目を覚ますと、ルゥが顔の上に乗っていた。
「——ぶっ」
青くて冷たくてぷるぷるしたものが、視界いっぱいに広がっている。鼻と口が半透明の体に埋もれて、一瞬息ができなかった。
「ルゥ! どいて!」
「ふにゃ……あー、おはよー、りん」
「おはようじゃない、窒息する」
ルゥをぺたりと引き剥がすと、天井——もとい、岩の裏側が見えた。相変わらずの暗い洞窟。コアの光が微かに戻ってきていて、昨日よりは明るい。
どのくらい眠っていたのだろう。地下には昼も夜もないから、体感でしか時間がわからない。結構ぐっすり眠った気がする。
「シノは?」
「あっち」
ルゥが指差した先——コアの部屋の隅に、シノが壁にもたれて座っていた。目を閉じているけれど、私が名前を口にした瞬間、灰色の耳がぴくりと動いた。
「……起きてる」
「起きてたの?」
「……ずっと」
シノの灰色の目がゆっくりと開いた。隈が濃い。一睡もしていないのだろう。
「寝てないの?」
「見張りがいる」
短い言葉。でも、そこに込められた意味は重い。あの男たちがいつ戻ってくるかわからない。誰かが起きていなければならないと——シノはそう判断して、一人で見張りを買って出ていたのだ。
「……ありがとう。でも次は起こして。交代しよう」
シノは少し意外そうな顔をした。主人に対して見張りを命じるなんて、という顔。
「私も寝てばかりじゃいられないし。シノだって休まないと体壊すよ」
「……壊れない」
「壊れるよ。見るからに疲れてる」
シノの耳がぺたんと伏せられた。反論できないときの癖だと、まだ一日も経っていないのに覚えてしまった。
「いまは、ねむくない」
「嘘。目が半開きだよ」
「……半開きなのは、もともと」
「絶対違う」
ルゥがくすくす笑っている。シノがちらりとルゥを見て、気まずそうに目を逸らした。
「シノ、少し寝て。その間に私はダンジョンの整備をするから。ルゥ、見張りお願いできる?」
「はーい」
「…………」
シノは数秒ほど黙っていたけれど、やがて小さく頷いた。壁にもたれたまま目を閉じると、ほんの数呼吸で寝息が聞こえ始めた。
限界だったのだ。強がりな子だ。
寝顔を見ると——起きているときの張り詰めた空気が嘘みたいに消えていた。歳相応の——いや、実際の歳はまだ聞いていないけれど——幼い顔立ちだった。灰色の耳が時折ぴくぴくと動いて、何かの夢を見ているらしい。尻尾は体に巻きつくようにして丸まっている。
「……猫みたい」
「ねこ?」
「前の世界にいた動物。——似てるなって」
ルゥが不思議そうに首を傾げているけれど、説明が面倒なので置いておく。
コアに手を当てた。
昨日使い果たした魔力が、少しずつ戻ってきている。外に繋がる通路から流れ込む魔力を、コアがゆっくりと吸収していた。まだ心許ないけれど、小規模な工事ならできそうだ。
「さて……」
迷宮の透視図を頭に広げる。
昨日の戦いで通路はめちゃくちゃになっていた。崩落した箇所、無理やり塞いだ壁、行き止まり。まともな導線がほとんどない。
まず、外から魔力を取り込む経路を確保しないといけない。入り口からコアまでの導線は太いほうが魔力の流入量が増える。でも太すぎると侵入者も入りやすくなる。
バランスだ。
「……ここを少し広げて」
入り口付近の通路を、人ひとり分の幅から二人分くらいに広げた。天井も高くする。魔力の流れが目に見えて良くなった。コアの光が僅かに強くなる。
次に、防衛構造。
昨日の経験から学んだことがある。曲がりくねった通路は侵入者の足を遅くするけれど、同時にこちらの視界も制限する。ルゥが動き回るにも不便だった。
「もう少し考えて作らないと……」
通路を一から設計し直した。入り口から真っ直ぐ進むと、広い部屋に出る。そこから三方向に道が分岐する。正解はひとつだけ。残り二つは行き止まり——ただし、すぐには行き止まりだとわからないように、ある程度奥まで続いている。
正解の道を進むと、次の部屋。そこからまた分岐。
迷路だ。三次元の立体迷路。
「ルゥ」
「なにー?」
「この構造、どう思う?」
ルゥに透視図を共有してみた。コアを通じて繋がっているから、イメージを送ることは意外と簡単だった。
「んー」
ルゥが小首を傾げる。
「ここの部屋、てんじょう高い。ルゥ、てんじょうに隠れられる」
「うん。そのつもりで作った。天井裏に通路も作ろうかなと思ってる。ルゥ専用の移動ルート」
「おー! ルゥせんよう!」
「壁の中も通れるでしょ。薄い壁を何枚か作って、隙間をルゥの移動用に使えるようにする」
「りん、あたまいいー」
「ゲームの知識だけどね……」
前世でやり込んだダンジョン系のゲーム。まさかリアルに活かす日が来るとは思わなかった。
設計は頭の中でどんどん膨らんでいったけれど、魔力が足りなくて実際に作れる部分はまだ限られている。入り口付近の一層目を整備するだけで、回復した分の魔力をほとんど使い切ってしまった。
「焦っても仕方ないか……」
コアから手を離して、ため息をつく。
ゲームならリソース管理画面を開いて数値を確認できるけれど、現実の魔力は感覚で測るしかない。水の入ったコップを傾けるみたいに、残量がなんとなくわかる。今は——コップの底にうっすら水が残っている程度。
「りん」
「ん?」
「だいぶつかれてる。りんも休んだほうがいいよ」
「まだ大丈夫」
「さっきシノにいったこと、じぶんにもいいなよー」
「……」
痛いところを突かれた。
「……もう少しだけ。シノの首輪のこと、調べたい」
シノは壁際でまだ眠っている。寝息に合わせて耳が微かに動いている。
近づいて、首輪を観察した。起こさないように、そっと。
太い金属の輪。黒ずんだ銀色で、表面に細かい文字のようなものが刻まれている。文字は見たことのない言語だけれど、コアの知識と照合すると——断片的に意味が読み取れた。
封印。束縛。服従。
嫌な文字列だ。
そしてもうひとつ——魔封じ。
あの男たちが言っていた。シノ自身の魔力を封じている、と。
つまりシノは本来、何らかの魔力を持っている。それを首輪で抑え込まれているということ。
「……どうやって外すんだろう」
力ずくでは無理だ。金属自体が頑丈な上に、術式で強化されている。コアの魔力で干渉できないか試してみたけれど、首輪の術式が魔力を弾いてしまう。
「むー」
唸っていると、シノの耳がぴくりと動いた。目がうっすらと開く。
「……なに、してる」
「あ、起こしちゃった? ごめん」
「いい。もう——じゅうぶん寝た」
たぶん一時間も経っていないけれど、確かにシノの目からは疲労の色が薄れていた。回復が早い。人間じゃないからだろうか。
「首輪、見てた。外し方を考えてたんだけど——」
「無理だ」
シノがぴしゃりと言った。
「何人もの——奴隷商や、術師が、つけてきた。外せるのは、つけた本人か、もっと上位の術師だけ」
「……そっか」
「気にしなくていい。慣れてる」
慣れてる、という言葉の重さに、胸が痛んだ。どれくらいの間、この首輪をつけられてきたのだろう。
「慣れなくていいよ、そんなの」
「……は?」
「慣れなくていい。外す方法は絶対ある。今は無理でも——魔力が貯まって、コアが成長すれば」
シノが私を見つめた。灰色の目が、探るように細められている。
「……おまえは変なやつだ」
「凛だってば」
「……凛は、変なやつだ」
言い直したけれど内容は変わっていない。でも——シノの口元が、ほんの僅かに緩んでいるように見えた。
気のせいかもしれないけれど。
その日——と呼んでいいのかわからないけれど——以降、三人の暮らしが始まった。
朝はない。夜もない。コアの明滅で体内時計を無理やり作って、「明るいときが昼」「暗くなったら夜」という雑なルールを設けた。コアは魔力の流入リズムに合わせて自然に明滅していたから、案外うまくいった。
日課はこう。起きたらまず迷宮の点検。外の気配を確認して、異常がなければ魔力を使って少しずつ迷宮を広げる。通路を掘り、部屋を作り、行き止まりを配置する。
食事は相変わらず壁の苔と、シノが見つけてきた地下水脈の水。苔はどうやっても不味かったけれど、水だけは綺麗で冷たくて美味しかった。
ルゥは魔力さえあれば食事は必要ないらしいのだけれど、「みんなでたべるのがいい」と言って苔を口に入れては変な顔をしている。スライムの体に苔が透けて見えるのがシュールだった。
「りん、まずい」
「知ってる」
「なんでまいにちまずいの」
「選択肢がないから」
「選択肢つくって!」
「無茶言わないで……」
こんなやり取りが日常になった。
シノはあまり喋らなかった。必要最低限のことだけ口にして、あとは黙って周囲を警戒している。でも日を追うごとに——少しずつ、本当に少しずつ変化があった。
三日目の朝。
「……凛」
「ん?」
「ここの壁、薄い」
「え——本当?」
シノが通路の壁を爪でこつこつと叩いた。確かに、他の場所より音が軽い。
「こっちも。……この先、空洞がある」
「わかるの?」
「耳が——聞こえる。空気の反響で」
灰色の耳がくるくると回っている。シノの索敵能力は驚異的だった。鼻で匂いを嗅ぎ分け、耳で音を拾い、気配を察する。洞窟内の環境と、恐ろしく相性がいい。
シノが示した箇所を掘ってみると、本当に天然の空洞があった。地下水が長い年月をかけて作った鍾乳洞の一部で、思っていたより広い。
「これは使える。この空洞を迷宮に組み込めば、魔力を節約できる」
「……役に立てた?」
シノが聞いた。何気ない風を装っているけれど、耳が前に倒れている。返事を待つときの癖。
「すごく助かった。シノがいなかったら気づかなかった」
耳がぴんと立った。尻尾がふわりと一度だけ揺れて——すぐに元に戻る。
「……べつに。当然のことをしただけ」
五日目。
迷宮は少しずつ成長していた。入り口からコアの部屋まで、分岐と行き止まりを含めて三層構造。まだ単純だけれど、初日とは比べ物にならない。
魔力の蓄積も順調だった。通路を整備して流入量が増えた分、コアの輝きは日ごとに強くなっている。
その日、私はコアの前で新しい設計図を練っていた。四層目に大きめの部屋を作って、そこに——
「ねえ、りん」
ルゥがぴとりと隣にくっついてきた。いつものことだ。この子は暇さえあれば私にくっつく。
「なに?」
「ルゥ、おもったんだけど」
「うん」
「ルゥのほかに、もう一体——なかま、つくれない?」
「モンスターを?」
「うん。ルゥだけだと、おおきくなったダンジョン、まもりきれない」
それは私も考えていたことだった。今の迷宮はまだ小さいけれど、これ以上広げるなら守り手が足りない。ルゥ一体では限界がある。
「魔力は——」
コアの蓄積量を確認する。ルゥを作ったときよりは余裕がある。五日間溜め続けた分があるから。
「……できるかも。でも、ルゥみたいな人型は無理だと思う。魔力が足りない」
「じゃあちいさいのでいい。たくさんいたほうが、目になる」
「目に……なるほど、索敵用か。頭いいね、ルゥ」
「えへへ」
褒められてぷるぷる揺れている。
コアに手を当てて、意識を沈めた。前回のように暴走しないよう、今度はイメージを慎重に構築する。
小さくていい。目と——最低限の知性。危険を感知して、ルゥや私に伝えられるだけの繋がり。
光の粒がコアから溢れて、床に集まった。今度は暴走しなかった。小さな光の塊が丸くまとまって——
手のひらサイズのスライムが三体、ぷるんと弾けるように生まれた。
丸い。青い。目が二つ。以上。
シンプルの極みだった。
「かわいい!」
ルゥが飛びついた。小さなスライムたちがびっくりしてぴょんぴょん跳ねている。
「この子たちは偵察用に通路のあちこちに配置しよう。名前は——」
「ルゥがつける! この子はマル! この子はポチ! この子はタマ!」
「犬と猫の名前じゃん……まあいいけど」
前世の知識がどこから混じったのか不明だけれど、ルゥは嬉しそうに小スライムたちを抱き上げている。小スライムたちもルゥに懐いているのか、ぷるぷると体を震わせて頬——に当たる部分——を擦りつけていた。
「シノ、見てこれ! あたらしい——」
ルゥが振り返って、言葉を止めた。
シノが通路の奥から戻ってきたところだった。日課の巡回から帰ってきたのだろう。
ただ——その表情がいつもと違った。
「……客だ」
一言。低い声。
空気が変わった。
「あの男たち?」
「いや、ちがう。——ひとり。女」
「女?」
「迷宮の入り口に、いる。ぼうっと突っ立ってる。へんなやつ」
コアに手を当てて確認した。確かに——入り口付近に一人の気配がある。魔力の波長は穏やかで、敵意は感じない。ただ、妙にしっかりとした魔力を持っている。
「……冒険者?」
「わからない。でも——武装はしてる。杖」
「杖……魔法使い?」
シノが頷いた。
「入ってきそう?」
「入り口の前で、座り込んだ」
「……座り込んだ?」
コアの感知を集中させる。確かに——入り口のすぐ外に、ひとつの気配がぺたんと座っている。攻めてくるでもなく、立ち去るでもなく、ただそこにいる。
「……何がしたいんだろう」
「罠かも」
「かもしれない。でも——」
しばらく様子を見た。一時間経っても、気配は動かなかった。座ったまま、入り口の前にいる。
「ルゥ、見に行ける?」
「いいよー。でも、りんがしんぱい」
「入り口付近ならコアで見えるから大丈夫。危なくなったらすぐ壁を動かして塞ぐ。シノはここで待機」
「……わかった」
シノが不満そうに耳を伏せたけれど、従ってくれた。
ルゥが通路を進んでいく。小スライムのマルも一緒に連れて行った。偵察の実地訓練を兼ねて。
入り口に近づくにつれて、外の光が差し込んでくる。ルゥの半透明の体が自然光を透かして、虹色にきらめいた。
そして——入り口の外に、その人がいた。
コアを通じて、ルゥの目から見える景色を共有する。
若い女性だった。二十歳前後に見える。長い黒髪を背中で一つに束ねていて、旅装束に身を包んでいる。膝の上に細い杖を横たえて、洞窟の入り口を眺めながら——何かを食べていた。
干し肉だ。もぐもぐと咀嚼しながら、ぼんやりとした目で洞窟を見つめている。危機感のかけらもない。
ルゥが通路の影からそっと顔を出した。
女性と目が合った。
「あ」
女性が干し肉を咥えたまま、小さく声を上げた。
「…………」
「…………」
沈黙。ルゥと女性が見つめ合っている。
数秒後。
「ダンジョンのモンスターさんですか?」
丁寧な口調だった。干し肉を飲み込んでから、居住まいを正している。
「そうだけど。あなた、だれ?」
「通りすがりの魔術師です。——あの、ダンジョンマスターさんはいらっしゃいますか?」
ルゥが首を傾げた。私もコアの前で首を傾げた。
「なんで?」
「お話がしたいんです。敵意はありません。——ここ、生まれたてのダンジョンですよね? 外から見てわかりました」
「……」
「それで、その——お願いがあって」
女性が少し言いづらそうに目を逸らした。
「しばらく、ここに置いてもらえませんか」
予想外の申し出に、私は言葉を失った。
ルゥも固まっている。マルが足元でぷるぷると困惑を表現していた。
「りん、どうする?」
ルゥの念話。
「……話だけでも聞いてみよう。ただし、中には入れない。入り口で」
「わかった」
ルゥが女性に向き直った。
「主人がきくって。でも中には入れない。ここではなして」
「はい、もちろん。——ありがとうございます」
女性がぺこりと頭を下げた。それから、姿勢を正してまっすぐにルゥを見た。
「改めまして。私はミラと申します。元・宮廷魔術師です」
「もと?」
「はい。——訳あって、追われている身でして」
ミラと名乗った女性が、苦笑いを浮かべた。
「王都にはもう居場所がなくて。あてもなく逃げているうちに、この森に辿り着きました。ダンジョンの気配を感じて——もしかしたら、匿ってもらえるかもしれないと」
「……追われてる? 誰に?」
「王国の騎士団です。私、少し——いえ、かなり上の方の人間と揉めまして」
ルゥを通じて話を聞きながら、私は考えていた。
宮廷魔術師。追われている。匿ってほしい。
怪しい。めちゃくちゃ怪しい。罠の可能性もある。あの男たちが差し向けた刺客かもしれない。
でも——コアを通じて感じるミラの魔力は、攻撃的なものじゃなかった。静かで、深くて、安定している。そしてその質は——正直に言って、かなり高い。
「りん」
シノの声がした。いつの間にかコアの部屋の入り口まで来ていた。待機してろと言ったのに。
「……あの女の魔力、本物だ。宮廷魔術師だっていうのは、嘘じゃない」
「わかるの?」
「……魔力の質は、嗅げばわかる。あれは——相当の使い手だ」
シノの表情が微妙に複雑だった。警戒心と、別の何かが混じっている。
「シノは、どう思う?」
「…………」
シノは少し黙って、それから短く言った。
「信用はできない。でも——敵に回したくない相手だ」
正直な評価だった。
私は決断した。
「ルゥ、もうひとつ聞いて。『ここに置いてもらう代わりに、何ができますか?』って」
ルゥがミラに伝えた。
ミラは一瞬きょとんとして——それから、ぱっと顔を輝かせた。
「魔術の知識があります。結界術、治癒術、鑑定、それから——解呪」
解呪。
私の心臓が跳ねた。シノの耳がぴくりと動いた。
——解呪。
「……もうひとつ聞いて。『魔封じの首輪を外すことはできますか?』」
ルゥが伝えた。ミラが少し考え込んで、答えた。
「現物を見ないとなんとも言えませんが——魔封じの術式は専門分野です。宮廷では解呪部門の主任でしたから」
シノが、息を呑む音が聞こえた。
振り返ると、シノが——壁に爪を立てていた。表情は変わらない。でも爪の先が、微かに震えている。
「シノ」
「……」
「話だけでも——試す価値はあると思う」
シノは答えなかった。でも——否定もしなかった。
私はルゥに念じた。
「中に案内して。——ただし、コアの部屋には通さない。途中の部屋で話をする」
「りんが行くの?」
「うん。直接会って話したい。顔を見て判断する」
迷宮の二層目に作った小部屋。天井は高く、壁にはルゥが通れる隙間がある。いざとなれば壁を動かして封じ込められる場所。
ルゥがミラを案内して、私とシノはコア側から部屋に入った。
部屋の中央で——初めて、ミラと顔を合わせた。
コアを通じて見ていたよりも、ずっと穏やかな印象の人だった。黒い髪に黒い瞳。少し垂れた目元が柔らかい印象を与えている。背は私より頭ひとつ高い。
ミラは私を見て——少し驚いた顔をした。
「ダンジョンマスターさん、ですか? 随分——お若いんですね」
「凛です。歳は……たぶん、十七くらい」
「たぶん?」
「色々あって。——座って話しましょう」
岩の上に向かい合って座った。ルゥが私の隣に張りつき、シノは少し離れた場所で壁にもたれている。腕を組んで、ミラを睨んでいた。
ミラはシノに視線を移して——首輪を見て——表情を曇らせた。
「……その首輪」
「見るな」
シノが低く唸った。
「すみません。——でも、外から見た限り、かなり古い術式ですね。奴隷商のギルドが使う型に近い」
「…………」
シノの爪が自分の腕に食い込んでいる。
「シノ」
私が名前を呼ぶと、シノの力が少し抜けた。灰色の目が私を見て、また逸れた。
「ミラさん。単刀直入に聞きます。あなたが追われている理由は?」
「……宮廷の研究資料を持ち出しました。禁術に分類される解呪の理論書です」
「禁術?」
「国が管理している——というか、隠している技術です。奴隷制度を根底から揺るがしかねないから」
ミラの目が、静かな怒りを帯びた。穏やかな印象の奥に、硬い芯がある。
「奴隷の首輪を外す技術が広まれば、今の王国の経済構造が崩壊します。だから禁術。知っているだけで罪になる」
「……それを持ち出した」
「ええ。馬鹿なことをしたと思いますか?」
「思わない」
即答した。自分でも驚くくらい迷いなく。
ミラが目を瞠った。
「——外せるんですね? シノの首輪」
「……正確には、試してみないとわかりません。でも理論上は可能です。時間と、それなりの魔力があれば」
沈黙が落ちた。
水が滴る音だけが、部屋を満たしている。
「ルゥ」
「うん」
「シノ」
「……なに」
「二人はどう思う?」
ルゥが真っ先に答えた。
「ルゥは、ミラさんいい人だとおもう。においがやさしい」
シノは長い沈黙の後——ぼそりと。
「……勝手にしろ」
それは否定ではなかった。シノなりの、精一杯の譲歩だった。
私はミラに向き直った。
「条件があります」
「はい」
「シノの首輪を外すこと。それから——このダンジョンの防衛に協力すること。前にここを襲ってきた連中がいます。また来るかもしれない」
「承知しました。——それと、もうひとつ」
「何ですか?」
ミラが微笑んだ。穏やかで、でもどこかいたずらっぽい笑み。
「凛さんとお呼びしてもいいですか? 『ダンジョンマスターさん』は長いので」
「——どうぞ」
こうして、四人目が加わった。
暗い地の底の、小さな迷宮に。
ルゥがミラの手を引いて迷宮を案内する声が、通路に反響している。シノが「うるさい」と言いながらも後をついていく足音。ミラが「素敵な構造ですね」と感心する声。
コアの部屋で一人、私はその音を聞いていた。
三人になって。四人になった。
まだ何も解決していない。シノの首輪も外れていないし、あの男たちの脅威もある。ミラが本当に信頼できるかもわからない。
でも——
水の滴る音に混じって、笑い声が聞こえた。ルゥの笑い声だ。それに釣られるように、ミラの控えめな笑い声が重なる。
暗い。外の光は届かない。
でも、少しずつ——この場所が、ただの洞窟じゃなくなっていく気がした。
「……家、みたいだな」
呟いて、少し恥ずかしくなって、誰にも聞かれていないことを確認した。
コアの光が——ほんの少しだけ、強く輝いた気がした。