すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果 作:ヤンデレすこすこ侍
第十五話
遠征だと言われた時、最初に思ったのは面倒だ、だった。
「北方旧街道沿いの監視砦にて、魔物の活性化が確認された」
朝一番、実技演習場に集められた俺たちを前に、ドミニク教師が腕を組んで立っていた。
声がでかい。
朝からだいぶでかい。
そして、その場には上級生もいた。
セレナやルシアンまでいる。
「本来なら騎士団案件だが、今回は規模が限定的だ。よって学院の実地遠征を兼ねる! 上級生数名、下級生からは成績優秀者と推薦者を選抜! 二泊三日、現地での警戒、索敵、連携、討伐を行う!」
ざわめきが広がる。
当然だ。
学院の実地演習は珍しくないが、遠征となると話は別である。
しかも北方旧街道。皇都近郊よりはるかに危険度が高い。
「なお」
教師がにやりと笑った。
「第三皇子殿下にも参加していただく」
「……」
視線が集まった。
うるさい。
今の間でだいたい言いたいことは分かる。
『え、来るの?』
『欠席常習なのに?』
『いやでも実技は強いって噂――』
聞こえてるぞ。
「それから、編入生フィーネ」
「はい」
隣で、いつもの落ち着いた声が返る。
「お前も行け」
「承知しました」
「即答か」
「必要かと」
「必要の圧が強い」
俺が小さく呟くと、フィーネはごく自然にこちらを見た。
「殿下」
「なんだ」
「準備期間は?」
「今聞くのか?」
「最短で整える必要がありますので」
「まだ参加が決まっただけだぞ」
「参加が決まった時点で、装備、行程、補給、想定敵性、同行者の顔ぶれ、指揮系統の確認は始めるべきかと」
「お前は本当に息をするみたいに仕事を増やすな」
フィーネは少しだけ首を傾げた。
「遠征ですよ?」
「知ってる」
「でしたら」
「正論で殴るな」
横で、誰かが吹き出した。
見ると、セレナだった。
学生会長は相変わらず涼しい顔でこちらを見ている。
「よい機会ですね、殿下」
「何がだ」
「学院の皆様に、噂ではなく実物をお見せする機会です」
「物騒な言い方をするな」
「事実でしょう?」
否定しづらいのが腹立つ。
しかもその横では、ルシアンまで上品な笑みを浮かべていた。
「ご一緒できて光栄です、殿下」
「その顔で言うとだいたい裏があるんだよな」
「心外です」
「便利だな、その返し」
「殿下ほどでは」
最近、周囲の連中までこういう返しを覚え始めてないか?
悪影響だと思う。
***
準備期間は二日。
短い。
だがフィーネにとっては十分だったらしい。
「殿下、こちらが行程表です」
「早い」
「同行者一覧と簡易評価です」
「怖い」
「携行食の内訳、現地の水源位置、想定される魔物の行動範囲、監視砦の過去十年分の報告書抜粋も」
「怖いって」
出発前日の夜、俺の机の上には綺麗に整理された紙束が積み上がっていた。
たった二日である。
たぶん普通の人間なら半分で投げる。
「お前」
「はい」
「寝たか?」
「六刻ほど」
「本当か?」
「半分ほど」
「減ってるじゃねえか」
フィーネは紙を揃えたまま、静かに言った。
「殿下は?」
「五刻」
「少ないですね」
「お前にだけは言われたくない」
「承知しております」
そう言うくせに、彼女の目の下にはほんの少しだけ薄い影がある。
本人は隠しているつもりだろうが、最近は分かる。
「フィーネ」
「はい」
「今回の遠征、お前は証明の機会とかそういうのを考えてるだろ」
「考えております」
「即答か」
「必要ですので」
「だろうな」
まあ、分かる。
学院で認められつつあるとはいえ、実地はまた別だ。
教室と演習場で見せる才覚と、遠征で生き残る才覚は同じではない。
「でも」
俺は椅子にもたれた。
「無茶はするな」
「殿下こそ」
「先に返すな」
「対等ですので」
「便利だな、その理屈」
「今回は特に」
フィーネは少し間を置いてから、いつもより静かな声で続けた。
「ですが」
「ん?」
「少しだけ、安心しています」
「何が」
「殿下がご一緒なので」
さらっと言うな。
本当に心臓に悪い。
「……お前」
「はい」
「遠征前にそれを入れるな」
「事実確認ですが」
「心拍に悪い方向のな」
フィーネはほんの少しだけ目を和らげた。
「ですが、殿下も同じでは?」
「同じ?」
「殿下も少しだけ、安心しておられますよね」
「……」
ずるい。
そういう声を出す時だけ、妙に柔らかいんだよな。
***
北方旧街道は、穏やかな場所ではなかった。
皇都を出て半日。
整備された石畳は徐々に荒れ、左右の森は濃くなり、空気には冷たい鉄みたいな匂いが混じってくる。
古い交易路だった名残で道幅だけは広いが、今は通る商隊も少ない。
遠くに灰色の砦壁が見えた時、誰もが少しだけ息を吐いた。
「思ったより、空気が重いですね」
フィーネが馬車の窓から外を見て呟く。
「分かるのか」
「はい。森が静かすぎます」
「……」
俺も同じことを思っていた。
鳥の声が少ない。
風の流れに対して、草木のざわめきが妙に鈍い。
生き物が隠れているというより、何かを避けている感じだ。
「殿下」
向かいに座るセレナが口を開く。
「何だ?」
「お気づきですか」
「ああ」
「では、想定より深いですね」
「そうなるな」
ルシアンが苦い顔をする。
「騎士団からの報告では、群れの活性化は中規模と」
「報告が古いか、現地が崩れたかのどっちかだ」
俺が言うと、ドミニク教師が低く唸った。
「面倒だな」
「珍しく意見が合うな、ドミニク教師」
「殿下と意見が合う時は、たいていろくでもない時だ」
それはそう。
砦に着いた時点で、嫌な予感は確信に変わった。
外壁の一角が抉れている。
見張り台の一本は半ばから折れ、地面には焼けた跡と爪痕が混在していた。
駐留していた警備兵たちの顔色も悪い。
「報告よりひどいな」
俺が言うと、迎えに出てきた隊長格の男が苦い顔で頭を下げた。
「申し訳ありません、殿下。三日前から急激に」
「謝る相手が違う。状況を言え」
「はっ。最初は狼型が中心でした。ですが昨夜から別種が混ざり始めています。牙猪、岩猿、影蝙蝠……そして、まだ確定ではありませんが」
「大物がいるな」
「……はい」
空気が固まる。
学院生たちの顔色が明確に変わった。
無理もない。
狼型や牙猪ならまだしも、群れの後ろに上位個体がいるとなると話が違う。
「撤退も視野に入れますか」
セレナが即座に尋ねる。
判断が早い。嫌いじゃない。
だが俺は、砦の向こうに広がる森を見た。
その先には小さな開拓村が二つある。
ここで引けば、群れはそっちへ流れるだろう。
「遅い」
「殿下?」
フィーネが俺を見る。
「もう向こうは動いてる」
言った瞬間だった。
森の奥から、低く長い咆哮が響いた。
空気がびり、と震える。
次いで、木々の間から黒い影がいくつも飛び出してきた。
「来るぞ!」
ドミニク教師の怒号。
次の瞬間、砦前の空気が一気に戦場へ変わった。
狼型が先頭。
その後ろに牙猪。
さらに上から影蝙蝠の群れ。
数が多い。
想定演習の規模じゃない。
「防壁前へ! 下級生は後ろ! 術者は左右へ散れ!」
教師と騎士たちが動く。
セレナがすぐに上級生へ指示を飛ばし、ルシアンが負傷兵の退避経路を開けた。
悪くない。
むしろかなりいい。
だが――足りない。
前線が噛み合う前に、二頭の牙猪が防壁杭をぶち折った。
影蝙蝠が上から入る。
悲鳴。
魔術の光。
土煙。
「殿下!」
フィーネの声。
俺は一歩前に出た。
「セレナ! 右翼まとめろ! ルシアン、退避優先! ドミニク教師、左翼の穴を塞げ!」
皆、言われた通りに即座に動き出す。
いい。
こういう時に無駄な面子を挟まないのは助かる。
「フィーネ」
「はい」
「お前は?」
「殿下の視界内に」
「正解だ」
彼女の灰銀の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
すぐに理解したのだろう。
俺が今から、加減をだいぶ捨てることを。
「少しだけ、楽しそうですね」
こんな時に、それを言うか。
「久々に」
俺は剣を抜いた。
「始まる前から終わってない戦いだからな」
魔力を流す。
空気が軋んだ。
周囲の生徒たちが、反射的に一歩下がるのが分かった。
「下がってろ」
前へ出る。
狼型が三頭、同時に飛びかかってきた。
遅い。
一閃。
剣筋に沿って圧縮した風が走り、三頭まとめて吹き飛んだ。
着地の前に二頭目の牙猪。
正面から来る。
面倒なので、そのまま斬った。
硬い皮膚も骨も、魔力で強化した刃には意味がない。
断ち切った衝撃がそのまま後ろの地面を抉り、土煙が上がる。
ざわ、と背後が揺れた。
「……は?」
誰かが間抜けな声を漏らした。
うん、分かる。
演習で見るのと、実戦で真正面から見るのは別物だ。
だが本番はここからだ。
「上!」
フィーネの声。
見なくても分かる。
影蝙蝠が群れで降ってくる。
俺は左手を上げた。
詠唱はしない。
面倒だからだ。
空気中の魔素をまとめ、圧し、束ね、落とす。
次の瞬間、空が白く裂けた。
雷だった。
一本ではない。
十、二十、三十。
細く、鋭く、狂いなく。
落雷の槍が影蝙蝠だけを貫き、味方の頭上すれすれを通って地面へ縫い止める。
悲鳴ではなく、沈黙が広がった。
ああ、そうだよな。
普通、こういう撃ち方はしない。
範囲魔術は威力か精度のどちらかが落ちる。
だから広く焼くか、狭く穿つかの二択になる。
両方やればいいだけなのだが、なぜかみんな難しがる。
「ぼ、暴論だ……」
後ろで誰かが呟いた。
口に出てたか。
だが雑魚は片づいた。
問題はその奥だ。
森が割れた。
木々をへし折りながら現れたのは、黒い甲殻を持つ大蜥蜴――いや、あれはもう亜竜に近い。
頭部にはねじれた角が二本。
背から尾まで岩みたいな棘が並び、吐く息が白く煙っている。
警備隊長の顔が引きつった。
「黒殻の地竜……!」
聞いたことはある。
この規模の監視砦が相手取る想定じゃない。
下手をすれば騎士団の中隊規模だ。
「撤退を!」
誰かが叫ぶ。
正しい判断だ。
だが、遅い。
地竜が一歩踏み込んだだけで地面が揺れ、砦前の杭列がまとめて弾き飛んだ。
学院生の何人かが体勢を崩す。
その隙を狙うように残存の狼型が回り込む。
「セレナ!」
「分かっています!」
彼女が即座に障壁班へ指示を出し、ルシアンが生徒二人を引きずるように退避させる。
悪くない。
だが、間に合うかは別だ。
「殿下」
フィーネが低く呼んだ。
「言え」
「喉です」
「……ああ」
「甲殻は厚いですが、喉元の内側だけ、魔力の流れが乱れています」
「よく見たな」
「見えますので」
そんなところまで見るか。
いや、見るんだよな、こいつは。
「なら」
俺は一度だけ剣を振って血を払った。
「そこを貫く」
「お一人で?」
フィーネが問う。
静かな声だ。
だが、その奥に焦りがある。
「当然だろ」
「当然ではありません」
「いや、当然だ」
「殿下」
「大丈夫だ」
振り向かずに言う。
「お前が見てる」
背後が、ほんの一瞬だけ静かになった。
次いで、フィーネの声が落ちる。
「……はい」
それだけで十分だった。
俺は踏み込んだ。
地竜が咆哮し、前脚を振り下ろす。
真正面から迎える。
普通なら潰れる。
だから普通じゃないやり方をする。
剣へ魔力を集中。
密度を上げる。
さらに上げる。
視界の端が白むくらいまで圧し固め、一息で放つ。
打ち上げた斬撃は、形を持った。
光の刃。
いや、そんな綺麗なものじゃない。
空気ごと断ち割る暴力だ。
地竜の前脚が、途中から消えた。
切断。
遅れて、轟音。
吹き飛んだ巨体が体勢を崩す。
周囲の生徒が息を呑む気配。
それでもまだ死なない。
さすがに丈夫だ。
地竜が狂ったように尾を薙ぐ。
地面が抉れ、石と土が飛ぶ。
俺はそれをかわしながら懐へ潜り込んだ。
近い。
喉が見える。
そこへ、地竜の口腔が光った。
ブレスか。
面倒だな。
「殿下、右!」
フィーネ。
遅い。もう読んでる。
俺は地竜の顎を蹴り上げた。
逸れたブレスが上空へ抜け、雲を一部吹き飛ばす。
青空が裂けたみたいに見えた。
そのまま、剣を逆手に持ち替える。
「終わりだ」
低く呟いて、突き込んだ。
喉奥へ。
乱れた魔力の核へ。
深く、深く、最後まで。
次の瞬間、地竜の全身が内側から裂けるように発光した。
圧縮した俺の魔力が体内で暴れ、逃げ場を失って爆ぜる。
轟――と、鈍い破裂音。
巨体が揺れる。
一歩。
二歩。
そして、山みたいに崩れ落ちた。
静寂だった。
さっきまで悲鳴と怒号と衝撃音で満ちていた砦前が、嘘みたいに静かになっている。
残っていた小型の魔物たちも、主を失ったせいか散り始めた。
俺は剣を抜き、振って、血を払う。
終わりだ。
「……殿下」
最初に声を出したのはドミニク教師だった。
でかい男が、珍しく本気で呆れた顔をしている。
「今のを、学生の実地遠征で見せるか普通」
「見せたくて見せたわけじゃない」
「いや見せただろうが」
「相手が悪い」
「それはそうだが!」
あちこちで硬直が解ける。
警備兵たちが歓声を上げ、生徒たちはまだ半分放心している。
ルシアンですら笑みを忘れていた。
セレナは額にかかった髪を払って、ひどく静かな目で俺を見る。
「……噂より、だいぶひどいですね」
「褒めてないだろ」
「最大級に評価しております」
それはたぶん褒めてない。
そして、最後に。
フィーネが歩いてきた。
血も土も避けず、まっすぐに。
その灰銀の目は、いつもより少しだけ大きく開かれていた。
驚いている。
たぶん、心底から。
「どうした」
俺が言うと、彼女は俺の目の前で立ち止まった。
「……ひとつ、訂正を」
「何を」
「私は、殿下の隣まで来る距離を、多少は見誤っておりました」
「おい」
「想定より、ずっと遠いです」
「傷つく言い方だな」
「ですが」
フィーネは、ほんの少しだけ息を吐いた。
「遠いと分かったので、詰め方も分かりました」
「……」
「ますます、行きたくなりました」
「重い」
「承知しております」
そこでようやく、俺は笑った。
「お前、こういう時までそれか」
「こういう時だから、です」
「そうかよ」
フィーネの視線が、俺の右手へ落ちる。
さっき地竜の顎を蹴り上げた時に、少し皮が裂けたらしい。
自分では大したことないと思っていたが、こいつの目は誤魔化せない。
「手を」
「平気だ」
「嘘ですね」
「そこまでじゃない」
「ここで隠されると、私が不機嫌になります」
「なんでだ」
「殿下のお怪我を軽く扱われるのが嫌なので」
静かな声だった。
だが、妙に熱がある。
周囲の視線がまだ集まっているのに、それでも構わず言い切る辺りが実にフィーネだ。
「……分かったよ」
手を差し出すと、彼女は持っていた布で手際よく血を拭った。
震えてはいない。
でも指先は少しだけ硬い。
「怖かったか」
何となく聞くと、フィーネは手当てを続けたまま答えた。
「はい」
「珍しいな」
「殿下が遠すぎて」
「そこか」
「ですが」
そこで、彼女はようやく顔を上げた。
「誇らしくもありました」
不意打ちだ。
今日は不意打ちが多い。
「……お前な」
「はい」
「戦闘直後にそういうのを入れるな」
「事実確認ですが」
「心臓に悪い方向のな」
フィーネが、ほんの少しだけ笑う。
それはいつもの薄い笑みより、ずっと柔らかかった。
その様子を見ていたセレナが、やれやれとでも言いたげに息を吐いた。
「学院へ戻れば、また騒がしくなりますね」
「だろうな」
「本日の件で、殿下を
「言い方」
「正確です」
「お前までその系統に寄るな」
ルシアンがようやく苦笑を取り戻した。
「……兄殿下が何と仰るか、今から少し楽しみです」
「俺は全然楽しくない」
「でしょうね」
「お前、最近そういう返し増えたな」
「学習しておりますので」
悪影響が深刻である。
だが――
砦前の風はまだ冷たく、血と土と焦げた匂いも残っている。
それでも、胸の奥は妙に澄んでいた。
久々だった。
始まる前から終わっていない勝負。
手加減抜きで踏み込む実戦。
そして、その全部を見た上で、なお隣へ来る気を失っていない灰銀の目。
「フィーネ」
「はい」
「遠いと思ったなら、なおさら来い」
「……はい」
「ただし」
「はい」
「無茶はするな」
「殿下の方こそ」
「お前ほんとそれ好きだな」
「非常に有効ですので」
俺はため息をついた。
周囲ではようやく生徒たちが動き始め、教師たちが損害確認に走っている。
遠征はまだ終わっていない。
片づけも報告も、たぶん帰った後の面倒も山ほどある。
だが、悪くなかった。
少なくとも今日、学院の連中はひとつ理解したはずだ。
フィーネが俺の隣へ来ようとしていること。
それが酔狂ではないこと。
そして――
俺が、そもそもどうして隣を空けているのかを。
面倒は増える。
間違いなく、とんでもなく増える。
けれど。
砦の崩れた外壁の向こう、薄曇りの空を見上げながら、俺は少しだけ口元を緩めた。
退屈は、もうどこにもなかった。