ダンジョンマスター系の短編、中編集   作:合歓木あやめ

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暗がりに咲く
第一話「地の底で、わたしは目を覚ます」


 暗い。

 

 それが、最初に分かったことだった。

 

 冷たい石の感触が頬に押しつけられている。身体の右半分が硬い地面に沈んでいて、左半分は湿った空気に晒されていた。少女は瞼を持ち上げた——はずだった。開いたのか閉じたのかすら判別できないほど、濃密な闇が視界を塗り潰している。

 

 水の滴る音が聞こえた。不規則に、どこか遠くで、ぽたり、ぽたり。反響の仕方からして、そこそこ広い空間の中にいるらしい。

 

 ——ここ、どこ。

 

 思考がうまく回らない。頭の中に霧がかかったみたいに、何もかもがぼやけている。自分の名前は分かる。美夜。高月美夜。十七歳。高校二年生。好きな食べ物は母が作る肉じゃがで、苦手な教科は世界史。あと、もう少しで期末テストだったはず。

 

 ——本当に?

 

 記憶を辿ろうとすると、唐突に鮮烈な映像が弾けた。

 

 横断歩道の白い線。右から突っ込んでくるヘッドライト。クラクション。誰かの叫び声。自分の口から漏れた短い悲鳴。それから——何か大きなものが身体にぶつかる感覚が——

 

 そこで途切れる。その先が、ない。

 

「……っ」

 

 起き上がろうとして、指先が石の地面を掻いた。爪の間に砂利が食い込む。腕に力が入らない。生まれたばかりの子鹿のように四肢が震えて、三度くずおれかけてから、ようやく上半身だけ起こすことができた。

 

 寒い。空気そのものが湿っていて、冷気が素肌にまとわりつくように全身を包んでいる。服は——着ている。薄手のワンピースのような、くるぶしまで届く白い衣。着覚えのない服だった。自分はこんなもの持っていない。

 

 目が少しずつ暗闘に馴染んでくると、完全な闇ではないことに気づいた。壁のあちこちに、ごく淡い青緑色の光が滲んでいる。発光する苔か、あるいは何かの鉱物。その頼りない微光に照らされて、少しずつ周囲の輪郭が浮かび上がった。

 

 洞窟だ。天井が低く、大人が五、六人も入ればいっぱいになるような狭い空間。壁は荒削りの岩肌で、足元は湿った砂利混じりの土。空気には土と水と、どこか甘い鉱物の匂いが混ざっていた。

 

 なぜ自分がこんな場所にいるのか、分からない。

 

 ただ——奥に、光があった。

 

 壁の苔とは比べものにならない、強い光。乳白色の輝きが洞窟の最奥から漏れ出していて、規則的にゆっくりと明滅を繰り返している。

 

 どくん。どくん。

 

 脈打っている。まるで、心臓みたいに。

 

 美夜は壁に手をついて、どうにか立ち上がった。足元が覚束ない。けれどその光から目を離せなかった。引力のようなものがあった。行かなければ、と思った。行きたい、ではなく、行かなければ。

 

 通路は短かった。身を屈めて数歩進むと、もう一つの空洞に出る。先ほどの部屋より少し広い。そしてそこを抜けて、さらに奥へ。一番奥まった小さな部屋の中央に——

 

 結晶体があった。

 

 こぶし二つ分ほどの大きさの、透き通った結晶。岩が隆起してできた天然の台座の上に、そっと置かれたように鎮座している。透明な硝子に似ているのに、奥を覗き込むと虹色の光の帯が揺らめいていた。あの脈動する光の源は、これだった。

 

 きれい、と思った。

 

 場違いな感想だと自分でも分かっている。何も分からない状況で、きれいとか言っている場合ではない。けれど、そう思わずにはいられなかった。

 

 手を伸ばしていた。指先が吸い寄せられるように、結晶の表面に触れ——

 

「……っ!」

 

 頭の中を、何かが駆け抜けた。

 

 言葉ではない。映像でもない。もっと原始的な、感覚の奔流。身体の芯を灼くような熱さと、氷水を流し込まれたような冷たさが同時に走って、視界が真っ白に弾けた。

 

 気がつくと、結晶から手を離して、二歩後ろによろめいていた。背中が壁にぶつかる。荒い息を吐きながら、押し寄せる情報の波に溺れそうになりながら、美夜は自分の中で何かが「書き換わった」のを感じた。

 

 知識——というよりも、本能。

 

 この結晶が何なのか、唐突に「分かった」。前から知っていたことを思い出したみたいに、するりと腑に落ちた。

 

 迷宮核(ダンジョンコア)。

 

 迷宮の心臓であり、この場所に魔力を巡らせる源。そして自分はその主。迷宮の主(ダンジョンマスター)。この結晶と、この洞窟と、切り離せない一つの存在。

 

 理解が、感情を追い越していた。

 

 頭では分かった。飲み込めた。けれど、心がまるで追いつかない。

 

 ——わたし、死んだんだ。

 

 あの横断歩道で。あのトラックに轢かれて。

 

 死んで——ここに来た。この暗い洞窟の底に、迷宮の主として。

 

 涙が零れたのは、不意打ちだった。泣くつもりなんてなかったのに、目の奥がじわりと熱くなって、頬を伝って、止められなかった。声は出なかった。ただ静かに、岩壁に背をつけたまま、美夜は泣いた。

 

 お母さん、と心の中で呼んだ。お父さん。

 

 返事はない。ここには水の音と、結晶の脈動と、自分の呼吸しかない。

 

 どれくらいそうしていたのか分からない。

 

 涙が枯れたとき、不思議と頭は冷えていた。泣いたことで何かのスイッチが切り替わったのか、さっきまで身体を覆っていた茫然自失の膜が剥がれ落ちて、思考が少しずつ動き出す。

 

「……泣いても、しかたない」

 

 声に出して言ったのは、自分に聞かせるためだった。初めて耳にした自分の声は、思ったよりも高くて——前の声と、微妙に違うような気がした。

 

 ——考えよう。今、わたしにできることを。

 

 美夜は結晶の前に戻り、改めて両手をそっとその表面に載せた。今度は衝撃はなかった。穏やかな脈動が掌に伝わり、意識がゆるやかに広がっていく。

 

 目を閉じると——迷宮が見えた。

 

 心の内側に、立体的な地図が浮かび上がる。自分がいる最奥の小部屋、短い通路を挟んだ中部屋、そこから二又に分かれる道。片方はすぐに行き止まり。もう片方が——外に続いている。

 

 開いた目で見るのとは全く違う。暗闇も壁も関係なく、迷宮全体が手のひらの上に載った箱庭のように把握できる。

 

「小さい……」

 

 部屋が三つ。通路が三本。それで全部。家で言えば、ワンルームの間取りとほとんど変わらない。これが「迷宮」なのだとしたら、あまりにも頼りなかった。

 

 美夜はコアから手を離し、実際に歩いて確認することにした。最奥の部屋から中部屋へ出る。中部屋は天井が少しだけ高くて、六畳間ぐらいの広さがあった。壁には発光する苔がまばらに張りつき、足元に小さな水たまりができている。天井から染み出した地下水だろう。

 

 二又の一方——行き止まりの通路を覗き込む。三メートルほどで岩壁にぶつかって終わり。何の意味もない袋小路だ。

 

 そしてもう一方。外へ続く通路。

 

 足を踏み入れたのは、確認しなければ気が済まなかったからだ。もしかしたら出られるかもしれない。あの本能的な知識は間違いかもしれない。

 

 最初の数歩は、何ともなかった。

 

 けれど十歩ほど進んだところで、身体に異変が起きた。

 

 足が重くなった。肩に見えない手が載せられたように、一歩ごとに全身が沈んでいく。息が浅くなる。指先が痺れる。

 

 さらに三歩。

 

 膝が折れかけた。心臓が嫌な打ち方をして、視界の端がちらちらと明滅する。通路の奥に、白っぽい光がうっすらと見えた。あれが外だ。出口はもう近い。手を伸ばせば届きそうなのに、身体が石のように動かない。

 

 一歩踏み出すごとに、自分の中から何かが抜き取られていく感覚。魔力か、生命力か、あるいはそういう区別すらない何か。ただ確かなのは、このまま進んだら——壊れる。

 

 美夜は踵を返した。

 

 一歩引くと、嘘みたいに楽になった。二歩、三歩と後退するごとに圧迫感が薄れ、中部屋まで戻る頃には完全に元に戻っていた。

 

 壁に背をつけて座り込む。天井を仰いで、深く、長く息を吐いた。

 

「出られない、か」

 

 分かっていたことだ。コアに触れたときに流れ込んだ知識が、まさにそう告げていた。迷宮の主は、外気に晒されれば衰弱する。この岩の殻の中でしか生きられない。

 

 自分が嫌になった。分かっていたのに確認せずにいられなかった弱さが。確認して落ち込んでいる無駄さが。

 

「……でも」

 

 ここで諦めたら、それで終わりだ。

 

 美夜は立ち上がって、もう一度コアの部屋に戻った。

 

 結晶に手を触れ、集中する。

 

 さっきよりも落ち着いた気持ちで、流れ込んでくる感覚をゆっくりと読み解いていく。コアの奥に眠っている機能を、一つずつ手探りで確かめるように。

 

 やがて、一つの感覚に行きあたった。

 

 ——生成。

 

 迷宮の主は、魔力を介してコアから魔物を生み出せる。生まれた魔物は迷宮に属し、主の意思に従う。ただし「何が」生まれるかを指定することはできない。必要な魔力を注ぎ込めば、コアが何かを形作る。それだけ。

 

 ——ガチャじゃん。

 

 前世の語彙が、場違いな例えを引き出した。選べない。引いてみないと分からない。出るものは運次第。まさにそれだ。

 

 もう一つ、直感的に理解したことがある。一度生成を行うと、次に必要な魔力は倍になる。二回目は一回目の倍。三回目は二回目の倍。天井知らずに膨れ上がっていく。

 

 コアからは、魔力の残量が漠然と感じ取れた。数値やゲージが見えるわけではない。水瓶に手を入れて水位を確かめるみたいな、曖昧な感覚。今のところ——まだ余裕はある。二回引いたら厳しくなるが、一回ならば問題ない。

 

 美夜は唇を舐めた。

 

 何が出るか分からない。ハズレかもしれない。でも、このまま暗い洞窟で一人きりでいたら、きっとどうにかなってしまう。物理的にではなく、精神的に。

 

「——やってみよう」

 

 意識を集中する。コアに魔力を注ぐ。「やりたい」と思った瞬間、指先からすっと何かが吸い出される感覚があった。血を抜かれているのに近い。軽い目眩。水瓶の水位が、静かに下がる。

 

 結晶が、ひときわ強く輝いた。

 

 光が収束し、コアの手前の地面に小さな光の粒子が集まっていく。粒子が渦を巻き、固まり、形を成して——数秒後、光が消えた。

 

 そこに、それが、いた。

 

「…………スライム」

 

 青緑色をした、こぶし大の半透明な塊。つるりとした表面がぷるぷると小刻みに震えている。目も鼻も口もない。ただの——ゼリー状の何か。

 

 美夜はしばらく無言でそれを見下ろした。

 

 期待していたものが何だったのかは自分でもよく分からない。けれど、わずかに力が抜けたのは事実だった。

 

「……スライム、かぁ」

 

 ぷるん。

 

 声に反応したのか、スライムが揺れた。のろのろと地面を這って、美夜の足元まで近づいてくる。透き通った体内に、ごく小さな光の粒が一つ浮かんでいた。淡い青緑の光。蛍の尻みたいに、ぽうっと明滅している。

 

 ——少しだけ、かわいい。

 

「お前、わたしのこと分かる?」

 

 ぷるん。

 

「分かってないよね」

 

 ぷるぷる。

 

 会話にはならない。返事なのか、ただの生理現象なのかも判別できない。

 

 それでも。

 

 この暗い洞窟に、自分以外の「生きている何か」がいるという事実は、思った以上に大きかった。美夜はスライムの前にしゃがみ込んで、おそるおそる指先で触れてみた。ぷにっとした感触。ひんやりしていて、僅かに弾力がある。指を離すと、触れた箇所がゆるゆると元の形に戻った。

 

「ルリ」

 

 ぷる?

 

「お前の名前。ルリ。瑠璃色だから」

 

 ぷるるん。

 

 名前を口にした瞬間、コアを通じた繋がりが変化した。ぼんやりとしか感じられなかったスライムの存在が、少しだけ鮮明になる。位置も、状態も、さっきより確かに把握できる。名前を与えるということには、何か意味があるらしい。

 

 ルリは美夜の足元にぴったりと寄り添うように丸くなった。猫が飼い主の足に擦り寄るのと、どこか似ている。

 

「……よろしくね、ルリ」

 

 ぷるん。

 

 返事かどうかは分からないけれど、そういうことにした。

 

 コアに手を戻し、美夜はもう一つの感覚を探った。

 

 通路のことだ。この迷宮には外へ続く一本の道がある。美夜にとっては恐怖の出口だが——コアが教えてくれた知識によれば、あの通路には別の役割がある。

 

 血管。

 

 迷宮の通路は、外界から魔力を取り込むための血管のような機能を持つ。コアまでの導線が太く、長いほど、流れ込む魔力の量が増える。今のこの迷宮は細い毛細血管が一本通っているだけの状態。取り込める魔力はごく僅かだろう。

 

 つまり、迷宮を広げれば広げるほど、魔力の収入は増える。魔力が増えれば、もっと多くの魔物を生み出せる。生み出した魔物が迷宮を守れば、コアは安全になる。

 

 ——でも、通路を広げるということは、外から何かが入ってきやすくなるということでもある。

 

 盾と穴が同じものでできている。なんとも厄介な仕組みだった。

 

 美夜は指先で結晶の表面を撫でた。脈動がゆっくりと指に伝わってくる。

 

「もう一回、引こうか」

 

 独り言。ルリが足元でぷるんと揺れた。

 

 二回目のコストは一回目の倍。水瓶の水位はそれでかなり減る。三回目はまず無理だろう。でも——

 

 美夜は通路の先に目をやった。外に繋がるあの道。今は何も来ていない。けれど、いつまでもそうだという保証はどこにもない。

 

 コアに触れたとき、断片的に流れ込んできた知識の中に、不穏なものがあった。ダンジョンコアは魔力を蓄えるほど価値が高まる。それを狙う者がいる——冒険者、盗賊、あるいはもっと別の何か。若い迷宮は格好の獲物だ。守りが薄く、コアが浅い場所にあり、抜き取るのが容易い。

 

 今の自分の迷宮は、まさにその「格好の獲物」そのものだった。

 

 戦力が要る。スライム一匹では話にならない。

 

「——引くよ」

 

 覚悟を決めて、両手をコアに押し当てた。意識を集中し、魔力を注ぎ込む。

 

 一回目とは感覚が全く違った。倍の魔力が、一気に引き抜かれる。指先が冷たくなる。頭が重くなる。膝に力が入らなくなって、歯を食い縛って堪えた。

 

 ——重い。

 

 水瓶の水位がみるみる下がっていく。底が見えそうなほどに。身体から何か大事なものが流れ出していく感覚に、反射的に手を離したくなった。でも止めたら、注いだ分が無駄になる気がして——

 

 結晶が光を放った。

 

 一回目よりもずっと強く、ずっと長い。美夜は目を細めた。光の粒子がコアの前方に集まり、渦を巻き、形を成していく。スライムのときとは規模が違う。光の量も、密度も、集束にかかる時間も。

 

 光が、人の形を取った。

 

 美夜は目を見張った。

 

 光が晴れると——そこに、少女がいた。

 

 いや、少女と呼ぶには、人間離れしていた。

 

 上半身は人の形をしている。美夜よりも少し年上に見える顔立ち。肩を過ぎてなお伸びる銀糸のような長い髪が、暗い洞窟の中で仄かに光っていた。肌は白磁のように滑らかで白い。切れ長の目の虹彩は深い紫色。そしてその瞳孔は——丸ではなく、縦長だった。

 

 美夜の視線が下がる。腰から下。

 

 八本の脚があった。

 

 光沢のある暗灰色の外骨格に覆われた、大きな蜘蛛の下半身。節のある脚が石の床を静かに踏みしめ、体重を支えている。人間の上半身と蜘蛛の下半身が、腰の辺りで不思議なほど自然に繋がっていた。

 

 アラクネ。

 

 半人半蜘蛛の魔物の名が、コアから与えられた知識の中から浮かび上がった。

 

 美夜は動けなかった。スライムとは次元が違う。目の前に、人の顔をした、人の声で喋りそうな、けれど明らかに人ではない存在がいる。

 

 アラクネの少女は、生まれ落ちたその場で静かに身じろぎした。八本の脚が石の床を繊細に叩く音が響く。紫の瞳がゆっくりと開き、焦点が合い——美夜を捉えた。

 

 数秒の沈黙。

 

 そしてアラクネは、ゆっくりと上半身を折り、深く頭を垂れた。銀の髪が床に流れる。

 

「——主さま」

 

 声は、低くもなく高くもなく、水が澄むような透明さがあった。

 

「え、あ——しゃべ……」

 

「お目覚めを——と申し上げるべきなのかは分かりかねますが。わたくし自身、たった今生まれたばかりですので」

 

 流暢な言葉だった。スライムとは天と地の差だ。美夜は口を半開きにしたまま固まっている。足元でルリがぷるぷると震えていた。怯えているのか、興奮しているのか。

 

「あなた——言葉、分かるの」

 

「はい。この身に刻まれた知識は多くありませんが、言葉は解します。主さまがこの迷宮の主であること、そしてわたくしが主さまの迷宮より生まれたものであることも」

 

 頭を上げないまま、アラクネは続けた。

 

「お命じください。わたくしはそのためにここにおります」

 

 主さま、という呼び方に面食らう。命令を待つその姿勢に、居心地の悪さを感じる。

 

「……頭、上げて。わたし、そんな偉い者じゃないから」

 

 アラクネが顔を上げた。紫の瞳が真っ直ぐに美夜を映す。思ったよりも近い距離に整った顔があって、どきりとした。

 

「わたしの名前は美夜。高月美夜。主さまはちょっと……やめてほしい」

 

「では、美夜さま」

 

「『さま』も——」

 

 そこまで言いかけて、やめた。今はそんなことを議論している場合じゃない。

 

「……まあ、いいか。いい。今はいい」

 

 アラクネの少女が、微かに首を傾げた。銀の髪がさらりと揺れる。

 

「一つ、お願いがございます」

 

「え?」

 

「名を、いただけますか」

 

 美夜は瞬きをした。

 

「この身は主さまの迷宮より生まれたもの。名は存在の根です。先ほどあのスライムに名をお与えになったとき、繋がりが強まるのをお感じになったはず」

 

 言われてみれば、その通りだった。ルリに名前をつけた瞬間、コアを通じた知覚が明確になった。

 

 美夜は銀色の髪を見た。暗い洞窟の中で仄かに光るその色は、月光にどこか似ていた。それから、白い肌。紫の瞳。全体的に、色が淡い。

 

「——シロ」

 

「シロ」

 

「ごめん、安直だよね。銀色で白っぽいから……別のがよければ」

 

「いいえ」

 

 シロと名付けられたアラクネが、口元をわずかに緩めた。笑った、と断言はできない。けれど、その紫の瞳に浮かんだものは、確かに柔らかかった。

 

「シロ。お受けいたします」

 

 名を与えた瞬間、コアとの繋がりが大きく変わった。ルリの時とは比べ物にならない。シロの存在が、迷宮という身体の一部として深く組み込まれるのを感じる。位置、状態、感情の輪郭まで、淡く伝わってくる。

 

「シロ、聞きたいことが山ほどあるんだけど——」

 

「はい。お答えできる範囲であれば。ただ——」

 

 シロの表情が変わった。

 

 柔らかさが消え、紫の瞳が鋭く細まる。八本の脚が石の床を打ち、身体の向きが変わった。通路の向こう——外へ繋がる方角を、射抜くように見据えている。

 

「——来ます」

 

「え?」

 

「足音が三つ。金属の擦れる音も。武装した者たちが、この迷宮に向かっています」

 

 美夜は息を呑んだ。耳を澄ませる。自分には何も聞こえない。水の滴る音と、自分の呼吸だけ。でもシロの八本の脚が石の床に張りつくように踏ん張っているのは、振動を拾っているのだと直感的に理解した。

 

「どれくらいで来る?」

 

「間もなく。入口に差し掛かる頃かと」

 

 心臓が跳ねた。

 

 遠くから——本当に微かに——声が聞こえた。

 

 人の声だ。複数。笑っている。

 

「——若い核だとよ。まだ碌な守りもねぇだろ」

 

「さっさと抜いて売っちまおうぜ。コアの相場、最近上がってんだ」

 

 軽い調子だった。これから誰かの心臓を奪いに行くとは思えない、荒っぽい笑い声。

 

 美夜の思考が急速に回転した。コアを抜かれたら、迷宮は死ぬ。迷宮が死んだら、主であるわたしも——

 

 手のひらが汗で滑った。指が震えている。

 

 戦力はスライム一匹とアラクネ一体。魔力の残りはほとんどない。迷宮は部屋が三つの細い洞窟。入口に罠もなければ、隠し通路もない。

 

 シロが美夜の前に立った。蜘蛛の身体が通路を塞ぐように位置取り、銀の髪の奥から覗く紫の瞳が、真っ直ぐに闇の奥を見据えている。

 

「美夜さま」

 

「……うん」

 

「主さまには、指一本触れさせません」

 

 その言葉は静かだった。力んでもいなければ、虚勢でもなかった。ただ事実を述べるように、シロは言った。

 

 頼もしかった。頼もしかったけれど——怖かった。ここには逃げ場がない。美夜の全てがこの迷宮で、迷宮の外には出られない。

 

 足元で、ルリがぷるぷると震えている。

 

 足音が近づいてくる。

 

 外気の匂いを含んだ風が、通路の奥からかすかに流れ込んできた。その冷たさが、美夜の肌を刺す。

 

「シロ」

 

「はい」

 

「わたしに、何ができる?」

 

 声は震えていた。でも、目は逸らさなかった。

 

 シロが振り返った。紫の瞳が、暗がりの中で美夜を映す。生まれて間もない瞳。けれどその奥に宿る光は——確かに、生きていた。

 

「まず、生き延びてください。それが全てです」

 

 足音が、また一歩近づいた。

 

 洞窟の最奥で、迷宮核がひときわ強く脈打った。美夜の心臓と同じリズムで。

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