ダンジョンマスター系の短編、中編集   作:合歓木あやめ

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第3話 「名前をつけるということ」

 ラミアが目を覚ましたのは、かなり長い時間が経ってからだった。

 

 その間、私はずっと傍にいた。コアの部屋に戻ろうかとも思ったけれど、冷たい石の床で丸くなっている小さな体を一人にしておく気になれなかった。定期的にコアの魔力を少しだけ流し込んで、体温を保つ。リゼが水を飲ませ、キノコを細かく千切って口元に置いた。眠ったまま、かすかに口を動かして飲み込んでいた。

 

 リゼは何も言わなかったけれど、自分のシャツをさらに裂いて、ラミアの蛇体の下に敷いてやっていた。冷たい石の床から少しでも体を離すために。

 

「リゼ、寒くない?」

 

「平気だ」

 

 平気なわけがない。シャツが半分になっている。薄い革鎧の下は、ほとんど布一枚だ。

 

「……部屋に戻って寝てていいよ。私が見てるから」

 

「あんたこそ寝てないだろ。コアから離れて大丈夫なのか」

 

「ダンジョンの中なら平気。ただ、ちょっと——感覚が鈍くなるだけ」

 

「鈍くなるって、外から何か来ても気づけないってことだろ。それは大丈夫とは言わない」

 

 反論できなかった。

 

 結局、二人でラミアの傍に座って、壁にもたれて交互にうとうとした。私が眠っている間にリゼが見張り、リゼが眠っている間に私がラミアの容態を確認する。リゼの寝息はとても静かで、盗賊の生活で身についた癖なのかもしれないと思った。

 

 何度目かに意識が浮上した時、視線を感じた。

 

 開けた目の先に、黄金色の瞳があった。

 

 ラミアが起きていた。

 

 上体をわずかに持ち上げて、こちらを見つめている。蛇体の先端がゆるゆると床の上で動いている——尻尾を振っている、ように見えなくもない。

 

「起きた?」

 

 小さな声で言った。リゼを起こさないように。

 

 ラミアが口を開いた。

 

「——あるじ」

 

 三度目のその言葉。かすれてはいるけれど、前よりも明瞭な発音。

 

「うん。ここにいるよ」

 

 ラミアの目がゆっくりと瞬きをした。縦に裂けた瞳孔が、収縮して、また開く。

 

 言葉が続いた。短い、途切れ途切れの音。コアを通じて、意味が流れ込んでくる。

 

 ——逃げてきた。

 

 ——外で、大きいのに追われた。

 

 ——傷つけられた。

 

 ——魔力の匂いがした。ここまで来た。

 

「大きいのって?」

 

 ラミアが小さな手で、自分の蛇体の傷を指さした。それから、両手を大きく広げた。自分の何倍も大きな何かを示すように。

 

 鉤爪のような動きを、指で真似する。

 

「——獣?」

 

 ラミアが頷いた。人間のように、こくりと。その仕草は奇妙に人間くさくて、胸が詰まった。

 

「もう大丈夫だよ。ここは安全だから」

 

 伝わっているのかいないのか。でも、ラミアは私の手に自分の手を重ねてきた。冷たい鱗の感触。でも前よりは温かい。

 

「……騒がしいな」

 

 リゼが目を擦りながら起き上がった。

 

「起こしちゃった?」

 

「声で——って、起きてるのか、そいつ」

 

 リゼがラミアを見た。ラミアがリゼを見た。

 

 数秒の沈黙。

 

 ラミアが、リゼに向かって口を開いた。

 

「——あるじの、つがい?」

 

 コアを通じて意味が脳に届いた瞬間、思考が停止した。

 

「つ——」

 

「何て言った」

 

 リゼには直接は伝わっていない。コアを介さないと、ラミアの言葉は異国語のように聞こえるはずだ。

 

「えっと——」

 

「何て言ったんだ、そいつ」

 

「リゼのことを——仲間か、って」

 

 咄嗟に訳を変えた。嘘ではない。仲間と番は——遠からず——いや、遠い。かなり遠い。全然違う。

 

「仲間? まあ——そう、なのか?」

 

 リゼが首を傾げて私を見た。

 

「そうだよ。リゼは仲間」

 

 ラミアに向かってゆっくり頷いてみせる。ラミアは私とリゼを交互に見て、何かを理解したように小さく頷いた。

 

「この子、知性が高いね。会話ができる」

 

「ラミアって亜人だからな。個体差はあるだろうけど、人間に近い知能を持つ種もいるって聞いたことがある。——盗賊団にいた頃、そういう話だけは耳に入った」

 

 リゼが気まずそうに付け加えた。盗賊時代の知識を出す時、いつも少し声が小さくなる。

 

「ラミアは群れで暮らすのか?」

 

「知らない。でも——この子は一匹で逃げてきたみたいだから、はぐれたか、群れがいないか」

 

 ラミアがじっとこちらを見ていた。会話の内容を理解しているのか、ただ声の調子を聞いているのか。

 

「傷、見せてくれる?」

 

 ラミアの蛇体に手を伸ばす。ラミアは一瞬びくりとしたけれど、抵抗はしなかった。リゼが巻いた布を慎重にめくる。

 

 傷は——思ったよりも回復していた。完全には塞がっていないけれど、出血は止まっている。傷口の周辺がうっすらと緑がかっている。人間なら膿んでいるのかと心配するところだけれど、ラミアの場合は新しい鱗が再生している途中なのかもしれない。

 

「回復力が高いんだな」

 

「みたい。あと、コアの魔力が少し効いてるのかも。ダンジョン内だと、モンスターは回復が早くなるって——コアに触れた時に、そんな情報があった気がする」

 

「なら、ここに置いておくのが一番いいのか」

 

「うん」

 

 布を巻き直す。ラミアが私の手をじっと見ていた。鱗に触れる私の指を、不思議そうに。

 

「痛い?」

 

 ラミアが首を横に振った。

 

 それから、何かを言った。短い一言。コアを通じて——

 

「——あたたかい」

 

「……そっか」

 

 思わず笑ってしまった。嬉しかった。単純に。

 

 リゼが立ち上がった。

 

「水を取ってくる。キノコも摘んでくる。——あと、果実もあった方がいいか」

 

「お願い。でも無理しないで」

 

「無理はしない。——そいつのこと、頼んだぞ」

 

「うん」

 

 リゼが通路に向かう。途中で足を止めて、振り返った。

 

「名前」

 

「え?」

 

「そいつ、名前あるのか。いつまでも『そいつ』じゃ呼びにくいだろ」

 

 ラミアを見る。

 

「名前、ある?」

 

 ラミアが首を傾げた。しばらく考えるような素振りを見せてから、首を横に振った。

 

「ないらしい」

 

「じゃあつけろよ、あんたが。マスターなんだから」

 

 リゼがそう言い残して、通路に消えた。

 

 名前。

 

 ラミアと二人きりになって——ゴルとスライムたちもいるけれど——私はラミアの前に座り込んで考えた。

 

 ラミアは上体を起こして、こちらをじっと見ている。居心地が悪いわけではない。ただ、真っ直ぐすぎる視線だ。黄金色の瞳が、一度も逸れない。

 

「名前、つけてもいい?」

 

 ラミアが頷く。

 

「何がいいかな……」

 

 考える。日本語の名前をつけるのは変だろうか。でも、この世界の名前の付け方を知らないし、リゼの名前だってどういう由来なのか聞いていない。

 

 ラミアの特徴を思い浮かべる。黄金色の目。緑の鱗。小さな体。蛇の下半身。頭頂部の鶏冠のような突起。

 

 金色。

 

「——セイ」

 

 口に出してみた。

 

 ラミアが首を傾げた。

 

「星の——いや、金色の、星……うーん、ちょっと違うかな。金星ってセイって読むこともあるんだけど——」

 

 説明が迷走している。自覚はあった。

 

「あなたの目が金色で綺麗だから。セイ。——嫌?」

 

 ラミアが——セイが、ゆっくりと口を動かした。

 

「せ、い」

 

 自分の名前を、確かめるように。

 

「せい」

 

 もう一度。今度は少し早く。

 

 そして——顔が綻んだ。

 

 人間の笑顔とは少し違う。口角が上がるのではなく、目が細くなって、鶏冠がぴくぴくと小刻みに動く。でも、それが喜びの表現であることは疑いようがなかった。

 

「気に入ってくれた?」

 

 セイがこくこくと頷いた。勢いよく。蛇体の尻尾がぱたぱたと床を叩く。

 

「よかった」

 

 安堵する。名前をつけるって、こんなに緊張するものなのか。

 

 セイが私の手を両手で包み込んだ。鱗の手のひら。小さくて、冷たくて、でもさっきよりも温かい。

 

「あるじ」

 

「葵だよ。私の名前。アオイ」

 

「あ、おい」

 

「うん。そう」

 

「あおい——あるじ」

 

「……まあ、それでもいいか」

 

 セイが嬉しそうに尻尾を振った。

 

 リゼが戻ってきた時、セイは私の膝の上に上半身を乗せて眠っていた。

 

 蛇体が私の脚に緩く巻きついていて、ちょうど猫が丸くなっているような恰好だった。重くはない。体温が低いせいでひんやりするけれど、不快ではなかった。

 

「…………」

 

 リゼが無言で立ち止まった。水袋と、葉っぱに包んだ果実を抱えたまま。

 

「おかえり」

 

「……懐かれてるな」

 

「そうみたい。名前、セイにしたよ」

 

「セイ。——ふうん」

 

 リゼが隣に座った。果実を渡される。赤い実と、初めて見る黄色い実。

 

「黄色いのは?」

 

「わからん。匂いは甘かった。毒見は——」

 

「しなくていいよ。セイに嗅がせてみる。モンスターの方が毒への感知能力が高いかもしれないし」

 

「……それ、起こすのか」

 

 セイは私の膝の上で気持ちよさそうに眠っている。起こすのは忍びない。

 

「……後でいいか」

 

「だな」

 

 二人で赤い実を食べた。甘酸っぱい味。もう慣れた味。

 

「外の様子は?」

 

「変わりなし。追っ手の痕跡もない。——ただ」

 

「ただ?」

 

「南の方角の煙が増えてる。一本だったのが三本になってた。集落か、それなりの人数がいる場所が近くにある」

 

「危険?」

 

「わからない。普通の村なら問題ないけど——盗賊団がこの辺りまで来ている可能性もある。用心は必要だ」

 

 リゼの声が硬くなっていた。

 

「あと——セイのことだけど」

 

「うん」

 

「外で獣に追われたって言ってたよな。この辺りに大型の魔獣がいるなら、ダンジョンの入り口が見つかった時が危ない」

 

「入り口を隠す?」

 

「隠すのは難しい。草と蔦で覆われてはいるけど、大型の獣なら匂いで嗅ぎつける。それに——通路を広げるってことは、入り口も広がるんだろ」

 

 確かにそうだ。外からの魔力の流入を増やすために通路を広げれば、入り口も大きくなる。目立ちやすくなる。

 

 ジレンマ。

 

「罠を仕掛けるとか——」

 

「罠?」

 

「ダンジョンマスターって、罠を作れるんじゃないのか。モンスターだけじゃなくて」

 

 コアの知識を探る。——ある。落とし穴、矢の仕掛け、毒霧。様々な罠のイメージが浮かぶ。ただし、どれも魔力を消費する。複雑なものほど大量に。

 

「作れるみたい。でも今の魔力だと、シンプルなものしか——」

 

「シンプルでいい。入り口付近に落とし穴があるだけでも違う。人間も獣も、最初の一撃で足止めできれば対処の時間が稼げる」

 

 リゼの目が鋭くなっていた。戦略的な思考。盗賊団にいた頃に培われたものなのだろう。奪う側だった知識が、今は守る側に転用されている。

 

「——やろう。入り口からコアまでの通路に、いくつか罠を仕掛ける。それと、モンスターも増やしたい」

 

「スライムじゃ戦力にならないぞ」

 

「わかってる。もう少し魔力が貯まれば——ゴルみたいなゴーレムをもう一体か、あるいは別の種類の——」

 

 言いかけた時、膝の上のセイが身じろぎした。目を開ける。黄金色の瞳が私を見上げて、それからリゼに移って、また私に戻った。

 

「おはよう、セイ」

 

「——あおいあるじ」

 

 寝起きの声。少し舌足らず。

 

「お腹空いた?」

 

 セイが頷いた。

 

 キノコを渡すと、小さな手で受け取って、もぐもぐと食べ始めた。相変わらず味のないキノコだけど、セイは嫌がる様子もなく咀嚼している。モンスターだから味覚が人間と違うのかもしれない。

 

「セイ。これ、食べられるかわかる?」

 

 黄色い果実を差し出すと、セイがすんすんと匂いを嗅いだ。舌先がちろりと出る。二又に分かれた蛇の舌。それで果実の表面をぺろりと舐めた。

 

「——だいじょうぶ」

 

「食べられる?」

 

 こくり。

 

 リゼが感心したように唸った。

 

「便利だな、その舌」

 

「セイ、ありがとう」

 

 セイが鶏冠をぴくぴく動かした。褒められて嬉しいらしい。

 

 黄色い果実を三人で分けた。甘い。赤い実よりもずっと甘くて、果肉が柔らかい。桃に近い食感。

 

「うまい」

 

「うん。おいしい」

 

「——おいしい」

 

 セイが初めて「おいしい」と言った。たどたどしい発音。でも確かに、私の言葉を真似ている。

 

「セイ——今の、私の言葉を真似した?」

 

 こくり。

 

「こっちの言葉、覚えられるの?」

 

 こくり。

 

 リゼと目が合った。

 

「学習能力が高いな」

 

「亜人だからかな。ラミアって、もともと人間に近い知能があるって——」

 

「さっき言ってたな。でも、こいつ——セイは子供だろ。子供の方が言葉の吸収が早いのかもしれない」

 

 セイがリゼを見た。

 

「りぜ」

 

「おう」

 

「りぜ——なかま」

 

「…………」

 

 リゼが照れたように首の後ろを掻いた。

 

「まあ、そうだ。仲間だ」

 

 セイが嬉しそうに尻尾を振った。蛇体がぱたぱたと床を叩く音。

 

 小さなダンジョンに、小さな家族のようなものが生まれつつある。——家族、と呼ぶのは気が早いかもしれない。でも、他にぴったりくる言葉が見つからない。

 

 セイの傷が完全に塞がるまでに、さらに何度か眠りと覚醒を繰り返した。

 

 その間に、ダンジョンは少しずつ変化していった。

 

 ゴルが通路を掘り広げ、新たに掘り出された魔鉱石をコアに吸収させ、魔力の総量が着実に増えていく。通路が広がれば外からの魔力流入も増え、コアの成長が加速する。リゼが言っていた好循環が、ゆっくりと回り始めていた。

 

 入り口付近には落とし穴を二つ仕掛けた。深さは膝くらい。致命傷を与えるものではなく、侵入者の足を止めるための時間稼ぎ。通路の途中には行き止まりの分岐を一本作った。侵入者を迷わせるためだ。

 

「本格的になってきたな」

 

 リゼが通路の構造を見回しながら言った。

 

「まだまだだよ。罠も少ないし、モンスターも——」

 

「あんた、前より顔色がいいな」

 

「え?」

 

「最初に会った時は死人みたいだったのに。今は——まあ、普通に人間の顔してる」

 

「……普通って」

 

「褒めてるんだぞ」

 

「褒め方が独特すぎる」

 

 リゼがふんと鼻を鳴らした。

 

 確かに、体調は良くなっていた。コアの魔力が増えるにつれて、自分の体にも力が戻ってくる感覚がある。ダンジョンマスターの体はコアと連動しているのだ。コアが強くなれば、私も強くなる——正確には「元に戻る」のかもしれないけれど。

 

 セイの回復も順調だった。傷は新しい鱗で完全に覆われ、動きも活発になっている。通路をするすると移動して、ゴルの後をついて回ったり、スライムと並んでぷるぷるしたり——遊んでいるのだ。子供なのだから当然だけれど、モンスター同士が一緒に遊ぶ光景は少し不思議だった。

 

 セイの言葉の上達は目覚ましかった。

 

 私やリゼの言葉を聞いて、どんどん吸収していく。最初は単語だけだったのが、二語文になり、三語文になり、時々驚くほど長い文を話すようになった。発音はまだぎこちないけれど、意思疎通に困らないレベルにはなっている。

 

「あおいあるじ、これなあに」

 

「キノコだよ。前にも食べたでしょ」

 

「きのこ。おいしくない」

 

「正直だなあ……」

 

「りぜが持ってくるの、おいしい」

 

「果物のこと?」

 

「くだもの。おいしい」

 

「はいはい」

 

 リゼが苦笑しながら果実を差し出した。セイが嬉しそうに受け取る。

 

 平穏だった。

 

 この地下の空間に外の世界の脅威は届かず、コアの青白い光がゆっくりと脈動し、キノコが育ち、ゴルが壁を削り、セイが笑う。

 

 でも——平穏は、いつまでも続かない。

 

 それを最初に感じ取ったのは、セイだった。

 

 セイが突然、動きを止めた。

 

 通路でゴルと遊んでいたセイが、ぴたりと静止して、入り口の方に顔を向けた。舌がちろちろと出ている。空気の匂いを探っている。

 

「あおいあるじ」

 

「どうしたの?」

 

「——におい。外から。知ってる、におい」

 

 セイの声が震えていた。尻尾が床に張り付いている。恐怖の姿勢。

 

 同時に、入り口のスライムからも感知情報が飛び込んできた。大きな気配。複数。通路の外——崖の斜面を、何かが登ってくる。

 

 重い足音。爪が岩を引っ掻く音。低い唸り声。

 

「リゼ」

 

「聞こえてる。何だ」

 

「外に何かいる。複数。大きい——獣みたいな」

 

 リゼが短剣を引き抜いた。

 

 セイが私の背中に隠れるように蛇体を丸めた。

 

「セイを追った獣か?」

 

「わからない。でも——」

 

 スライムからの情報が鮮明になる。入り口の穴の外に、影が見えた。灰色の毛皮。鉤爪。黄色い目。

 

 狼——に似ている。でも普通の狼よりはるかに大きい。馬くらいの体高がある。そして、体から魔力の気配が漂っている。

 

 魔獣。

 

「二頭。入り口の外にいる」

 

「入ってくるか?」

 

「まだ——入り口を嗅いでる。中の匂いを確認してる」

 

 リゼが通路の壁に背を預けた。短剣を構えたまま、入り口の方を睨む。

 

「入り口の幅は?」

 

「ゴルが広げたから——大人二人がすれ違えるくらい」

 

「あの体格だと一頭ずつしか入れない。通路で戦えば数の不利は消せる。——でも、魔獣相手にこの短剣じゃ……」

 

 リゼの声に焦りが混じった。

 

 考える。

 

 今のダンジョンの戦力。スライム三匹——戦力にならない。ゴーレムのゴル——穴掘り用で戦闘向きではない。でもないよりはマシ。セイ——怪我は治ったけれど、戦えるのか。そもそも子供だ。戦わせたくない。

 

 罠。入り口付近の落とし穴が二つ。膝程度の深さ。馬サイズの魔獣に効くかどうか。

 

「——新しいモンスターを作る」

 

「今からか?」

 

「時間はある。まだ入ってきてない。入り口で迷ってるうちに」

 

 コアの部屋に駆け戻る。コアに手を置いて、魔力を確認する。

 

 これまで地道に蓄積してきた魔力。落とし穴を作り、部屋を増やし、キノコを維持し——それでも残っている分。スライムやゴルを差し引いても、まだ余力がある。

 

 選択肢を探る。戦闘向きのモンスター。今の魔力で生成できるもの。

 

 石のゴーレム——戦闘型。ゴルと同じ素材だけれど、形状を変える。四足ではなく二足。腕を太く、拳を硬く。盾のような前面装甲。動きは鈍いけれど、通路の狭さを活かして壁になれる。

 

 コスト——ゴルの三倍。今の魔力のほぼ半分。

 

 大きな賭けだ。でも、他に選択肢はない。

 

「作る」

 

 意識を集中する。石の戦士。通路を塞ぐ盾。侵入者を阻む壁。

 

 コアが激しく脈動した。魔力が流れ出る。体の奥から根こそぎ——前に部屋を作った時と同じ、あの消耗感。でも今度は途中で止めない。止めたら、守れない。

 

 床の岩が隆起する。重い音。通路にまで振動が伝わったはずだ。

 

 岩が岩から生まれる。二本の脚。太い胴体。腕——片方が異様に大きく、盾のように扁平に広がっている。頭部は丸い岩の塊で、目も口もない。高さは私の胸くらい。人間よりは小さいけれど、通路を塞ぐには十分な横幅がある。

 

「——できた」

 

 膝から力が抜けた。壁に手をついて体を支える。視界が暗くなりかけるけれど、意識は保つ。

 

 石の戦士——名前をつける余裕はない。でも、命令は伝わる。

 

 入り口に向かって。通路を守って。何も通すな。

 

 ゴーレムがずしん、ずしんと重い足取りで通路に入った。

 

 リゼが目を見開いてゴーレムを見上げた。

 

「でかいな——こいつ、戦えるのか」

 

「たぶん。通路を塞いで壁になれるはず」

 

「たぶん、ね……」

 

 リゼが苦笑して、短剣を握り直した。

 

「私もやる」

 

「危ない」

 

「あんたのモンスターだけに任せられないだろ。私だって——ここの住人だ」

 

 リゼの目が、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 

 住人。

 

 リゼが自分からそう言った。居候でも、客でもなく。

 

「……ゴーレムの後ろからなら。前には出ないで」

 

「わかってる」

 

 ゴーレムが通路の中間——入り口から数えて最初の分岐点に陣取った。盾のような腕を前面に構え、通路を完全に塞ぐ。

 

 スライムからの感知情報。

 

 魔獣が——一頭、入り口に体をねじ込み始めた。

 

 狭い。魔獣の体には狭い入り口を、強引に通ろうとしている。岩が軋む音。爪が岩肌を削る音。

 

 落とし穴——最初の一つを、魔獣の前脚が踏み抜いた。

 

 がくん、と体勢が崩れる。低い悲鳴。怒りの唸り。

 

 浅い穴だ。致命傷にはならない。でも、数秒の時間を稼いだ。

 

 魔獣が穴から脚を引き抜いて、再び前進する。二つ目の落とし穴は——避けた。学習している。

 

 通路を進んでくる。鉤爪が石の床を叩く音。

 

 分岐に差し掛かる。行き止まりの偽通路と、本通路。魔獣は——

 

 匂いで判断した。コアの魔力の匂い。正しい方の通路に入ってくる。

 

 ゴーレムが待ち構えている通路に。

 

 暗い通路の向こうから、黄色い目が二つ光った。

 

 ゴーレムが——動いた。

 

 盾の腕を振り上げて、叩きつける。

 

 岩と獣がぶつかる音が、ダンジョン全体に響いた。

 

 魔獣が弾き飛ばされ——ない。踏みとどまっている。前脚で床をひっかき、ゴーレムの盾に鉤爪を突き立てる。岩の表面に深い傷が刻まれる。

 

 ゴーレムが押されている。

 

 体格差。魔獣の方が大きいのだ。ゴーレムは通路の幅を活かして壁になっているけれど、純粋な力では劣っている。

 

「ゴル!」

 

 コアを通じて命令する。穴掘り用のゴルに——戦闘ではなく、足元を。魔獣の足元の床を削れ。

 

 ゴルが猫のような体で通路を駆け、戦闘ゴーレムの足元をすり抜けて、魔獣の前脚の下の床を削り始めた。がりがりがりがり。急速に。

 

 床が崩れた。

 

 魔獣の前脚がずぼりと沈んだ。即席の落とし穴。バランスを崩して前のめりになった魔獣の頭を、ゴーレムの盾腕が上から叩く。

 

 鈍い音。

 

 魔獣がよろめいた。

 

「今だ!」

 

 リゼがゴーレムの脇から飛び出した。前に出るなと言ったのに。

 

 短剣が閃く。魔獣の首筋——毛皮の薄い部分を、正確に。

 

 血が噴いた。黒い血。

 

 魔獣が絶叫した。壁に体をぶつけながら後退する。リゼが素早く引いて、ゴーレムの背後に戻る。

 

 後退した魔獣が——通路の向こうに消えた。入り口の方へ。逃げている。

 

 もう一頭は——スライムの感知情報を確認する。入り口の外で待機していた二頭目が、仲間の悲鳴を聞いて後退している。崖を降りていく気配。

 

 去っていく。

 

「…………行ったか」

 

 リゼが壁にもたれて、荒い息を吐いた。短剣を持つ手が震えている。刃に黒い血がこびりついていた。

 

「リゼ、怪我は」

 

「ない。——あいつが壁になってくれたおかげだ」

 

 ゴーレムを見上げる。盾の腕に深い爪痕が刻まれている。ひびが何本も走っていて、もう一撃受けたら崩壊しそうだ。

 

「ありがとう」

 

 ゴーレムに向かって言った。返事はない。岩だから当然だ。でも——微かに、盾の腕が下がった。構えを解いた。安全を認識したのだ。

 

「あおいあるじ!」

 

 セイが通路を滑ってきた。私の腰に蛇体を巻きつけて、震えている。

 

「大丈夫だよ。もう行ったよ」

 

「こわかった」

 

「うん。怖かったね」

 

 セイを抱きしめる。冷たい鱗が頬に触れる。でも、しがみつく力は温かかった。

 

 リゼが短剣を鞘に収めて、こちらを見た。

 

「……強くなる必要があるな」

 

「うん」

 

「今回はたまたまうまくいった。でも次は——もっと数が多いかもしれない。もっと大きいかもしれない」

 

「わかってる」

 

「通路を広げるのは魔力の流入のために必要だ。でも広げれば広げるほど、大きなモンスターが入ってこれるようになる」

 

「……そうだね」

 

 セイを抱いたまま、考える。

 

 守る、と言った。リゼを守ると。セイも守らなければいけない。スライムたちも。ゴルも。このダンジョンに暮らす全員を。

 

 でも、今の戦力では限界がある。

 

 魔力を増やす。モンスターを増やす。罠を増やす。ダンジョンを深く、複雑にする。

 

 ——そのために、通路を広げる。

 

 通路を広げれば、外から脅威も入ってくる。

 

 いたちごっこ。

 

 でも、止まるわけにはいかない。止まったら、次に来るものに潰される。

 

「明日から——いや、今から。ダンジョンの構造を見直す。通路の配置、部屋の位置、モンスターの配置。全部」

 

「手伝う」

 

 リゼが言った。当然のように。

 

「セイも」

 

 腕の中でセイが言った。まだ少し震えているのに。

 

「セイは——」

 

「セイも、たたかう」

 

 黄金色の目が、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 

「セイ、つよくなる。あおいあるじ、まもる」

 

 ——この子は、自分を助けたこの場所を、守ろうとしている。

 

 胸が詰まった。

 

「……うん。一緒に、強くなろう」

 

 セイがこくりと頷いた。鶏冠がぴくぴく動く。

 

 リゼが苦笑した。

 

「なんだよ、いい話風にまとめるなよ。ゴーレム半壊してるんだぞ。修理できるのか」

 

「魔力を注げば再生できると思う。たぶん」

 

「たぶん、ね。あんたの『たぶん』は信用度五割くらいだな」

 

「五割もあれば上出来でしょ」

 

「どこがだよ」

 

 言い合いながら、コアの部屋に戻る。セイが私の腰に巻きついたまま、するすると一緒に移動する。リゼが後ろから着いてくる。

 

 コアの光が出迎える。

 

 少し弱くなっている。戦闘ゴーレムの生成と、戦闘中の消耗で、魔力をかなり使った。でも、ゼロではない。通路は広がっている。外からの魔力は流れ込み続けている。回復する。時間はかかるけれど。

 

「ねえ、リゼ」

 

「ん」

 

「さっき、前に出るなって言ったのに出たでしょ」

 

「……ああ」

 

「もう、しないで」

 

 リゼが黙った。

 

「リゼが怪我したら——」

 

「あの場面で動かなきゃ押し切られてただろ。ゴーレムだけじゃ持たなかった」

 

「それでも。リゼに何かあったら——」

 

 言葉が詰まった。何と言えばいいのかわからない。困る? 悲しい? どれも足りない。

 

「……寂しいから」

 

 出てきた言葉は、思ったよりも幼かった。

 

 リゼが目を逸らした。

 

 耳が赤い。コアの光のせいじゃない。今度ははっきりわかった。

 

「——善処する」

 

「善処じゃなくて約束して」

 

「……善処するって言ってるだろ」

 

「リゼ」

 

「わかった、わかったよ。約束する。前に出ない。——あんたがちゃんと守ってくれるなら」

 

「守るよ。さっき言ったでしょ」

 

「…………」

 

 リゼが何か言いかけて、口を閉じた。それから、ぼそりと呟いた。

 

「——あんたに出会って、変な気分だ」

 

「変な気分?」

 

「守られるのに、慣れてない」

 

 リゼの声は小さかった。

 

 盗賊団で育った少女。守ってくれる人がいなかった少女。自分の身は自分で守るしかなかった少女。

 

「慣れて」

 

「…………簡単に言うなよ」

 

「簡単じゃないのはわかるよ。でも、慣れて。お願い」

 

 リゼが長い溜息をついた。

 

 セイが私の腰から顔を出して、リゼを見た。

 

「りぜ、かおあかい」

 

「うるさい、爬虫類」

 

「はちゅうるい?」

 

「なんでもない。寝ろ」

 

 セイが首を傾げた。

 

 私は小さく笑った。

 

 コアの光が脈動する。少し弱いけれど、確かに。

 

 まだ足りないものばかりだ。戦力も、食料も、安全も。

 

 でも——ここにいる三人と、スライムと、ゴルと、半壊したゴーレム。この小さなダンジョンの住人たち全員で、少しずつ。

 

 少しずつ、強くなればいい。

 

 明日も——明日に当たるものがこの地下にあるなら——きっと、今日より少しだけマシな一日になる。

 

 そう信じることにした。信じないと、やっていけない。

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