イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~ 作:hh9528
レンゲは眠りにつく前にモモトークを開いて確認した。
青白い画面を追う瞳が、あるアカウントで目も指も止まった。ココロから来たモモトーク。
話を聞いてみると、遠野は電波も不安定で、限られた時間にしかスマートフォンが使えないという。
レンゲにはそんな生活を容易に想像できなかったが、それでも遠野には不思議な憧れを感じた。
たわいもないこと。たとえば「今日は野生のさつまいもを掘ったよ」とか、「みんなで排水路を点検したよ」とか。もちろん百鬼夜行も、百花繚乱も嫌いじゃないけれど、
「無性に、山とか海に行きたくなるような気持ちかなあ……」
次にいつ返事が来るかわからないけれど、それでも返信はすぐにしたくて、ココロから来たモモトークにレンゲはぼうっとした。
【最近、遠野がおかしい】
何がおかしいんだろう。人が? 治安が? どれも違和感の理由じゃない気がした。
【何が?】
【遠野の夜はもともと危ないんだけど……ちょっと待って、何か起きたみたい。】
レンゲは勢いよく上体を起こして画面を凝視した。
遠野も大変だな。助けに行きたいけれど、距離的にも時間的にも無理だった。
レンゲは少し歯がゆそうに【気をつけて】という返信を最後に、スマートフォンを握ったまま起こした上体をぱたりと落とした。
まあ、遠野は強いから信じるしかないか!
とりあえずそう目を向け直し、女子高生らしく瞬く間に眠りの中へと落ちていった。
―
穏やかな一日の始まり、百花繚乱調停委員会の部室。
各自が静かに自分の仕事をこなしている朝の時間。ナグサが静かに、きれいに包まれた贈り物の包みを持って部室へと入ってくる。
「みんな聞いて。陰陽部から『お願い』を受けたんだ」
柔らかいけれど、どこか緊張感を帯びた花のようなナグサの声に、部員全員が手を止めて集まり始めた。
真っ先にユカリがとことこと駆け寄って目を輝かせた。レンゲも朝の鍛錬で流した汗を拭いながら、
「陰陽部なら、また無茶な頼みを持ち込んできたんじゃないかな」とはいえ、まんざらでもない表情だった。
「レンゲ。ナグサ先輩の話は最後まで聞いてから判断して」
キョウも口を挟み、全員が近くに集まると、ナグサは贈り物の包みをそっと持ち上げながら、
「現地調査……が目的の小さな旅だよ。遠野極東学院で交流を兼ねて挨拶をしてほしいという依頼」
キョウが首をわずかに傾けて尋ねる。
「なぜ百花繚乱に? 外交的な部分なら陰陽部が適任じゃない?」
「ニヤ部長が、面識のない自分たちよりも私たちの方が適切だろうって強く主張して」
多方面からの作戦。ニヤの意図はおそらく、警戒して調査するより溶け込んで知っていくことを選んだのだろう、と納得したキョウは尻尾をゆったりと揺らしながら頷いた。
「じゃあ明朝、レイセンさんと先生が迎えに来るって言ってたから、遅れないように集まってね」
ナグサのその言葉を最後に、百花繚乱はいつも通りの日常へと戻ろうとする。レンゲだけがわずかに眉を上げ、とりあえず伝えておこう、と皆を呼んだ。
「遠野のことなんだけど。最近雰囲気がおかしいって言ってたよ。理由はわからないけど、ココロがそう言ってたんだよね」
「あら、レンゲ先輩! いつの間にココロさんとももとーくを交換しましたの?」
「まあ、なんとなく。この前のバザーで仲良くなって」
キョウが複雑な表情になって考え込み、ナグサも少し考えをまとめているようだった。
「もしかして助けられることがあるかもしれないね」
結論を出したナグサと、
「恩を売れば、もっと効率よく仲良くなれそうだね」
同様に納得したキョウの頷きで、無難に情報交換が終わった。
―
「うわあ! これが遠野のにゅーすーぱーかーですの!?」
「う、うう……」
耳をしょぼくれさせて両手で赤くなった顔を覆い、地面を見つめるレイセンに、無垢な称賛で公開処刑ショーを鑑賞しながら、残りの百花繚乱と先生は古びた軽トラを眺めてほっこりとした笑みを浮かべていた。
「じゃあ出発しようか」
先生の短い号令に、レイセンと先生は前の席へ、
百花繚乱は荷台に乗り込んだ。
「これって本当に映画みたいな体験じゃない? はあ……これが青春ってやつだよ!」
「荷台に乗るのは初めてですの! えきさいてぃんぐですの!」
「ちょっと、危ないじゃない」
「そんなキョウも、まんざらじゃなさそうだけど?」
「レンゲ」
あはは、うふふ、ふくれっ面だったキョウも結局表情を緩め、二股の尻尾をゆったり揺らしながら遠野へ向かうのどかな田舎の風景を楽しんだ。
―
モミジが盾を前に構える。
全身の毛も鋭く逆立っていた。持っていたサブマシンガンを突き出し、見知らぬ三人の人物を睨みつけていた。
その隣にはカゲロウが。同様に、どこへやったかとばかりに恥ずかしそうなあの表情は影を潜め、モミジに引けを取らない鋭い目つきでサブマシンガン二丁を構えていた。
その後ろにはルーミア、ココロが狙いを定めている。最後列では車椅子に座って拳銃を抱えるワカサキヒメと、彼女を守るようにミスティア、コガサ、ヤマメが応戦準備をしていた。
全員、真昼の炎天下とは思えない鋭い眼光で。
花鳥風月部は包囲されていた。背後では揺らめくように、コイシが銃を構えていた。
「……今誰に銃を向けているかわかってて……!」
同様に臨戦態勢のアザミが怒鳴りかけたが、コクリコが静かに手を上げて制した。シュロも自信はないなりに、古びた火縄銃をぎこちなく持ち上げた。
「人か、それとも怪異か」
モミジが唸りながら言った。
他校の人間を追い払うというより、忍び込んだ怪異を炙り出そうとする疑いの眼差しだった。
「人ぞ。」
コクリコはそう答えた。しかし皆の疑念は簡単には晴れなかった。
「ふん。ならなおさら忠告する。今の遠野は危ない。おとなしく帰れ」
モミジが銃を一度握り直しながら姿勢を低くした。二度目の警告はないという暗黙のサインだった。コクリコはこの状況がばかばかしいというように、
「我たちを招いたのはそちらの生徒会長だ」
そう言ったが、ルーミアもココロも首を傾げて「聞いてないよ」とばかりに銃の安全を解除した。
「指示に従わないのなら、物理的に追い出すしかない」
モミジがそう宣言して安全装置を外すと、コクリコも仕方ないと自分の銃に静かに手を伸ばした。
「あ、ようこそ。」
人込みを割く声。モミジの毛がさらに逆立った。ココロとルーミアは困惑したように体の向きを変え、声の主を迎えた。
金髪の紫眼。長いストレートの髪をなびかせ、どこか古びているが趣のある着物を纏った女性。コクリコの目がわずかに見開いた。同時に、シュロとアザミが手を伸ばして紫を指差した。
「こ、コクリコ様! あいつです!」
遠野の皆の表情が険しくなったが、紫も先ほどのコクリコのように手を上げて制した。
「遠野極東学院生徒会長。八雲紫と申します。生意気な子ども二人を連れているあなたが部長、とお見受けしてよろしいでしょうか?」
「こ、殺してや——」
「シュロ」
コクリコはシュロの肩を掴んで引き寄せ、自分の傍に引き付けた。
コクリコは紫の目を見ていた。超然として、すべてに権怠に押しつぶされていたあの表情が、じわじわと崩れていった。
「みんな、持ち場に戻って。私のお客様だから」
紫の低い声の指示に、雀の群れが散るように遠野の子たちが散っていった。
「さあ、では……お互いの見解を交わしましょうか」
紫の穏やかな言葉に。コクリコはぎゅっと目を閉じた。唇をわずかに噛んでから。シュロを後ろへ押しやりながら銃を瞬時に抜いて紫に向けた。
「え?」
シュロとアザミが動揺するその刹那、紫の瞳がしっかりとした、コクリコの百花繚乱式強襲姿勢を眺めながら、コクリコの指が引き金を引こうとしたその瞬間——
「わん! わん!」
正門の方から犬の吠える声が響き、古びたトラックがガタガタと揺れながら入ってきた。全員の視線がそちらへ奪われ、真っ先にシュロが低く唸った。
「百花繚乱……! ナグサちゃん……! なんで……?」
事態が複雑になり始めた。視界の開けた荷台から百花繚乱の皆も状況を把握したのか、矢のように飛び出して銃を構えたまま花鳥風月部の背後に対峙した。
「コクリコ……!」
ナグサの敵意に満ちた声。
しかしコクリコは狙いを変えなかった。よそ見をする余裕はないというように、八雲紫だけを見据えていた。
どくん。
そのような、コクリコの視線の先。八雲紫の瞳に視線が触れた瞬間、激しい目眩を覚え、白蓮が放つ警告に意識が浸された。
―
サァッ。
肌を切り裂く冷たい嵐が呼吸さえも塞ぐ。
どこかから荒波が絶えず石を削り続けている。
ビデオテープを巻き戻す音。
鼻歌。波を割る音。
灰色の嵐の中で陽気な鼻歌。
網が揺れる。平凡な船乗りの網。
ザパッ。
見知らぬ人々が地面に伏して震えている。
地鳴り。
誰かの瞳が収縮する。
荒い風。
息の止まる風が波の音に砕かれていく。
鼻歌。
引き寄せられるように耳を傾ければ、
山が近づいてくる。
世界が加速するように不自然に引き寄せられる。
その勢いに圧倒されて体がびくりとするが、それでも地平線には果てしない海が広がっている。
瞳が一つ、ぐるりと波に浮かび上がる。
一つずつ、一つずつ。黒赤い瞳が。
サァッ。
荒波。迫り来る山。灰色の空。息が止まりそうな強風。
ナグサはなびく髪をかき上げながら、その根源を見ようとした。
しかし白蓮が放つ閃光とともに。
鼻歌と同時に。
―
「かはっ……! はっ……はあ……」
ナグサは息を呑みながら表情を歪めた。コクリコに向けていた銃を急いで引いて紫へと向けた。瞳孔が収縮し、黒い瞳が刃のように細くなって睨みつける。
「ナグサ先輩!?」
百花繚乱の皆も臨戦態勢になってコクリコを包囲したが、突然ナグサが標的を変えたため皆が動揺したように叫んだ。
花鳥風月部も同様。シュロとアザミは百花繚乱に銃口を向けようとしたが、冷や汗を流しながらコクリコに倣って八雲紫を向き続けた。当の本人は肩をすくめ、傲然と顎を上げていた。
光の宿らない深淵のような瞳。
そして背筋が凍るような三日月の笑みで。
「見えるのかしら?」
最後方から、先生が急いで駆けてきた。レイセンもその傍を護衛するように走り出てきて、ぎょっとする。
「え……? レンゲさん、会長?」
「役者が全員揃ったので……答え合わせをしてみましょうか」
紫の余裕にナグサは焦りに負けて叫んだ。
「怪談……! みんな、あの人は……!」
紫が言葉に詰まったのか少し間を置いてから、コクリコを見る。コクリコも……考えをまとめてから、結局似たような答えを口にした。
「……妖怪」
わずかに気分を害しかけた八雲紫が拍手をし始めた。愉快そうに笑いながら、
「やはり、長く扱えば見えるものも変わるのね。でも困りましたね。この地はそういうものが至るところに積み重なった堆積場なんですよ」
紫は先生を見た。
「お願いがひとつあります、先生。このままでは、まともに話をする前にタイムオーバーになりそうで」
そして懐から二丁のフリントロックを抜いた。
「ここで勝負をしましょう。二対一で。私が勝ったら、私の話を聞いてもらうわ。負けたら? 要求には全面的に従います。審判は先生。先生の判断で勝敗を決めてくださればいいです」
ナグサとコクリコが眉をひそめた。
二人とも、それなりに実力には自信があった。
もちろんお互いが共闘するなど本当に嫌だったが、目の前の、人間のふりをした小さな少女の威圧感に、そんなことを言っている場合ではなかった。
この場の全員が、何かを守るために立っていたのだから。
先生は紫の意図を読み取ろうとした。
余裕を装っているが、いつもの言葉と態度ではなく、決闘という強引な手段。タイムオーバー。何か、今把握するには足下に火がついているのだろうと直感した。
「ナグサ。そしてコクリコ。私からもお願い。一旦、紫の話を聞いてくれない? 納得しがたいなら……紫の提案通り、決闘で決めてほしい」
ナグサの瞳が揺れた。コクリコはともかく、ナグサにとって先生の態度は大きな基準だった。
今すぐ逃げ出したい恐怖にどうにか抗いながらも、その暗闇の向こうに灯台の光が導いてくれる感覚がした。
「……う、うん……」
ナグサは納得した。特に照準を止めたわけではないが、少なくとも引き金から指をわずかに離した。問題はコクリコだ。
彼女は先生の生徒というより、先生の敵に近かった。しかしコクリコは……
今すぐ、シュロやアザミ。自分の命を狙わないこの存在を信頼していいかどうか、その価値を外へ向けた。
先生。
先生がそう決めるなら。
どうせ残るすべての手はその先が読めず、一様に地雷原だった。
「沈黙は肯定と受け取りますわ」
紫が思案するコクリコに宣告し、ナグサやコクリコのように悠然とフリントロックを伸ばして二人に狙いを定めた。
「ルールは先生に任せましょう」
無難に数発当てる。有効打を出す。そういったことに意味はない。先生はそう考える。
何より二人が納得しそうになかった。先生はすばやく判断を終えると頷きながら腕を伸ばした。
「決闘は私が中断を宣言するまで。勝敗はその後、私の判断で」
真剣な表情の先生を見つめていたナグサは頷いた。コクリコも静かに瞬きをすることで同意した。
「では……」
先生の声。残るは試合開始の合図。まるで百花繚乱継承戦のような冷たい緊張感がぴんと張り詰め、ナグサは歯を食いしばり、コクリコは覚悟を固める。
「始め!」