イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~ 作:hh9528
夕闇の中で揺らめく蝋燭の影のようなそれは、人の形を帯びていた。
手足の先は陽炎のように揺らめき、まだ光があるというのに、いかなる外見的特徴もなく立体感を失った黒色そのものから、なぜか三人へと向けられた強い視線を感じた。
レイセンは即座に先生の腕を引いた。素早く走り出しながら、落ち着いた様子で先生に簡潔に告げる。
「一番よく見かける怪異です。硬くて……数が多いんです……!」
先生は突然の出来事に状況判断が追いついていなかったが、緊張で後ろにペタンと倒れつつもピンと張った耳を見て、すぐに冷静さを取り戻した。
生徒の危機なのだ。
レイセンの手に引かれるように走っていた先生だったが、すぐに歩幅を合わせ、シッテムの箱を起動させた。
後ろからついてくるヤマメの位置を把握し、登ってくる時に記憶しておいた地理情報を頭の中で反芻する。
「硬いって、どのくらい?」
その間、ヤマメが影を狙って引き金を引く。
猟銃のような外見とは裏腹に、鋭い散弾が影に炸裂した。
しかし、その影は水面が揺れるように波打ち、平然とこちらをじっと見つめていた。
坂道を滑るように駆け下りる。思ったよりも急な傾斜に、先生はバランスを崩しそうになったが、すぐに体勢を立て直した。
レイセンがアサルトライフルを構え、先生が後ろに追いつくまで速度を落とした。先生は波打つ影を見つめながら、少しの間、思考を巡らせた。
「ヤマメ、射撃は少し待ってくれる?」
「えっ、うん? わ、わかった」
焦りを見せていたヤマメだが、先生の自然な指示に従い、撃った数だけ次弾を装填する。
その時、影が奇怪な姿勢でこちらへ向かって走り出した。両腕を振り回しながら、鳥の悲鳴のような不気味な鳴き声を上げて。
「1マガジンは撃ち込まないと倒れません!」
レイセンが合間に足を正確に撃ち抜いた。
影は奇声を上げながら、被弾するたびによろめき突撃を止めた。それでも動きが速く、なかなか距離は開かなかった。
先生には直感があった。銃で撃たれることを恐れず、ただ単調な攻撃。自分たちが獲物のように追い詰められている立場だという直感。
「レイセン。ヤマメと場所を代わってくれる? ヤマメはできるだけ早く下りながら正面の敵だけを攻撃して、レイセンが援護に回ろう」
落ち着き払った確固たる先生の態度に、ヤマメは大きく安心したように真剣な表情で頷いた。
レイセンは少し疑問に思ったものの、すぐにその意図を読み取った。
ショットガンを使うヤマメは瞬間火力こそ高いが、猟銃に近い構造のせいで装填の面で不利だった。
遠野で最も最新式の銃を使うレイセンならば、マークスマン(指定射手)の役割が正しい判断のはずだが……。
レイセンは一抹の不安を覚えた。先ほどから感じていた疑問。先生の判断が間違っているとは思わなかった。
ただ、遠野の慢性的な問題点である『連携』が足を引っ張っていたのだ。私たちにできるのだろうか?
ヤマメが木の後ろから襲いかかってくる影を撃つ。ショットガンのストッピングパワーに押されてそのまま転がっていったが、影は一つではなかった。
レイセンが照準を合わせカバーする。3発の弾丸が上半身を撃ち抜き、その勢いを殺すには十分だった。しかし、ヤマメが必要以上に前に出すぎてしまい、背中に一発被弾して「うあああっ」と悲鳴を上げた。
「痛いぃぃ……!」
「ヤマメ! 必要以上に射線を塞いじゃ……!」
先生は落ち着いて問題点を読み取った。
遠野の子どもたち同士の仲は決して悪くない。
しかし、こうして戦闘になると全く息が合っていないような感覚……。この子たちは、意外にも協力することに慣れていない! 特に戦闘においては!
ヤマメの好戦性を読み取った先生は、素早くレイセンに指示を出した。
「正面突破で行こう。ヤマメ、大丈夫?」
レイセンは体勢を変えた。戦術的なセンスに優れているのか、それ以上、問いただすことなくヤマメと並んで前に出ると、銃を正面に構えた。
走る速度を少しずつ上げていく。
「痛いけど……頑張る!」
「レイセン。敵は奇襲を主な戦術にしているみたい。視界が届く範囲の少し遠くを応戦射撃して。ヤマメは反対側から飛び出してくる敵を撃って。私なら大丈夫だから、全力で突破しよう!」
ヤマメの瞳が輝いた。それはレイセンも同じだった。
余計なことを考えている余裕はなかったが、先生の指揮の下で初めて味わう高揚感に、不安は和らいでいた。
微塵も萎れていないレイセンの耳がピンと立ち、何度か揺れた。
「もっと来ます! ヤマメ、前だけを見るのよ」
先生も覚悟を決める。遅れをとれば生徒たちも危険だ。疲労を感じている余裕はなかった。
そうして三人は火薬の煙と閃光で、すっかり暗くなった山を照らしながら駆け抜けた。
ー
麓がなだらかになり、道と認識できる平地に差し掛かると、三人は一息つくために立ち止まった。
レイセンは手慣れた様子で息を整えながら四方警戒をしており、ヤマメは前方だけを食い入るように見つめながらも、銃を前に構えたままどうにか息を整えていた。
先生は少しのめまいを感じたが、気丈に背筋を伸ばしたまま汗を拭った。
ジャケットはどこかに消え、シッテムの箱一つだけをぽつんと持っていたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
影の速度は明らかに落ちていたが、未だに一体も完全に倒しきれていない状況だった。
「レイセン……? 前に……」
レイセンを呼ぶヤマメの声は萎縮しているようだった。
レイセンの耳が少しずつ倒れ始めた。体を滑らかにひねり、ヤマメが見ている方向へと振り返ると、銃のセレクターをフルオートに切り替えた。
「勝負に出るしかないね」
先生がシッテムの箱を掲げ、重々しく言った。二人の生徒も、決して臆することのない大人の背中に安心感を覚え、闘志を呼び起こす。
「レイセン、ヤマメ。やれるよね?」
先生が微笑みかける。
「よーし! やってやる!」
「二体までは私が……ヤマメは一体を確実に仕留めて!」
二人の生徒は、高揚感か闘志か恐怖か分からない入り混じった感情を燃料にして、意欲を燃やすように答えた。
影たちも負傷により緩慢な動きになったため、対応可能な速度で飛びかかってきた。数は五体。
「今! レイセン! 踏み込んで!」
先生の指示。レイセンは応戦射撃で牽制していたが、ハッと驚いた。
追い詰められている間に蓄積された恐怖が一気に爆発したのだ。戸惑うというよりは、それが適切だと感じた。
ヤマメが急いで装填している間に、レイセンが前に出た。
思い切りよく残りの弾を最も近い影一体に撃ち込む。みぞおちから上半身に集中する見事な弾着群。
一番近くにいてヤマメの散弾を諸に食らっていた上に、レイセンの追加火力によりそのまま崩れ落ちた。レイセンは突き進みながら、崩れていく影を足で蹴り退け、素早くリロードした。
次の影は思ったよりも早くレイセンを襲ったが……。
レイセンは何かを引き抜き、その腕を殴り飛ばした。
工具……。レイセンは手斧に似た何かを握っていた。イチゴ色のベースにカラフルなデコレーションが施されているが、明らかにそれは木を割るための道具に見えた。だが、その斧には刃は付いていなかった。
その鈍器は美しくも断固たる軌跡を描き、影の頭部を強打した。音はなかったが、相当な打撃だったのか影はそのまま崩れ落ちた。
ヤマメが嬉しそうに叫ぶ。
「魔法のピコピコハンマーだ!」
そう言いながら、弾倉を満たしたヤマメがレイセンに向かって叫ぶ。「撃つよ!」
レイセンはそのまま紅い眼光を閃かせ、横へ身を投げ出した。
間もなく、攻撃が弾かれて体勢を崩した影が一体倒れる。
レイセンは前転をしながら、ヤマメの側面に奇襲をかける影へ三点バースト。
影が怯んだ隙にフルオートに切り替え、もう一度マガジンを空にした。その火力により、さらに一体の影が崩れ落ちる。
先生の号令と共に、瞬く間に三体が崩れ去った。数の利は消えた。しかも先生は、交戦中にもかかわらず自然に退却ルートに乗り、着実に移動していた。
ヤマメは残り少なくなった残弾をすべて銃に押し込みながら感嘆した。
「私って、こんなに戦えたっけ?」
普段ならレイセンが何か文句の一つでも言っていただろうが、恍惚感と高揚感に満ち溢れているのはレイセンも同じだった。
残る影は二体。
残る影は……五体。
そして、それらが十体に。地平線の向こうに見える至る所から。影が一行を凝視している。
「境界線! あそこを越えれば学校の敷地内よ!」
レイセンは後ろを振り向くことなく、先生の手を握って走る。ヤマメも目をぎゅっと瞑り、重いダッフルバッグをガチャガチャと鳴らしながら全力疾走した。
ピンピンしている影たちが驚くほどの速さで群がってきたが、三人は境界線を越えた。
暗闇を突き抜け、本館から漏れ出る微弱な光が、まるで結界のように暗闇と学校を微かに隔てていた。
やがて、三人の生徒がグラウンドに倒れ込んでいるレイセン、ヤマメ、そして先生の元へ駆け寄ってきた。
白髪の髪は強い直毛のようでツンツンしており、まるで毛を逆立てたような狼耳の子。
狼耳は似ているものの、はるかに柔らかく整えられた黒い長髪の子。
そして、心配そうにしながらも、今は影の怪異から目を離さない確固たる表情のルーミアが、三人を行き過ぎて影と対峙した。
影たちはピタリと立ち止まった。境界線を基準にして。
遠野の支部の前で、まるで目に見えない壁に阻まれたかのような不自然な動きで。
影は少女たちを凝視してはいなかった。
その向こう……生徒会室の方を凝視しているような気がした。
少しの対峙の末、影たちは背を向けて再び暗闇の中へと溶け込んでいった。
先生は疲労で目の前が真っ暗になった。
張り裂けそうな肺はすぐに落ち着いたが、爆発するように脈打つ血流と、緊張感からの脱力感によるめまいで、なかなか体を支えることができなかった。
レイセンは真っ先にふらふらと立ち上がり、ルーミアとアイコンタクトを交わした。そしてすぐに二人の狼少女へと視線を向け、
「出迎えありがとう。もう少し早く来てくれたらよかったけど」
余計な一言が添えられた感謝を伝える。名前を呼んで。
「モミジ。」
白いボブカットの、ツンツンと切り揃えられていない短く荒い髪をした狼少女がコクリと頷いた。盾とアサルトライフルを持っている。
耳をぴくぴくと動かし、そうしている間も影がいた方向を凝視したまま決して目を離さない。
「カゲロウ。」
対照的な漆黒の、サラサラとした長いストレートヘア。
柔らかく耳を立て、レイセンを見つめて微笑むカゲロウという子は、まるで馬の尾のように滑らかで念入りに手入れされたようなふさふさの狼の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、大したことではないというように優しくレイセンの土埃を払って支えた。
「無事だったんだからいいじゃない。会長が心配してるわよ。早く行ってみて。」
「ええ。先生とヤマメをよろしくね」
レイセンは少し疲れたように眉をひそめたが、わずかな休息でも十分だったのか、普通の速さで本館へと歩いて入っていった。
それをルーミアとカゲロウが視線で見送り、モミジは依然として地平線を見つめていた。
「先生、大丈夫~?」
ルーミアが先生の枕元にしゃがみ込み、話しかけてきた。先生は力を振り絞り、ようやく何度か頷いてみせた。
「とりあえず、今日は寝た方がよさそうだね~」
ルーミアは無邪気に言うと、先生を担ぎ上げた。
小柄な体格のせいで十分に持ち上がらず、先生の足がずるずると引きずられる形になったが、ともかく着実に宿舎へと運ばれ始めた。
「もう、夜は危険だって言ったのに……」
ほんの少し不満の混じったルーミアの声を最後に、先生はついに疲労に負け、意識が少しずつ沈み始めた。
ー
生徒会室に電灯はついていなかった。
影が揺らめく暗い部屋を照らしているのは、まるで風に合わせて踊っているような、灯油が燃えて放つ炎で明かりを灯すランタン一つが机の上に置かれているだけだった。
揺らめく動きに合わせて顔の影がリアルタイムで変化する八雲紫が、無表情のまま、ただ書類だけを直視していた。
その傍らで、レイセンは耳をぺたんと萎縮させていた。
紫のこの反応は、怒っているというサイン。
紫の機嫌がなぜ悪いのかはさておき、どんな災いが降りかかるのか不吉で仕方なかった。
紫はよく沈黙で意思を伝える。すでに5分が経過した息の詰まる対峙の末、レイセンが先に口を開いた。
「……あの、会長?」
紫が書類をそっと片隅にどけた。感情が一切こもっていないその冷たい瞳が、レイセンを直視した。
レイセンの耳がさらに萎縮し、まるで真空パックされた布団のようにぐしゃぐしゃになっていく。
紫は無言で怒鳴りつけているのだと、レイセンは感じた。無理もない。一行が遅れたのは、完全に自分の責任だった。
先生が一緒にいてどこか嬉しく、ヤマメと何かをしたこともまた。そうして浮かれた結果、普段なら後回しにするだけだった時間のかかる作業を、帰るべき時間に始めてしまったのも自分だった。
「その……申し訳ありません」
レイセンが言い訳を諦めてしょんぼりと頭を下げると、紫の冷ややかな表情が少し和らぎ、目を閉じてため息をついた。
頬杖をつき、レイセンをちらりと見る。先ほどの冷たい表情はどこへやら、ニヤリとした笑み。紫色の瞳が、黄昏のような黄金色に染まり、ほのかに輝いている。
「それで、どうだった?」
紫の雲を掴むような言葉に、レイセンは一瞬ポカンとした表情になった。意図を読み取ろうとする。何が。何を?
結局、紫がその解釈を手助けした。「先生の指揮のことよ」 どこか初々しい少女をからかうような声に、レイセンの耳はバネのように元通りに跳ね上がった。
「う、噂以上と言いますか。ヤマメも私も、あそこまでうまく対応できるとは思いませんでした」
そして紫のからかいにふさわしく、照れくさそうに答えるレイセンに、紫はどこか複雑な笑みを浮かべて上半身を軽く落としながら立ち上がった。
髪が柔らかく机を撫でてこぼれ落ち、小柄な少女はやがてすっと立ち上がり、静かにレイセンの横を通り過ぎて歩いていった。
「そう。部屋に戻って休みなさい。お疲れ様。あー」
紫は何かを思い出したように、一言付け加えた。
「明日はすべての生徒を集めて頂戴。もし授業をサボるようなら……私が直々に『面談』すると伝えてね」
レイセンは「一体何なの……?」という様子でその後ろ姿を見つめていたが、うーん……と頭を掻きながらランタンを消し、生徒会室のドアを閉めて出て行った。
今週の土曜日はイベント参加により
アップロードはない予定です。