イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~ 作:hh9528
瓜田に履を納れず。疑いを招くようなことはするな、という故事成語
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百鬼夜行自治区の北の果て。夏というのにまだ雪の解けていない部分が残る大雪原。
ここは、あらゆる怪談が集まり絡み合う場所。旧勘解由小路邸『彼岸亭』。
廃墟も同然の外見をしているが、それなりに生活感と手入れの行き届いた建物の中で、怪談家・箭吹シュロは筆を人中に挟み、口をとがらせながら何かを考え込んでいた。
「うーん……」
さっぱり、さっぱり、さっぱりわからない。
噂の根元を辿ってみれば、アザミでも、コクリコ様ご本人でもなく。ただコクリコ様に追い出された、名前も思い出せないような出来損ないの女の子が始まりだったとは。
よりにもよって『黄昏』から無事に生還したというのも奇妙な話だがー精神が少々おかしくなってしまったとしてもーコクリコ様は「放っておきな。」と指示された。
そのせいでアザミもシュロも納得がいかなかった。
それぞれなりのやり方で追ってはいるが、この剽窃に近い種は明らかに花鳥風月とは無関係だというのが朱露の結論だった。
そしてそれは、背後で腕を組んで見つめていたアザミも同じようだった。出所も、最初の発生地も、すべてが霧のように『視線』という光の中に散っていく。
「ああもう! むかつく!」
シュロは握っていた筆と紙を放り投げ、目の前の机を足で蹴りつけながら勢いよく立ち上がった。その表情は、沸き上がる怒りを抑えきれない様子に見えた。
「珍しいね、おバカさん。考えが一致するなんて」
土生アザミ。花鳥風月部の怪芸家にして、黄昏に飲み込まれたアヤメが引き起こした『ヒトツメ』事件の真の主犯。
髪の毛の先が蛇のしゅうしゅうと威嚇するようなー妖怪・蛇女ーの彼女が、凄まじい表情で冷静に答えた。
「コクリコ様の反応も変! 明らかに剽窃じゃない! 盗作だよこんなの! あとおバカって呼ぶな、殺すぞ、蛇女!」
「キャンキャン吠えるんじゃない。私に怒るなんて逆恨みもいいところ。あんたが私の怪芸を台無しにした事、忘れないからね」
アザミは蛇のように長い二又の舌をちっと鳴らし、不服そうにぼやいた。
「コクリコ様にはお考えがあるのだから黙っていろと言ったけれど……これはコクリコ様の決断を侮辱したうえに、私たち全員の芸術を盗んだことになるからー」
二人がどれだけ歯を食いしばっていても、できることはほとんどなかった。だからこそ二人は力を合わせ、百鬼夜行を集中して観察し、探ることにした。
盗作犯を捕まえて、その面を引っ掴んで引きずり、黄昏にぶち込んでやろうと。
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芽吹いた新芽の間から、積もった雪を眺める。
重くよどんだものが、完全に燃え尽きた絨毯の灰が積もったように、あたり一面をくすんだ色に染めている。
勘解由小路。百鬼夜行。色褪せた青春と復讐。すべてがうねうねと渦を巻きながら、茶碗の中をぐるぐると回っている。
過去の残響がこだまのように耳元をかすめ、また消えていく。
引き裂かれるような子どもたちの悲鳴が聞こえる。冷たく嘲笑う自分。しかしその意味のない過去が、まだ心の中に積み重なっている。
「人そのものを映し出す」
燃え盛る天守閣で、誰かがそう言った。
そして自分の弱さから目を逸らさない眩しさが。ねっとりと広がり腫瘍のように花開いた絶望を、ついに切り拓いて進んだ幼い無謀が眩しくてーー。
勘解由小路コクリコに残っているこの感情は、いったい何なのだろう。
お茶を口に含み、香りが鼻先に漂う。感嘆するほど上質な茶葉のはずだが、とても楽しめる精神状態ではなかった。
青春を失った。
しばらくは怒りに身を委ね、それを燃料にしていた。
そして最近は、その怒りさえも冷め、白く凝り固まっていた。
その凄まじい倦怠の中で、囁きが聞こえてくるのだ。
影の王、黄昏の主。
怪談にもなれない凄絶な生存記。
それは小説ではなく随筆の形。見過ごせない目の前の問題。
怪談とは本来、怪異なるものを脚色したものだ。
そして伝承によれば、その怪異なるものたちは妖怪たちが呼び込むものだと。コクリコはそう理解していた。
もし忘れられた妖怪というばけものたちがキヴォトスに戻ってきたとしたら。それを勝手に利用していた自分たちには? 彼らは一種の貸し主であり、取り立て人。自分たちの領域を侵された怒れるばけもの。
花鳥風月部の局面が変わった。
この噂が真実であれば、コクリコはこの複雑な感情を抱えたまま、間もなく押し寄せるであろう新たな脅威を迎える準備をしなければならなかった。
考えを巡らせても、さっぱり輪郭が掴めなかった。
だからこそコクリコは、先へ進めずにいる。
―
ドシャッ。
古びた楽器の囃子が鳴り響く。
童子の手拍子が空気を引き裂く。
踊る者たちは皆、平面の中でもがいている。
トン、トン、トン、石垣を歩け。
覆い尽くし、すべてが等しく影へと溶けよ。
我らは我ら。
我らならぬものは我らへ。
手と手を取り、頭を取り、足を取り、途切れることなき行列で。飲み込んでも終わらぬ蛇の輪のように歩け。
烏が鳴く。カラスのようなものが鳴く。垂れた影がぐにゃりと揺れ、蝋燭のように震えながら鳴く。
カランカラン、鉄片を引きずりその音を集めよ。煮え立つ痰のように集めよ。血の塊のように吐き出す。「う」……鹿の呻き声。永遠の黄昏。影は水銀のように形をうごめかせ、狼の姿をとる。
垂れた影のように長い遠吠え。
狩りの始まりを告げる声が、烏と鹿と狼と人間の叫び声となって広がる。
その行列の中で我らは腕をもがかせ、現実を泳ぐ。我らのもの。彼らのもの。すべての影が一つの方向を直視する。
帰ってきた。
帰ってきた。
我らはここにいる。粘ついた感情の深淵から、這いずり上がってきた。
我らを呼んだもの。我らから奪ったもの。我らの怨念。我らの無垢なる暴力。代償を受け取るがよい、
ドン、ドン、ドン、カラン。
泥が呻く。重苦しさの漂う長い呻き。影は溺れる者のように、朱の背景の中で全身をのたうち回っている。
青。赤。訪れる夕闇と暗闇。光明が照らす現実の入口。
何かがどっかりと腰を下ろしている。
それは地もなく天もない。
自も他もない地平線。
手に手を取り、うごめく無限の影と光。
交差の中で脈打つ、不可解なるものよ。
巡り巡る幻想。
不吉を覆う神聖よ、不吉に揺らめく春夏秋冬の循環で舞う
揺れる黒死蝶。
煌めく深淵の不可解なる万象の万華鏡。くるくると、ここを見つめながらすべてを見つめている。
化け物だ。影が呻く。
化け物め。泥が痰の音でうなる。
我らのもの。取り戻さねばならぬ我らのもの。
しかしあれのせいで、先へ進めない。
重苦しさが突き上げてくる。
それだけまた一握り、砂山に砂が積まれるように、影には粘ついた感情が積み重なっていく。
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紫は遠野の山麓の境界面を伝い、丘を歩いていた。
時刻は黄昏。もう一時間はそのまま固定された、書類仕事が終わった下校時間。
いつも連れ歩いていた犬、こむぎこは傍らにいなかった。
番傘をくるくると回しながら、のんびりと散歩でもしているようだった。
しかし紫は、ねっとりとしたタールの匂いを追っていた。けれど心の中では、この匂いの正体はほぼ確定していた。
それは罪の匂い。人間の感情。その澱が放つ悪臭。その底から這い上がってきた、見覚えのある何かがここに迷い込んできたか。あるいは挑戦状を叩きつけてきたのだと。
紫色の瞳が柔らかく、丘の下を見渡す。黄昏に沈み、一枚の写真のように滲む遠野の学校と、遠くまで広がる黄金の野原。
紫のその余裕が気に入らないとでもいうように、背後からはキィイッと高く裂けた呻き声が紫を威嚇していた。
一歩一歩踏みしめるたびに暑く、寒く、めまぐるしい丘を越え、木と木のあいだ。うら寂しい境界面に足を踏み入れる。
山の影に飲まれ、紫はその暗がりを抜けてすぐ、音楽の音を耳にした。
「籠め籠め籠の中の鳥は」
どこか凡庸な、子どもたちにとっては古めかしい歌。紫はまるで祭りが催されているかのように飾られた整然とした道を歩く。
影も追ってくる音もそれ以上はない。合掌の音。囃子とけたたましい童子の笑い声。
まるで神体のように祀られた、苔むした岩がひとつだけぽつんとある場所に立ち止まる。その上には木箱がひとつ。
腐り果てそうなほど古びた外面には、細く長い真っ赤なお札がぐるぐると巻かれ、何かをくるんでいるようだった。
「えずいているのね」
紫は誰に聞かれても構わないというように声を上げた。
パズルのような形をした古びた木箱の外側を手で撫でる。指先が触れると、幼い童子の笑い声が聞こえてきた。やがて。女の子、男の子。入り混じった泣き声と呻き声も一緒に。
紫はお札に何かが記されていることに気がついた。象形文字のような走り書きの筆跡。しかし紫にとって、その古い言語はごく自然に読み取れた。
「怨念喚怨念覆蓋此地怨念充満悉皆狂滅」
紫は苦笑した。
中身の未確定な箱の状態に、その呪い文が軽く感じられて、思わずつまらない物真似を見るような気分になった。しかし指先は木箱を撫でるのをやめない。
「怨念が怨念を呼び、この地を覆い隠さんとす。怨念余すところなく満ち溢れ、ことごとく狂い果てて滅びよ」
紫の嘲笑がすっと消え、氷のように冷たい瞳が木箱を見つめる。
正確には、箱の向こうで煮え立っている感情の主を見据えているようだ。瞬き一つしない鋭い眼光が。「コトリバコ」、子どもと女性だけを殺す呪物。生まれてまだ間もない未熟な模造品。
紫の冷たい瞳に黄昏が満ちる。いや、夜明けだ。黄金色に浮かび上がる瞳に、一点の墨のように刻まれた黒い瞳孔が何かを捉えた。
やはり感情だけが残留しているのだね。ここへ流れ込んできたということは、この世界に合わせて変形し、残った澱でもあるということだ。
紫は感情を殺した表情で、冷たくも厳かに詠む。
「無爲無相、むなしき贄をば境に隔てて、この地に封じて調伏せむ。生者必滅 の理のもとに我、賢者八雲紫、ここに印を捺さむ。」
紫が目を細めると、陽炎のように揺らめく現実と幻の縫い目が見えた。それを指先で掴んで解くと、空間が揺らいだ。
うなりを上げる低い風が周囲に吹き荒れ、まるで空間そのものが牙でも生えたかのように、ぎしぎしと木箱に痕を残し始めた。
ゆっくりと砕けていく木箱は、継ぎ目ごとに血飛沫を散らしながらがたがたと震えてもがいた。しかしさして意味はなかった。少しずつ少しずつ、空間に押し潰されて歪んでいくだけ。
やがて排水口に吸い込まれていくように、箱は空間そのものに渦を巻いて飲み込まれ、沈黙だけを残した。
朧げな場所には、境に区切られて残った魂たちが光の群れとなり、ゆっくりと空へと広がっていく。
紫は紫色の瞳でその光の群れを追う。しんみりと自分を振り返っていた。古い記憶から最近の記憶まで。
突然、記憶に墨を塗られた部分を感じた。いや、塊ごと削ぎ落とされた、と言うべきか。
私の家族、私の式神。藍と共にいたあの子の名前。
あの子がどんな子だったかは覚えているはずだった。式神の式神。藍が溺愛する妖怪猫。
なのに名前も、顔も、まるで思い出せなかった。まだ装いや、おぼろげな声の雰囲気だけが辛うじて頭の中に残っていた。
不快感が鳥肌となって足の先から頭の先まで駆け上がった。
剥離していく感覚。剥がれていく感覚。これは自己否定であり、大切なものをよりにもよって奪っていく暴挙だ。
紫はふいに、荒々しく体を翻して遠野極東学院へと向かう。ぽたっ、固く結んだ唇から血が一、二滴落ちた。