すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果 作:ヤンデレすこすこ侍
帝国学院学生会長、セレナ・ヴィルヘルミナ。
公爵家の長女にして、学院設立以来の最年少会長。
成績は学年首席。
魔術適性は水と風の複合。
礼法、政治学、統治論、どれを取っても穴がない。
そして何より厄介なのは、兄上――第一皇子派に連なる学院側の中心人物であることだ。
つまり。
敵ではない。
だが、味方でもない。
俺の周辺に何か異物が混ざれば、真っ先に確認しに来るタイプである。
そして今、その確認が始まろうとしていた。
「あなたが本当に、殿下の隣に立つ方なのか――少し確かめたくなりました」
訓練場の空気が、すっと張った。
周囲で見守っていた生徒たちも、さすがにもう口を挟まない。
ただ面白がっているだけの野次馬の空気ではない。
学生会長が直々に出てきた時点で、これは学院内の立ち位置を量る場になっていた。
フィーネは、静かにセレナを見返した。
「確かめる、と仰いますと」
「言葉通りです」
セレナは整った微笑みを崩さない。
「殿下のお側に立つ以上、ただ優秀であるだけでは足りません」
「……」
「立場を理解しているか。場を乱さぬだけの知性があるか。殿下のお言葉やお立場を、自分の感情で曇らせないか」
「学生会長らしい物言いだな」
俺が口を挟むと、セレナは視線だけこちらへ寄越した。
「学院の秩序に関わることですので」
「学院の秩序、ね」
「少なくとも、殿下が奴隷市から連れてきた少女が、わずか数日で編入し、当然のように隣にいる状況は、説明なしで流せるものではありません」
うわ、真正面から来た。
ぼかさないな、この女。
周囲の生徒たちが、息を潜める気配がした。
まあ、そうだろう。
みんな聞きたいのだ。
でも直接は聞けない。
だから学生会長が代わりに切り込んでくれるなら好都合、という顔をしている。
面倒くさい。
実に学院らしくて面倒くさい。
「ですので」
セレナはフィーネへ向き直る。
「あなた自身の口で示していただけますか」
「何をでしょう」
「あなたが、殿下の隣に立つに値する理由を」
……おお。
なかなか嫌な聞き方をする。
値する理由。
つまり、弁明しろということだ。
お前は何者で、何を根拠にここにいるのか、と。
普通の貴族子女なら、この時点で言葉を選びすぎて沈む。
あるいは、背後の権威を借りる。
殿下が望まれたのでとか、宮廷魔術師長のお墨付きでとか、そういう答えになる。
だが、フィーネは違った。
「値する理由は、まだありません」
訓練場が、しんと静まった。
セレナの眉が、わずかに動く。
「ほう」
「私はまだ編入したばかりで、学院内の実績も持っていません。家格もありません。人脈もありません」
フィーネの声はいつも通り静かだった。
言い訳の響きはない。
事実だけを並べている。
「ですので、現時点で値すると主張するのは不誠実です」
「では、値しないと?」
「少なくとも、証明前です」
周囲がざわめく。
ああ、うまい。
値しないとは言わない。
まだ証明していないに留めた。
否定ではなく、保留。
しかも、逃げでもない。
セレナもそれを感じ取ったらしい。
微笑みはそのままだが、目が少しだけ本気になった。
「では、何をもって証明なさるおつもりですか」
「結果で」
「具体性に欠けますね」
「でしたら具体的に申し上げます」
フィーネは一歩前へ出た。
「学業成績」
「……」
「礼法」
「……」
「魔術制御」
「……」
「対人判断」
「……」
「殿下に不要な負荷をかける者の選別」
最後だけ何か物騒だな?
案の定、セレナもそこに引っかかったらしい。
「選別、ですか」
「はい」
「排除ではなく?」
「必要であれば段階を踏みます」
「段階を踏んだ先に排除がありそうな言い方ですね」
「学院の秩序を尊重いたします」
「尊重した結果、ですか」
「はい」
怖い。
フィーネ、顔は無表情なのに会話の圧が強いんだよな。
俺が内心で頭を抱えていると、セレナがふっと息をついた。
「なるほど。少なくとも、自分が何者でないかは理解しているようですね」
「理解しております」
「その上で、殿下の隣に立つと」
「はい」
「随分な野心ですこと」
その言葉に、フィーネは首を横に振った。
「野心ではありません」
「では?」
「選択です」
短く、だがはっきりと言い切った。
「私は、殿下に拾われました」
「……」
「正確には、選ばれました」
「……」
「その時に、殿下は私へ、身分と教育と未来を与えてくださいました」
周囲の空気が変わる。
さっきまで面白半分に見ていた連中まで、黙って聞いていた。
「ですから私は、そのすべてを使って殿下の隣へ行くと決めました」
「恩返し、ですか」
「違います」
即答だった。
「恩だけでは、人はここまで来ません」
「では執着?」
「それに近いかもしれません」
「フィーネ」
思わず俺が呼ぶと、彼女は一瞬だけこちらを見た。
「事実ですので」
「言い切るなあ……」
ざわ、と周囲がまた揺れた。
セレナの微笑みが、少しだけ深くなる。
こいつ、楽しんでるな?
「ずいぶんと重いのですね」
「はい」
「殿下は少し困っておいでのようですが」
「それも存じています」
「それでも?」
「それでもです」
フィーネは迷いなく答えた。
「軽く受け取れるものではありませんでしたので」
「……」
「殿下は平気な顔で、人の人生を救います」
「おい」
「ですが救われた側は、それを平気な顔では受け取れません」
「……」
「だから私は、軽くしません」
まただ。
またこいつは、こういうところで俺の息を止める。
セレナもさすがに黙った。
たぶん今の一言で、ただ殿下に取り入った成り上がりではないと分かったのだろう。
打算なら、もっと見栄えのいい言い方をする。
もっと社交的で、もっと無難に、もっと貴族らしく飾る。
でもフィーネは違う。
飾らないくせに、妙に刺さる。
「……分かりました」
やがてセレナが言った。
「言葉は悪くありません」
「ありがとうございます」
「ですが、学院は言葉だけで立てる場所ではありません」
「承知しております」
「なら、ひとつ試しましょう」
嫌な予感しかしない。
しかもこの場で言うということは、衆目のある形でだ。
「三日後、学生会主催の合同討論会があります」
「討論会?」
俺が眉をひそめると、セレナはさらりと頷いた。
「毎月行っている公開形式の議論の場です。上級生から下級生まで見学自由。優秀者には学院側から推薦もつく」
「そんなものがあったな……」
「殿下は過去二回ほど欠席されております」
「覚えてなくていい」
「よく覚えております」
覚えてやがる。
「そこで」
セレナはフィーネを見る。
「あなたにも一席、用意しましょう」
「学生会長」
俺は口を開いた。
「編入したての人間を、いきなり公開討論の席に?」
「ええ」
「潰す気か?」
「潰れる程度なら、その先でいずれ潰れます」
冷静すぎる。
だが間違ってはいないのが腹立たしい。
「テーマは?」
フィーネが聞く。
セレナは少しだけ間を置いてから告げた。
「才能と出自、いずれが統治者の側近に必要か」
「うわあ」
俺、思わず声に出た。
最悪だ。
学院生が好きそうな題材で、なおかつ今のフィーネに一番刺さるやつだ。
出自のないフィーネ。
才能を認めた俺。
そして俺の隣に立とうとしている現状。
どう転んでも注目される。
セレナは俺の反応を見て、ほんの少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「よい題材でしょう?」
「趣味が悪いな」
「学院らしい、とお褒めください」
褒めてない。
「……受けます」
フィーネが言った。
俺はすぐそちらを見る。
「おい」
「必要なのでしょう」
「必要かもしれんが、いきなりすぎる」
「ですが、逃げる理由がありません」
そう言って、フィーネは俺にだけ分かるくらい、ほんの少し口元を緩めた。
「殿下の隣に立つ証明ですので」
「お前、そういう時だけ格好いいこと言うよな」
「普段から言っております」
「普段は重いんだよ」
周囲に小さな笑いが漏れた。
空気が少しだけほぐれる。
セレナはそのやり取りを見ていたが、やがて静かに言った。
「では決まりですね」
「学生会長」
フィーネが呼び止める。
「ひとつ、お聞きしても」
「何かしら」
「これは、学院の秩序のためですか」
「半分は」
「残り半分は?」
「個人的な興味です」
即答だった。
セレナは涼しい顔のまま続ける。
「殿下がここまで表に出して庇う方を、私はまだ見たことがありません」
「……」
「ですので、見てみたくなりました。あなたが本物かどうかを」
「本物でなかった場合は?」
「学院では埋もれていただきます」
「本物だった場合は?」
「その時は」
セレナは、ほんの少しだけ微笑みを深くした。
「歓迎いたします。全力で」
……ああ。
なるほど。
こいつ、最初から敵意だけで来たわけじゃない。
見定めに来たのだ。
使えるかどうか。
学院という場に置くに値するかどうか。
そしてたぶん、将来的に皇族の周辺へ食い込むに足るかどうかまで。
面倒だが、筋は通っている。
「分かった」
俺は一歩前へ出た。
「討論会には俺も出る」
「殿下が?」
セレナが珍しく目を瞬かせた。
周囲も一気にざわつく。
「なんだ、その顔は」
「いえ。欠席常習の殿下が、自ら出席を?」
「うるさいな」
「これは学院史に残るかもしれません」
「残すな」
だが、俺にも譲れない線はある。
「フィーネ一人を、初手から野次馬の前に立たせる気はない」
「殿下」
フィーネが何か言いかけたが、俺は先に言った。
「勘違いするな。庇うだけじゃない」
「……」
「お前が俺の隣に立つって言うなら、俺もその場には立つ」
一瞬、フィーネが黙る。
その灰銀の目が、少しだけ揺れた。
こういう時、こいつは本当に分かりやすくなる。
「不満か?」
「……いえ」
「ならいい」
「少しだけ」
「あるのかよ」
「嬉しいです」
小さく、だがはっきりと。
そんなことを言うから困る。
セレナが、面白そうに目を細めた。
「よろしいですね。三日後、中央講堂にて」
「ああ」
「逃げないでくださいませ、殿下」
「お前らは俺をなんだと思ってる」
「放っておくと静かに消える方かと」
「否定しづらいな……」
セレナは一礼すると、踵を返した。
取り巻きもいない。
最後まで一人で来て、一人で去っていく。
あの辺りも、いかにも彼女らしい。
その背を見送りながら、俺は深く息を吐いた。
「……面倒だ」
「はい」
「学院ってやつは本当に面倒だな」
「ですが」
フィーネはまっすぐ前を見たまま言う。
「ちょうどよかったです」
「何が」
「証明の機会を、向こうから差し出してくださったので」
「前向きだな」
「殿下の隣に立つには、いずれ必要なことです」
「まあ、それはそうだが」
俺は彼女を横目で見た。
「緊張してないのか」
「しています」
「そうは見えん」
「見せても意味がありませんので」
「最初に会った時と同じこと言ったな」
「ええ」
フィーネはそこで、ほんの少しだけ笑った。
「ですが、今回は少し違います」
「どう違う」
「あの時は一人でした」
「……」
「今は、殿下が隣にいてくださるので」
やめろ。
そういう素直な重さは不意打ちで来るから危ない。
「……フィーネ」
「はい」
「討論会でそれ言うなよ」
「なぜです」
「俺の心臓に悪い」
「殿下にも弱点はあるのですね」
「お前のせいで増えてる気がする」
フィーネは小さく息をついた。
「では、三日で準備します」
「もう切り替えたのか」
「当然です」
「何をやる」
「過去の討論会記録、主要出席者の傾向、学院派閥の発言傾向、統治論と側近論の主要文献の確認」
「多いな」
「あと、殿下の過去の失言集も」
「なんで!?」
「回避のためです」
「そんなにあるのか」
「収集中です」
「怖い怖い怖い」
周囲の生徒たちが、今度は明らかに笑いを堪えていた。
さっきまでの張りつめた空気が、奇妙に和らいでいる。
……なるほど。
こういうところかもしれない。
フィーネは場を支配するタイプではない。
だが、場の温度を自分の側へ引き寄せる。
静かなまま。
無理なく。
それでいて、相手に主導権を渡しきらない。
厄介だ。
そして、強い。
「殿下」
「なんだ」
「本日中に、学院図書館の統治論区画へ案内していただけますか」
「俺が?」
「殿下の同伴ですと、閲覧制限の一部が緩みます」
「そういう使い方をするのか」
「使えるものは使うべきです」
「頼もしいな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてはいる」
するとフィーネは、ほんの少しだけ俺に近づいて、小声で言った。
「それと」
「ん?」
「三日後、講堂では隣にいてくださいね」
「……さっきと言ってること同じだぞ」
「大事なことですので」
「重い」
「はい」
開き直りやがった。
だが、その『はい』に、もう周囲は引かなかった。
むしろ、何人かは妙に納得した顔をしていた。
たぶんみんな薄々分かり始めているのだ。
フィーネはただ俺にすがっている女ではない。
俺の隣に立つと決めて、本気でそこへ来ようとしているのだと。
そして俺も、たぶん。
こいつがその席へ来るのを、どこかで当然のように思い始めている。
「……よし」
俺は肩を回した。
「図書館だな。行くぞ」
「はい、殿下」
「その前に飯だ」
「承知しました」
「あと討論会の準備、徹夜はするなよ」
「必要なら」
「する気だな?」
「効率次第です」
「睡眠を削るな」
「殿下がご一緒に早くお休みくださるなら」
「なんでそうなる?」
「生活管理の一環です」
「俺まで管理対象に入れるな」
また笑いが漏れた。
訓練場に残っていた生徒たちの視線は、もう好奇心だけではなかった。
値踏みでも、侮りでもない。
少なくとも一度は見てみたい、という目だ。
三日後。
中央講堂。
公開討論会。
面倒くさい。
ものすごく面倒くさい。
だが――
隣を歩く灰銀の少女は、もう迷っていなかった。
静かな顔のまま、まっすぐ前を見ている。