すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第四話

 フィーネを拾ってから、七日が経った。

 

 たった七日である。

 なのに離宮の空気は、もう前とは別物だった。

 

「殿下、本日の予定です」

 

 朝食の席についた俺の前に、一枚の紙が差し出される。

 差し出したのは当然、フィーネだ。

 

「起床、朝食、剣術、座学、謁見準備、昼食、書類確認、魔術訓練、茶会一件、夕刻にエルヴィナ様との面談」

「待て」

「はい」

「なぜ俺の予定をお前が完全に把握している」

「把握していないと困りますので」

「誰が」

「私が」

 

 すぱっと返された。

 

 朝だぞ。

 もう少し眠たそうにしろ。

 

 しかもこいつ、最初の頃に『殿下のお隣の部屋にしてください』だの『言動分析を』だの言っていたが、あれから一週間で本当にやり始めた。

 

 食事の好みは把握された。

 執務中に無意識で机を叩く癖も把握された。

 機嫌の良し悪しが、紅茶を飲む速度で分かるとか言い出した。

 最近では、俺が言葉にする前に、今日は甘い菓子を先に出させましたとか平然とやる。

 

 怖い。

 

 いや、ありがたいんだが。

 ありがたいんだが、怖い。

 

「殿下」

「なんだ」

「本日は、第三皇子宮主催の小茶会があります」

「知ってる」

「参加者の名簿、顔写真、家系図、利害関係、派閥、過去三年の発言傾向をまとめました」

「なんでそんなものがある」

「作りました」

「七日で?」

「睡眠時間を少し削れば」

「削るな!」

 

 俺がそう言うと、フィーネはほんの少しだけ目を伏せた。

 

「……殿下がお嫌でしたら、今後は控えます」

「その言い方やめろ。俺が悪者みたいになるだろ」

「事実では?」

「違う」

 

 フィーネは小さく首を傾げる。

 

「私は、殿下のために最短を選んでいるだけですが」

「そこなんだよ」

 

 俺は額を押さえた。

 

「なんでそんなに全力なんだ」

「申し上げたはずです」

「何を」

「私は、殿下が与えてくださるすべてを使って、殿下の望みに応えると」

 

 相変わらず、声は静かだ。

 感情を喚き立てるわけでもない。

 ただ、揺るがない。

 

「飢えておられるなら満たすと、退屈なら退屈と言えなくすると」

「だから、いちいち言い方が重いんだよなあ……」

 

 ガレスが後ろで無言のまま肩を震わせた。

 笑ってるな、あいつ。

 

「殿下」

「はいはい、なんだ」

「本日は茶会がありますので、そろそろそのだらしない座り方も直してください」

「俺の扱いが雑になってないか?」

「対等ですので」

「便利だな、その理屈!」

 

 

   ***

 

 

 小茶会というのは、言葉の響きほど気軽なものではない。

 

 場所は本宮の温室庭園。

 参加するのは皇族に近しい上級貴族の子女たち。

 将来の派閥、婚姻、取り引き、情報交換、牽制。

 そういうものを紅茶の香りで包んで飲み込む、非常に面倒な場だ。

 

 本来なら、俺はこういう場が大嫌いである。

 

『まあ、レオンハルト殿下』

『今日もご立派で』

『ご活躍、いつも耳にしておりますわ』

 

 ――うるさい。

 そういうのは聞き飽きた。

 

 だが今日は少しだけ違った。

 

 なぜなら。

 

「殿下。背筋」

「はい」

「視線はやや上」

「はい」

「笑顔は三割」

「注文が細かい」

「四割ですと相手が勘違いします」

「何をだよ」

「そのうち分かります」

 

 俺の半歩後ろに、フィーネがいるからだ。

 

 今日の彼女は、離宮で用意させた淡い灰青のドレスを着ていた。

 装飾は控えめ。

 だが仕立てがいい。

 灰銀の髪ともよく合っていて、初めて会った時のぼろ布姿を知る俺でも、一瞬別人かと思うほどだった。

 

 それなのに、立ち方だけはまるで変わらない。

 静かで、真っ直ぐで、逃げない。

 

「緊張してるか?」

「しておりません」

「嘘だな」

「ほんの少しだけ」

「隠さないのか」

「殿下には見抜かれるので」

 

 最近そればっかりだな。

 

「お前、今日が実質的な宮廷デビューみたいなものだろ」

「そうですね」

「嫌なら無理して来なくてもよかったんだぞ」

「なぜです?」

 

 フィーネはきょとんとした。

 

「殿下が出られるのに、私が出ない理由がありません」

「出ない理由、って」

「殿下が普段どのように扱われ、誰がどのような意図で近づくのか。把握すべき最優先事項です」

「うん」

「それに」

「それに?」

「殿下のお隣が、不愉快なもので埋まるのは困ります」

 

 さらりと言われて、俺は一瞬黙った。

 

「……お前、それなりに独占欲強くないか?」

「強いと思います」

「認めるのか」

「認めた方が早いので」

 

 あっさりしているのに重い。

 なんだこの女。

 

 

   ***

 

 

 茶会は、始まって三分で面倒になった。

 

「まあ、こちらの方が?」

「ええ。最近、殿下が離宮に迎えられた客人だとか」

「とてもお綺麗ですこと」

「どちらのご令嬢なのかしら」

 

 好奇心、探り、値踏み、計算。

 笑顔の裏に入っているものが分かりやすすぎる。

 

 俺の正面には、宰相家の娘リリアーヌ。

 その隣に、騎士団長家の次女セレスティア。

 あと何人か。

 全員、年は近い。

 全員、笑顔が上手い。

 

 フィーネは俺の半歩後ろで、実にきれいな礼をした。

 

「フィーネと申します。未だ浅学ではございますが、お目通りの栄を賜りまして光栄です」

「まあ、なんて綺麗な発音」

「どなたに礼法を?」

「離宮で少し学ばせていただきました」

 

 よし、完璧だ。

 外面だけなら。

 

「殿下のおそばに侍るなんて、さぞ大変でしょう?」

「ええ」

 

 即答だった。

 

 俺が吹き出しそうになる。

 だがフィーネは表情ひとつ変えない。

 

「大変です。殿下は時折、ご自身の価値を軽く見積もられますので」

「……は?」

「それを周囲が当然と思い始めると危険ですから、常に確認が必要で」

「え、ええと……」

「ですが、そうしたお姿も含めて、非常に目が離せない方です」

 

 空気が一瞬止まった。

 

 おい。

 おいおいおい。

 

 お前、初手から何を言ってる。

 

 リリアーヌが微笑みを保ったまま、俺へ視線を滑らせる。

 

「殿下。ずいぶんと、熱心な方をお拾いになりましたのね」

「そうだな。本人もそう言ってる」

「お優しい殿下のことですもの。困っている方を放っておけなかったのでは?」

「いや、割と俺の都合だが」

「殿下」

「いてっ」

 

 フィーネに後ろから軽く靴を踏まれた。

 

 地味に痛い。

 だが、周囲には見えない位置だ。

 こいつ、やるな。

 

「殿下はお戯れを」

 

 にこやかに言いながら踏み続けるのやめろ。

 

「フィーネ様は、殿下にとってどのような立場なのですか?」

 

 と、セレスティアが問うた。

 

 その声音は柔らかい。

 だが針はある。

 

 客人か、侍女か、愛妾候補か、単なる気まぐれか。

 そういう線引きを知りたいのだろう。

 

 俺が答えるより早く、フィーネが言った。

 

「殿下が望まれる相手です」

「ぶっ」

 

 噴きかけた紅茶をどうにか飲み込んだ。

 苦しい。

 

「失礼。何?」

「殿下が望まれる相手です」

「言い直しても危ない」

「事実ですが」

「どこを切り取っても危ない!」

 

 令嬢たちの視線が一気に集まる。

 あっ、これ駄目なやつだ。

 

 だがフィーネは平然としていた。

 

「殿下は、立場や打算で曇らぬ会話を望まれました」

「……」

「ですので私は、その望みに応えるべくここにおります」

 

 ああ、なるほど。

 説明としては間違っていない。

 間違っていないが、言葉選びに一切の配慮がない。

 

 リリアーヌが扇で口元を隠し、くすりと笑った。

 

「まあ。では、殿下にとって、特別ということですのね」

「特別です」

 

 即答。

 しかも断言。

 

 今度こそ、全員の視線が完全に変わった。

 

「お、おいフィーネ」

「はい」

「もう少しこう……濁すとか」

「なぜです?」

「なぜって」

「殿下は私に、客人としての立場、学ぶ機会、財産、未来をくださいました」

「うん」

「弟妹の命まで救ってくださいました」

「それはまあ」

「でしたら、殿下にとって、私は特別なのだと思われます。そして、私にとっても、殿下は特別です」

 

 静かだった。

 声を張り上げてもいない。

 ただ、当たり前のことを当たり前のように言っただけの声だった。

 

 なのに、妙に響いた。

 

 周囲の令嬢たちは、社交用の笑顔を浮かべたまま言葉を失っている。

 たぶん、打算込みの()()はいくらでも聞いてきたのだろう。

 だが、ここまで真顔で、何の照れもなく、真正面から言い切るやつは珍しい。

 

 俺だって珍しいと思う。

 というか重い。

 正面から浴びると普通に重い。

 

「……フィーネ」

「はい」

「少しは恥じらいを覚えろ」

「なぜです?」

「俺が困るから」

「殿下が困るのは、今さらでは?」

「否定できないのがつらい」

 

 その時、セレスティアが微笑んだまま切り込んできた。

 

「ですが、殿下の特別を名乗るには、少々お立場が弱いのではなくて?」

「お立場、ですか」

「ええ。どれほど殿下がお優しくとも、宮廷には宮廷の釣り合いがございますもの」

 

 ああ、来たな。

 露骨ではないが、要するに『出自が足りない』と言いたいのだ。

 

 俺が口を開こうとした、その前に。

 

「ご安心ください」

 

 フィーネが穏やかに微笑んだ。

 

「私も、現状で釣り合っているとは思っておりません」

「……」

「ですので、釣り合うところまで参ります」

「は?」

 

 令嬢たちが呆然と口をあけた。

 

「学び、身につけ、必要なものを揃え、殿下のお隣に立つに足る人間になります」

「ちょっと待て」

「最短で」

「待てと言ってるだろ」

 

 何度目か。

 令嬢たちが完全に黙った。

 

 それはそうだ。

 普通、こういう場では、遠回しに謙遜したり、笑って流したりする。

 真正面から『足りないので埋めます』とは言わない。

 

 しかもこの女、本気だ。

 知っている俺だけが分かる。

 こいつは冗談でこういうことを言わない。

 

「殿下」

 

 フィーネが俺を見る。

 

「学院首席、取ればひとまず十分でしょうか」

「ここで確認するな」

「公的評価は分かりやすい指標ですので」

「お前、空気って知ってるか?」

「存じております」

「じゃあなんでこうなる」

「殿下の前では不要かと」

 

 やめろ。

 そういうの、外で言うな。

 本当にやめろ。

 

 だが、令嬢たちの反応は意外だった。

 呆れより先に、困惑と、それから少しのたじろぎ。

 

 たぶん彼女たちも見たのだ。

 フィーネがただ背伸びしているのではなく、本気でそこまで来る気でいることを。

 

 リリアーヌが紅茶を置く。

 

「……殿下は、大変な方をお側に置かれましたのね」

「それは俺が一番よく分かってる」

「退屈は、なさらなそうですわ」

「ああ、本当にな」

 

 心からそう返すと、リリアーヌは初めて少しだけ素で笑った。

 

 

   ***

 

 

 茶会の後半。

 少し空気が和らいだところで、事件は起きた。

 

 温室庭園の外縁。

 薔薇棚の近くで、俺が一人になったほんの短い時間だった。

 

「殿下」

 

 声をかけてきたのは、ひとりの少年貴族だった。

 年は十六ほど。

 辺境伯家の次男、アルノー。

 名前くらいは覚えている。

 

「どうした」

「少し、お耳に入れたいことが」

「その顔は碌でもないな」

「失礼ながら、殿下のお側の方についてです」

 

 ああ、もう来たか。

 早いな。

 

「どんな?」

「素性の知れぬ者を、ああも近くへ置かれるのは危ういかと。情にほだされて一時の寵を与えるのはご自由ですが、将来を考えるなら――」

 

 そこまで聞いたところで。

 

「へえ」

 

 静かな声が、横から入った。

 

 アルノーの肩がびくりと揺れる。

 いつの間に来たのか、フィーネがそこに立っていた。

 

「一時の寵」

「……」

「将来を考えるなら、ですか」

「き、君に言ったわけでは」

「ですが私の話でしたよね?」

 

 笑っている。

 笑っているのに全然温かくない。

 初めて会った奴隷市の目だ。

 あれが、綺麗な笑顔の中にそのまま入っている。

 

「フィーネ」

「はい、殿下」

「ほどほどにな」

「善処します」

 

 信用できない。

 

 フィーネはアルノーへ一歩近づいた。

 

「ご忠告、感謝いたします」

「そ、そうだろう。私はただ殿下のためを思って」

「では一つ、確認しても?」

「な、何を」

「あなたは、殿下の何をご存じですか」

「は?」

「朝の機嫌の見分け方は?」

「……」

「甘味と塩味、どちらを先に出すと執務効率が上がるかは?」

「……知らない」

「剣術の後、右肩にだけわずかな疲労が残る癖は?」

「そんなもの」

「書類が増えると筆圧が強くなり、三枚目から文字が少しだけ雑になることは?」

「……」

 

 アルノーが黙る。

 

 おい。

 なんでそんなことまで知ってるんだお前。

 

「殿下が、退屈だと仰りながら、本当はずっと飢えておられたことは?」

「……」

「周囲に人がいても、一人でおられる方だったことは?」

「……」

「それを知りもせず、何をもって殿下のためだと?」

 

 空気が冷えた。

 

 俺でさえ、一瞬息を呑んだ。

 フィーネの声音は静かだったが、その静かさが逆に怖い。

 

「お前」

 

 思わず口を挟む。

 

「それ以上は」

「失礼しました」

 

 フィーネはすっと一歩引いた。

 だが、視線だけはアルノーから外さない。

 

「ただ、勘違いは困りますので」

「勘違い?」

「私は、気まぐれに侍っているのではありません」

 

 その言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。

 これ、たぶん止めても無駄な流れだ。

 

「殿下に救われたから恩義がある、では足りない」

「おい」

「恩義だけなら、礼を尽くして離れれば済みます」

「おい」

「ですが私は、もうそうではないので」

 

 アルノーが完全に気圧されている。

 俺も少し気圧されている。

 

「フィーネ」

「はい」

「今のお前、すごく危ないこと言いそうだから」

「危なくありません」

「本当か?」

「本当です」

 

 そして、こいつは本当だと思って言う時ほど危ない。

 

 フィーネは俺の隣に立った。

 距離は近い。

 けれど触れはしない。

 ただ、当然のようにそこにいる。

 

「殿下は、私の人生を変えました」

「……」

「弟と妹の明日を繋いでくださった」

「……」

「私に、選ぶ自由をくださった」

 

 アルノーだけではない。

 少し離れた位置にいた侍女や護衛たちまで、気配を潜めてこちらを見ている。

 

「だから私は」

 

 フィーネは淡々と、けれど一言ずつ確かめるように言った。

 

「殿下が望まれるなら学びます」

「……」

「必要なら立場を得ます」

「……」

「お隣に立つに足りないと言われるなら、足りるまで積み上げます」

「……」

「殿下を軽んじるものがあるなら、相応に排します」

「排すな」

 

 即座に突っ込むと、フィーネは俺を見上げた。

 

「言葉の綾です」

「目が本気なんだよなあ」

「殿下」

「なんだ」

「私は、殿下の敵が嫌いです」

「まだ敵と決まったわけじゃないだろ」

「では、殿下を雑に扱うものが嫌いです」

「それも範囲が広い」

「広いですね」

「認めるな」

 

 フィーネは、それでも静かに続けた。

 

「でも、一番嫌なのは」

「……」

「殿下ご自身が、ご自分を雑に扱うことです」

 

 今度は、俺が黙る番だった。

 

 予想していなかった。

 てっきりまた、『誰も近づけさせません』みたいな重い話が来ると思ったのだ。

 いや、重い話ではあるのだが、方向が少し違う。

 

「殿下は、平気な顔で何でも与えます」

 

 フィーネは言う。

 

「信じることも、許すことも、背負うことも、あまりに軽く差し出される」

「……」

「でも、それを当然と思う者ばかりになれば、いつか殿下だけが空になります」

「……そんな大げさな」

「大げさではありません」

 

 ひどく静かに、言い切られた。

 

「ですから私は、重くなります」

「は?」

「殿下が軽く差し出してしまうものを、軽く受け取らないために」

「……」

「ちゃんと重いと、返します」

「…………」

「殿下がくださったもの全部、軽かったことにしないために」

 

 風が吹いた。

 温室の外、薔薇の葉が揺れる音がした。

 

 アルノーがまだいることも、一瞬忘れた。

 

 ああ。

 そういうことか。

 

 こいつの言う重いは、執着だけじゃない。

 俺が無造作に投げたものを、ちゃんと命の重さで受け取っているから、結果として重くなるのだ。

 

 弟妹の命。

 身分。

 未来。

 選ぶ自由。

 

 俺にとっては、できることをやっただけだった。

 だがフィーネにとっては、それで人生の軸ごと変わった。

 

 だから、この女は軽く返さない。

 笑って流さない。

 全部、本気で抱えて返してくる。

 

 ……そりゃ重いわけだ。

 

「……殿下」

 

 フィーネが、ほんの少しだけ声を落とした。

 

「ご迷惑でしょうか」

「何が」

「私が」

 

 そこで初めて。

 初めて、本当に小さく不安そうな色が見えた。

 

 ああ、ずるいな、と思った。

 こんなふうに真正面から来るくせに、肝心なところではちゃんと怖がるのか。

 

「迷惑ではない」

 

 俺は言った。

 

「重いだけだ」

「……はい」

「かなり重い」

「承知しております」

「だが」

 

 少しだけ笑う。

 

「悪くない」

 

 フィーネが目を見開いた。

 

「むしろ」

「……」

「お前くらいでちょうどいいのかもしれん」

「……殿下」

「ただし、排すのはやめろ」

「善処します」

「だからその返事が怖いんだって」

 

 そこでようやく、アルノーが我に返ったように咳払いした。

 完全に置いていかれていたな、こいつ。

 

「……失礼しました、殿下」

「おう」

「私は、余計なことを申しました」

「分かればいい」

「フィーネ殿にも」

「お気になさらず」

 

 フィーネはにこやかに言った。

 

「次からは、殿下を語る前にもう少し観察なさってください」

「それ、まだ刺してるぞ」

「事実ですので」

 

 アルノーは引きつった顔で去っていった。

 

 うん。

 あいつ、しばらく俺たちに近づかないだろうな。

 

 

   ***

 

 

 離宮へ戻る馬車の中。

 

 俺は向かいに座るフィーネをじっと見ていた。

 フィーネは最初こそ平然としていたが、やがて居心地悪そうに眉を寄せた。

 

「……何でしょう」

「いや」

「何か」

「お前さ」

「はい」

「ほんとに重いな」

「はい」

 

 即答だった。

 

 開き直るな。

 

「自覚あるんだな」

「あります」

「直す気は」

「殿下がお望みなら」

「……」

「ですが、お勧めはいたしません」

「なんで」

「軽くなった私は、たぶん今の私ほど役に立ちません」

「そこを役立つかどうかで語るのがもう重い」

 

 フィーネは少しだけ考え、それから言った。

 

「では、言い換えます」

「おう」

「私は、殿下に救われたことを、一生軽く扱いたくありません」

「……」

「ですから、軽くはなれません」

 

 参った。

 こういうのを真正面から言われると、さすがに参る。

 

「……一生、か」

「はい」

 

 躊躇いもなく頷く。

 

「長いぞ」

「承知しています」

「俺が途中で面倒になって追い出したら?」

「追いつけるところまで追います」

「怖い」

「追いついた先で、話し合います」

「ちゃんと話し合う気はあるのか」

「もちろんです。逃げなければ」

「前提が重い!」

 

 ガレスが御者席の外で肩を揺らしている気配がした。

 あいつ絶対聞いてるな。

 

 フィーネは窓の外へ一瞬目を向け、それからまた俺を見た。

 

「殿下」

「なんだ」

「本日、不快な思いをさせてしまったなら申し訳ありません」

「茶会の件か」

「はい。私はまだ、宮廷での言葉の丸め方に不慣れです」

「それは本当にそう」

「ですが」

「うん」

「殿下を、雑に扱われるのは嫌でした」

 

 そこで少しだけ口ごもる。

 

「……それだけは、どうしても」

 

 夕陽が差し込んで、灰銀の髪がやわらかく光った。

 その横顔は綺麗だった。

 綺麗で、真面目で、少し危うい。

 

 でもまあ。

 それくらい本気で来られた方が、俺には合っているのかもしれない。

 

「なら、次からはもう少し上手くやれ」

「上手く」

「そうだ。刺すにしても、もっと見えないように刺せ」

「承知しました」

「覚えが早いな!?」

「殿下のご希望ですので」

「いや、違う、そうじゃない」

 

 フィーネはくすりと笑った。

 最近分かってきたが、こいつは本当に面白がっている時、ほんの少しだけ笑う。

 

「でも、殿下」

「なんだ」

「本日は、少しだけ安心しました」

「何に」

「私の重さが、迷惑一色ではなかったことに」

 

 そう言って、彼女はとても小さく息をついた。

 

「よかったです」

 

 その()()()()が、妙に胸に残った。

 

 俺が軽く投げたものを、こいつはこんなにも大事に持っている。

 なら、こっちも少しくらいは真面目に受け止めるべきなのだろう。

 

「……フィーネ」

「はい」

「お前のその重さ、今すぐ全部は慣れん」

「ええ」

「だが、嫌ではない」

「……はい」

「だから、まあ」

 

 少しだけ視線を逸らす。

 

「これから調整していこう」

「調整」

「距離感とかな」

「善処します」

「本当に頼むぞ」

 

 フィーネは、数秒だけ黙っていた。

 それから、今まで見た中でいちばん柔らかい顔で笑った。

 

「はい、殿下」

「うん」

「では一生かけて、ちょうどよい重さを探します」

「一生が重いんだよなあ……」

 

 思わずそう呟くと、フィーネは嬉しそうに目を細めた。

 

「ええ。ですので、どうか途中で飽きないでくださいね」

「たぶん、もう飽きる暇がない」

「でしたら、何よりです」

 

 馬車は夕暮れの皇都を進む。

 窓の外では、石畳が黄金色に染まっていた。

 

 たった七日。

 まだ七日だ。

 

 なのに俺の隣には、もう当たり前みたいにこいつがいる。

 静かで、真面目で、よく見ていて、少し怖くて、やたらと重い。

 

 ――だが、不思議と悪くない。

 

 たぶん俺は、思っていたよりずっと早く、

 この重さに慣らされていくのだろう。

 

 そしてフィーネはたぶん、慣れた頃にはさらにその先まで来ている。

 

 ……うん。

 やっぱり、とんでもないものを拾ったな。

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