すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第二十二話

 本宮の聴取室は、応接間よりずっと正直な部屋だった。

 

 豪華な装飾もない。

 無駄に柔らかい椅子もない。

 壁は白く、窓は高く、小さく、外の景色はほとんど見えない。

 

 机は一つ。

 椅子は数脚。

 扉の前には近衛が二人。

 要するに、ここは会話を楽しむ場所ではなく、逃げ道を減らすための場所だ。

 

「趣味が悪いな」

 

 俺が呟くと、隣のフィーネが静かに返した。

 

「聴取室に趣味の良さを求める方が間違いかと」

「それはそうだが」

「殿下」

「何だ」

「眠そうです」

「お前もだろ」

「私は問題ありません」

「その返答、今朝だけで三回目だぞ」

「殿下も『俺は大丈夫』と二回仰いました」

「数えるな」

 

 昨日の夜、寝ろと言った。

 俺も寝ると言った。

 結果として、俺は二刻ほど寝た。

 フィーネは、たぶんもっと少ない。

 なぜなら今朝、俺が起きた時には、すでに昨日の資料が時系列順に並び替えられていたからだ。

 

 怖い。

 寝不足の人間がやる作業量じゃない。

 

「殿下」

 

 部屋の隅に控えていたガレスが、淡々と言う。

 

「本日のご機嫌は」

「悪い」

「左様でございますか」

「聞いたのに反応が薄いな」

「想定内でございますので」

「俺の不機嫌を想定するな」

「では、想定外と申し上げます」

「嘘が下手だな」

 

 ガレスの向かいには、エルヴィナが立っている。

 銀縁眼鏡。

 冷えた金の目。

 相変わらず、朝から他人を眠くさせない顔だ。

 

「殿下」

 

 エルヴィナが言う。

 

「今から行うのは感情の発散ではなく、証言の取得です」

「分かってる」

「近衛が抑える前に机を割らないでください」

「俺を何だと思ってる」

「正面突破の化け物」

「それは能力評価だろ」

「人格面にも多少」

「失礼が自然だな、お前は」

 

 フィーネが小さく頷いた。

 

「私も同意見です」

「お前までか」

「今朝、花瓶のない部屋でよかったと思いました」

「昨日から俺、花瓶を警戒されすぎじゃないか?」

 

 だが、二人がそう言うのも分かる。

 

 一昨日の礼拝堂。

 クラウスの口封じ。

 折れ羽根の印。

 観測対象一号、二号。

 その上、フィーネの実家にまで、魔物誘引香に近い触媒の影が伸びていた。

 

 怒るなという方が難しい。

 

 扉が開いた。

 近衛二人に挟まれて、クラウス・エーベルハルトが入ってくる。

 昨日まで学院で嫌味を撒いていた伯爵家子息は、もういなかった。

 

 顔は白い。

 目元は落ちくぼみ、唇は乾いている。

 手首には拘束具。

 ただし、鎖は長めに取られていた。

 書くことがあるからだろう。

 

 クラウスは俺を見て、すぐに視線を落とした。

 次にフィーネを見て、また目を逸らす。

 

「座れ」

 

 俺が言うと、彼はびくりと肩を震わせ、椅子に腰を下ろした。

 

「……殿下」

「何だ」

「僕は……」

 

 そこで声が詰まる。

 続かない。

 

「謝罪なら後にしろ」

「……」

「今必要なのは、お前が知っていることだ」

 

 クラウスは唇を噛み、頷いた。

 ガレスが机の横に記録紙を置く。

 エルヴィナは小さな測定石を机の端へ載せた。

 淡い青の光が、石の中で揺れる。

 

「虚偽反応を見るのか」

「簡易的なものです」

 

 エルヴィナが答える。

 

「嘘そのものを見抜く魔術ではありません。意図的な魔力の乱れ、呼吸、脈、発汗、視線の移動を補助的に拾うだけです」

「つまり」

「嘘をつけば、私とフィーネさんが不快そうな顔をします」

「怖いな」

「殿下も机を叩きそうな顔をします」

「だから机から離れてるんだろ」

「賢明です」

 

 フィーネはすでに紙を広げ、羽根ペンを持っていた。

 聴取を受けるクラウスより、記録するフィーネの方が怖い顔をしている気がする。

 

「では、始めましょう」

 

 フィーネが静かに言った。

 

「クラウス・エーベルハルト様」

「……はい」

「昨日までの発言と、本日の発言に食い違いがある場合、後で整えようとしないでください」

「え?」

「矛盾があれば、矛盾として記録します。その方が、あなたがどこで騙されたか分かりやすいので」

「……騙された」

「はい」

 

 フィーネは淡々と続ける。

 

「あなたは加害者です。ですが、上層ではありません」

「……」

「自分がどこまで知っていて、どこから知らなかったのか。そこを明確にしてください」

 

 クラウスの喉が動く。

 

「分かり、ました」

 

 フィーネが頷いた。

 

「では最初に。北方遠征の日程を、外部へ渡しましたか」

「……はい」

「相手は」

「黒鴉商会の番頭です」

「名は」

「ロルフ、と名乗っていました」

「本名だと思いますか」

「分かりません」

「接触した場所は」

「北区の中継倉庫の裏手です。学院へ出入りする荷運びの者が使う門の近くで……」

「何回」

「三回」

「内容は」

「最初は、学院の遠征日程。次に参加人数。最後に、経路変更の追記を」

 

 フィーネのペンが止まらない。

 俺は腕を組んだ。

 

「お前、経路変更まで渡したのか」

「……はい」

「誰に聞いた」

「学院事務の補佐から」

「ヨナスか」

「……はい」

 

 記録庫で青い顔をしていた若い事務官。

 やはりそこに繋がる。

 

「ヨナスは事情を知っていたのか」

 

 クラウスは首を振った。

 

「たぶん、知らなかったと思います。僕が、父の関係で遠征費用の確認をしたいと言ったら、閲覧を通してくれて……」

「ただの使い走りか」

「はい」

「お前と同じくな」

 

 クラウスの顔がさらに白くなる。

 言い過ぎたかと思ったが、フィーネは止めなかった。

 だから続ける。

 

「誘引香は」

 

 クラウスの肩が震えた。

 

「……渡されました」

「誰に」

「黒鴉の番頭から」

「用途は何と説明された」

「低級魔物を寄せるものだと。遠征の実地演習で少し混乱が起きれば、殿下の評価が落ちる。編入生も、実戦で殿下の隣に立てないと示せる、と」

「地竜は」

「知らない!」

 

 クラウスが顔を上げた。

 目に涙が浮かんでいる。

 

「本当に、知らなかった! あんなものが出るなんて、僕は……!」

「声を抑えろ」

 

 俺が言うと、彼は息を呑んだ。

 

「……申し訳、ありません」

「謝る相手は後で選べ」

「はい……」

 

 フィーネが測定石を見る。

 エルヴィナも同じく見た。

 石の光は大きく乱れていない。

 

「少なくとも、地竜の出現は知らされていなかった可能性が高いです」

 

 エルヴィナが言う。

 

「よかったな、クラウス」

「え……」

「お前は地竜を呼ぶ気まではなかったらしい」

「……はい」

「だが、魔物を呼ぶ気はあった」

「……」

 

 クラウスは何も言えない。

 言えない方がいい。

 下手な言い訳を聞くと、机から離れている意味がなくなる。

 フィーネが次の紙を引き寄せた。

 

「誘引香は、どのように使いましたか」

「僕が直接、現地へ撒いたわけではありません」

「では」

「補給箱へ、小さな香包を紛れ込ませました。砦へ運ばれる物資の中に」

「学院倉庫から出る物資ですね」

「はい」

「香包の数」

「六つ」

「形状」

「油紙に包まれた小袋で、赤い糸で封じてありました」

「匂いは」

「薬草のような……甘いような、嫌な匂いでした」

「フィーネ」

 

 俺が呼ぶと、彼女は頷いた。

 

「昨日、エレノアス商会の禁制品記録にあった基材と近いかもしれません」

「……」

「ただし、まだ断定はできません」

「だろうな」

 

 クラウスが不安そうにフィーネを見る。

 フィーネは視線を返さず、記録を続ける。

 

「番頭ロルフの上にいる者の名は聞きましたか」

「……一度だけ」

「名は」

「オルド薬房」

「薬房?」

「学院近くにある薬種商です。表向きは学生向けの薬草や、教師用の触媒を扱っている店で……」

「店主名は」

「オルド、とだけ」

「本名かは」

「分かりません」

「接触は」

「直接は一度だけです」

 

 フィーネのペンが止まった。

 

「一度だけ?」

「はい」

「いつ」

「遠征の四日前です」

「何を言われましたか」

「……僕の父の事業について」

 

 部屋の空気が少し重くなった。

 クラウスは両手を握り込む。

 

「父の新規事業が失敗して、かなりの穴が出ていました。表にはまだ出ていませんでしたが、返済期限を越せば、伯爵家の体面にも関わると」

「それを、薬種商が知っていた」

「はい」

「そして持ちかけた」

「……はい」

 

 クラウスは俯いた。

 

「遠征で少し騒ぎを起こせば、金を融通すると。僕が動いたと分からないようにする、と。父には、別口の取引益として入るから問題ないと」

「お前は信じた」

「……信じました」

 

 声が小さい。

 

「いや、違う。信じたかったのだと思います」

 

 クラウスは膝の上の拳を震わせる。

 

「僕は、殿下が嫌いでした」

「だろうな」

「フィーネ嬢も」

「でしょうね」

「即答……」

 

 クラウスが一瞬だけ顔を上げ、すぐに下げた。

 

「殿下は何をしても許されるように見えた。編入生は、突然現れて、殿下の隣に立って、学生会長にも第一皇子殿下にも認められて……」

「それで?」

「少し、崩れてくれればいいと思った」

「……」

「殿下が失敗して、フィーネ嬢が役に立たないと分かれば、元に戻ると思ったんです。学院の空気も、僕の立場も」

 

 くだらない。

 そう思った。

 だが同時に、分かりやすいとも思った。

 

 クラウスは俺やフィーネを殺そうとした大悪党ではない。

 大した覚悟もなく、他人の用意した悪意に乗っただけの小物だ。

 だからこそ、性質が悪い。

 そういう奴が一番使いやすい。

 

「フィーネ」

 

 俺が呼ぶ。

 

「はい」

「どう見る」

「浅いです」

「ひどいな」

「事実です」

 

 クラウスが傷ついた顔をする。

 だがフィーネは容赦しなかった。

 

「クラウス様は、目的を与えられていません。上層の思想も、最終目標も、折れ羽根の名も知らされていない」

「……」

「与えられたのは不満の出口と、金銭の餌と、作業の手順だけです」

「作業の手順」

「はい。情報を渡す。香包を紛れ込ませる。必要なら事務補佐を使う。以上です」

 

 彼女は紙の上に短い線を引いた。

 

「これは、組織の中核に近い者の扱いではありません」

「俺でも分かるくらい雑な使い捨てだな」

「雑ではありません。使い捨てるために整えられています」

「もっと嫌だな」

 

 ガレスが静かに口を開いた。

 

「クラウス様が捕らえられた場合、黒鴉商会の番頭まで辿られることは想定されていたかと」

「だろうな」

「ですが、それより上は薄い」

「薬種商か」

「はい。薬種商もまた、実名・実態ともに偽装の可能性があります」

「商人の皮か」

「左様でございます」

 

 エルヴィナが、フィーネの作った線を覗き込んだ。

 

「誘引香の製造は、黒鴉商会だけでは無理です」

「なぜ」

「基材だけなら商人で扱えます。ですが、魔物の反応域を絞り込む調整は術者が必要です」

「術者」

「ええ。しかも、あの地竜まで呼ぶとなると、低級魔物向けの単純な香ではありません。偶発的に拡大したか、最初から大きく設計されていたか」

「どっちだ」

「調べないと分かりません」

「お前、こういう時に断言しないんだな」

「魔術師ですので」

「普段からそうしてくれ」

「嫌です」

 

 嫌なのかよ。

 フィーネはもう一枚紙を出した。

 そこに、彼女は迷いなく文字を書き始める。

 

 学院情報。

 クラウス。

 黒鴉商会番頭。

 薬種商。

 誘引香。

 口封じ班。

 偽命令書。

 折れ羽根。

 

 線が引かれる。

 矢印が増える。

 

 情報の流れ、物の流れ、人の流れ。

 短い時間で、机上に雑ではない組織図が生まれていった。

 

「早いな」

「仮です」

「仮でこれか」

「確定には足りません」

「お前の足りませんは信用できないんだよな」

 

 フィーネはペン先で図の中央を指した。

 

「重要なのは、流れが一つではないことです」

「説明」

「はい。クラウス様は、学院内情報の漏洩と、補給箱への香包混入を担いました」

「ああ」

「ですが、昨日の偽命令書と口封じは、別の線です」

「黒外套か」

「はい。偽命令書には本宮手続きの知識がありました。クラウス様の層より上、もしくは別系統です」

「なるほど」

 

 フィーネは次に、黒鴉商会番頭と薬種商を囲む。

 

「黒鴉商会は、物の流れを担っています。誘引香の搬入、証拠品の移動、学院周辺の出入り」

「運送屋だからな」

「ええ。ただの運送屋なら、便利な外注先です」

「ただの、ならな」

「ですが、今回は三つの役割が重なっています」

 

 彼女は指を一本ずつ立てた。

 

「学院への出入り」

「誘引香の搬入」

「クラウス様への金銭接触」

 

 そして、四本目。

 

「口封じ前の証拠整理」

「……」

「ここまで担うなら、ただの灰色業者ではありません」

「折れ羽根の下部組織か」

「少なくとも、折れ羽根の残り火を温存する商人網の一部です」

 

 十年前に潰したはずの研究派閥。

 だが、研究者だけを捕まえても、金と物と人を運ぶ網が残っていれば、火種は消えない。

 

 商会。

 薬種商。

 触媒。

 運送。

 学院出入り。

 貴族家の事業穴。

 

 全部が綺麗に繋がる。

 綺麗すぎて、胸糞が悪い。

 

「クラウス」

 

 俺は低く言った。

 

「はい」

「折れ羽根という名を、昨日以前に聞いたことは?」

「ありません」

「細い輪と折れた羽根の印は」

「見たこともありません」

「本当か」

「本当です!」

 

 測定石は大きく乱れない。

 エルヴィナが頷く。

 

「おそらく、本当です」

「末端にもほどがあるな」

「……」

 

 クラウスは泣きそうな顔をした。

 だが、フィーネはそこでようやく、彼を真正面から見た。

 

「クラウス様」

「……はい」

「あなたは、末端です」

「……」

「ですが、末端だから罪が軽いということにはなりません」

「分かって、います」

「軽傷とはいえ、学院生七名が負傷しました。砦の警備兵も危険に晒されました。殿下も傷を負いました」

「……」

「そして、あなた自身も殺されかけました」

「……はい」

「ですので、正確に話してください。あなたのためではなく、次に利用される人を減らすために」

 

 きつい言い方だった。

 だが、不思議と突き放すだけではなかった。

 クラウスは顔を歪めた。

 涙が落ちる。

 昨日までの嫌味な笑顔は、もう完全に崩れている。

 

「……僕は」

「ああ」

「全部、話します」

「そうしろ」

 

 俺は椅子の背にもたれた。

 

「死ぬよりは面倒だぞ」

「……はい」

「でも、お前は昨日生き残った」

「……」

「なら、生きて面倒を負え」

 

 クラウスは泣きながら頷いた。

 フィーネが記録を一枚めくる。

 その動きは淡々としていた。

 

 けれど、俺には分かった。

 

 彼女は怒っている。

 クラウスにだけではない。

 クラウスを使った者に。

 商人網の中に人を部品のように置いた者に。

 そして、たぶん、自分の家の過去まで同じ網に触れている可能性に。

 

「殿下」

 

 フィーネが呼ぶ。

 

「何だ」

「お顔に出ています」

「今度は何が」

「クラウス様を殴るか、黒鴉商会を焼くかで迷っている顔です」

「二択が物騒だな」

「違いますか」

「……半分くらい」

「どちらも今は不可です」

「分かってる」

「本当に?」

「昨日からそればっかりだな」

「必要ですので」

 

 便利すぎる、その言葉。

 ガレスが組織図の写しを整えた。

 

「殿下」

「何だ」

「この図は第一皇子殿下へ提出すべきかと」

「ああ」

「同時に、黒鴉商会への正式な捜査権限が必要です」

「今から踏み込めないのか」

「殿下個人の私兵で動くなら可能でございます」

「なら」

「ですが、証拠押収後の法的処理で揉めます」

「面倒だな」

「面倒を減らすための手続きでございます」

「手続き自体が面倒なんだよ」

「殿下の苦手分野でございますな」

「嬉しそうに言うな」

 

 エルヴィナが肩をすくめる。

 

「ただ、急いだ方がいいでしょう」

「理由は」

「昨日の旧礼拝堂で口封じが失敗しています。黒鴉商会が自分たちの名前を出される前に逃げる可能性が高い」

「もう逃げているかも」

「ええ」

「最悪だな」

 

 フィーネが組織図の端に、小さく丸を付けた。

 

「ですが、完全には逃げられません」

「なぜ」

「帳簿です」

「商人の娘だな」

「はい」

 

 彼女は静かに言う。

 

「商人は、悪事を隠しても帳簿を捨てきれません。捨てれば金の流れも、自分の取り分も分からなくなりますから」

「黒鴉も?」

「黒鴉もです。むしろ裏が汚い商会ほど、内側の帳簿は細かいはずです」

「お前、妙に実感があるな」

「父が言っていました」

 

 一瞬だけ、声が揺れた。

 

「信用できない商人ほど、自分用の帳簿は信用できる、と」

 

 部屋が静かになった。

 フィーネはすぐ表情を戻したが、俺は見逃さなかった。

 クラウスも気づいたらしく、気まずそうに視線を伏せている。

 

「フィーネ」

「はい」

「無理してないか」

「しています」

「認めるのか」

「殿下には隠しても無駄ですので」

「じゃあ休め」

「それは別です」

「別にするな」

 

 フィーネは組織図を軽く押さえた。

 

「黒鴉商会を押さえれば、クラウス様の証言の裏が取れます。誘引香の基材も、父の商会を嵌めた記録も、同じ流れにある可能性があります」

「……」

「ここで遅れれば、全部燃やされます」

「だろうな」

 

 俺は立ち上がった。

 

「ガレス」

「はい」

「兄上に渡す。今すぐ」

「承知しました」

「エルヴィナ」

「はい」

「誘引香の基材照合を続けろ。エレノアス商会の禁制品記録とも」

「既に分類を始めています」

「早いな」

「あなた方が無茶をする前提で動かないと、巻き込まれ損ですので」

「最近、皆の適応が早い」

「原因は殿下です」

「そこはフィーネだろ」

「半々です」

「半分は認めるんだな」

 

 フィーネが組織図をまとめる。

 

「殿下」

「何だ」

「クラウス様の処遇は」

「兄上に預ける」

「よろしいのですか」

「俺が決めると雑になる」

「ご自覚が」

「ある」

「成長ですね」

「お前、最近本当に遠慮がないな」

「対等ですので」

「便利だな、それ」

 

 クラウスが小さく息を吐いた。

 緊張が切れたのか、椅子から崩れそうになる。

 近衛が支えた。

 

「クラウス」

 

 俺は扉へ向かう前に、振り返った。

 

「はい」

「まだ終わってない」

「……はい」

「次に話す時、思い出したことがあるなら全部出せ。どれだけ小さくてもだ」

「分かりました」

「それと」

「はい」

「自分が被害者みたいな顔だけはするな」

「……っ」

「お前は使われた。でも、選んだのはお前だ」

「……はい」

 

 クラウスは深く頭を下げた。

 その肩は震えていた。

 

 それでいい。

 震えているうちは、たぶんまだ人間だ。

 

 

   ***

 

 

 聴取室を出ると、廊下の空気が妙に冷たく感じた。

 本宮の廊下は相変わらず磨かれている。

 壁の燭台も、床の石も、何も変わらない。

 だが、今はその整い方が少し気持ち悪い。

 どれだけ綺麗に磨いても、裏には汚い網がある。

 

 商人。

 薬種商。

 運送屋。

 本宮手続きに詳しい何者か。

 そして折れ羽根。

 

「面倒だな」

 

 俺が呟くと、フィーネが隣で頷く。

 

「ええ」

「珍しく素直に同意したな」

「今回は、本当に面倒ですので」

「いつも本当に面倒だろ」

「今回は質が違います」

「どう違う」

「敵が、個人ではなく流れです」

「流れ」

「はい。金、物、人、情報。その流れの中に、折れ羽根が残っています」

 

 フィーネは腕に抱えた組織図を見下ろした。

 

「十年前に人を捕まえても、流れを止めきれなかった」

「だから残った」

「はい」

「なら今度は、流れごと止める必要がある」

「その通りです」

 

 重い話だった。

 だが、フィーネの声は少しだけ安定していた。

 自分の過去に繋がる可能性が見えたことで、逆に腹を括ったのかもしれない。

 

「フィーネ」

「はい」

「怖いか」

「怖いです」

「即答だな」

「殿下には隠しても無駄ですので」

「便利な言い方を覚えたな」

「殿下が教えてくださいました」

「俺のせいか」

「はい」

 

 彼女は少しだけ、こちらを見る。

 

「ですが、怖いことと、退くことは別です」

「だろうな」

「それに」

「それに?」

「殿下が隣におられますので」

「こういう時にそれを入れるな」

「事実です」

「便利だな、本当に」

 

 俺はため息を吐いた。

 だが、悪くないため息だった。

 

 廊下の先に、兄上が立っていた。

 第一皇子エドゥアルト。

 いつものように整った姿。

 だが、その目は少しも柔らかくない。

 

「終わったか」

「ああ」

「図は」

「これです」

 

 フィーネが差し出す。

 兄上は一目見て、わずかに眉を上げた。

 

「……聴取一回でここまで整理したのか」

「仮です」

「君の仮は、他者の完成に近いな」

「まだ穴があります」

「だろうね」

 

 兄上は組織図の中央、黒鴉商会の囲みを見る。

 

「やはり、ここか」

「兄上もそう見ていたのか」

「昨夜からな。だが、証言が欲しかった」

「取れたぞ」

「助かる」

 

 兄上は俺を見る。

 

「レオン」

「何だ」

「これは父上へ上げる」

「父上まで?」

「折れ羽根の名が出た以上、避けられない」

「面倒だな」

「今度それを父上の前で言うなよ」

「たぶん言う」

「言うな」

 

 フィーネが静かに補足した。

 

「殿下、陛下の前では抑えてください」

「お前まで」

「机だけでなく、玉座の間には壊してはいけないものが多いので」

「俺は破壊衝動の塊か?」

「今朝は少し」

「ひどい」

 

 兄上が小さく笑った。

 だが、すぐ真顔に戻る。

 

「黒鴉商会は、今日中に押さえる」

「今日中?」

「ああ」

「令状は」

「父上の裁可を取る」

「早いな」

「遅いくらいだ」

 

 その声音には、第一皇子としての冷たさがあった。

 

「レオン」

「何だ」

「お前の名も使う」

「俺の?」

「黒鴉商会は第三皇子宮の周辺にも出入りしている。お前が被害者であり、調査当事者であることを明記した方が早い」

「好きにしろ」

「軽いな」

「こういう時に重くしても仕方ないだろ」

 

 兄上は少しだけ目を細めた。

 それから、フィーネを見た。

 

「フィーネ殿」

「はい」

「君の家の件も、黒鴉から何か出る可能性がある」

「承知しております」

「出たものが、君にとって辛い可能性も」

「それも、承知しております」

「本当に?」

「はい」

 

 フィーネはまっすぐ答えた。

 

「知らないまま殿下の隣に立つ方が、私には辛いです」

「……そうか」

 

 兄上は静かに頷いた。

 

「なら、進めよう」

 

 その言葉で決まった。

 黒鴉商会を押さえる。

 商人網の裏に残った折れ羽根の火種を、引きずり出す。

 

 俺は組織図を見た。

 雑に引かれた線のようで、実際は人の人生を絡め取る網だ。

 

 クラウス。

 ヨナス。

 エレノアス商会。

 フィーネの父と母。

 俺とフィーネを観測対象と呼んだ連中。

 

 面倒は、また増えた。

 しかも今度は、学院の中だけでは終わらない。

 

「殿下」

 

 フィーネが呼ぶ。

 

「何だ」

「退屈ではありませんね」

「本当に、そろそろ少し退屈が恋しい」

「それは困ります」

「なんで」

「私が、殿下を飽きさせないと申し上げましたので」

「限度があるだろ」

「善処します」

「その返事は信用できない」

 

 兄上が横で息を吐く。

 

「君たちは本当に、この状況でよくそんな会話ができるな」

「兄上」

「何だ」

「できる相手が欲しくて拾ったんだ」

「……」

「間違えたかもしれないが」

「返品は不可です」

 

 フィーネが即答した。

 兄上は一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。

 

「そうだったな」

 

 廊下の向こうから、本宮兵の足音が近づいてくる。

 

 黒鴉商会への令状。

 父帝への報告。

 折れ羽根の残り火。

 ここから先は、さらに厄介だ。

 

 けれど俺は、隣にいる灰銀の少女を見る。

 怖いと言いながら退かず、重い過去の入口に立って、それでも前を向く女。

 

 ああ。

 やっぱり、退屈ではない。

 

「行くか」

「はい、殿下」

 

 フィーネの返答は、いつも通り静かだった。

 

 その手に抱えられた組織図の中央で、

 黒鴉商会の名が、濃く囲まれていた。

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総合評価:3694/評価:8.8/連載:67話/更新日時:2026年05月14日(木) 19:01 小説情報

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かつて“歴代最強”と謳われた剣聖レクスディア。▼しかしある任務を境に、彼は第一線を退くことを余儀なくされる。全盛期の力を失い、戦場に立てなくなった彼が選んだ第二の道――それは騎士団の教官として、後進を育てることだった。▼「俺の代わりになる騎士を育てる」▼その一心で、かつて自分が受けてきた以上の厳しい鍛錬を課すレクスディア。▼だがその指導は、想像以上の成果を生…


総合評価:4065/評価:8.19/連載:14話/更新日時:2026年05月01日(金) 07:05 小説情報

貞操逆転世界でクールな先輩にオスガキムーブかましてたら普通に押し倒された(作者:しゃふ)(オリジナル現代/恋愛)

残念でもないし当然。


総合評価:4829/評価:8.65/連載:8話/更新日時:2026年03月24日(火) 12:04 小説情報

夢現世界の災凶姫~Disastress in the Parasomnias~(作者:サッドライプ)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

或いは異世界転移して閉じ込められた遺跡ダンジョンで意味深に封印されていた眠り姫を勝手に脳内彼女にしていちゃこらする妄想電波を毎日垂れ流していたら実は意識があったので全部聞かれていた話。▼「はい♪あなた様が言っていた恋人同士の睦み合い、全部ぜーんぶやりましょうね!!」「え゛」▼脱出不可能なダンジョンに放り出されてモンスターとバトるか可愛い美少女を眺めるかしかや…


総合評価:5337/評価:8.8/連載:38話/更新日時:2026年05月13日(水) 23:18 小説情報

長命種パーティ、命と引き換えに守ったら千年後も病んでる(作者:広路なゆる)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

聖騎士シオンは身代わりになった。自らの意思でパーティ3人を守り死んだ。▼魔女、エルフ、龍族の娘に幸せに生きて欲しかったから。▼それから千年。▼「止まない雨はないの? 明けない夜はないの? 出口のないトンネルは本当にないの? ねぇ、シオン……」▼魔女ミレアルナは禁断の術『死霊魔術』に手を染めていた。※続き書き溜め中※カクヨムにも掲載


総合評価:4565/評価:8.19/連載:5話/更新日時:2026年04月25日(土) 21:11 小説情報


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