すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第十六話

 帰路の馬車は行きより静かだった。

 

 疲れているのだ。

 当然である。

 

 遠征先での実戦。

 想定以上の魔物活性化。

 挙げ句の果てに地竜まで出た。

 

 学院の実地演習としてはだいぶ可愛くない。

 

 俺は座席にもたれ、窓の外へ目を向けた。

 北方の森は少しずつ遠ざかり、荒れた街道もいずれ皇都近郊の整った道へ変わっていく。

 馬車の中には、微妙に血と薬草の匂いが残っていた。

 

「殿下」

 

 向かいから静かな声が飛んでくる。

 

「まだ起きておられますか」

「その質問、寝てたら返せないだろ」

「たしかに」

「で、何だ?」

 

 フィーネは膝の上の紙束を見下ろしたまま言う。

 

「仮の整理が終わりました」

「何の」

「本遠征における戦闘推移、同行者の行動評価、指揮系統の乱れ、現地警備兵の報告との差異、ならびに今後の改善点です」

「早い」

「遅いです」

「遅くはない」

 

 戦闘が終わって砦を出てから皇都へ戻るまでの間に、それをまとめるのはだいぶおかしい。

 急ぎすぎだ。

 俺がそう思っていると、隣でルシアンが小さく笑った。

 

「編入生殿は本当に休みませんね」

「休んでおります」

 

 俺は思わず口を挟んだ。

 

「どこが」

「移動中ですので」

「紙を見ながら言うな」

 

 すると、少し離れた席のセレナが本を閉じた。

 

「ですが、助かります」

「お前まで肯定するのか」

「今回の件。学院へ戻った瞬間から、事実より噂の方が早く回ります。先に整理された記録があるなら有効でしょう」

 

 俺は唸った。

 

「……それはそうだな」

 

 面倒だが、確実にそうなる。

 

 第三皇子が地竜を仕留めた。

 編入生がその隣で魔術制御を通した。

 学生会長も公爵家子息も同席していた。

 遠征先の監視砦は半壊寸前だった。

 

 これだけの材料があれば、皇都の貴族どもは三日は遊べる。

 

「でしたら」

 

 フィーネが紙を一枚抜き出した。

 

「先に主だった事実のみ、殿下へ共有を」

「まだやるか」

「必要ですので」

「便利だな、その言葉」

「ありがとうございます」

「褒めてない」

 

 フィーネは気にした様子もなく続けた。

 

「まず、学院生側の負傷者は軽傷七、重傷なし。これは殿下が地竜を引き受けてくださったことで、戦線の崩壊が防がれた影響が大きいです」

「そこは別にいい」

「よくありません」

「断言するな」

「断言します」

 

 相変わらず強い。

 

「殿下」

「なんだ」

「これは殿下の功績です」

「ああ」

「そして、私は殿下が自身を軽く扱うのが嫌いです」

「知ってる」

「認めてくれますか?」

「……ズルいな、その言い方」

 

 真っ直ぐな目をしていた。

 肩を落とした。

 

「分かったよ、認める。俺の功績だ」

 

 フィーネは満足げに頷いた。

 それから再び紙に視線を落とす。

 

「次に砦側の報告との齟齬ですが」

「ああ」

「活性化の規模そのものも問題ですが、それ以上に出現種が不自然です」

「……やっぱりお前もそう思うか」

 

 フィーネが頷く。

 

「狼型、牙猪、岩猿、影蝙蝠。生息域も行動様式も異なるものが、短期間で同一地点へ寄っています」

「自然発生じゃ説明しづらい」

「はい」

 

 馬車の空気が、少しだけ変わった。

 

 ルシアンが表情を消す。

 セレナも視線を上げた。

 

「人為的、と?」

 

 セレナが問う。

 

 フィーネは即答しなかった。

 少しだけ考え、それから慎重に言葉を置く。

 

「断言はできません。ですが、少なくとも、偶然で片付けるには出来すぎている、かと」

「……」

 

 その一言で十分だった。

 俺も同じ結論に寄っている。

 

 魔物の活性化、それ自体はまあ珍しくない。

 だが、あの場の寄り集まり方は妙だった。

 獣が騒いで群れると言うより、何かに押し出されたような集まり方だったのだ。

 

「殿下」

 

 今度はルシアンが口を開く。

 

「帰還後、この件は本宮へ?」

「行くだろうな」

「兄殿下も動かれますか」

「間違いなく」

 

 エドゥアルト兄上は面倒なことに鼻が利く。

 学院内の競争や派閥遊びならともかく、砦への襲撃に人の手が混じる可能性があるとなれば、見過ごさない。

 

「面倒だな」

 

 俺が素直に言うと、セレナが涼しい顔で返した。

 

「ええ、大変に」

「その同意、あまり嬉しくないな」

「ですが」

 

 彼女はちらりとフィーネを見る。

 

「今度ばかりは学院内の好き嫌いで済む話ではありません」

「分かってる」

 

 フィーネは一度だけ頷き、それから紙束を整えた。

 

「でしたら帰還後すぐ動けるよう、優先順位を組みます」

「休め」

「移動中に整理を終えれば、到着後の時間が浮きます」

「それを休息に使え」

「……善処します」

「信用できないな」

「殿下ほどでは」

「なぜそこで返す」

 

 けれど。

 そのやり取りに馬車の空気がわずかに緩んだ。

 

 皆、疲れている。

 少しでも気を抜けば、そのまま眠り落ちそうな程度には。

 それでも、誰も完全には気を抜いていない。

 

 遠征は終わった。

 だが、あの砦で起きたことは、たぶんここから先の方が面倒だ。

 

 そう思っていたら、フィーネがふいにこちらを見た。

 

「殿下」

「何だ」

「手、痛みますか?」

「大したことない」

「嘘ですね」

「そこまでじゃない」

「本日二度目です」

「回数で管理するな」

 

 すると、セレナが小さく息を吐いた。

 

「傷の軽重よりも、隠そうとすることの方が問題なのでは?」

「お前までか」

「当然です」

「お前ら、なんでこの件だけ妙に連携が良いんだ」

 

 フィーネが静かに答える。

 

「殿下がお怪我を軽く扱うからです」

「……」

 

 まっすぐ言われると、少しだけ弱い。

 

「分かったよ」

「では」

 

 彼女は自然な動きで俺の隣へ寄り、手当て布を取り出した。

 すでに一度応急処置は済んでいる。

 なのに、巻き直す手つきはやたら丁寧だった。

 

「強く締めるなよ?」

「血が滲んでいます」

「見なければ良かった」

「見ます」

「だろうな」

 

 フィーネの指先は落ち着いていた。

 だが、爪の先にだけ、ほんの少し力が入っている。

 砦で見せたあの顔を思い出す。

 

 怖かった、と言った。

 殿下が遠すぎて、とも。

 

「フィーネ」

「はい」

「俺が遠いと言ったな」

「はい」

「諦めるか?」

 

 彼女の手が一瞬だけ止まった。

 

「いえ」

「……」

「諦めません」

「そうか」

「殿下が遠いと分かって、私は嬉しくなりました」

「嬉しく?」

「誇らしく、なりました」

「……」

「同時に、やる気も湧いてきました」

「やる気」

「殿下」

「何だ」

「私の目指す場所が、殿下で、心から良かったと思っております」

 

 フィーネはほんの少し笑い、言った。

 重い。

 でも、むず痒い重さだ。

 

 彼女は巻き終えた布を確かめた。

 

「殿下がどんどん先に遠くに行ってしまったとしても」

「……」

「私はいつまでも殿下のことを追い続けます」

「怖い」

「承知しております」

「だが」

「だが?」

「……俺は待っている。たぶん、いつまでも」

「……」

 

 フィーネは黙った。

 

 その時、馬車が大きく揺れた。

 窓の外には皇都外郭の石壁が見え始めている。

 

 戻ってきたのだ。

 

 面倒事の本丸へ。

 

 

   ***

 

 

 面倒は予想通り門から始まっていた。

 

 学院に戻った途端、遠征に参加していない連中の視線が突き刺さる。

 驚愕、好奇、警戒、羨望、憶測。

 混ざりすぎていて少しうざい。

 

「うわ」

「殿下」

「分かってる。顔に出すなって言いたいんだろ」

「いえ」

「違うのか」

「すでにだいぶ出ておりますので、今さらかと」

「ひどくない?」

 

 荷を降ろす間にも、あちこちで声が飛ぶ。

 

『本当に地竜が?』

『殿下が前に出たって』

『いや、編入生もかなり――』

『学生会長が見ていたらしいぞ』

 

 ああもう。

 やっぱり三日は遊べる材料だ。

 

「殿下」

 

 ガレスが近づいてきた。

 

「本宮より呼び出しです」

「早いな」

「第一皇子殿下がお戻りを待っておられると」

 

 フィーネが隣で小さく息を整える気配がした。

 見ると、もう表情はいつもの静かなものに戻っている。

 

「同行しても?」

「来る気か」

「必要かと」

「だろうな」

 

 セレナがそこで一礼した。

 

「私は学院側の一次報告をまとめます」

「助かる」

「ルシアン様は?」

「僕は別経由で本宮へ顔を出します。公爵家経由でも話が動くでしょうから」

「お前ら、仕事が早いな」

「殿下ほどでは」

 

 最近、みんなしてそれを使う。

 本当に悪影響だ。

 

 

   ***

 

 

 本宮の応接間は相変わらず息苦しかった。

 

 豪華すぎる装飾。

 磨き抜かれた床。

 必要以上に静かな空気。

 そして、その中央に立つ兄上。

 

 第一皇子エドゥアルト・アズヴォルデは、俺を見るなり柔らかく笑った。

 笑っているが目は全然柔らかくない。

 

「無事で何より、レオン」

「どうも」

「遠征先でずいぶん派手にやったそうじゃないか」

「だいぶ盛られている気がするな」

「では、盛られていない部分だけ教えてくれ」

 

 逃がす気がない。

 知ってた。

 

 俺が肩を竦めると、兄上の視線がフィーネへ移った。

 

「フィーネ殿」

「はい」

「君から見て、レオンの働きは如何だったかな」

 

 フィーネは淡々と答える。

 

「思った以上でした」

「思った以上?」

「はい」

「思った以上とは?」

「そのままの意味です。私の想像よりも、殿下は遥かに遠い存在でした」

「なるほど」

 

 兄上は肩を落とした。

 そして、息をつくと、ふっと目を和らげた。

 

「君がそう言うなら間違いないのだろう」

「はい」

「レオン」

 

 兄上の視線がこちらに向いた。

 

「まずは、ご苦労だった」

「……俺は何もしていない」

「だが」

「だが?」

「やはり、君の才能は些か特出しすぎているようだ。良くも悪くもね」

 

 兄上は柔らかく笑った。

 俺の言葉は無視されたらしい。

 

 そして兄上は再びフィーネへと視線を向け直す。

 

「フィーネ殿」

「はい」

「レオンまでの道のりはほど遠い」

「はい」

「それでもいくか?」

「いきます。殿下がどれほど遠くにいようとも、私の目的は絶対に変わりません」

 

 即答だった。

 

「怖い」

 

 思わず言葉が口をついた。

 

「存じてます」

 

 フィーネは平然と言う。

 

 兄上は咳払いをすると、話を切り替えた。

 

「それでだ。遠征先の報告の概略は受けている。その中で、気になる点があった」

「ああ」

「地竜の出現だ」

 

 やっぱりそこか。

 

「北方旧街道沿いに地竜が現れる事例が全くない、とは言えない。だが、今回の出現位置と時間は妙だ。しかも、先行して複数種の魔物が砦へ寄っている」

 

 兄上の言葉にフィーネが頷く。

 

「同感です」

「君もそう見るか、フィーネ殿」

「断定は出来ませんが、不自然です」

 

 兄上は頷いた。

 

「騎士団も同意見だ。現地で痕跡を洗わせたところ、誘引痕に近いものが出ている」

「……」

 

 俺は思わず眉を顰めた。

 

「誘引痕?」

「そうだ」

「そんなものが出たのか」

「あくまで近い、だがな。術式としては粗い。だが、自然発生ではない可能性が高い」

「学院の遠征日程は伏せられていたはずだ」

「完全には」

 

 兄上が言う。

 

「動く人間が増えれば、情報は漏れる。しかも今回は学生会長、公爵家子息、皇族が同時に現地入りした」

「狙いが砦ではなく、そっちだった可能性もあると」

「考えるべきだろうな」

 

 応接間が静まり返る。

 

 なるほど。

 これで一気に話が変わった。

 

 ただの実地演習中の事故では済まない。

 学院の一件でも、皇族のちょっとした競争でもない。

 誰かが、意図して、あの場を荒らしたかもしれないのだ。

 

「面倒だな」

 

 俺が率直に言うと、兄上が苦笑いした。

 

「お前は本当に変わらないな」

「面倒は面倒だろ」

「そうだな」

 

 そして兄上は、今度は明確にフィーネを見た。

 

「君はどう動く」

「兄上」

 

 俺が先に口を挟む。

 

「なんだ」

「その聞き方はズルくないか?」

「なぜ」

「フィーネは、そう聞かれると全力で働き始めるので」

 

 俺の言葉にフィーネが口を挟む。

 

「殿下。まるで私が常日頃から全力で働いているような」

「働いているだろうが」

「……たしかに」

 

 認めるのかよ。

 

 兄上がとうとう声を立てて笑った。

 珍しい。

 その場で側近たちが一瞬だけ固まるくらいには珍しい。

 

「いいな」

「何がだ」

「お前がそこまで素でやっているのは、珍しいからな」

 

 兄上の笑みが少しだけ引き締まる。

 

「ならば聞こう、フィーネ殿」

「はい」

「この件で、まず何を優先する」

 

 フィーネはほんの一拍だけ考え、迷いなく答えた。

 

「漏洩経路の切り分けです」

「ほう」

「遠征日程、同行者構成、現地の警備薄弱時期。この三つのうち、どこまで相手が把握していたかで、内部に近いか外部に近いかが変わります」

「続けろ」

「はい。同時に、現地報告の遅延理由も確認が必要です。単なる混乱か、意図的な鈍化かで意味が変わります」

「……」

「最後に」

 

 フィーネの声は静かだった。

 だが、よく通る。

 

「殿下方の安全管理を、学院基準のままにしないことです」

「殿下方、か」

「はい。レオンハルト殿下、だけではございません」

「理由は?」

「狙いが誰か一人である保証がないからです」

 

 兄上が黙る。

 その沈黙は短かったが、重かった。

 

「レオン」

「何だ」

「お前、拾うもの、間違えていないか?」

「それ、どういう意味だ」

「優秀すぎる、と言っている」

「それは知っている」

 

 即答すると、兄上はまた少しだけ笑った。

 だが次の言葉は軽くなかった。

 

「分かった。この件は私の方でも動かす」

「兄上が?」

「皇族と上級貴族子弟がまとめて現地にいた。見過ごせるわけないだろう」

 

 兄上は立ち上がる。

 

「それと、フィーネ殿」

「はい」

「しばらく本宮側の記録官とも情報を突き合わせてもらう」

「承知しました」

「おい」

 

 俺はすぐ口を挟んだ。

 

「何だ」

「こいつに仕事を盛るな」

 

 俺の言葉にフィーネが言った。

 

「必要かと」

「必要でも、量を考えろ」

「殿下」

「何だ」

「ご安心ください」

「何が」

「睡眠は削りません」

「先にそこを言う辺りがもう怪しんだよ」

 

 兄上は俺たちを見て、少しだけ目を細めた。

 

「……本当に、面白い組み合わせだな」

「最近、面白がられることが増えた気がするな」

「だが、生き生きとしてる」

「……そうか?」

「ああ。私には少なくとも、そう見える」

 

 兄上は扉の方へ歩きかけ、それからふと思い出したように振り返った。

 

「ひとつだけ忠告しておく」

「何です」

「今回の件で、お前たちはもう学院内だけの噂では済まない」

「……」

「特にフィーネ殿。君は思っている以上に見られるようになる」

「承知しております」

「本当か?」

「はい」

 

 フィーネはまっすぐ答えた。

 

「見られること自体は問題ではありません」

「では問題とは?」

「誰の隣に立つかを、私がすでに決めていることです」

 

 おい。

 ここでそれを言うのか。

 

 兄上の側近たちの空気がぴしりと張る。

 だが、兄上だけはむしろ静かに頷いた。

 

「そうか」

「はい」

「なら、その言葉の重みは忘れるな」

「もちろんです」

 

 兄上が去り、応接間に沈黙が落ちる。

 しばらくして、俺は深く息を吐いた。

 

「お前」

「はい」

「兄上の前で、よくあれを言ったな」

「事実ですので」

「便利だな、その言葉」

「ありがとうございます」

「褒めてない」

 

 フィーネはほんの少しだけ口元を和らげた。

 

「ですが」

「何だ」

「殿下も止めませんでした」

「……」

「ですので、半分は殿下の責任かと」

「急に分配するな」

 

 だが、否定はしなかった。

 出来なかった、の方が近いかもしれない。

 

 遠征の前より、確実に何かが変わっている。

 学院の中だけではなく。

 本宮の空気も、兄上の視線も、俺たち自身の立ち位置も。

 

「殿下」

「何だ」

「退屈では、なくなりましたね」

「……そうだな」

 

 俺は立ち上がる。

 応接間の窓の向こう。

 夕暮れの本宮は妙に静かで、妙に不穏だった。

 

 地竜の件。

 漏れた遠征情報。

 兄上の介入。

 そして、本宮の記録官との突き合わせ。

 

 面倒は増えた。

 それも、とびきり質の悪い方向で。

 

 けれど。

 

「フィーネ」

「はい」

「無茶はするなよ」

「殿下の方こそ」

「やっぱりそれを返すのな」

「非常に有効ですので」

 

 俺は思わず笑った。

 

 ああ。

 たしかに、もう退屈ではない。

 

 たぶんここから先は、面倒どころか厄介ごとの塊だ。

 学院だけの話では終わらない。

 皇族も貴族も、たぶんそのうち騎士団まで巻き込む。

 

 それでも、悪くなかった。

 

 隣を見る。

 灰銀の目が、まっすぐこちらを見返してくる。

 遠いと知って、なお来る目だ。

 

「行くか」

「はい、殿下」

 

 その返答はいつも通り静かで。

 けれど、遠征前より少しだけ近かった。

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