すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果 作:ヤンデレすこすこ侍
奴隷市から戻る道中、俺はずっと上機嫌だった。
ついに見つけたのだ。
俺に真正面から物を言ってくる同年代の人間を。
しかもただ反抗的なだけじゃない。
ちゃんと頭が回る。
言葉の芯がぶれない。
何より、俺を見ていた。
第三皇子の肩書きでも、金でも、顔でもなく。
何を考えている人間かを見ようとしていた。
最高である。
「殿下」
「なんだ、ガレス」
「顔が気持ち悪うございます」
「減俸するぞ」
「本日はもう十二回目でございます」
馬車の向かいに座るガレスは、いつも通り無表情だった。
その隣で、フィーネは静かに座っている。
檻から出した時のぼろ布のままではさすがにまずいので、途中で外套だけは買い与えた。
それを羽織った彼女は、窓の外を見ていた。
騒がない。
怯えない。
質問攻めにもしてこない。
だが、無関心というわけでもない。
視線の動きがいちいち鋭い。街路の造り、兵の配置、通る門の数、馬車の質、御者の手綱さばきまで見ている気がする。
やはり当たりだな、こいつ。
「フィーネ」
「はい」
「着いたら、まず風呂と飯と医者だ」
「……ずいぶん順番が生活的ですね」
「生活が大事だからな」
「皇族の方は、もっとこう……名前を与えるとか、忠誠を誓わせるとか、そういうのから始まるものかと」
「面倒だろ、そういうの」
「雑ですね」
「効率的と言え」
フィーネはほんの少しだけ口元を緩めた。
それを見て、俺の機嫌はさらに上向く。
やはり、会話が成立するというのは素晴らしい。
しばらくして馬車は城ではなく、俺の管理する離宮のひとつに入った。
本宮に連れて行くと人目が多すぎるし、説明が面倒だ。ここなら俺の息がかかった者しかいない。
門をくぐった瞬間、フィーネの目がわずかに細くなった。
「……離宮」
「よく分かったな」
「外壁の紋章と、門兵の装備です」
「正解」
馬車が止まる。
扉が開き、侍女と使用人たちが整列して頭を下げた。
「お帰りなさいませ、レオンハルト殿下」
そこで、フィーネが初めて明確に黙った。
ああ、そうか。
市場で正体を聞いた時より、実感として落ちてきたのだろう。
俺は先に降りてから、手を差し出した。
「来い」
「……」
一瞬だけ迷ってから、彼女はその手を取った。
指先は驚くほど冷たかった。
馬車から降りた途端、周囲の視線が彼女に集まる。
当然だ。皇子が市場帰りに見知らぬ少女を連れてきたのだ。動揺しない方が無理である。
だが、ここで余計な憶測を許すと面倒になる。
「紹介する」
俺は使用人たちを見回した。
「彼女はフィーネ。今日からこの離宮の客人だ」
「……客人」
侍女長のマリアが、極めてかすかに目を見開く。
「客人である以上、誰一人として下働き扱いをするな。命令もするな。礼をもって接しろ。いいな?」
「かしこまりました」
返事は揃っていた。
だが視線の揺れで分かる。みんな混乱している。
まあ、追々慣れろ。
「マリア」
「はい、殿下」
「風呂の支度。温かい食事。あと医師を呼べ。衣服は一式、仮でいいから急ぎ見繕え」
「承知しました」
「それと、護衛を二名。客人付きだ」
「……客人付き、でございますか」
「ああ」
俺は平然と言った。
「フィーネの身の安全は、俺のそれと同じ重さで扱え」
空気が固まった。
うん、言い過ぎたかもしれん。
だがまあ、本心だしな。
フィーネがこちらを見た。
何を考えているかは読めない。
「さて」
俺は歩き出す。
「風呂と飯の後、話をしよう」
***
一時間後。
俺は離宮の応接室で、湯気の立つ茶を飲みながら待っていた。
「遅いな」
「女性の身支度を急かすものではございません」
ガレスが言う。
「別に急かしてない。暇なんだ」
「普段でしたら、ここで書類を三件ほど投げ捨てておられる時間です」
「今日は気分がいいからな」
そう言ったところで、扉が開いた。
侍女に伴われて入ってきたフィーネを見て、俺は数秒黙った。
髪は丁寧に梳かれ、灰銀の色が柔らかく光っている。
肌の汚れが落ちたことで、もとの白さが際立った。
服は急造のシンプルなドレスだが、無駄のない体つきによく似合っていた。
整っているとは思っていたが、予想以上だな。
だが何より目を引くのは、やはり目だった。
洗われ、着飾られても、そこだけはまるで変わらない。
静かで、冷静で、よく見ている目。
「……何か」
フィーネが言う。
「いや、思ったより普通に似合ってるなと」
「褒め方が雑ですね」
「今日はそれを言われる日か?」
彼女は侍女に椅子を引かれたが、座る前に一瞬こちらを見た。
「どうした」
「先に座ってよろしいのですか」
「別にいいだろ」
「皇族より先に?」
「対等になる予定なんだろ」
「予定は予定です」
「じゃあ今日から慣れろ」
「……横暴ですね」
「皇族だからな」
すると、フィーネは小さく息を吐いてから座った。
いい。
いちいち確認はするが、従順に縮こまるわけではない。
この塩梅が大事だ。
食事が運ばれてくる。
温かなスープ、柔らかいパン、肉料理、果物。
フィーネは一瞬だけ香りに反応したが、すぐ表情を戻した。
「食え」
「毒見は?」
「してある」
「私のために?」
「俺も飲み食いするからな」
彼女はしばらく料理を見ていたが、やがてナイフとフォークを手に取った。
飢えていたはずなのに、がっつかない。
一口ずつ、きちんと飲み込んでいく。
「作法、知ってるのか」
「昔、少しだけ」
「家は商家だったんだよな」
「没落する前は、多少の出入りがありましたので」
「なるほど」
食べ方にも性格が出る。
乱れない。
ひとつひとつを自分で制御している。
そんな彼女を眺めながら、俺は本題を切り出した。
「医師の診断は?」
これはガレスへ。
「大きな病はなし。栄養不足と疲労はありますが、休養と食事で戻る範囲とのこと」
「よし」
俺はフィーネへ向き直った。
「では、ここから今後の話だ」
「はい」
「まず結論から言う。お前の弟と妹は、すでに保護させた」
「——っ」
初めて、フィーネの手が止まった。
その表情はほとんど動いていない。
だが、目だけが大きく揺れた。
「所在は皇都南の借家で確認。食事と医師を回し、今夜のうちに安全な住まいへ移す」
「……」
「お前が望むなら、明日会わせる」
しばらく返事がなかった。
やがて彼女は、ゆっくりとフォークを置いた。
「……本当に」
「ああ」
「無事、ですか」
「今のところはな」
そこで初めて、彼女は下を向いた。
泣くかと思ったが、違った。
彼女は両手を膝の上で組み、数秒だけ呼吸を整えると、顔を上げた。
「ありがとうございます」
「うむ」
あまりにもきれいな礼だったので、逆に少し身構えた。
学んだのだ。
こいつが急に素直になる時は、たぶん何かある。
「で、ここからだ」
俺は気を取り直して続けた。
「お前には今後、三つのものを与える」
「三つ」
「身分、財産、教育だ」
「……ずいぶん大きく出ましたね」
「小出しにするとつまらん」
「そこ、娯楽感覚で決めているのですか」
「半分くらいは」
「正直ですね」
ガレスが無言で額を押さえた。
「まず身分」
俺は指を一本立てる。
「今この瞬間から、お前は俺の客人であり保護対象だ。使用人ではない。奴隷でもない」
「はい」
「次に財産。お前個人名義で当面の資金を持たせる。弟妹の生活費も別枠で出す。お前が使途を決めろ」
「……個人名義」
「最後に教育。読み書き計算から礼法、帝国法、歴史、政治、剣術、魔術。必要な教師は全部つける」
「全部」
フィーネは少しだけ首を傾げた。
「殿下」
「なんだ」
「あなたは、私を何にするおつもりで?」
「何って」
俺は当然のように答えた。
「俺と話せる相手だが?」
「そのための教育量ではありません」
「対等ってそういうことだろ」
俺が金を持っていて相手が持っていないなら、発言の重みはずれる。
俺が権力構造を知っていて相手が知らないなら、それもまた対等ではない。
だから埋める。
埋められるものは全部埋める。
するとフィーネは、珍しく少し長く黙った。
「……殿下」
「おう」
「ひとつ、確認したいのですが」
「聞け」
「もし私が、この教育を受け、財産を持ち、身分を得て、それでもあなたの望むような人間にならなかったら?」
いい質問だ。
俺は少し考え、それから肩をすくめた。
「その時はその時だ」
「それだけ?」
「人は育てた通りのものにはならんだろ。お前はお前だ」
「……」
「俺が与えるのは可能性だ。どう使うかはお前が決めろ」
フィーネの瞳が、わずかに揺れる。
「選ばせるのですね」
「当たり前だ」
「命じるのではなく」
「命じたら意味がない」
俺は茶をひと口飲んだ。
「勘違いするなよ。俺は従者が欲しいわけじゃない。友人……はちょっと照れくさいな。まあ、とにかくそういう類のものが欲しい」
「照れくさいのですね」
「うるさい」
その時、扉が叩かれた。
許可を出すと、配下の一人が入ってくる。
「殿下。ご報告を」
「言え」
「保護対象二名、確保いたしました。健康状態は軽度の栄養失調のみ。現在、医師の診察を受けております」
ぴたり、と空気が止まった。
フィーネはその報告を、まるで音ではなく意味として浴びるように聞いていた。
「……そうか」
俺は頷く。
「引き続き最優先で保護。住居は北棟の使用人寮ではなく、街区の家を使え。見張りはつけるが、監視と悟らせるな」
「はっ」
配下が下がる。
応接室に静けさが戻った。
そして。
「——ありがとうございます」
先ほどより、少し低い声でフィーネが言った。
俺が顔を上げると、彼女は椅子から立ち上がっていた。
「あ、おい」
止める間もなく、彼女は俺の前まで来て、深く頭を下げた。
「ちょっと待て。そういうのは」
「いいえ」
彼女は頭を上げないまま言った。
「ここは、きちんとさせてください」
声音は落ち着いていた。
だがその奥に、何かが固まっていく気配があった。
「殿下は、私から最も重いものを奪いました」
「は?」
「迷いです」
顔を上げた彼女は、ひどく静かな顔をしていた。
「弟と妹が無事である以上、私はもう、自分を売った理由に縛られません」
「……そうだな」
「つまり、ここから先の私の人生は、すべて私の意思で選べる」
そう言って、彼女は俺をまっすぐ見た。
「ならば、選びます」
「何を」
「あなたです」
あ、来たな。
嫌な予感の正体が、形を持って迫ってきた。
「いや、だからな」
俺は軽く手を振った。
「そういう重い感じじゃなくて――」
「重いです」
「認めるな」
「殿下は、私に身分と財産と教育を与えると仰った」
「言ったが」
「でしたら私は、それに見合う価値を返します」
「返さなくていい」
「返します」
「強いな」
フィーネは一歩も引かない。
「返さなくていい、と仰るのは殿下の自由です」
「うむ」
「ですが、返したいと思うのは私の自由です」
「……」
あっ、駄目だこれ。
理屈が通っている。
俺が選ばせると言った以上、彼女が俺へ全力で返そうとする選択を否定しづらい。
ガレスが横で、いかにも「申し上げましたよ」と言いたげな気配を出している。
腹立つなこいつ。
「では、改めて申し上げます」
フィーネは胸に手を当てた。
「私は殿下が与えてくださるすべてを使って、殿下にふさわしい価値を持つ人間になります」
「そこまではいい」
「そして殿下の飢えを満たします」
「そこが重い」
「二度と、つまらないなどと言わせません」
「そこも重い」
「誰より近くで、誰より深く」
「やめろ、言い方が危ない」
「理解し、支え、必要なら叱責し、必要なら切り捨ててでも、殿下にとって最善の存在になります」
「切り捨てるな」
俺が頭を抱えると、フィーネは少しだけ不思議そうに瞬いた。
「何か問題が?」
「問題しかないが?」
「ですが、殿下は対等を望まれたのでしょう」
「望んだ」
「ならば、甘やかすだけの相手では不足です」
「それはそうだが」
「嫌われることを恐れず、必要なことを言う相手が必要なのでは?」
「そうだが」
「でしたら」
フィーネは小さく微笑んだ。
「ぴったりですね」
うわあ。
笑ってるのに圧がある。
俺は助けを求めてガレスを見た。
だが老執事は一歩下がって恭しく言った。
「大変ようございました、殿下」
「他人事だと思って」
「実際、他人事でございます」
裏切り者め。
「……分かった」
俺は息を吐く。
「その覚悟は受け取る。だが条件がある」
「何でしょう」
「まず、命を懸けるな」
「善処します」
「断言しろ」
「殿下が先に無茶をなさらないなら」
「急に条件を返すな」
「対等なので」
ぐっ……!
便利だな、その返し!
俺が言葉に詰まっていると、フィーネは続けた。
「もうひとつ、こちらからも条件を」
「なんだ」
「時間をください」
「時間?」
「最短で殿下に並ぶための」
彼女はテーブルの上にあった紙とペンを取った。
そして迷いなく、さらさらと何かを書き始める。
「おい、何を」
「予定です」
「予定」
「明日からの」
書くの速いな。
「起床は六刻。朝食を取りながら帝国文字と算術の確認。午前は礼法と歴史、午後は剣術基礎と体力作り。夕刻に魔力測定と魔術理論。夜は殿下との会話時間」
「会話時間?」
「対等になるために最も重要ですので」
「最後だけ妙に嬉しいな」
「就寝前には一日の反省と、殿下の言動分析を」
「怖い怖い怖い」
さらっととんでもない項目が混じったぞ。
「あと護衛の配置見直しも必要です」
「なんでお前がそこに口出す」
「殿下の周囲、視線が緩い者が三名いました」
「は?」
「奴隷市からの帰路で確認しています」
「……」
俺はガレスを見る。
ガレスは真顔のまま、しかしわずかに目を見開いていた。
「後で確認します」
「お前も気づいてなかったのか」
「市場であの状況の中、そちらまで見ていたとは」
フィーネは当然のように言う。
「私にとって、あの時点で殿下は最優先の観察対象でしたので」
重い。
まだ一日目だぞ。
「それから」
フィーネは紙から顔を上げた。
「殿下の食事の好み、苦手なもの、睡眠時間、執務の癖、よく使う言い回し、人間関係、政治的立場、過去の失敗、隠し事、全部教えてください」
「一気に踏み込みすぎでは?」
「最短で理解するには必要です」
「最後の方は不要だろ」
「不要ではありません」
「なんで」
「殿下を満たすために」
言い切りやがった。
俺は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
嬉しい。
嬉しいのだが、なんか違う。
俺が欲しかったのは、もっとこう、気軽にくだらない話をしたり、たまに喧嘩したりする感じの――。
「殿下」
「なんだ」
「もうひとつ」
「まだあるのか」
「部屋ですが」
「ああ、客間を用意させているはずだ」
「殿下のお部屋の隣にしてください」
「近い近い近い」
「何かあった時にすぐ対応できます」
「何もなくていいんだよ」
「それは殿下が決めることではありません」
「なんでだ」
「敵は、殿下が暇を持て余している時でも襲ってくるので」
「急にまともなこと言うな」
フィーネは表情ひとつ変えずに頷いた。
「ご安心ください。距離感は学びます」
「本当か?」
「……必要なら」
「今の一拍に不穏さを感じたが?」
フィーネは小首を傾げる。
「殿下は、私が近すぎるのはお嫌ですか」
「嫌というか、早い」
「では、適切な速度で近づきます」
「言い方!」
ガレスがとうとう咳払いで笑いを誤魔化した。
この野郎、楽しんでるな。
フィーネは書き上げた予定表を俺の前に差し出した。
「ひとまず、初日はこれで」
「初日でこれ?」
「足りませんか」
「多い」
「削るとしたら、睡眠ですか?」
「お前が寝ろ」
俺は紙を受け取り、眺める。
几帳面で、無駄がない。
恐ろしいほど本気だ。
そして、少しだけ思った。
ああ、こいつは本当に、自分の人生の使い道を俺に定めたのだな、と。
軽く受け流せるものではない。
けれど、命令して止めるのも違う。
俺が与えると言ったのは、彼女の自由そのものでもあるのだから。
「……分かった」
俺は予定表を畳んだ。
「好きにしろ。ただし無理はするな」
「はい」
「あと、俺を満たすとか理解するとか、その辺の物言いはもう少し軽くできないのか」
「難しいですね」
「なぜ」
「私にとっては重いことだからです」
まっすぐに、そう返された。
その目には一片の冗談もない。
俺は数秒黙ってから、深く息を吐いた。
「……とりあえず」
「はい」
「明日は会話の練習からだ」
「承知しました」
「普通に雑談しろ」
「全力で臨みます」
「雑談に全力を出すな」
だが、フィーネはもう完全にその気だった。
その灰銀の瞳は、獲物を定めた猛禽のようにまっすぐ俺を捉えている。
たぶんこいつは、本当にやる。
学べることは全部学び、
使えるものは全部使い、
俺が軽口で口にした対等に、本気で辿り着こうとする。
そしてその過程で、きっと俺の想像以上に面倒なことになる。
……まあ、望んだのは俺だ。
逃げるのも違うだろう。
「よし」
俺は立ち上がった。
「まずは弟妹に会いに行く準備だ。お前も来るか?」
「もちろん」
「食事は」
「歩きながらでも」
「ちゃんと食え」
「はい、殿下」
フィーネはすっと立ち上がった。
さっきまで奴隷市の檻にいた少女とは思えないほど、もう迷いがなかった。
その横顔を見ながら、俺はなんとなく理解した。
たぶん俺は、とんでもないものを拾った。
ただの気まぐれで。
退屈しのぎのつもりで。
対等に話せる相手が欲しかっただけで。
それなのに――
「殿下」
「ん?」
「本日から、どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく」
「はい」
フィーネはほんの少しだけ笑った。
「あなたの人生、飽きさせませんので」
やっぱり言い方が重いんだよなあ。