イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~ 作:hh9528
先生はバスに身を委ねながら、黄金色の野原を眺めていた。
稲はまだ青く、熟れていないものばかりだったが、遠野のこの日差しが特別なのか、不思議と黄みを帯びていくのが、その理由を知りたくなるほどだった。
百鬼夜行夏灯篭バザーの準備に追われる遠野の子たちはとても忙しかった。皆、授業が終わると残りの時間を素材集めに費やしているようだった。
生徒会室は紫だけがぽつんと座っていることが多く、それさえもこむぎこの散歩で不在がちだった。
そのため、先生もしばらく別の業務を見る余裕ができたのだった。
まずD.U.に戻って遠野の現状を詳しく報告し、各学院に溜まった仕事を片付けて。充実した一週間だった。
だからこそ遠野へ戻るこの道のりが、まるで休暇をもらって帰省するサラリーマンの気分に似ていると、ノスタルジーに浸っているのだった。
バスの運転手はもう難色を示すような表情をしなかった。むしろ、たっぷりと間を置きながら先生と気軽な会話を交わした。
相変わらず遠野の子たちがバスに乗ることは少なかったが、たまに朝わざわざ挨拶を交わしたり。そこに人が残っているとわかっただけで、どこか安心できるようになったと感謝の気持ちを伝えてくれたのだった。
「まもなく終点、遠野。遠野総合バスターミナルです。」
すっかり柔らかくなった運転手の声とともに、先生は停車ボタンを押した。
―
「うーん……」
遠野のグラウンドは、それぞれが話し合うこともなく区画を分け、各自で何かを作っていた。
その中でミスティアが大きな鍋で何かを煮込みながら、頻りに味見をしていた。
どこか求めている味ではないというようにうんうんと唸りながら、きちんと着こなした古風な従業員姿。襷をかけ、前掛けをつけた白い頭巾を整える。
鍋の中では黒色に近い黒褐色のとろりとした液体が、弱火の上でゆっくりとぷつぷつと沸いていた。
「甘みがだいぶ足りないなあ……」
遠野では塩でさえ貴重だ。砂糖は、当然それ以上に貴重だった。百鬼夜行で食べた焼き鳥の味は飴のように甘かった。
これは……正式に備品申請を検討すべき案件だった。
ミスティアがうろうろしていたルーミアに手招きした。ルーミアはぴょんぴょんと弾むようにミスティアの前に立ち、後ろ手を組んでつま先立ちになり、口を開けて目を閉じた。
ミスティアは鼻歌を歌いながら、ソースを新しいお玉ですくってそのまま口の中に入れてやる。
「あちっ!」
ルーミアがぱたぱたしながらはふはふとソースの味を確かめる。
熱いのは熱いので、おいしいのはおいしいのだった。
ただミスティアが作ったソースは、新しいものというよりは、たまにある採りたての調味料で作った、いつもの味だった。
「どんな感じ? ルーミア」
「しんせん!」
「あ、うん……」
あまり参考にならない感想だ。ミスティアは辺りを見回す。
片隅ではコガサとヤマメが簡易土炉の前をうろうろしながら、何かを一生懸命叩いている。日陰側の石垣にはココロが腰かけてお面を削っていたが、石垣までの距離もだいぶ遠かった。
カゲロウは家の中に引きこもっており、ワカサキヒメは今ごろ養魚場でミスティアが使うヤツメウナギを選別しているだろう。
「うーん……」
雀の翼をひとはたきさせ、比較的近くにいる正門脇の縁台で周囲を警戒しているモミジに、一杯すくったソースを持って近づく。
「モミジ~、味見してくれない?♪」
「ふむ……」
モミジは耳をそっとミスティアの方へ向けてから一、二度振った。視線は正門側のまま、顔だけ少し向けて口を開いた。
こいつもあいつも、みんな主人様かよ。ミスティアは眉間にしわを一本増やしながらスプーンを差し出した。さっきルーミアが思いきりなめたあのスプーンだった。
「む……」
「どう?」
「新鮮だな」
ミスティアが呆れた表情をしていると、がたっ。モミジが突然銃と盾を掴んで立ち上がった。
その様子にミスティアはびくっ、ひゃっ!と驚いたが、すぐにモミジの尻尾の揺れが只事ではないことに気づいた。
いつの間にかこむぎこもわんわんと吠えながら、泥とセンダングサの種をたっぷりくっつけて斜面を駆け下りてくる。
尻尾と突き出た舌がくるくる回っていたが、絶妙なタイミングで、本館から歩いてくるユカリを見るや、そのまま向きを変えて逃げるように養魚場へと向かった。
「みんな~!」
先生の声が聞こえる。子たちも集中から抜け出し、一人、二人と顔を上げた。ぱたぱたと、やっていたことを放り出して先生のもとへ駆け寄る子たち。ミスティアも前掛けで手を拭いながら、早足で先生のもとへ向かった。
「これは新しい彫刻刀……これは技術書で……」
先生はすでに到着した子たちに、カバンを開いて頼まれていたものを手渡していた。大抵は、今詰まっている局面を打開できる、救いの綱だった。
ココロは無表情でぴょんぴょんと跳びはねて喜び、ヤマメとコガサは礼も忘れて土炉へ大急ぎで戻り、本を真っ二つにしかねない勢いで、互いが両端を広げて顔を埋めていた。
ルーミアもぴょんぴょん跳ねる。
私は? 私のは? 遠野の子たちなら誰もが知っている、あのずる賢い笑みを浮かべながら。
しかし先生は少々真剣な顔で、
「今度のバザーで稼いで買おうね」残酷だが当然の答えに、ドーン、ルーミアは白目を剥いて衝撃を受けた。
ぺたん、膝と腕をついて絶望するルーミアを通り過ぎ、先生がミスティアに近づいて小さな袋を手渡した。
「これが要りそうだと思って。少ししかないけど」
ミスティアは手を上げて口を押さえた。食べることしか知らない困った他の子たちとは違い、先生は真っ白な砂糖の入った袋を持ってきてくれたのだった。
「先生……!」
ミスティアは言葉にならない感情がこみ上げた。砂糖を受け取って何度も腰を折り、嬉しさのあまり鍋に戻ってダンスのステップを踏みながらお玉を振り始める。
さらさら……砂糖が注がれ、ぐつぐつと溶けていく様子が幸せだ。
「どんな感じ?」
レイセンが泥まみれになってミスティアのもとへやってきた。今しがた到着したばかりのようだった。竹ざるを持ってきており、たっぷり掘ってきた甘草だった。
「ありがとう副会長! 先生が都会からいろいろ買ってきてくれたんだよ」
ウサギの耳がぱたぱたと揺れる。「借りだと思って。バザーで稼いで、恩返しをしなきゃ」
「うん!」
ミスティアは料理に深い思い入れがあるわけではなかった。それはひたむきに何かをしている遠野の子たちも同じだろう。
しかし今だけは……絶対に失敗できないという強い気持ちがあった。何よりもおいしいものを。バザーを成功させたい。
他でもない「先生」のために。
―
生徒会室の中には、紫と先生だけがいた。
バタバタバタ、半分壊れかけた壁掛け扇風機が首を回しきれずに引っかかって音を立てていた。紫が座る机の上には、遠野の子たちが作った試作品を、レイセンが集めて並べた状態だった。紫はどこか微笑んだ顔で一つ一つ眺めているが、手で持ち上げはしていなかった。
「どんな感じ?」
「そうですね。学生バザーに出てきそうな品々ですね」
その言葉の棘は、これでは軽トラには到底及ばないという現実を認める者の諦めのようでもあった。しかしユカリには、失望も、かといって過度な期待も、もとよりないようだった。
「初めての挑戦にしては、思った以上によくやってくれていると思いますよ」
特に気に入った何点かを手で持ち上げてみせた。
カゲロウとワカサキヒメの合作である、貝殻に収めた朱色の紅。
雰囲気もそうだが、人工的な感じが全くなく、たいそう高級感があった。
次はこれ。ヤマメとコガサが作った、さまざまな鉱石と石で磨いた金属の根付だった。
実用性はさておき、祭りの雰囲気では十分手に取ってみたくなる出来栄えに、先生も目が離せなかった。
「これ以外にも、モミジとルーミアが作る燻製肉。ミスティアが作ったヤツメウナギのつくねも、なかなかの珍味でしたよ」
どこか、担当する子たちの作品を自慢する担任の先生のような雰囲気で話すユカリを、先生が黙って見つめていると、ついに口を開いた。
「紫も真面目に仕事をするんだね」
「まあ、まるで人をサボってばかりの怠け者みたいな言い方ですね」
「ぐっ……そういう意味じゃないんだけど……」
「レイセンの入れ知恵でしょう。あ~あ、仕事をしても認めてくれる人がいないのは悲しいですね」
全然悲しくない表情で微笑んでみせたユカリは、品々を脇にのけると硯を引き寄せ、少量の水を注いだ。
「紫は出品する予定があるの?」
先生の問いに紫は表情ひとつ変えずに墨を磨り始めた。その一つ一つの所作が、どこか自然すぎるほど自然だった。
「遠野はお過ごしになるのに不便ではないですか?」
ごまかすように問いに問いで返すユカリの言葉に先生はあっと声を上げ、内心で答えを考え始めた。
「全然。正直、もっとひどい状態かと思ってた」
「ひどいといいますと?」
「何も残っていないとか、もっとお腹を空かせているとか」
ユカリがほほほと笑い始めた。上品に。片手をそっと口元に添えながら。
「自然だけは豊かですから。土でも掘り起こせば、それでも飢えずには済みます」
「感心しながら、すごいとも思ってるよ。こんな場所でたくましく生きるのは、私にはできないと思う」
「たくましい子たちですよね。環境が人を作るといいますが——」
紫は筆で一画を引いた。
「遠野の問題は、食糧とそういった類のことじゃないですから」
そのまま筆を離さず、金魚を一匹描き出した。熱帯魚の一種で、華やかにゆらゆらと。しかしとても躍動感のある絵を。
「バザー当日は私も参加するつもりです。でも、遠野の未来のために引率はお任せしてもよろしいですか?」
その頼みには理由が欠けていた。先生はそう感じた。すぐには答えず、じっと紫を見つめた。紫はどこかしたたかな笑みで、教えないという表情で先生を受けて見つめ返す。
先生は複雑な気持ちだった。普段なら、生徒を信頼して全容を知らなくても、人によっては快く承諾する人物だった。
しかしその躊躇いの理由はただひとつだった。
先生は、八雲紫について知っていることが本当に何もなかった。
「ふふ、私にはなかなか信頼を与えてくださらないんですか?」
その考えが読まれたか。あるいは先生自身も気づかぬうちに表情に出ていたか。普段なら引っかからないはずの、自分の処世術を見透かされたことに動揺して、両手を広げてあっ、と口ごもった。しかしユカリは、その態度そのものが気に入ったのか、それ以上は追及せず次の一画を引きながら話を続けた。
「私も営業に出なければ儲からないでしょう? 絵を売るつもりなんです」
ふぅ……先生は申し訳なさの混じった、しかし謎の答えがわかってすっきりしたような息をつきながら、
「頑張ります……」
と気持ちを引き締めたのだった。