すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果 作:ヤンデレすこすこ侍
帰路の馬車は行きより静かだった。
疲れているのだ。
当然である。
遠征先での実戦。
想定以上の魔物活性化。
挙げ句の果てに地竜まで出た。
学院の実地演習としてはだいぶ可愛くない。
俺は座席にもたれ、窓の外へ目を向けた。
北方の森は少しずつ遠ざかり、荒れた街道もいずれ皇都近郊の整った道へ変わっていく。
馬車の中には、微妙に血と薬草の匂いが残っていた。
「殿下」
向かいから静かな声が飛んでくる。
「まだ起きておられますか」
「その質問、寝てたら返せないだろ」
「たしかに」
「で、何だ?」
フィーネは膝の上の紙束を見下ろしたまま言う。
「仮の整理が終わりました」
「何の」
「本遠征における戦闘推移、同行者の行動評価、指揮系統の乱れ、現地警備兵の報告との差異、ならびに今後の改善点です」
「早い」
「遅いです」
「遅くはない」
戦闘が終わって砦を出てから皇都へ戻るまでの間に、それをまとめるのはだいぶおかしい。
急ぎすぎだ。
俺がそう思っていると、隣でルシアンが小さく笑った。
「編入生殿は本当に休みませんね」
「休んでおります」
俺は思わず口を挟んだ。
「どこが」
「移動中ですので」
「紙を見ながら言うな」
すると、少し離れた席のセレナが本を閉じた。
「ですが、助かります」
「お前まで肯定するのか」
「今回の件。学院へ戻った瞬間から、事実より噂の方が早く回ります。先に整理された記録があるなら有効でしょう」
俺は唸った。
「……それはそうだな」
面倒だが、確実にそうなる。
第三皇子が地竜を仕留めた。
編入生がその隣で魔術制御を通した。
学生会長も公爵家子息も同席していた。
遠征先の監視砦は半壊寸前だった。
これだけの材料があれば、皇都の貴族どもは三日は遊べる。
「でしたら」
フィーネが紙を一枚抜き出した。
「先に主だった事実のみ、殿下へ共有を」
「まだやるか」
「必要ですので」
「便利だな、その言葉」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
フィーネは気にした様子もなく続けた。
「まず、学院生側の負傷者は軽傷七、重傷なし。これは殿下が地竜を引き受けてくださったことで、戦線の崩壊が防がれた影響が大きいです」
「そこは別にいい」
「よくありません」
「断言するな」
「断言します」
相変わらず強い。
「殿下」
「なんだ」
「これは殿下の功績です」
「ああ」
「そして、私は殿下が自身を軽く扱うのが嫌いです」
「知ってる」
「認めてくれますか?」
「……ズルいな、その言い方」
真っ直ぐな目をしていた。
肩を落とした。
「分かったよ、認める。俺の功績だ」
フィーネは満足げに頷いた。
それから再び紙に視線を落とす。
「次に砦側の報告との齟齬ですが」
「ああ」
「活性化の規模そのものも問題ですが、それ以上に出現種が不自然です」
「……やっぱりお前もそう思うか」
フィーネが頷く。
「狼型、牙猪、岩猿、影蝙蝠。生息域も行動様式も異なるものが、短期間で同一地点へ寄っています」
「自然発生じゃ説明しづらい」
「はい」
馬車の空気が、少しだけ変わった。
ルシアンが表情を消す。
セレナも視線を上げた。
「人為的、と?」
セレナが問う。
フィーネは即答しなかった。
少しだけ考え、それから慎重に言葉を置く。
「断言はできません。ですが、少なくとも、偶然で片付けるには出来すぎている、かと」
「……」
その一言で十分だった。
俺も同じ結論に寄っている。
魔物の活性化、それ自体はまあ珍しくない。
だが、あの場の寄り集まり方は妙だった。
獣が騒いで群れると言うより、何かに押し出されたような集まり方だったのだ。
「殿下」
今度はルシアンが口を開く。
「帰還後、この件は本宮へ?」
「行くだろうな」
「兄殿下も動かれますか」
「間違いなく」
エドゥアルト兄上は面倒なことに鼻が利く。
学院内の競争や派閥遊びならともかく、砦への襲撃に人の手が混じる可能性があるとなれば、見過ごさない。
「面倒だな」
俺が素直に言うと、セレナが涼しい顔で返した。
「ええ、大変に」
「その同意、あまり嬉しくないな」
「ですが」
彼女はちらりとフィーネを見る。
「今度ばかりは学院内の好き嫌いで済む話ではありません」
「分かってる」
フィーネは一度だけ頷き、それから紙束を整えた。
「でしたら帰還後すぐ動けるよう、優先順位を組みます」
「休め」
「移動中に整理を終えれば、到着後の時間が浮きます」
「それを休息に使え」
「……善処します」
「信用できないな」
「殿下ほどでは」
「なぜそこで返す」
けれど。
そのやり取りに馬車の空気がわずかに緩んだ。
皆、疲れている。
少しでも気を抜けば、そのまま眠り落ちそうな程度には。
それでも、誰も完全には気を抜いていない。
遠征は終わった。
だが、あの砦で起きたことは、たぶんここから先の方が面倒だ。
そう思っていたら、フィーネがふいにこちらを見た。
「殿下」
「何だ」
「手、痛みますか?」
「大したことない」
「嘘ですね」
「そこまでじゃない」
「本日二度目です」
「回数で管理するな」
すると、セレナが小さく息を吐いた。
「傷の軽重よりも、隠そうとすることの方が問題なのでは?」
「お前までか」
「当然です」
「お前ら、なんでこの件だけ妙に連携が良いんだ」
フィーネが静かに答える。
「殿下がお怪我を軽く扱うからです」
「……」
まっすぐ言われると、少しだけ弱い。
「分かったよ」
「では」
彼女は自然な動きで俺の隣へ寄り、手当て布を取り出した。
すでに一度応急処置は済んでいる。
なのに、巻き直す手つきはやたら丁寧だった。
「強く締めるなよ?」
「血が滲んでいます」
「見なければ良かった」
「見ます」
「だろうな」
フィーネの指先は落ち着いていた。
だが、爪の先にだけ、ほんの少し力が入っている。
砦で見せたあの顔を思い出す。
怖かった、と言った。
殿下が遠すぎて、とも。
「フィーネ」
「はい」
「俺が遠いと言ったな」
「はい」
「諦めるか?」
彼女の手が一瞬だけ止まった。
「いえ」
「……」
「諦めません」
「そうか」
「殿下が遠いと分かって、私は嬉しくなりました」
「嬉しく?」
「誇らしく、なりました」
「……」
「同時に、やる気も湧いてきました」
「やる気」
「殿下」
「何だ」
「私の目指す場所が、殿下で、心から良かったと思っております」
フィーネはほんの少し笑い、言った。
重い。
でも、むず痒い重さだ。
彼女は巻き終えた布を確かめた。
「殿下がどんどん先に遠くに行ってしまったとしても」
「……」
「私はいつまでも殿下のことを追い続けます」
「怖い」
「承知しております」
「だが」
「だが?」
「……俺は待っている。たぶん、いつまでも」
「……」
フィーネは黙った。
その時、馬車が大きく揺れた。
窓の外には皇都外郭の石壁が見え始めている。
戻ってきたのだ。
面倒事の本丸へ。
***
面倒は予想通り門から始まっていた。
学院に戻った途端、遠征に参加していない連中の視線が突き刺さる。
驚愕、好奇、警戒、羨望、憶測。
混ざりすぎていて少しうざい。
「うわ」
「殿下」
「分かってる。顔に出すなって言いたいんだろ」
「いえ」
「違うのか」
「すでにだいぶ出ておりますので、今さらかと」
「ひどくない?」
荷を降ろす間にも、あちこちで声が飛ぶ。
『本当に地竜が?』
『殿下が前に出たって』
『いや、編入生もかなり――』
『学生会長が見ていたらしいぞ』
ああもう。
やっぱり三日は遊べる材料だ。
「殿下」
ガレスが近づいてきた。
「本宮より呼び出しです」
「早いな」
「第一皇子殿下がお戻りを待っておられると」
フィーネが隣で小さく息を整える気配がした。
見ると、もう表情はいつもの静かなものに戻っている。
「同行しても?」
「来る気か」
「必要かと」
「だろうな」
セレナがそこで一礼した。
「私は学院側の一次報告をまとめます」
「助かる」
「ルシアン様は?」
「僕は別経由で本宮へ顔を出します。公爵家経由でも話が動くでしょうから」
「お前ら、仕事が早いな」
「殿下ほどでは」
最近、みんなしてそれを使う。
本当に悪影響だ。
***
本宮の応接間は相変わらず息苦しかった。
豪華すぎる装飾。
磨き抜かれた床。
必要以上に静かな空気。
そして、その中央に立つ兄上。
第一皇子エドゥアルト・アズヴォルデは、俺を見るなり柔らかく笑った。
笑っているが目は全然柔らかくない。
「無事で何より、レオン」
「どうも」
「遠征先でずいぶん派手にやったそうじゃないか」
「だいぶ盛られている気がするな」
「では、盛られていない部分だけ教えてくれ」
逃がす気がない。
知ってた。
俺が肩を竦めると、兄上の視線がフィーネへ移った。
「フィーネ殿」
「はい」
「君から見て、レオンの働きは如何だったかな」
フィーネは淡々と答える。
「思った以上でした」
「思った以上?」
「はい」
「思った以上とは?」
「そのままの意味です。私の想像よりも、殿下は遥かに遠い存在でした」
「なるほど」
兄上は肩を落とした。
そして、息をつくと、ふっと目を和らげた。
「君がそう言うなら間違いないのだろう」
「はい」
「レオン」
兄上の視線がこちらに向いた。
「まずは、ご苦労だった」
「……俺は何もしていない」
「だが」
「だが?」
「やはり、君の才能は些か特出しすぎているようだ。良くも悪くもね」
兄上は柔らかく笑った。
俺の言葉は無視されたらしい。
そして兄上は再びフィーネへと視線を向け直す。
「フィーネ殿」
「はい」
「レオンまでの道のりはほど遠い」
「はい」
「それでもいくか?」
「いきます。殿下がどれほど遠くにいようとも、私の目的は絶対に変わりません」
即答だった。
「怖い」
思わず言葉が口をついた。
「存じてます」
フィーネは平然と言う。
兄上は咳払いをすると、話を切り替えた。
「それでだ。遠征先の報告の概略は受けている。その中で、気になる点があった」
「ああ」
「地竜の出現だ」
やっぱりそこか。
「北方旧街道沿いに地竜が現れる事例が全くない、とは言えない。だが、今回の出現位置と時間は妙だ。しかも、先行して複数種の魔物が砦へ寄っている」
兄上の言葉にフィーネが頷く。
「同感です」
「君もそう見るか、フィーネ殿」
「断定は出来ませんが、不自然です」
兄上は頷いた。
「騎士団も同意見だ。現地で痕跡を洗わせたところ、誘引痕に近いものが出ている」
「……」
俺は思わず眉を顰めた。
「誘引痕?」
「そうだ」
「そんなものが出たのか」
「あくまで近い、だがな。術式としては粗い。だが、自然発生ではない可能性が高い」
「学院の遠征日程は伏せられていたはずだ」
「完全には」
兄上が言う。
「動く人間が増えれば、情報は漏れる。しかも今回は学生会長、公爵家子息、皇族が同時に現地入りした」
「狙いが砦ではなく、そっちだった可能性もあると」
「考えるべきだろうな」
応接間が静まり返る。
なるほど。
これで一気に話が変わった。
ただの実地演習中の事故では済まない。
学院の一件でも、皇族のちょっとした競争でもない。
誰かが、意図して、あの場を荒らしたかもしれないのだ。
「面倒だな」
俺が率直に言うと、兄上が苦笑いした。
「お前は本当に変わらないな」
「面倒は面倒だろ」
「そうだな」
そして兄上は、今度は明確にフィーネを見た。
「君はどう動く」
「兄上」
俺が先に口を挟む。
「なんだ」
「その聞き方はズルくないか?」
「なぜ」
「フィーネは、そう聞かれると全力で働き始めるので」
俺の言葉にフィーネが口を挟む。
「殿下。まるで私が常日頃から全力で働いているような」
「働いているだろうが」
「……たしかに」
認めるのかよ。
兄上がとうとう声を立てて笑った。
珍しい。
その場で側近たちが一瞬だけ固まるくらいには珍しい。
「いいな」
「何がだ」
「お前がそこまで素でやっているのは、珍しいからな」
兄上の笑みが少しだけ引き締まる。
「ならば聞こう、フィーネ殿」
「はい」
「この件で、まず何を優先する」
フィーネはほんの一拍だけ考え、迷いなく答えた。
「漏洩経路の切り分けです」
「ほう」
「遠征日程、同行者構成、現地の警備薄弱時期。この三つのうち、どこまで相手が把握していたかで、内部に近いか外部に近いかが変わります」
「続けろ」
「はい。同時に、現地報告の遅延理由も確認が必要です。単なる混乱か、意図的な鈍化かで意味が変わります」
「……」
「最後に」
フィーネの声は静かだった。
だが、よく通る。
「殿下方の安全管理を、学院基準のままにしないことです」
「殿下方、か」
「はい。レオンハルト殿下、だけではございません」
「理由は?」
「狙いが誰か一人である保証がないからです」
兄上が黙る。
その沈黙は短かったが、重かった。
「レオン」
「何だ」
「お前、拾うもの、間違えていないか?」
「それ、どういう意味だ」
「優秀すぎる、と言っている」
「それは知っている」
即答すると、兄上はまた少しだけ笑った。
だが次の言葉は軽くなかった。
「分かった。この件は私の方でも動かす」
「兄上が?」
「皇族と上級貴族子弟がまとめて現地にいた。見過ごせるわけないだろう」
兄上は立ち上がる。
「それと、フィーネ殿」
「はい」
「しばらく本宮側の記録官とも情報を突き合わせてもらう」
「承知しました」
「おい」
俺はすぐ口を挟んだ。
「何だ」
「こいつに仕事を盛るな」
俺の言葉にフィーネが言った。
「必要かと」
「必要でも、量を考えろ」
「殿下」
「何だ」
「ご安心ください」
「何が」
「睡眠は削りません」
「先にそこを言う辺りがもう怪しんだよ」
兄上は俺たちを見て、少しだけ目を細めた。
「……本当に、面白い組み合わせだな」
「最近、面白がられることが増えた気がするな」
「だが、生き生きとしてる」
「……そうか?」
「ああ。私には少なくとも、そう見える」
兄上は扉の方へ歩きかけ、それからふと思い出したように振り返った。
「ひとつだけ忠告しておく」
「何です」
「今回の件で、お前たちはもう学院内だけの噂では済まない」
「……」
「特にフィーネ殿。君は思っている以上に見られるようになる」
「承知しております」
「本当か?」
「はい」
フィーネはまっすぐ答えた。
「見られること自体は問題ではありません」
「では問題とは?」
「誰の隣に立つかを、私がすでに決めていることです」
おい。
ここでそれを言うのか。
兄上の側近たちの空気がぴしりと張る。
だが、兄上だけはむしろ静かに頷いた。
「そうか」
「はい」
「なら、その言葉の重みは忘れるな」
「もちろんです」
兄上が去り、応接間に沈黙が落ちる。
しばらくして、俺は深く息を吐いた。
「お前」
「はい」
「兄上の前で、よくあれを言ったな」
「事実ですので」
「便利だな、その言葉」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
フィーネはほんの少しだけ口元を和らげた。
「ですが」
「何だ」
「殿下も止めませんでした」
「……」
「ですので、半分は殿下の責任かと」
「急に分配するな」
だが、否定はしなかった。
出来なかった、の方が近いかもしれない。
遠征の前より、確実に何かが変わっている。
学院の中だけではなく。
本宮の空気も、兄上の視線も、俺たち自身の立ち位置も。
「殿下」
「何だ」
「退屈では、なくなりましたね」
「……そうだな」
俺は立ち上がる。
応接間の窓の向こう。
夕暮れの本宮は妙に静かで、妙に不穏だった。
地竜の件。
漏れた遠征情報。
兄上の介入。
そして、本宮の記録官との突き合わせ。
面倒は増えた。
それも、とびきり質の悪い方向で。
けれど。
「フィーネ」
「はい」
「無茶はするなよ」
「殿下の方こそ」
「やっぱりそれを返すのな」
「非常に有効ですので」
俺は思わず笑った。
ああ。
たしかに、もう退屈ではない。
たぶんここから先は、面倒どころか厄介ごとの塊だ。
学院だけの話では終わらない。
皇族も貴族も、たぶんそのうち騎士団まで巻き込む。
それでも、悪くなかった。
隣を見る。
灰銀の目が、まっすぐこちらを見返してくる。
遠いと知って、なお来る目だ。
「行くか」
「はい、殿下」
その返答はいつも通り静かで。
けれど、遠征前より少しだけ近かった。