イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~   作:hh9528

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第12話「百鬼夜行夏灯篭バザー」

 

 四方から祭りの音楽が流れていた。

生涯で見るはずの人数をとっくに超えてしまった遠野の子たちは、波のように押し寄せる人の行列に完全に固まっていた。

 

 遠野に割り当てられた店舗は合計三つ。

 

ヤマメとコガサが担当することになった金属工芸品の屋台。

 

ルーミアとミスティアが管理する、ヤツメウナギの串焼きと正体不明の燻製肉を販売する屋台。

 

ココロとレイセンが管理する、お面と水墨画の入った額がたった一枚だけ置かれた屋台。

 

 これが今日、遠野の武器。最初にして人生最大の試練。

 

「う……」

 

 ココロの表情はいつもより一層固まっていた。吐き気さえ感じていた。

遠野の中でレイセンだけが涼しい顔で、人混みの熱気を手で扇ぎながら落ち着いて状況を分析した。

 

「これくらいの人出なら規模は大きくないね。積極的に呼び込みをしないと。雰囲気を見るに、他の屋台もそうしそうだし」

 

 屋台の大半は学生だったが、レイセンがイベントのパンフレットの配置図を見ながら、このイベントの本当の強敵は、獣人――つまり大人たちが出している店だと判断した。バザーである以上、圧倒的な差はなく趣味中心ではあるが、その分コアなファンが安定して形成されているだろうことは十分に予想できた。

 

 一方ココロは耳を疑った。規模が大きくないって? 吐き気がするほど人が多いのに?

気づけば完全に心が折れかけて、

 

「ひえっ……ひっく」と降参の声を無表情で漏らした。

 

レイセンがわずかに心配そうな表情でココロを見つめていると、聞き慣れた声に視線がぱっと向いた。

 

「準備はうまくいってる?」

 

 先生の声。ココロは目まぐるしい人混みの中で必死に先生の顔を探した。幸い、先生は目立つシャーレのジャケットを着ていた。おそらく、私たちのために遠くからでも見つけられるように。

 

ココロは、返事をした自分の声がもう震えていないことに気づいた。

 

それは、遠野の子たち全員がそうだった。不思議な勇気に包まれ、誰かは深呼吸をして。誰かは自分を奮い立たせる。

 

ココロは無表情で大きく手を振った。そして自分で彫った可愛い狐のお面をかぶった。レイセンを見つめながら落ち着いた声で、

「軽トラ、絶対に買おうね」と。

 

 バザーは盛況のうちに幕を閉じた。少なくとも遠野の初出店としては大成功と評価できるだろう。

レイセンはうほほと喜びながら耳をヘリコプターのプロペラのようにぱたぱた揺らして紙幣を数えていた。一枚……二枚……三枚……辛うじて軽トラを買えるだけの金額よりは少し多かった。

 

 バザーでダントツの人気商品はベニだった。カゲロウとワカサキヒメが心血を注いで作ったこの昔ながらの品は、天然色の艶やかさと希少性で30分も経たずに完売した。

途中で値段を二度も見直したが、それでも「この値段でこんな品が!?」という声が上がった。そもそも遠野の金銭感覚はゼロに収束していたのだから。

 

 もちろん大きな稼ぎにはなれなかった。不慣れな手で作った品々はその数も少なく、ベニは特に数が足りなかった。

 レイセンは認めたくなくても水墨画一枚の存在感を拭いきれなかった。

黒いスーツを着た妙な大人が、異常に高いこの絵を快く買っていったからだった。

 まったく道理では理解できなかったが、いずれにせよ任務は完遂した。レイセンはココロとハイタッチをしながら子たちを呼んだ。

 

「まだ祭りは終わってないよ。これは会長が指示してくださった一人ひとりへの『小遣い』。思いっきり楽しんできて」

「うわあああ!!」

 子たちの歓声。祭りのざわめき。熱気が陽炎になって夏祭りの午後を焦がす。

しかしその場に、紫はいなかった。

 

 

 

 

 

 強烈な、夏の炎天下のような祭りの喧騒から遠く離れた薄暗い路地。そこには二人の影が。

「……」

箭吹シュロ。

「くっ……」

土生アザミ。

 

 二人は冷や汗をかいていた。

少し情報を収集しようと忍び込んだ祭り、自然に入り込んだ人気のない路地で、まるで怪談のような現象に遭遇していた。

二人にはすでに何時間も同じ光景が広がっている。空は気持ちの悪い黄昏に染まっており、二人はその光が降り注ぐ路地の入口で、陽炎のように揺れながら距離を保つ気味の悪い影が二人を追っていた。

 

 ねっとりとした視線が二人を見据えていた。同じ方向から、同じ距離から。

アザミとシュロがどれだけ動こうとしても、どの方向へ行っても、結局はこの路地の入口へと戻ってきた。不気味な影の存在感はおまけだった。

 

 怪談を扱う二人にとっては珍しくもない状況だったが、その正体がわからず、何より問題が解決されないという異変は初めてだった。

 

手前( てめぇ)が作ったんじゃないよね?」

「作っても、こんな場所に放つわけないでしょ……」

 

 影との距離は時間が経つにつれて少しずつ、ほんの少しずつ縮まっていく。まるで太陽の動きに合わせるように。そして近づくにつれ、そのぎらついた生々しい、刺さるような悪意と殺意が二人の肌を刺すようだった。

 

「……抜け出せない」

 

 呟くシュロは古風なデザインの、しかしかなり新品同然に見える本をぎゅっと抱きしめた。

 

「まったく、こいつもあいつも全部使い物にならないんだから……! 時間の無駄だって!」

 

 アザミもこれ以上堪えられないというように、殺気をびんびんと放ち始める。しかし影はまったく意に介さずに、再びすうっと距離を縮める。

シュロは慣れた感覚に半ばパニック状態に陥っていた。だらだらと時間を引き延ばしながらゆっくりと、まるで拷問でもするように圧迫してくる影の果てに、思い出したくない感覚が蘇ってきていた。

 

「最悪……なんで手前がこんな目に……」

 

シュロは自分の怪書、いのもののけ録をぎゅっと抱きしめた。この路地に迷い込んだ時点から、怪書は沈黙を保ったままだった。アザミの倒底物怪録も同様に動作不良であり、だからこそなおさら二人は平静を装いながらも、内心は少しずつ崩れていった。

 

 後ろを振り返った。

影がいる。

 駆け出すが、抜け出た先はまた別の路地の出口。

再び後ろを振り返っても。出口。影が近づいてくる。すうっと。少しずつ、少しずつ、首を絞める蛇のように。

 

「これが……あの子が言ってた……?」

 

 アザミが銃を抜いて撃ち始めた。ドシャッ、ドシャッ、どこか重い液体が飛び散る音がして揺れる。しかし影はお構いなしだ。

 

 

返せ。返せ。

 

 怨念が渦巻く声が、かすかに二人へと聞こえてくる。影の頭がゆっくりと開花する。無数の指が広がりながら手のひらで花を作る。じりじりと、二人へと近づいていく。こだまする混乱の中に、おぞましい橙色に染まった、いや。血色になっていく黄昏の野原が見えてくる。

 

「嫌……嫌……!」

 

 シュロは思い出す。ねっとりとした黄昏の空気。孤独。怨念……言葉にしきれない負の感情たち。

 影は頭が手のひらのような形をした奇形の蛇になって二人に絡みつく。首を絞め、口を塞ぎ……ゆっくりと、目を手で覆い始めた。

 

 これは物語などではない。

感情の揺らぎから来る叙事でもなかった。

ただ、ただ冷たい現実の不条理から訪れる、

実存から来る恐怖――。

 

「見落としがあったみたいね」

 

 冷たい声が影で覆われた視界を切り裂き、夜明けのように浮かび上がる。

続いて鈍い銃声。刺さるような火薬の臭い。濃い硝煙。

まるで両手を大きく合掌して音を立てるようなその音に、二人はハッと現実へと引き戻される。

 

 強烈な、夏の炎天下を宿した路地の入口。揺らめく微かな黄昏……。

見慣れない古風な装いの、金髪の少女が微かな笑みを浮かべてシュロとアザミの背後に立っていた。

 

「……はあ? 手前は何、何を……いや、どうやって?」

 

 ようやく解放されたシュロが荒々しく影の残骸を振り払いながら叫んだ。アザミは首を押さえながらその場にしゃがみ込み、咳き込みながら見知らぬ少女を睨みつける。

 

「助けてあげたのに、随分生意気だね」

 

 見知らぬ少女、フリントロックを長い袖にしまいながら八雲紫は笑顔で涼しく言った。その余裕に二人は冷や汗をかかずにはいられなかった。

 

「遠野極東学院の生徒会長。八雲紫と言います。あなたたちは……」

 

 紫は記憶に馴染みのある服装を頭の中から引っ張り出すと、

 

「あの子たちの友人で、それがかの有名な怪書。稲生物怪録(いのうもののけろく)稲亭物怪録(とうていぶっかいろく)でしょうね」

 

 ちらりと視線をシュロが抱えている綺麗な本へと向けた。二人は揺れる心を立て直そうと、古びた銃を抜いた。今の二人に残る、最後の自衛手段だった。

 

 紫は少しも驚くことなく背を向けた。生臭い笑みが赤く染まりゆく黄昏に溶け、ただ不吉に輝いていた。

三日月のように弧を描く笑み。深淵としか言いようのない暗い瞳で二人を一瞥しながら、

 

「まあ、第二の人生。祭りを楽しんでいってください。苦情受付は遠野学生会室で受け付け中ですよ?」

 

「ちょっと、待って……!」 「手前(てめぇ)だろ!?」

 シュロとアザミがほぼ同時に言った。紫はわずかに怪訝そうな表情になってから首を傾げた。

 

「はて、どういう意味かしら?」

 

 とぼける紫にシュロはまくし立てる。

 

「あの子が言ってた影の王、黄昏の主……! だって、手前……人間じゃないだろ?」

「まぁ、それはひどい言い様ね」

 

 紫は相変わらず笑みを浮かべていた。しかし、どこか正解を答えた生徒の前に立つ大人のように、シュロが果たして正しい答えを言っているかを評価するような笑みだった。

 

「稲生物怪録が震えてる……! 手前には解る。つまりお手前(てめぇ)は……怪談ってこと!」

 

 アザミもまた自分の怪書を握り、冷や汗を流しながら紫を殺さんばかりに睨みつけている。しゅうっ……彼女の髪と繋がった蛇が紫に向かって、主人と同じように紫を殺さんばかりに睨みつけている。

 

紫はその二人の態度にうんざりしたように、ため息をついて肩をすくめた。

 

「怪談なら、主題は?」

 

 その言葉に驚いたシュロが口を開いた。しかし、ぎりぎりとした深い怒りのため息だけが漏れた。そんなこと、この程度の文章ではわかるはずがないではないか。アザミがカバーするように問いに答えた。

 

「じゃあどうやって……白蓮もなしに、怪談を? いや、そもそも……それは本当に怪談……?」

 

「質問に質問で返して、礼儀もなく、あなたたちもあの子とそっくりね」

 

 うんざりした表情のまま、紫は手をパンと打ち鳴らした。小さな手のひらから出るはずの音ではなかった。

まるで訓練用の手榴弾のように空気を弾くほど大きく広がる強い力が込められていた。

その音にアザミとシュロは目をぎゅっと閉じるほど驚いたが、すぐにぱちりと目を開けて紫を見据えた。

 

「先に質問への答えましょう。それは『怪談』ではありません」

 

 二人は彼女の言葉に息を呑んで聞くしかなかった。

 

「向こう側から這い上がってくる怪奇。人々はそれを『怪異』と呼びます」

 

 紫がゆっくりと遠ざかっていく。ふいに、旅人を助けて去っていく仙人のように。もとより旅人ではなく悪童たちだったのだけれど。

アザミが安堵のため息をついた。過程はどうあれ収穫があった。それも明確な証拠が。

 

 

遠野極東学院。

 

 

コクリコ様に、伝えなければ……






来週はお休みです。ありがとうございます
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