎ込む。今度は慎重に。部屋を作った時のような無理はしない。ほんの少しだけ——

 

 二つ目の小部屋の壁と床に、菌糸が走るイメージ。じわじわと、ゆっくりと。

 

「……あ」

 

 リゼが声を上げた。通路の方を見ている。

 

「何か——生えてきてる」

 

「成功?」

 

「見てくる」

 

 リゼが小走りに——小走りにできるほど回復していないのに——通路を駆けていった。すぐに戻ってきた。

 

「生えてる。壁から。白いキノコ。ちっちゃいけど」

 

「毒はないはず」

 

「はずって」

 

「大丈夫。たぶん。コアがそう言ってる」

 

「コアが『そう言ってる』で自分の腹を賭けろと」

 

 リゼが唇を尖らせた。でも、空腹には勝てなかったのだろう。数秒の逡巡の後、

 

「……毒見する」

 

「私が先に食べるよ」

 

「あんたが倒れたらダンジョンごと終わるだろ。マスターが先に食うな」

 

 言い返す暇もなく、リゼは通路に消えた。しばらくして戻ってきた手には、小さなキノコが三つ。指先でつまめるくらいの、白くて頼りないキノコ。

 

「生で食うぞ」

 

「火がないもんね……」

 

「火はなんとかする。後で」

 

 リゼが覚悟を決めた顔でキノコを口に入れた。咀嚼する。表情が微妙に変わった。

 

「……味がしない」

 

「おいしくない?」

 

「不味くもない。水を噛んでるみたいだ。でも——食える。腹に何か入るだけでだいぶ違う」

 

 ひとつ差し出された。受け取って食べてみる。確かに味はほとんどない。ふにゃふにゃした食感だけ。でも、何かを口にするという行為そのものが、人間らしさを取り戻させてくれるような気がした。

 

「ごちそうさま」

 

「ごちそうってレベルじゃないけどな」

 

 リゼが薄く笑った。ここに来て初めて見る、明確な笑み。疲弊した顔に浮かんだそれは、お世辞にも華やかとは言えなかったけれど——

 

 ああ、この人は笑うとこういう顔をするのだ、と思った。

 

「……もう少し大きく育てられないか。あと、数も」

 

「魔力次第だけど。キノコの維持にもちょっとずつ魔力を使うから、あまり増やしすぎると——」

 

「収支のバランスか」

 

「うん。外から入ってくる魔力の範囲内で育てないと、コアが痩せていく」

 

「なるほど」

 

 リゼが腕を組んで考え込んだ。

 

「通路を広げれば外から入る魔力が増えるんだよな。魔力が増えれば食料も増やせる。食料が増えれば体力が回復して、もっと通路を広げられる」

 

「……うん。好循環だね」

 

「逆に、何もしなければジリ貧だ」

 

「そうなるね」

 

 リゼが立ち上がった。

 

「掘るか」

 

「休まなくていいの?」

 

「キノコ食ったからな。多少はマシだ」

 

 嘘だ。キノコ三つで回復するわけがない。でもリゼの目には、さっきまでとは違うものが宿っていた。目的。方向性。やるべきことが明確になった人間の目。

 

 短剣を手に通路へ向かうリゼの背中に、声をかけた。

 

「リゼ」

 

「ん」

 

「ありがとう」

 

「…………家賃、って何度言えば」

 

「家賃じゃなくて。いてくれて、ありがとう」

 

 リゼの足が止まった。振り返らないまま、しばらく動かなかった。

 

「……あんたさ」

 

「うん」

 

「そういうこと、さらっと言うの、やめてくれないか」

 

「え? なんで?」

 

「なんでもだ」

 

 早足で通路に消えた。

 

 私は首を傾げながら、コアに向き直った。

 

 リゼが通路を広げている間、私はコアを通じてダンジョンの「感覚」を探っていた。

 

 少しずつ、このダンジョンとの繋がりが強くなっている気がする。最初はコアに触れないと何もわからなかったけれど、今は触れなくても——ぼんやりとだけど——ダンジョン内の気配を感じ取れる。スライムたちの位置、リゼがどこにいるか、通路の形状。

 

 入り口に配置したスライムからの感知情報は、相変わらず穏やかだった。外から何かが近づいてくる気配はない。風の流れと、かすかな外の匂い。草と土と——日光の残り香のような、何か。

 

 日光。

 

 手を伸ばせば届かない場所にあるもの。

 

 考えるのをやめて、別のことに意識を向ける。モンスター生成の選択肢。魔力が増えた今、どんなモンスターが作れるのか。

 

 スライム。虫系。ネズミ系。コウモリ系。ここまでは前と同じ。でも——その先に、うっすらと新しい選択肢が見える。

 

 ゴーレム。

 

 石のゴーレム。岩を素材にした、人型の——いや、人型にはまだ足りない。犬くらいの大きさの、四足歩行の石の塊。動きは遅いけれど頑丈。そして——穴を掘る能力がある。

 

 リゼの代わりに通路を掘れる。

 

「これだ……」

 

 生成コスト。スライムの五倍ほど。今の魔力なら——ぎりぎり。一体が限界。でも、リゼ一人で短剣で岩を削るよりは圧倒的に効率がいいはずだ。

 

 作ろう。

 

 意識を集中する。

 

 石のゴーレム。この部屋の岩と同じ灰色の、犬のような形。四本の脚と、ずんぐりした胴体。頭部はない——というより、全体がひとかたまりの岩で、どこが頭でどこが尻なのかよくわからない。

 

 コアの光が大きく脈動して——魔力が流れ出す。今度は慎重にコントロールする。急ぎすぎない。ゆっくりと。

 

 床の岩が盛り上がった。

 

 ぐぐぐ、と低い音を立てて、石が石から生まれる。粘土を内側から押し出すように、四本の脚が形を取り、胴体が膨らみ——

 

 犬よりは一回り小さかった。猫くらい。それでも確かに四本の脚で立っていて、ぬるりと動いた。石なのに、関節があるわけでもないのに、なめらかに。

 

「……こんにちは」

 

 またスライムの時と同じ挨拶をしてしまった。

 

 石ゴーレムは——動かない。こちらを「見ている」のか、待機しているのか。ただじっと、その場に佇んでいる。

 

 穴を掘って、と意識で伝える。通路を広げて。入り口の方から。

 

 ゴーレムが、ゆっくりと歩き出した。石の足が石の床を踏む、かちゃかちゃという軽い音。猫サイズなのに、歩き方が妙に堂々としている。

 

 通路に入ったゴーレムが、壁に取りつく。前脚で——いや、前脚の先端が平たいノミのような形に変化して、壁を削り始めた。

 

 がりがりがりがり。

 

 リゼの短剣よりも効率がいい。圧倒的に。石が石を削る音が、規則正しく響く。

 

「おい、何だこれ」

 

 リゼが通路の向こうから駆けてきた。ゴーレムを見て、短剣を構える。

 

「大丈夫、私が作った」

 

「作った——また増やしたのか」

 

「穴掘り要員。リゼが休めるように」

 

 リゼがゴーレムを見下ろした。ゴーレムは黙々と壁を削っている。リゼの存在をまるで気にしていない。

 

「……石の犬?」

 

「ゴーレム。犬じゃないけど、まあ、犬みたいなものかも」

 

「犬みたいなもの……」

 

 リゼがしゃがんで、ゴーレムをじっと観察した。ゴーレムは壁を削る作業を一瞬も止めない。がりがりがりがり。無心に、ひたすらに。

 

「すごいな。私が半日かけてた作業を——」

 

「半日って。そんなに掘ってくれてたの」

 

「いや、半日かどうかは知らないけど。体感でそのくらい」

 

 リゼが立ち上がった。短剣を鞘に戻す。

 

「これで私はお役御免か」

 

 冗談めかした口調だったけれど、声の底にかすかな不安が混じっていた。

 

「通路の掘削はゴーレムに任せるとして、他にやってほしいことはあるよ」

 

「何だ」

 

「外の偵察」

 

 リゼの表情が固くなった。

 

「……外」

 

「入り口の周辺がどうなっているのか知りたい。崖の中腹って言ってたけど、近くに森とか川とかあるのか。人里からどのくらい離れているのか」

 

「追っ手のことを気にしてるのか」

 

「それもあるし——外のことを何も知らないままじゃ、対策の立てようがないでしょ」

 

 リゼは黙った。

 

 しばらくして、頷いた。

 

「わかった。入り口の近くだけ見てくる。遠くには行かない」

 

「気をつけて」

 

「——ああ」

 

 リゼが通路を歩いていく。ゴーレムの脇を通り過ぎる時、ちらりとゴーレムを見下ろした。ゴーレムは相変わらず壁を削っている。

 

「こいつに名前つけないのか」

 

「名前?」

 

「犬みたいなもの、って言っただろ。犬なら名前がいるだろ」

 

「……ゴル」

 

「安直だな」

 

「じゃあリゼが考えて」

 

「嫌だよ面倒くさい。ゴルでいい」

 

 リゼが通路の闇に消えた。

 

 私はコアの部屋に戻って、ゴルの感覚を通じて掘削の進捗を見守った。

 

 壁が削れていく。少しずつ、確実に。通路が広がるたびに、外からの魔力の流入がわずかに増える。コアの光が強まる。魔力が増えれば、もっとゴーレムを作れる。もっとキノコを生やせる。もっと——

 

 欲が出ている。自覚はあった。

 

 さっきまで生き延びることだけで精一杯だったのに、もう「もっと」を考えている。人間の適応力なのか、それとも単に現実逃避なのか。

 

 ——帰る方法のことは、まだ考えない。

 

 リゼが戻ってきたのは、体感で二時間ほど後だった。

 

 服に草の匂いをまとわせて、頬をうっすら紅潮させている。外の空気を吸ったのだ。日光を浴びたのかもしれない。

 

「報告」

 

 リゼは私の前にどかりと座って、地面に指で図を描き始めた。

 

「ダンジョンの入り口は崖の中腹。北向きの斜面で、入り口は草と蔦に覆われて見えにくい。下に森が広がっていて、東に小川がある。水は綺麗だった。飲めると思う」

 

「人里は?」

 

「見えなかった。でも——南の方角に煙が見えた。炊事の煙だと思う。歩いて半日くらいの距離かもしれない」

 

「追っ手は?」

 

「痕跡はなかった。今のところは」

 

 リゼが図を描く指を止めた。

 

「あと——果実を見つけた」

 

 懐から、小さな赤い実を二つ取り出した。親指の先くらいの大きさで、見たことのない形をしている。

 

「ニガイチゴに似てるけど、違うかもしれない。この辺りの植生は見慣れないのが多い」

 

「食べられる?」

 

「匂いは普通だった。試しにひとつ——」

 

「リゼ、毒見ばっかりしないで」

 

「マスターに食わせるわけにいかないだろ。あんたが死んだらコアも死ぬ」

 

「だからってリゼが死んだら——」

 

 言いかけて、口をつぐんだ。

 

 リゼが静かにこちらを見ていた。

 

「——死んだら?」

 

「…………困る」

 

「困る、ね」

 

 リゼが小さく鼻を鳴らした。嘲笑ではない。照れ隠しに近い何か。

 

「食ったよ、もう。外で。一個だけ。しばらく経つけど腹は壊してない」

 

「先に言ってよ」

 

「言ったら止めるだろ」

 

「止めるよ」

 

「だから先に食った」

 

 残りの一つを差し出された。赤い実。おそるおそる口に入れると、甘酸っぱい味が広がった。水分が多くて、舌の上で潰れる。

 

「……おいしい」

 

「だろ。この辺にいくつか群生してた。通える範囲だ」

 

 果実と地下水とキノコ。豪華な食事とは言えないけれど、餓死は免れそうだ。

 

「リゼ」

 

「ん」

 

「外に出てる間——追っ手のことは大丈夫だった? 怖くなかった?」

 

 リゼの表情がわずかに翳った。

 

「怖くないわけないだろ」

 

「……ごめん」

 

「でも——ここに戻る場所があるから、出られた」

 

 リゼが私から目を逸らした。

 

「変な話だよな。ダンジョンが安全な場所なんて。本来、冒険者にとってダンジョンは危険な場所だ。モンスターがいて、罠があって、命懸けで潜るところだ。なのに私は——逃げ込んで、居候して、キノコ食って」

 

「リゼ」

 

「なんだ」

 

「追っ手のこと——聞いてもいい?」

 

 長い沈黙。

 

 コアの光が脈動する。ゴルが壁を削る音が、遠くから聞こえる。

 

「——盗賊だよ」

 

 リゼが言った。低い声で。

 

「盗賊?」

 

「私がいた——いた場所が、盗賊団の根城だった。っていうか、私はそこで生まれた」

 

 言葉を切って、リゼは膝を抱えた。

 

「盗賊の子として生まれて、盗賊として育てられた。でも——向いてなかった。人のものを奪うのも、人を脅すのも。だから逃げた。あの日、初めて逃げ出して、追われて、この穴に転がり込んだ」

 

「……そうだったんだ」

 

「軽蔑するか?」

 

「なんで?」

 

「盗賊だぞ。盗みをして、人を傷つけて——」

 

「リゼは逃げたんでしょ。向いてないって思って、自分で逃げた。それは——すごいことだと思う」

 

 リゼがこちらを見た。目が潤んでいるように見えたけれど、コアの光のせいかもしれない。

 

「……すごくはない。ただ怖かっただけだ。ずっと怖かった。いつか自分も、ああなるのかと思って」

 

「ああなる?」

 

「人を殺して平気な顔ができる人間に」

 

 リゼの声が震えた。一瞬だけ。すぐに平静を取り繕う。

 

「——まあ、そういうわけだ。追っ手は盗賊団の連中だ。逃亡者を放っておく奴らじゃない。いずれ見つかるかもしれない」

 

「見つかったら?」

 

「連れ戻されるか、殺されるか。裏切り者だからな」

 

 私はコアに手を置いた。脈動を感じる。自分の心臓の音と混ざり合う。

 

「守るよ」

 

「は?」

 

「このダンジョンで。守る。リゼを」

 

 リゼが目を丸くした。

 

「あんた——何を。スライム二匹と石の犬しかいないだろ」

 

「今はね。でも、増やす。強くする。通路を広げて、魔力を増やして、もっとモンスターを作って。このダンジョンを——誰にも負けない場所にする」

 

「…………」

 

「だから、もう少しだけここにいて」

 

 リゼは何も言わなかった。何も言わないまま、長い間こちらを見つめていた。

 

 やがて、小さく息を吐いて、壁にもたれた。

 

「……家賃、値上がりしそうだな」

 

「心配しないで。キノコで払ってくれたら十分だから」

 

「安い家賃だ」

 

 リゼが笑った。さっきよりも柔らかい笑い方だった。

 

 それから、日常——と呼べるようなものが、少しずつ形を成していった。

 

 ゴルが通路を掘り広げる。外から魔力が流れ込む。キノコが育つ。リゼが外に出て果実や水を調達する。私はコアの前でダンジョンの管理をする。

 

 魔力の蓄積は順調だった。通路を広げたことで流入量が増え、さらにゴルが掘り出す魔鉱石もコアに吸収させていく。雪だるま式とまではいかないけれど、着実に成長している。

 

 スライムは三匹に増やした。一匹を入り口の見張りに、一匹を通路の巡回に、一匹をコアの部屋の傍に。戦力としては心もとないけれど、感知網としては十分機能している。

 

 そして——新しい部屋をもうひとつ作った。

 

 今度は慎重に、時間をかけて。三日分——体感で三日分——の魔力をゆっくり注ぎ込んで、四畳半ほどの空間を作り出した。

 

「リゼの部屋」

 

「……は?」

 

「今まで一緒の部屋で寝てたでしょ。寝返りの音とか気になるかと思って」

 

「全然気になってないけど」

 

「でも、着替えとか。お風呂は無理だけど、水で体を拭くくらいなら——その時にプライベートな空間があった方がいいかなって」

 

 リゼが微妙な顔をした。嫌がっているのではない。表情の処理が追いついていないような顔。

 

「……あんた、本当に変なやつだな」

 

「変?」

 

「ダンジョンマスターが、居候の部屋を作るなんて——聞いたことがない」

 

「他のダンジョンマスターを知らないからわからないけど」

 

「いや——普通はモンスターの配置とか、罠の設計とか、もっと戦略的なことを考えるもんだろ。たぶん」

 

「それも考えてるよ。でも、リゼが快適に暮らせることも大事でしょ」

 

「快適って——岩の部屋だぞ」

 

「ベッドは作れないけど、キノコを乾燥させたものを敷けばクッションくらいにはなるかなって」

 

「キノコのベッド」

 

「嫌?」

 

「…………嫌じゃないけど」

 

 リゼが部屋に入った。壁に手を触れて、天井を見上げて、ゆっくりと一周する。

 

「——ありがとう」

 

 背中を向けたまま、小さな声で言った。

 

「どういたしまして」

 

「……今度家賃の話したら怒るぞ」

 

「言ってないよ?」

 

「言いそうな顔してた」

 

 してない、と思ったけど、否定するとまた面倒なことになりそうなので黙った。

 

 異変が起きたのは、その「翌日」だった。

 

 入り口に配置したスライムが、突然震えた。

 

 コアを通じて伝わってくる感知情報。何か——何かが近づいている。人ではない。でも、動物でもない。もっと——異質な気配。

 

 魔力を帯びている。

 

「リゼ」

 

「どうした」

 

 私の声の調子で察したのか、リゼがすぐに短剣を手に取った。

 

「入り口に何か来てる」

 

「何か?」

 

「わからない。人じゃない。動物でもない」

 

 リゼの表情が引き締まる。

 

「見てくる」

 

「待って——危険かもしれない」

 

「だからこそ見に行くんだろ。あんたは来るなよ。コアの傍にいろ」

 

 リゼが通路を駆けていく。

 

 私はコアに手を置いて、スライム越しの感覚に集中する。

 

 何かが——入り口の穴を通って、ダンジョンに入ってきた。

 

 小さい。人間よりずっと小さい。這うように移動している。

 

 スライムが震える。恐怖——ではなく、困惑に近い振動。

 

 リゼが入り口近くの部屋に到着した。松明はないけれど、ゴルが掘り広げた通路から外光がわずかに差し込んでいる。薄暗い中で、リゼが足元の何かを見下ろした。

 

「——なんだ、これ」

 

 リゼの声が通路を通じて聞こえてきた。驚きと、困惑と——ほんの少しの、哀れみ。

 

「何がいるの?」

 

「来てみろ。入り口からは離れてる」

 

 通路を早足で進む。コアから離れると感覚がぼやけるけれど、ダンジョン内にいる限り体調に問題はない。

 

 入り口近くの部屋——通路が少し広がった空間——に着くと、リゼがしゃがんでいた。

 

 その足元に、うずくまっている何かがいた。

 

 最初はよくわからなかった。薄闇の中で、緑っぽい体色が岩の床に溶けている。

 

 目が慣れてくると——蛇、に見えた。でも違う。上半身が——

 

「人……?」

 

 違う。人じゃない。

 

 蛇の下半身に、人型の上半身がついている。ただし、人型といっても成人のそれではない。子供くらいの大きさで、腕は細く、顔は——

 

 こちらを見上げた。

 

 黄金色の瞳。縦に裂けた瞳孔。鱗に覆われた頬。でも、輪郭は人間の子供のそれに近い。髪はなく、代わりに頭頂部から細い鶏冠のような突起が生えている。

 

 ラミア。

 

 コアの知識が反応した。蛇の下半身と人型の上半身を持つ亜人——モンスター。ただし、亜人型モンスターは知性が高く、通常のモンスターとは一線を画す存在。ダンジョンコアの魔力に引き寄せられる性質がある。

 

「怪我してる」

 

 リゼが指さした。ラミアの蛇体の途中——腰に近い部分に、深い切り傷があった。暗い血が滲んでいる。人間の血よりも黒っぽい色。

 

 ラミアがこちらを見ていた。黄金色の目で。恐怖と——何か別のもの。期待? 懇願?

 

 口が開いた。かすれた声が漏れる。

 

「——あ、る、じ」

 

 日本語ではなかった。でも、意味はわかった。コアを通じて、その言葉の意味が頭に流れ込んでくる。

 

 主。

 

 この子は、私を「主」と呼んだ。

 

「……ダンジョンの主を頼って来たのか」

 

 リゼが呟いた。

 

 ラミアが力尽きたように床に崩れた。

 

 ——考えている暇はなかった。

 

「リゼ、水」

 

「ああ」

 

 リゼが水袋を取りに戻る間、私はラミアの傍にしゃがみ込んだ。

 

 小さな体だった。蛇体を含めても一メートルほど。子供だ。亜人の子供。傷ついて、逃げて、ダンジョンの魔力を頼ってここまで来た。

 

 手を伸ばして、鱗に覆われた肩に触れた。冷たい。変温動物なのだ。この地下の冷気の中で、体温を維持できない。

 

 コアの魔力を使えば——治癒はできないけれど、体を温めることくらいは。

 

 意識を集中して、コアの魔力をほんの少しだけ流し込む。ダンジョンマスターとしてではなく、ただ単純に、「温める」というイメージで。

 

 ラミアの体がぴくりと動いた。黄金色の目が、薄く開く。

 

「大丈夫。ここは安全だから」

 

 伝わっているかわからない。言葉が通じているかどうかも。でも、ラミアの瞳から少しだけ警戒の色が薄れた——ように見えた。

 

 リゼが水を持って戻ってきた。

 

「飲ませるのか?」

 

「うん。口に少しずつ」

 

 リゼが水袋の口をラミアの唇に当てた。ラミアが反射的に口を開け、水を飲む。ごくり、ごくり。小さな喉が動く。

 

「傷の手当ては——」

 

「私には無理。でも、コアの魔力で回復を促せるかもしれない」

 

 やったことはない。でも、キノコを生やせたのだから、生命力の操作は可能なはずだ。

 

 ラミアの傷口に手を近づけて、魔力を注ぐ。治癒魔法のようなものをイメージする。——効果は微々たるものだった。傷が塞がるわけではない。でも、出血が少し弱まったようにも見える。

 

「リゼ、何か布——ないよね」

 

「服の裾を裂くか」

 

 言うなり、リゼは自分のシャツの裾を短剣で切り裂いた。ためらいがなかった。手慣れた動き。盗賊の生活で、応急処置に慣れているのかもしれない。

 

 布をラミアの傷口に巻く。リゼの手つきは乱暴に見えて、でも的確だった。

 

「きつくしすぎないように——よし。これで止血はできる」

 

 ラミアが、リゼの手を見つめていた。黄金色の目で。

 

 それから、私の方に視線を移す。

 

「——あるじ」

 

 また、その言葉。

 

 小さな手が伸びてきて、私の指に触れた。鱗の感触。冷たいけれど、柔らかい。

 

 握り返した。

 

「うん。ここにいるよ」

 

 ラミアの目が細くなった。安堵——なのだと思う。人間とは表情の作り方が違うけれど、目の色が変わった。

 

 その手を握ったまま、ラミアは目を閉じた。眠りに落ちたのだ。

 

 私とリゼは顔を見合わせた。

 

「……拾っちゃったね」

 

「拾ったって——犬猫じゃないぞ」

 

「知ってる。でも——」

 

 放っておけなかった。理由は必要ない。

 

「この子がどこから来たのか、怪我の原因は何なのか——起きたら聞けるかもしれないけど」

 

「言葉が通じるのか?」

 

「さっき『あるじ』って言ったでしょ。コアを通じてなら、意思疎通はできるかも」

 

 リゼは眠るラミアを見下ろして、ため息をついた。

 

「居候が増えたな」

 

「家賃は——」

 

「言うなって言っただろ!」

 

 リゼの声がダンジョンに反響した。ラミアがびくりと震えて——でも、起きなかった。よほど疲れていたのだろう。

 

 私はラミアの小さな手を握ったまま、コアの脈動を感じていた。

 

 スライム三匹。石のゴーレム一匹。そして——小さなラミアが一匹。

 

 このダンジョンの住人が、また一人増えた。

 

 コアが脈動する。前よりも力強く。

 

 この小さな世界は、少しずつ広がっていく。

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