すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第八話

 帝国学院図書館は、相変わらず無駄に威圧感がある。

 

 白い石造りの本館に、左右へ伸びる閲覧棟。

 入口上部には、開かれた本と帝国章を組み合わせた紋章。

 静謐だの叡智だの、そういう言葉を建物の形にしたらこうなる、みたいな顔をしている。

 

 嫌いではない。

 だが好きかと言われると、微妙だ。

 主に、ここへ来ると「殿下、最近こちらでお見かけしませんでしたね」と、司書がやたら良い笑顔で言ってくるからである。

 

「レオンハルト殿下」

 

 案の定、入った瞬間に声をかけられた。

 初老の司書長、ベルナールだ。

 眼鏡の奥の目が細い。

 人当たりは柔らかいが、貸出期限には一切容赦がない。

 

「珍しいですね」

「失礼な。たまには来る」

「前回は二か月と十一日前でございます」

「覚えてなくていい」

「司書ですので」

 

 うっかり納得しそうになった。

 悔しい。

 

「本日はどのようなご用件で?」

「統治論区画を使いたい。閲覧制限付きも含めて」

「殿下でしたらもちろん」

 

 そこまで言ってから、ベルナールは俺の隣に立つフィーネを見た。

 視線は一瞬だけだが、情報量は多い。

 誰か、どこまで同行を許されているか、どの程度の扱いなのか。

 その全部を測っている。

 

 まあ、司書長ともなればそうか。

 

「こちらの方は」

「フィーネだ」

「編入生の方ですね」

「もう知ってるのか」

「本の動きより早く噂が届く日もございます」

 

 図書館にまで広がってるのか。

 学院、狭いな。

 

「彼女にも、俺と同等の閲覧補助をつける」

「殿下と同等、ですか」

 

 ベルナールの声色は変わらない。

 だが、意味は確認している。

 単なる付き添いではなく、閲覧権限を一時的に広げろ、という命令だ。

 

「ああ」

「かしこまりました」

 

 即答だった。

 ありがたい。

 こういう時、皇族は便利である。

 

「ありがとうございます」

 

 フィーネが言うと、ベルナールは軽く一礼した。

 

「礼には及びません。殿下のご命令ですので」

「それでもです」

「……なるほど」

 

 司書長はごくわずかに目を細めた。

 ああ、分かったな。

 こいつはただ俺の後ろに立ってるだけじゃない、と。

 

「でしたら、制限区画第三室をご用意いたします。統治論、側近論、貴族法、帝室慣例集あたりで?」

「あと過去の討論会記録」

 

 フィーネが付け加える。

 

「学生会主催分、可能なら直近三年」

「ございます」

「学院主要派閥ごとの発言傾向が分かる資料も」

「ございます」

「公開討論会で評価基準とされる項目一覧も」

「ございます」

「……何でもあるな、この図書館」

 

 俺が言うと、ベルナールは淡々と頷いた。

 

「学院に必要なものは、概ね」

 

 怖いな。

 知の暴力って感じがする。

 

 第三室へ通されると、フィーネは椅子に座る前から動き始めた。

 

 机上に資料を並べ、

 分野ごとに山を分け、

 書記具の位置を整え、

 ついでに俺の席まで勝手に決めた。

 

「おい」

「何でしょう」

「自然に俺の席が固定されたんだが」

「採光と出入口確認、両方に適しております」

「そういう問題じゃない」

「殿下は落ち着きがないので、外に意識が逃げにくい位置の方がよろしいかと」

「ひどくない?」

「事実です」

「反論しづらいな……」

 

 フィーネは何冊か俺の前に置いた。

 

「殿下はこちらを」

「多い」

「絞りました」

「絞ってこれ?」

「はい」

「怖いな」

 

 題名を見る。

 

『帝国統治補論・上』

『側近登用における家格と能力』

『皇族補佐官列伝・抄』

『討論会傾向集計録』

 

 うわ。

 真面目だ。

 予想以上に真面目だ。

 しかも、どれも絶妙に嫌なところを突いてくる。

 

「テーマ、才能と出自、いずれが統治者の側近に必要か、でしたね」

「ああ」

「正面から受けると危険です」

「だろうな」

「単純に才能があれば十分と言えば、秩序軽視だと叩かれます」

「うむ」

「逆に出自が必要と認めれば、私自身が立場を失います」

「うむ」

「ですので、二項対立の形そのものを崩します」

「ん?」

 

 フィーネは紙へさらさらと書いた。

 

 才能。

 出自。

 規律。

 忠誠。

 判断。

 持続性。

 

「側近に必要なのは、単一の札ではありません」

「札」

「評価項目です」

「言い方が容赦ないな」

「討論の場では、感情より構造です」

「学生会長みたいなこと言うな」

「嫌ですか?」

「嫌ではないが、少し面倒だ」

「学院ですので」

 

 はい出た。

 便利な言葉だな、学院。

 

「主張の骨子はこうです」

 

 フィーネは紙を俺に向けた。

 

「出自は初期信頼に寄与します」

「うん」

「才能は実務能力に寄与します」

「うん」

「ですが、側近として最も重要なのは継続的に統治者の利益と秩序を両立できる判断力です」

「……」

「つまり、出自か才能か、ではなく」

「判断力の話に持っていくのか」

「はい」

「なるほど」

 

 それは強い。

 どちらか一方を捨てる話ではなく、上位概念へずらす。

 しかも秩序を入れているから、貴族連中からも露骨に反発されにくい。

 

「さらに」

 

 フィーネはページをめくる。

 

「出自は裏切りの保証になりません」

「おっと」

「才能も忠誠の保証になりません」

「おっと」

「よって、採用時点の札だけを絶対視するのは、統治上むしろ危険です」

「それ、まあまあ刺さるな」

「刺しますので」

「言い方ぁ」

 

 だが分かる。

 この議題、表面上はフィーネを試すためのものだ。

 けれど少し深く潜れば、名門貴族子弟たちの自尊心そのものにも触れる。

 出自を絶対視すれば、彼らは気持ちよくなれる。

 だからこそ、それを真正面から切るには筋が要る。

 

「殿下」

「なんだ」

「あなたは本番で、どの程度口を挟まれますか」

「俺?」

「はい」

「できれば少なめがいいな。お前の証明の場なんだろ」

「はい。ですが、ゼロにはしないでください」

「なぜ」

「殿下が沈黙しすぎると、庇ってもらえないと解釈されます」

「あー……」

「逆に喋りすぎると、結局殿下の権威頼みになります」

「面倒くさい」

「学院ですので」

「二回目だぞ」

 

 フィーネは小さく頷いた。

 

「ですので、殿下には一度だけ、明確な後ろ盾として言っていただきます」

「何を」

「私は結果で人を置く、と」

「短いな」

「短くてよいのです」

「理由は?」

「長く語ると、議題の中心が殿下に移ります」

「なるほど」

「本番の主語は、私であるべきです」

 

 ……強いな、やっぱり。

 しかも自分を主語にしろと言いながら、俺の立場も計算に入れている。

 ただ前に出たいだけじゃない。

 前に出る意味と角度を、ちゃんと選んでいる。

 

「殿下」

「うん?」

「聞いておられますか」

「聞いてる」

「いま少しだけ、ぼんやりされていました」

「お前が思ったより強いなと考えてた」

「ありがとうございます」

「褒めたが」

「存じています」

「その上で平然と返すの、最近慣れてきたな」

「学習しました」

「怖い」

 

 資料読みは、思った以上に進んだ。

 いや、正確には、フィーネが進めた。

 俺は横で必要なところを拾い、たまに意見を出し、たまに脱線しそうになって戻された。

 

「殿下」

「はい」

「今のページは政治風刺詩集です」

「……」

「なぜ統治論から逸れたのですか」

「タイトルが面白そうだった」

「後でです」

「読ませてくれないのか」

「討論会の後に」

「保護者か?」

「管理者です」

「もっと怖い」

 

 夕刻には、机の上にかなり形ができていた。

 論点整理。

 反論の想定。

 セレナ側が使ってきそうな理屈。

 それに対する返し。

 さらに、会場で空気がどちらへ流れた時に何を優先するかまで。

 

「本当に初めてか、これ」

 

 俺が言うと、フィーネは首を傾げた。

 

「討論会参加は初めてです」

「向いてるな」

「そうでしょうか」

「少なくとも、俺よりは」

「殿下は別方向に強いです」

「慰めになってない」

「事実です」

「便利だな、その返し」

 

 フィーネは手元の紙を整え、それから少しだけ声を落とした。

 

「ですが」

「ん?」

「本番は、やはり緊張すると思います」

「お、言うんだな」

「嘘をついても意味がありませんので」

「そうだな」

 

 俺は椅子の背にもたれた。

 

「怖いか?」

「少し」

「逃げたいか?」

「いいえ」

「なら大丈夫だ」

「ずいぶん雑ですね」

「雑じゃない。だいたい合ってる」

 

 フィーネは俺を見た。

 灰銀の目が、わずかに柔らかくなる。

 

「殿下は時々、驚くほど適当な言葉で核心を突かれますね」

「褒めてる?」

「半分ほど」

「残り半分は?」

「改善の余地です」

「容赦ないな」

 

 その日の帰り際、第三室を出るところで、セレナと鉢合わせた。

 

 いや、正確には。

 たぶん向こうが時間を合わせていた。

 

「熱心ですね」

 

 学生会長は、いつもの涼しい顔で立っていた。

 

「感心いたしました」

「監視か?」

 

 俺が言うと、

 

「確認です」

 

 と、セレナは平然と返した。

 

「殿下が本当に欠席なさらないかどうか」

「俺の信用低くない?」

「実績に基づいております」

「こいつ、毎回刺しにくるな」

 

 フィーネは静かに一礼した。

 

「学生会長」

「準備は進みましたか」

「はい」

「自信は?」

「ございます」

「ほう」

 

 セレナは少しだけ興味深そうに眉を上げた。

 

「初参加にしては、随分落ち着いているのですね」

「内心は緊張しております」

「そうは見えません」

「見せても利がありませんので」

「……なるほど」

 

 セレナが一瞬、目を細める。

 ああ、気に入ったな。

 こういう返し、こいつ好きそうだ。

 

「では三日後、楽しみにしております」

「ええ。私もです」

「頼もしいこと」

 

 すれ違う寸前、セレナは俺にだけ聞こえるくらいの声で言った。

 

「殿下」

「なんだ」

「少し、面白くなってまいりましたね」

「お前が面白がるとろくなことにならん」

「学院ですので」

「お前までそれ言うのかよ……」

 

 学生会長は、ほんのわずかに笑って去っていった。

 

 その背を見送りながら、俺はため息をつく。

 

「面倒だな」

「はい」

「本当に面倒だ」

「ですが」

 

 フィーネは隣で言う。

 

「悪くはありません」

「お前、こういうの嫌いじゃないだろ」

「嫌いではありません」

「だろうな」

「殿下の隣で立つには、ちょうどよい壁ですので」

「言うことが毎回重いんだよなあ」

 

 

   ***

 

 

 そして三日後。

 

 中央講堂は、思った以上に埋まっていた。

 

 ……いや、埋まりすぎだろ。

 上級生も下級生も、教員まで混ざっている。

 公開討論会は元から人が入る行事らしいが、今日は明らかに別件目当てだ。

 

 編入初日の新入り。

 第三皇子が表に出した少女。

 学生会長直々の指名。

 餌としては十分すぎる。

 

「うわあ……」

 

 思わず声が出た。

 

「多いな」

「はい」

 

 フィーネは答える。

 

「多いです」

「緊張は?」

「しております」

「見えん」

「見せても意味がありませんので」

「それ何回目だ」

「便利ですので」

「認めるな」

 

 講堂内は、半円状の席の中央に演壇。

 左右に討論者用の卓。

 正面上段には司会席と記録係。

 そして最前列中央に、学生会長セレナ・ヴィルヘルミナ。

 

 似合うな、くそ。

 ああいう場の中心は、あいつのためにあるようなものだ。

 

「殿下」

「なんだ」

「ひとつだけ」

「うん?」

「先ほどのお約束、覚えておられますか」

「結果で人を置く、だろ」

「はい」

「覚えてる」

「ありがとうございます」

 

 フィーネはそこで、ほんの少しだけ息をついた。

 深呼吸に近い。

 ああ、やっぱり緊張してるんだな。

 

「フィーネ」

「はい」

「大丈夫だ」

「雑ですね」

「お前、それ好きだろ」

「少しだけ」

「ならいい」

 

 開会が告げられる。

 司会の教員が立ち、形式とテーマを読み上げた。

 

「本日の議題は――才能と出自、いずれが統治者の側近に必要か」

 

 講堂が静まる。

 

「討論者は、学生会推薦代表二名。加えて特例参加者一名」

 

 そこで、教員の視線がフィーネへ向いた。

 

「編入生、フィーネ」

 

 ざわ、と空気が揺れた。

 だが、フィーネは動じない。

 すっと立ち上がり、壇上へ向かう。

 

 その歩き方を見た瞬間、少しだけ安心した。

 足がぶれていない。

 視線も下がっていない。

 ちゃんと、前に出る人間の顔をしている。

 

 対する学生会推薦代表は二人。

 一人は、侯爵家三男のベンノ・エドフェルト。

 理屈屋で、討論会の常連だ。

 もう一人は、伯爵令嬢ミレイユ・ソルテ。

 礼法と政治史に強く、柔らかい物腰で相手を締めるタイプ。

 

 ……嫌な組み合わせだな。

 露骨な悪役ではない。

 ちゃんと優秀で、しかも学院内評価も高い。

 だからこそ、ここで勝てば意味がある。

 

 討論は、まずベンノから始まった。

 

「側近とは、統治者の判断を補佐し、時に代行する立場です。ならば必要なのは、まず出自です」

 

 予想通りだ。

 筋は通っている。

 家格ある者は幼少から教育を受け、政治的責任の重さも知る。

 背負うものがある。

 だから軽率に動かない――そんな論だ。

 

「才能はもちろん重要です。ですが、才能は暴走し得る。出自は、その才に最初から枠と責任を与えるのです」

 

 うまいな。

 単なる血統主義じゃない。

 秩序の言葉で包んでくる。

 

 続くミレイユも綺麗に重ねた。

 

「加えて、側近は主君だけでなく、その周囲――貴族、官僚、軍、民との橋渡しも担います」

「橋渡し」

「ええ。その際、出自は共通言語になります。信頼を築く速度が違う。統治は理想だけでは回りません」

 

 講堂のあちこちで、小さく頷きが起きた。

 分かる。

 貴族社会では、これは現実論として強い。

 

 そして、フィーネの番になった。

 

 講堂がまた静まる。

 ほんのわずかに。

 本当にわずかにだけ、彼女が息を吸うのが見えた。

 

「私は、出自か才能か、という問いそのものに、少し補足が必要だと考えます」

 

 第一声は、驚くほどよく通った。

 派手ではない。

 だが、聞かせる声だ。

 

「出自は確かに、初期信頼に寄与します」

 

 ざわめきが少し収まる。

 

「名門に生まれ、早くから教育を受けた者が有利なのは事実です。否定いたしません」

 

 ほう、と思った顔が何人もいた。

 真正面から否定しない。

 そこがうまい。

 

「同様に、才能は実務能力に寄与します。知識、判断、交渉、魔術、事務処理。どれも側近には必要です」

「ならば」

 

 ベンノがすぐ切り込む。

 

「結局は、出自と才能の双方が必要だという凡庸な結論では?」

「いいえ」

 

 フィーネは首を横に振った。

 

「必要条件を並べるだけでは、不十分です」

 

 講堂が静まる。

 お、掴んだな。

 

「側近に最も必要なのは、統治者の利益と、国家の秩序と、現場の現実。その三つを、継続して両立させる判断力です」

 

 そこで少し間を置く。

 

「出自は、その判断力の保証にはなりません」

 

 ざわ、と空気が走った。

 

「才能もまた、保証にはなりません」

 

 来た。

 ここだ。

 

「高い家格は、責任教育を受ける機会を与えます。ですが、責任教育を受けた者が常に正しく判断するとは限りません」

「……」

「優れた才能は、成果を出す力を与えます。ですが、成果を出せる者が常に忠実であるとも限りません」

 

 ベンノの目が細くなる。

 ミレイユも笑みを薄くした。

 効いてるな。

 

「よって、統治者の側近を選ぶ際に、出自か才能かの二択へ単純化するのは危険です」

「危険、とは?」

 

 ミレイユが問う。

 

「見誤るからです」

 

 フィーネは、落ち着いて答えた。

 

「出自を過信すれば、無能や怠慢を見逃します。才能を過信すれば、秩序軽視や逸脱を招きます」

「では、何を見るべきだと?」

「その人物が、何を拠り所に判断するかです」

 

 いい。

 きれいだ。

 そして、ちゃんと自分の話に戻せている。

 

「主君の利益だけを見る者は、国家を損ねるかもしれません。国家だけを見る者は、主君を裏切るかもしれません。秩序だけを見る者は、必要な変化を拒むかもしれません」

「……」

「ですから側近には、複数の価値を同時に抱えたまま、最適解ではなく最善手を選び続ける力が必要です」

 

 講堂が、今度は真面目に聞き始めた。

 さっきまでの野次馬半分の空気が、少し変わった。

 

 ベンノがすぐ反撃する。

 

「理想論ですね」

「そうでしょうか」

「判断力は目に見えない。出自や経歴は、少なくとも可視化された指標です。現実の統治では、測れぬものより、測れるものを重んじるべきでは?」

「だからこそ、観察が必要です」

 

 フィーネは一歩も引かない。

 

「測れる札だけで人を置くなら、見抜く者は不要になります」

「……」

「ですが実際には、統治者は人を見抜かねばならない」

「それは統治者の役目でしょう」

「はい。だからこそ、側近にも同質の判断力が要るのです」

 

 うまい。

 側近とは、統治者の縮図であるべきという話に近い。

 それを真正面から言い切らず、自然につないでる。

 

 そしてミレイユが、柔らかい声で差し込んだ。

 

「では、お尋ねします。判断力を最重視するとして、その判断力はどこで育まれるのでしょう」

「環境の影響は大きいでしょう」

「ええ。つまり、良き環境――教育、礼法、責任、他者との関わり。そうしたものを早くから得られる出自には、やはり意味があるのでは?」

 

 ……うまい。

 議論を戻しつつ、しかも上品だ。

 こっちの方が手強いな。

 

 だがフィーネは、少しも急がなかった。

 

「意味はあります」

「では」

「ただし、それは()()であって()()ではありません」

 

 講堂の空気が、また少し動く。

 

「育ちが人を形づくるのは事実です。けれど、育ちだけで完成する人間もいません」

「……」

「統治の場で求められるのは、完成品の出荷ではなく、変化し続けられる者です」

 

 おっと。

 その言い回し、結構好きだな。

 

「出自が有利に働く場面はあるでしょう。ですが、その利を維持できるかは本人次第です」

「では、あなたは」

 

 ベンノが言う。

 

「あなた自身は、その()()()()の側に立つと?」

 

 講堂が少しざわついた。

 来たな、本題。

 議論の一般論から、フィーネ個人へ寄せてきた。

 

「はい」

 

 フィーネは即答した。

 

「私は出自において不利です」

 

 またざわつく。

 だが止まらない。

 

「学院内の実績も乏しい」

「……」

「ですが、それを理由に、自らを低く固定するつもりはありません」

 

 言い切った。

 いいな。

 実にいい。

 

「私は、与えられなかったものを数えるより、これから積み上げられるものを選びます」

「きれいごとでは?」

「現実です」

 

 フィーネの声は静かだ。

 なのに、妙に刺さる。

 

「持たぬ者は、積み上げるしかありません」

「……」

「持つ者は、積み上げなくてもよいのですか?」

「そんなことは」

「ないはずです」

 

 ベンノが言葉を継ぐ前に、フィーネが続ける。

 

「ならば問うべきは、最初に何を持っていたかではなく、何を積み上げ、何を守り、何を選び続けるかです」

 

 おお。

 返した。

 しかも綺麗に。

 

 少しの沈黙。

 それを破ったのは、司会ではなくセレナだった。

 

「レオンハルト殿下」

 

 学生会長の声が講堂に響く。

 

「あなたにも、ひとつ伺ってよろしいですか」

 

 来たか。

 俺は椅子に深く腰掛けたまま、視線だけ上げた。

 

「内容による」

「殿下は、側近を置く際、何を最も重視されますか」

 

 講堂中の視線が、一斉に集まる。

 うわ、嫌な感じだな。

 だが約束通りだ。

 

 俺は一度だけ、壇上のフィーネを見た。

 彼女は何も言わない。

 ただ、こちらを見ている。

 

「俺は」

 

 短く切る。

 

「結果で人を置く」

 

 講堂がしんとした。

 さらに俺は続ける。

 

「ただし、目先の結果だけじゃない」

「……」

「継続して、何を守り、何を成せるかだ」

 

 よし。

 ここまでだな。

 それ以上は喋りすぎる。

 

 セレナは数秒こちらを見ていたが、やがて静かに頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 そして視線をフィーネへ戻す。

 

「今のお言葉を、あなたはどう受け取りますか」

「厳しい評価だと」

 

 フィーネは答えた。

 

「同時に、公平な評価でもあります」

「公平?」

「はい」

 

 フィーネは壇上でまっすぐ立ったまま言う。

 

「出自は、機会の不公平を埋めません」

「……」

「才能は、責任の不公平を埋めません」

「……」

「ですが結果は、少なくともその場において、誰にでも問われます」

 

 講堂の空気が変わった。

 これは、たぶん。

 かなり変わった。

 

「だから私は、結果で示します」

「何を」

 

 セレナが問う。

 フィーネが答える。

 

「私が、殿下の隣に立つに足るかを」

 

 ざわめきが起こる。

 でも、そのざわめきはもう、面白半分ではない。

 少なくとも最初よりは。

 

 フィーネは最後に、ほんの少しだけ声を和らげた。

 

「出自を軽んじるつもりはありません。才を過信するつもりもありません」

「……」

「ただ、どちらか一枚の札で人を決めることには、賛同できません」

「なぜですか」

「人は、それより少しだけ複雑ですので」

 

 そこで、講堂のどこかから小さな笑いが漏れた。

 悪くない。

 張りつめた空気が、ちょうどよくほどける。

 

 司会が討論終了を告げる。

 評価は即時ではなく、学生会と教員での協議後に発表されるらしい。

 なんとも学院らしい。

 最後まで面倒だ。

 

 だが、壇上を降りてきたフィーネの顔を見た瞬間、俺は思った。

 

 勝ったな、と。

 

「どうだった」

 

 俺が聞くと、

 

「緊張しました」

 

 フィーネはいつも通りの声で答えた。

 

「ですが、途中から少し楽しくなってきました」

「だろうな」

「分かりますか」

「お前、途中で目が輝いてたぞ」

「……それは少し不本意です」

「そうか? 似合ってた」

「ありがとうございます」

 

 その時、周囲から何人かの生徒が視線を向けてきた。

 露骨に話しかけるまではいかない。

 でも、前とは違う。

 値踏みでも、好奇心でもない。

 もう一歩近い、認識の視線だ。

 

 ああ、なるほど。

 これが()()()()()ってやつか。

 

「フィーネ」

「はい」

「証明、第一歩くらいにはなったんじゃないか」

「そうでしょうか」

「なった」

「でしたら、よかったです」

 

 そう言ったところで、人垣が静かに割れた。

 セレナがこちらへ歩いてくる。

 

「お疲れさまでした」

 

 学生会長はそう言って、フィーネの前で止まった。

 

「見事でした」

「ありがとうございます」

「少なくとも、言葉だけの方ではないと分かりました」

「光栄です」

「ええ。認識を改めましょう」

 

 そこでセレナは、ほんの少しだけ口元を和らげた。

 

「ようこそ、帝国学院へ」

「……ありがとうございます」

 

 フィーネがそう返すと、周囲の空気がまた少しだけ変わった。

 学生会長が公の場で認めた。

 それはこの学院では、かなり大きい。

 

 セレナは俺へ向き直る。

 

「殿下」

「なんだ」

「今回は欠席なさらなくて正解でしたね」

「いちいち棘があるな、お前」

「評価です」

「便利な言葉が多いな、学生会」

 

 セレナは小さく笑い、それからフィーネへ視線を戻した。

 

「ただし」

「はい」

「歓迎と、油断は別です」

「承知しております」

「学院は一度認めた者にも、次を求めます」

「望むところです」

「……やはり、少し学院向きですね、あなた」

「それは褒め言葉として受け取ってよろしいのでしょうか」

「ええ、たぶん」

 

 珍しいな。

 この女が、たぶん、とつけるの。

 

 セレナが去ったあと、俺は講堂を見渡した。

 まだ人は多い。

 でももう、空気が違う。

 

「面倒だったな」

「はい」

「だが悪くなかった」

「はい」

「お前もそう思うか」

「はい」

 

 フィーネは静かに頷いた。

 

「殿下が、いてくださいましたので」

「またそれか」

「大事なことですので」

「重い」

「知っております」

 

 開き直るなあ。

 

 だが、その、知っておりますが、妙に可笑しくて。

 俺は少しだけ笑った。

 

「よし」

「はい」

「頑張った褒美に、帰りに甘いものでも食うか」

「ご褒美が生活的ですね」

「生活は大事だからな」

「以前も仰っていました」

「よく覚えてるな」

「当然です」

 

 当然らしい。

 怖いな。

 

「ただし」

 

 フィーネは少しだけ考えるように言った。

 

「その前に、討論会の反省点をまとめても?」

「今!?」

「熱があるうちに」

「お前ほんとに真面目だな」

「殿下の隣に立つ証明の途中ですので」

「そういう時だけ格好いいな」

「普段からです」

「普段は重い」

 

 講堂の外へ向かって歩き出す。

 その途中、何人かの生徒が道を空けた。

 今までとは違う空け方だった。

 皇子に対してでも、珍しい編入生に対してでもない。

 

 ちゃんと、一人の人間として。

 少なくとも少しは、そう見た上での道の空け方だ。

 

 フィーネもそれに気づいたらしい。

 横顔は変わらない。

 だが、ほんの少しだけ、呼吸が柔らかい。

 

「なあ」

「はい」

「嬉しいか?」

「少し」

「そうか」

「ですが、まだ足りません」

「だろうな」

「はい」

 

 フィーネはまっすぐ前を見たまま言う。

 

「まだ、殿下の隣に立ったと胸を張れるほどではありません」

「厳しいな、自分に」

「必要ですので」

「でも今日、結構よかったぞ」

「ありがとうございます」

「褒めてる」

「存じております」

 

 最近、本当にこの返し増えたな。

 

 講堂の扉を開けると、夕方の光が差し込んだ。

 白い石畳がやけに眩しい。

 風が少しだけ冷たい。

 

「……でもまあ」

 

 俺はぼそっと言う。

 

「もう半分くらい、来てる気はする」

「半分」

「俺の隣まで」

「……」

 

 フィーネが足を止めた。

 珍しい。

 ほんのわずかにだけ、目が揺れる。

 

「殿下」

「なんだ」

「そのようなことを、不意に仰らないでください」

「なぜ」

「心臓に悪いです」

「お前にもそういうのあるんだな」

「あります」

「知らなかった」

「私も今知りました」

 

 その言い方が、妙に素直で。

 思わず笑いそうになる。

 

「じゃあ、おあいこだな」

「何がでしょう」

「お前もたまに、俺の心臓に悪い」

「……光栄です」

「そこは謝れよ」

「難しいですね」

「だろうなあ」

 

 夕暮れの学院を、二人で歩く。

 

 前より、少しだけ自然に。

 前より、少しだけ近く。

 

 三日前までは、ただの編入生だった。

 今日、少なくとも学院は、フィーネという名前をちゃんと覚えたはずだ。

 

 そしてきっと、これで終わりじゃない。

 むしろここからだ。

 学生会長に認められた以上、次はもっと面倒な連中が出てくる。

 

 貴族派閥。

 兄上の周辺。

 教師陣。

 あるいは、宮廷そのもの。

 

 面倒くさい。

 本当に面倒くさい。

 

 だが、隣を歩く少女は、もう迷っていない。

 

 灰銀の髪を夕光に透かせながら、静かな顔で前を見ている。

 その横顔は、三日前よりずっと学院に馴染んでいて。

 それでいて、まだどこにも染まりきっていない。

 

 たぶん、こいつはこれからも証明し続けるのだろう。

 何度でも。

 何人相手でも。

 俺の隣に立つと決めた、その先まで。

 

 ――だからまあ。

 

 少しぐらいは、期待してもいいのかもしれない。

 

 面倒だが。

 ものすごく面倒だが。

 

 これこそが俺が望んでいたものなのかもしれない。

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