ダンジョンマスター系の短編、中編集   作:合歓木あやめ

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第三話「根を張る」

 目を覚ますと、ルゥが顔の上に乗っていた。

 

「——ぶっ」

 

 青くて冷たくてぷるぷるしたものが、視界いっぱいに広がっている。鼻と口が半透明の体に埋もれて、一瞬息ができなかった。

 

「ルゥ! どいて!」

 

「ふにゃ……あー、おはよー、りん」

 

「おはようじゃない、窒息する」

 

 ルゥをぺたりと引き剥がすと、天井——もとい、岩の裏側が見えた。相変わらずの暗い洞窟。コアの光が微かに戻ってきていて、昨日よりは明るい。

 

 どのくらい眠っていたのだろう。地下には昼も夜もないから、体感でしか時間がわからない。結構ぐっすり眠った気がする。

 

「シノは?」

 

「あっち」

 

 ルゥが指差した先——コアの部屋の隅に、シノが壁にもたれて座っていた。目を閉じているけれど、私が名前を口にした瞬間、灰色の耳がぴくりと動いた。

 

「……起きてる」

 

「起きてたの?」

 

「……ずっと」

 

 シノの灰色の目がゆっくりと開いた。隈が濃い。一睡もしていないのだろう。

 

「寝てないの?」

 

「見張りがいる」

 

 短い言葉。でも、そこに込められた意味は重い。あの男たちがいつ戻ってくるかわからない。誰かが起きていなければならないと——シノはそう判断して、一人で見張りを買って出ていたのだ。

 

「……ありがとう。でも次は起こして。交代しよう」

 

 シノは少し意外そうな顔をした。主人に対して見張りを命じるなんて、という顔。

 

「私も寝てばかりじゃいられないし。シノだって休まないと体壊すよ」

 

「……壊れない」

 

「壊れるよ。見るからに疲れてる」

 

 シノの耳がぺたんと伏せられた。反論できないときの癖だと、まだ一日も経っていないのに覚えてしまった。

 

「いまは、ねむくない」

 

「嘘。目が半開きだよ」

 

「……半開きなのは、もともと」

 

「絶対違う」

 

 ルゥがくすくす笑っている。シノがちらりとルゥを見て、気まずそうに目を逸らした。

 

「シノ、少し寝て。その間に私はダンジョンの整備をするから。ルゥ、見張りお願いできる?」

 

「はーい」

 

「…………」

 

 シノは数秒ほど黙っていたけれど、やがて小さく頷いた。壁にもたれたまま目を閉じると、ほんの数呼吸で寝息が聞こえ始めた。

 

 限界だったのだ。強がりな子だ。

 

 寝顔を見ると——起きているときの張り詰めた空気が嘘みたいに消えていた。歳相応の——いや、実際の歳はまだ聞いていないけれど——幼い顔立ちだった。灰色の耳が時折ぴくぴくと動いて、何かの夢を見ているらしい。尻尾は体に巻きつくようにして丸まっている。

 

「……猫みたい」

 

「ねこ?」

 

「前の世界にいた動物。——似てるなって」

 

 ルゥが不思議そうに首を傾げているけれど、説明が面倒なので置いておく。

 

 コアに手を当てた。

 

 昨日使い果たした魔力が、少しずつ戻ってきている。外に繋がる通路から流れ込む魔力を、コアがゆっくりと吸収していた。まだ心許ないけれど、小規模な工事ならできそうだ。

 

「さて……」

 

 迷宮の透視図を頭に広げる。

 

 昨日の戦いで通路はめちゃくちゃになっていた。崩落した箇所、無理やり塞いだ壁、行き止まり。まともな導線がほとんどない。

 

 まず、外から魔力を取り込む経路を確保しないといけない。入り口からコアまでの導線は太いほうが魔力の流入量が増える。でも太すぎると侵入者も入りやすくなる。

 

 バランスだ。

 

「……ここを少し広げて」

 

 入り口付近の通路を、人ひとり分の幅から二人分くらいに広げた。天井も高くする。魔力の流れが目に見えて良くなった。コアの光が僅かに強くなる。

 

 次に、防衛構造。

 

 昨日の経験から学んだことがある。曲がりくねった通路は侵入者の足を遅くするけれど、同時にこちらの視界も制限する。ルゥが動き回るにも不便だった。

 

「もう少し考えて作らないと……」

 

 通路を一から設計し直した。入り口から真っ直ぐ進むと、広い部屋に出る。そこから三方向に道が分岐する。正解はひとつだけ。残り二つは行き止まり——ただし、すぐには行き止まりだとわからないように、ある程度奥まで続いている。

 

 正解の道を進むと、次の部屋。そこからまた分岐。

 

 迷路だ。三次元の立体迷路。

 

「ルゥ」

 

「なにー?」

 

「この構造、どう思う?」

 

 ルゥに透視図を共有してみた。コアを通じて繋がっているから、イメージを送ることは意外と簡単だった。

 

「んー」

 

 ルゥが小首を傾げる。

 

「ここの部屋、てんじょう高い。ルゥ、てんじょうに隠れられる」

 

「うん。そのつもりで作った。天井裏に通路も作ろうかなと思ってる。ルゥ専用の移動ルート」

 

「おー! ルゥせんよう!」

 

「壁の中も通れるでしょ。薄い壁を何枚か作って、隙間をルゥの移動用に使えるようにする」

 

「りん、あたまいいー」

 

「ゲームの知識だけどね……」

 

 前世でやり込んだダンジョン系のゲーム。まさかリアルに活かす日が来るとは思わなかった。

 

 設計は頭の中でどんどん膨らんでいったけれど、魔力が足りなくて実際に作れる部分はまだ限られている。入り口付近の一層目を整備するだけで、回復した分の魔力をほとんど使い切ってしまった。

 

「焦っても仕方ないか……」

 

 コアから手を離して、ため息をつく。

 

 ゲームならリソース管理画面を開いて数値を確認できるけれど、現実の魔力は感覚で測るしかない。水の入ったコップを傾けるみたいに、残量がなんとなくわかる。今は——コップの底にうっすら水が残っている程度。

 

「りん」

 

「ん?」

 

「だいぶつかれてる。りんも休んだほうがいいよ」

 

「まだ大丈夫」

 

「さっきシノにいったこと、じぶんにもいいなよー」

 

「……」

 

 痛いところを突かれた。

 

「……もう少しだけ。シノの首輪のこと、調べたい」

 

 シノは壁際でまだ眠っている。寝息に合わせて耳が微かに動いている。

 

 近づいて、首輪を観察した。起こさないように、そっと。

 

 太い金属の輪。黒ずんだ銀色で、表面に細かい文字のようなものが刻まれている。文字は見たことのない言語だけれど、コアの知識と照合すると——断片的に意味が読み取れた。

 

 封印。束縛。服従。

 

 嫌な文字列だ。

 

 そしてもうひとつ——魔封じ。

 

 あの男たちが言っていた。シノ自身の魔力を封じている、と。

 

 つまりシノは本来、何らかの魔力を持っている。それを首輪で抑え込まれているということ。

 

「……どうやって外すんだろう」

 

 力ずくでは無理だ。金属自体が頑丈な上に、術式で強化されている。コアの魔力で干渉できないか試してみたけれど、首輪の術式が魔力を弾いてしまう。

 

「むー」

 

 唸っていると、シノの耳がぴくりと動いた。目がうっすらと開く。

 

「……なに、してる」

 

「あ、起こしちゃった? ごめん」

 

「いい。もう——じゅうぶん寝た」

 

 たぶん一時間も経っていないけれど、確かにシノの目からは疲労の色が薄れていた。回復が早い。人間じゃないからだろうか。

 

「首輪、見てた。外し方を考えてたんだけど——」

 

「無理だ」

 

 シノがぴしゃりと言った。

 

「何人もの——奴隷商や、術師が、つけてきた。外せるのは、つけた本人か、もっと上位の術師だけ」

 

「……そっか」

 

「気にしなくていい。慣れてる」

 

 慣れてる、という言葉の重さに、胸が痛んだ。どれくらいの間、この首輪をつけられてきたのだろう。

 

「慣れなくていいよ、そんなの」

 

「……は?」

 

「慣れなくていい。外す方法は絶対ある。今は無理でも——魔力が貯まって、コアが成長すれば」

 

 シノが私を見つめた。灰色の目が、探るように細められている。

 

「……おまえは変なやつだ」

 

「凛だってば」

 

「……凛は、変なやつだ」

 

 言い直したけれど内容は変わっていない。でも——シノの口元が、ほんの僅かに緩んでいるように見えた。

 

 気のせいかもしれないけれど。

 

 その日——と呼んでいいのかわからないけれど——以降、三人の暮らしが始まった。

 

 朝はない。夜もない。コアの明滅で体内時計を無理やり作って、「明るいときが昼」「暗くなったら夜」という雑なルールを設けた。コアは魔力の流入リズムに合わせて自然に明滅していたから、案外うまくいった。

 

 日課はこう。起きたらまず迷宮の点検。外の気配を確認して、異常がなければ魔力を使って少しずつ迷宮を広げる。通路を掘り、部屋を作り、行き止まりを配置する。

 

 食事は相変わらず壁の苔と、シノが見つけてきた地下水脈の水。苔はどうやっても不味かったけれど、水だけは綺麗で冷たくて美味しかった。

 

 ルゥは魔力さえあれば食事は必要ないらしいのだけれど、「みんなでたべるのがいい」と言って苔を口に入れては変な顔をしている。スライムの体に苔が透けて見えるのがシュールだった。

 

「りん、まずい」

 

「知ってる」

 

「なんでまいにちまずいの」

 

「選択肢がないから」

 

「選択肢つくって!」

 

「無茶言わないで……」

 

 こんなやり取りが日常になった。

 

 シノはあまり喋らなかった。必要最低限のことだけ口にして、あとは黙って周囲を警戒している。でも日を追うごとに——少しずつ、本当に少しずつ変化があった。

 

 三日目の朝。

 

「……凛」

 

「ん?」

 

「ここの壁、薄い」

 

「え——本当?」

 

 シノが通路の壁を爪でこつこつと叩いた。確かに、他の場所より音が軽い。

 

「こっちも。……この先、空洞がある」

 

「わかるの?」

 

「耳が——聞こえる。空気の反響で」

 

 灰色の耳がくるくると回っている。シノの索敵能力は驚異的だった。鼻で匂いを嗅ぎ分け、耳で音を拾い、気配を察する。洞窟内の環境と、恐ろしく相性がいい。

 

 シノが示した箇所を掘ってみると、本当に天然の空洞があった。地下水が長い年月をかけて作った鍾乳洞の一部で、思っていたより広い。

 

「これは使える。この空洞を迷宮に組み込めば、魔力を節約できる」

 

「……役に立てた?」

 

 シノが聞いた。何気ない風を装っているけれど、耳が前に倒れている。返事を待つときの癖。

 

「すごく助かった。シノがいなかったら気づかなかった」

 

 耳がぴんと立った。尻尾がふわりと一度だけ揺れて——すぐに元に戻る。

 

「……べつに。当然のことをしただけ」

 

 五日目。

 

 迷宮は少しずつ成長していた。入り口からコアの部屋まで、分岐と行き止まりを含めて三層構造。まだ単純だけれど、初日とは比べ物にならない。

 

 魔力の蓄積も順調だった。通路を整備して流入量が増えた分、コアの輝きは日ごとに強くなっている。

 

 その日、私はコアの前で新しい設計図を練っていた。四層目に大きめの部屋を作って、そこに——

 

「ねえ、りん」

 

 ルゥがぴとりと隣にくっついてきた。いつものことだ。この子は暇さえあれば私にくっつく。

 

「なに?」

 

「ルゥ、おもったんだけど」

 

「うん」

 

「ルゥのほかに、もう一体——なかま、つくれない?」

 

「モンスターを?」

 

「うん。ルゥだけだと、おおきくなったダンジョン、まもりきれない」

 

 それは私も考えていたことだった。今の迷宮はまだ小さいけれど、これ以上広げるなら守り手が足りない。ルゥ一体では限界がある。

 

「魔力は——」

 

 コアの蓄積量を確認する。ルゥを作ったときよりは余裕がある。五日間溜め続けた分があるから。

 

「……できるかも。でも、ルゥみたいな人型は無理だと思う。魔力が足りない」

 

「じゃあちいさいのでいい。たくさんいたほうが、目になる」

 

「目に……なるほど、索敵用か。頭いいね、ルゥ」

 

「えへへ」

 

 褒められてぷるぷる揺れている。

 

 コアに手を当てて、意識を沈めた。前回のように暴走しないよう、今度はイメージを慎重に構築する。

 

 小さくていい。目と——最低限の知性。危険を感知して、ルゥや私に伝えられるだけの繋がり。

 

 光の粒がコアから溢れて、床に集まった。今度は暴走しなかった。小さな光の塊が丸くまとまって——

 

 手のひらサイズのスライムが三体、ぷるんと弾けるように生まれた。

 

 丸い。青い。目が二つ。以上。

 

 シンプルの極みだった。

 

「かわいい!」

 

 ルゥが飛びついた。小さなスライムたちがびっくりしてぴょんぴょん跳ねている。

 

「この子たちは偵察用に通路のあちこちに配置しよう。名前は——」

 

「ルゥがつける! この子はマル! この子はポチ! この子はタマ!」

 

「犬と猫の名前じゃん……まあいいけど」

 

 前世の知識がどこから混じったのか不明だけれど、ルゥは嬉しそうに小スライムたちを抱き上げている。小スライムたちもルゥに懐いているのか、ぷるぷると体を震わせて頬——に当たる部分——を擦りつけていた。

 

「シノ、見てこれ! あたらしい——」

 

 ルゥが振り返って、言葉を止めた。

 

 シノが通路の奥から戻ってきたところだった。日課の巡回から帰ってきたのだろう。

 

 ただ——その表情がいつもと違った。

 

「……客だ」

 

 一言。低い声。

 

 空気が変わった。

 

「あの男たち?」

 

「いや、ちがう。——ひとり。女」

 

「女?」

 

「迷宮の入り口に、いる。ぼうっと突っ立ってる。へんなやつ」

 

 コアに手を当てて確認した。確かに——入り口付近に一人の気配がある。魔力の波長は穏やかで、敵意は感じない。ただ、妙にしっかりとした魔力を持っている。

 

「……冒険者?」

 

「わからない。でも——武装はしてる。杖」

 

「杖……魔法使い?」

 

 シノが頷いた。

 

「入ってきそう?」

 

「入り口の前で、座り込んだ」

 

「……座り込んだ?」

 

 コアの感知を集中させる。確かに——入り口のすぐ外に、ひとつの気配がぺたんと座っている。攻めてくるでもなく、立ち去るでもなく、ただそこにいる。

 

「……何がしたいんだろう」

 

「罠かも」

 

「かもしれない。でも——」

 

 しばらく様子を見た。一時間経っても、気配は動かなかった。座ったまま、入り口の前にいる。

 

「ルゥ、見に行ける?」

 

「いいよー。でも、りんがしんぱい」

 

「入り口付近ならコアで見えるから大丈夫。危なくなったらすぐ壁を動かして塞ぐ。シノはここで待機」

 

「……わかった」

 

 シノが不満そうに耳を伏せたけれど、従ってくれた。

 

 ルゥが通路を進んでいく。小スライムのマルも一緒に連れて行った。偵察の実地訓練を兼ねて。

 

 入り口に近づくにつれて、外の光が差し込んでくる。ルゥの半透明の体が自然光を透かして、虹色にきらめいた。

 

 そして——入り口の外に、その人がいた。

 

 コアを通じて、ルゥの目から見える景色を共有する。

 

 若い女性だった。二十歳前後に見える。長い黒髪を背中で一つに束ねていて、旅装束に身を包んでいる。膝の上に細い杖を横たえて、洞窟の入り口を眺めながら——何かを食べていた。

 

 干し肉だ。もぐもぐと咀嚼しながら、ぼんやりとした目で洞窟を見つめている。危機感のかけらもない。

 

 ルゥが通路の影からそっと顔を出した。

 

 女性と目が合った。

 

「あ」

 

 女性が干し肉を咥えたまま、小さく声を上げた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙。ルゥと女性が見つめ合っている。

 

 数秒後。

 

「ダンジョンのモンスターさんですか?」

 

 丁寧な口調だった。干し肉を飲み込んでから、居住まいを正している。

 

「そうだけど。あなた、だれ?」

 

「通りすがりの魔術師です。——あの、ダンジョンマスターさんはいらっしゃいますか?」

 

 ルゥが首を傾げた。私もコアの前で首を傾げた。

 

「なんで?」

 

「お話がしたいんです。敵意はありません。——ここ、生まれたてのダンジョンですよね? 外から見てわかりました」

 

「……」

 

「それで、その——お願いがあって」

 

 女性が少し言いづらそうに目を逸らした。

 

「しばらく、ここに置いてもらえませんか」

 

 予想外の申し出に、私は言葉を失った。

 

 ルゥも固まっている。マルが足元でぷるぷると困惑を表現していた。

 

「りん、どうする?」

 

 ルゥの念話。

 

「……話だけでも聞いてみよう。ただし、中には入れない。入り口で」

 

「わかった」

 

 ルゥが女性に向き直った。

 

「主人がきくって。でも中には入れない。ここではなして」

 

「はい、もちろん。——ありがとうございます」

 

 女性がぺこりと頭を下げた。それから、姿勢を正してまっすぐにルゥを見た。

 

「改めまして。私はミラと申します。元・宮廷魔術師です」

 

「もと?」

 

「はい。——訳あって、追われている身でして」

 

 ミラと名乗った女性が、苦笑いを浮かべた。

 

「王都にはもう居場所がなくて。あてもなく逃げているうちに、この森に辿り着きました。ダンジョンの気配を感じて——もしかしたら、匿ってもらえるかもしれないと」

 

「……追われてる? 誰に?」

 

「王国の騎士団です。私、少し——いえ、かなり上の方の人間と揉めまして」

 

 ルゥを通じて話を聞きながら、私は考えていた。

 

 宮廷魔術師。追われている。匿ってほしい。

 

 怪しい。めちゃくちゃ怪しい。罠の可能性もある。あの男たちが差し向けた刺客かもしれない。

 

 でも——コアを通じて感じるミラの魔力は、攻撃的なものじゃなかった。静かで、深くて、安定している。そしてその質は——正直に言って、かなり高い。

 

「りん」

 

 シノの声がした。いつの間にかコアの部屋の入り口まで来ていた。待機してろと言ったのに。

 

「……あの女の魔力、本物だ。宮廷魔術師だっていうのは、嘘じゃない」

 

「わかるの?」

 

「……魔力の質は、嗅げばわかる。あれは——相当の使い手だ」

 

 シノの表情が微妙に複雑だった。警戒心と、別の何かが混じっている。

 

「シノは、どう思う?」

 

「…………」

 

 シノは少し黙って、それから短く言った。

 

「信用はできない。でも——敵に回したくない相手だ」

 

 正直な評価だった。

 

 私は決断した。

 

「ルゥ、もうひとつ聞いて。『ここに置いてもらう代わりに、何ができますか?』って」

 

 ルゥがミラに伝えた。

 

 ミラは一瞬きょとんとして——それから、ぱっと顔を輝かせた。

 

「魔術の知識があります。結界術、治癒術、鑑定、それから——解呪」

 

 解呪。

 

 私の心臓が跳ねた。シノの耳がぴくりと動いた。

 

 ——解呪。

 

「……もうひとつ聞いて。『魔封じの首輪を外すことはできますか?』」

 

 ルゥが伝えた。ミラが少し考え込んで、答えた。

 

「現物を見ないとなんとも言えませんが——魔封じの術式は専門分野です。宮廷では解呪部門の主任でしたから」

 

 シノが、息を呑む音が聞こえた。

 

 振り返ると、シノが——壁に爪を立てていた。表情は変わらない。でも爪の先が、微かに震えている。

 

「シノ」

 

「……」

 

「話だけでも——試す価値はあると思う」

 

 シノは答えなかった。でも——否定もしなかった。

 

 私はルゥに念じた。

 

「中に案内して。——ただし、コアの部屋には通さない。途中の部屋で話をする」

 

「りんが行くの?」

 

「うん。直接会って話したい。顔を見て判断する」

 

 迷宮の二層目に作った小部屋。天井は高く、壁にはルゥが通れる隙間がある。いざとなれば壁を動かして封じ込められる場所。

 

 ルゥがミラを案内して、私とシノはコア側から部屋に入った。

 

 部屋の中央で——初めて、ミラと顔を合わせた。

 

 コアを通じて見ていたよりも、ずっと穏やかな印象の人だった。黒い髪に黒い瞳。少し垂れた目元が柔らかい印象を与えている。背は私より頭ひとつ高い。

 

 ミラは私を見て——少し驚いた顔をした。

 

「ダンジョンマスターさん、ですか? 随分——お若いんですね」

 

「凛です。歳は……たぶん、十七くらい」

 

「たぶん?」

 

「色々あって。——座って話しましょう」

 

 岩の上に向かい合って座った。ルゥが私の隣に張りつき、シノは少し離れた場所で壁にもたれている。腕を組んで、ミラを睨んでいた。

 

 ミラはシノに視線を移して——首輪を見て——表情を曇らせた。

 

「……その首輪」

 

「見るな」

 

 シノが低く唸った。

 

「すみません。——でも、外から見た限り、かなり古い術式ですね。奴隷商のギルドが使う型に近い」

 

「…………」

 

 シノの爪が自分の腕に食い込んでいる。

 

「シノ」

 

 私が名前を呼ぶと、シノの力が少し抜けた。灰色の目が私を見て、また逸れた。

 

「ミラさん。単刀直入に聞きます。あなたが追われている理由は?」

 

「……宮廷の研究資料を持ち出しました。禁術に分類される解呪の理論書です」

 

「禁術?」

 

「国が管理している——というか、隠している技術です。奴隷制度を根底から揺るがしかねないから」

 

 ミラの目が、静かな怒りを帯びた。穏やかな印象の奥に、硬い芯がある。

 

「奴隷の首輪を外す技術が広まれば、今の王国の経済構造が崩壊します。だから禁術。知っているだけで罪になる」

 

「……それを持ち出した」

 

「ええ。馬鹿なことをしたと思いますか?」

 

「思わない」

 

 即答した。自分でも驚くくらい迷いなく。

 

 ミラが目を瞠った。

 

「——外せるんですね? シノの首輪」

 

「……正確には、試してみないとわかりません。でも理論上は可能です。時間と、それなりの魔力があれば」

 

 沈黙が落ちた。

 

 水が滴る音だけが、部屋を満たしている。

 

「ルゥ」

 

「うん」

 

「シノ」

 

「……なに」

 

「二人はどう思う?」

 

 ルゥが真っ先に答えた。

 

「ルゥは、ミラさんいい人だとおもう。においがやさしい」

 

 シノは長い沈黙の後——ぼそりと。

 

「……勝手にしろ」

 

 それは否定ではなかった。シノなりの、精一杯の譲歩だった。

 

 私はミラに向き直った。

 

「条件があります」

 

「はい」

 

「シノの首輪を外すこと。それから——このダンジョンの防衛に協力すること。前にここを襲ってきた連中がいます。また来るかもしれない」

 

「承知しました。——それと、もうひとつ」

 

「何ですか?」

 

 ミラが微笑んだ。穏やかで、でもどこかいたずらっぽい笑み。

 

「凛さんとお呼びしてもいいですか? 『ダンジョンマスターさん』は長いので」

 

「——どうぞ」

 

 こうして、四人目が加わった。

 

 暗い地の底の、小さな迷宮に。

 

 ルゥがミラの手を引いて迷宮を案内する声が、通路に反響している。シノが「うるさい」と言いながらも後をついていく足音。ミラが「素敵な構造ですね」と感心する声。

 

 コアの部屋で一人、私はその音を聞いていた。

 

 三人になって。四人になった。

 

 まだ何も解決していない。シノの首輪も外れていないし、あの男たちの脅威もある。ミラが本当に信頼できるかもわからない。

 

 でも——

 

 水の滴る音に混じって、笑い声が聞こえた。ルゥの笑い声だ。それに釣られるように、ミラの控えめな笑い声が重なる。

 

 暗い。外の光は届かない。

 

 でも、少しずつ——この場所が、ただの洞窟じゃなくなっていく気がした。

 

「……家、みたいだな」

 

 呟いて、少し恥ずかしくなって、誰にも聞かれていないことを確認した。

 

 コアの光が——ほんの少しだけ、強く輝いた気がした。

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