イースタン・アーカイブ ~ファンタズム・ロータス~   作:hh9528

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第8話「遠野の問題」

 最初の授業の熱気がひと段落した放課後、先生と生徒会は生徒会室に集まって業務をこなしていた。

 

 先生は溜まった報告書や、リモートで処理できる各学院の業務を片付けており、レイセンはこれまで碌に仕事をしてこなかった紫の書類処理に戸惑いを隠せないながらも、口元が緩んでいた。

 肝心の紫は書類を持ったまま、見るともなく眺めながら何かをじっと考え込んでいたが、その場の誰もそれに気づいていなかった。

 そうしていると、不意に紫はその書類をすべて脇へ押しやり、全員に宣言するように言った。

 

「軽トラを買いましょう」

 

 黙々と自分の仕事をしていた全員の視線が紫へと向いた。

先生は書類を書く手を止めはしなかったが、確かに今の遠野にあれば非常に便利だろうとは思った。

 しかし、意識が宇宙の彼方を漂っているような表情のルーミアと、またどんな企みを隠しているのかと不安がるレイセンの耳は、しなびたもやしのようにどんどんしおれていった。

 唯一、表情の変化を一切見せなかったココロだけが、しばしの沈黙を置いてから紫にその真意を正確に問いただした。

 

「紫会長。どういうこと?」

 

「そのままの意味です。ココロ書記。軽トラを買いましょう、レイセン」

 

 そして自然とその仕事が自分へと回ってくるのを、今日だけは嫌だというように、レイセンが勢いよく立ち上がって唸った。

 

「会長……!? そもそも私たちには、キヴォトスで通用するまともなお金すら持ってないんですけど……。」

 

「なら稼げばいいでしょう」

 

 紫の平然とした答えに、もう怒る気力もなくなってしまい、ぶすっとしながらそのまままた座り直した。レイセンは聞かなかったことにしようとしているようだった。頬を膨らませながら書類に視線を戻し始めたが、紫はさらに付け加え、より明確な業務指示を出した。

 

「その業務は私がやっておくから、レイセン、あなたは何人か子たちを選んで先生と一緒に百鬼夜行へ行きなさい。軽トラがいくらか調べるのと、もうすぐ開かれる『百鬼夜行夏灯篭バザー』の市場調査も兼ねて」

 

「え?」

 

 驚きの声が三つ重なった。自ら進んで仕事をすると宣言した紫に完全に呆気にとられたレイセンと、これから降りかかるであろう未知の業務に危機感を覚えたルーミア。

 そして不思議なくらい有能さをアピールする紫がおかしくて、三人同時にハーモニーを奏でながら紫を見つめた。

 紫は書類に『署名』をしていた。先生は場の雰囲気から、これがこれまでにない状況だと察した。

 

「今すぐ」

 

 紫の声に力が入ると、レイセンとルーミア、ココロはわずかな冷や汗と感激、そして混乱を覚えながらも勢いよく立ち上がり、わたわたと生徒会室を飛び出した。

 辛うじてレイセンだけが怪しむ目で紫を一瞥したが、追及しても何の成果も得られないとわかり、すぐに子たちの後を追った。

 

 先生は余裕を持って荷物をまとめ始めた。紫はその様子に目を細めて言った。

 

「お願いしてもよろしいですか?」

 

「うん。でも理由を教えてくれない?」

 

「簡単なことですよ。遠野から一番近いのは百鬼夜行で、それでも一日にバスが二本しか通っていないんです」

 

 紫は姿勢を正し、完全に先生の方を向いた。頬杖をついた状態でひとつひとつ丁寧に話すその声には、どこか他の生徒たちとは異なる落ち着きと聡明さが宿っていた。先生も手を少し緩め、その言葉に耳を傾ける。

 

「この子たちは毎日真面目に生きていますが……。逆説的に、そうしなければ明日を飢えてしまうからなんです。明日だけじゃありません。自給自足というのは、日々の真面目な積み重ねで維持される、過酷な労働ですから」

 

「私は立派だと思うけど……」

 

「ええ。でも、いつまでもそうはいられません」

 

 紫は少し遠くを見ているようだった。先のこと。まるで自分が卒業した後の遠野を思い描いているかのように。

 

「あの子たちだって、外の世界に興味がないわけじゃありません。ただ怖いだけです。だから先生が一緒にいてくださると、本当に心強いと思いますわ」

 

 他の子たちへの接し方とは明らかに違う扱い。しかしその中で先生は、ふと奇妙な違和感を覚えた。向けられる瞳、期待する心。そのすべてが、どこかずれているという直感に近い何かだった。しかし先生は気にしなかった。まだ、何一つ言葉にできなかったから、ただ少し変わった生徒だと信頼してやり過ごすことにした。

 

「そういうことなら、いくらでも」

 

「ふふ、レイセンをこき使ってあげてください」

 

 先生は荷物を手に取った。そして簡単な挨拶と共に教室を出た瞬間……。スマホが鳴った。モモトーク。自然と足を止めず、メッセンジャーを開いて内容を確認する。

 

[先生。急いでお伝えしたいことがあるので、陰陽部の部室に来ていただけますか~? にゃは、今回は少し……。軽い話じゃなさそうで]

 

 百鬼夜行連合学院、陰陽部所属の部長。

「天地ニヤ」からのモモトークだった。なんとなく、一連の出来事がすべて歯車のようにかみ合っていく感覚がして、不思議な気持ちを抱えながら先生は小走りで先に出た三人を追いかけ始めた。

 

 

──

 

 

 陰陽部の部室で。影の中の生徒が何かを囁き、明かりの下の生徒が扇子で口元を隠しながら静かに耳を傾けていた。

 

「影の王、黄昏の主……か~」

 

 ニヤは扇子をパチンと閉じ、同時に手のひらに打ちつけて音を立てた。それを見た影の中の生徒は静かに退き、完全に溶け込んで消えた。

 

『花鳥風月部? 新しい怪談? 百鬼夜行夏灯篭バザーを前にして……。レパートリーが毎回同じなんだから、まったく』

 

 ニヤはゆっくりと立ち上がった。

いつも能天気な笑みが少し固まっており、それなりの対応方針を決める途中で、ふと何かが気にかかった。

 

「……先生に一言、付け加えておいた方がよさそうね」

 

 失敗を繰り返せば、それが習慣になる。今度こそ意地を張らず、先生と協力して素早く……。

 

「あ、そうだ。百花繚乱をここに」

 

 ドアの外から小さな声が「仰せの通りに」と、もうひとつ消えていく。

 

 

──

 

 

 遠野のバス運転手は、突然どっと乗り込んできた人波にかなり驚いた様子だった。

特に先生に対しては、まるで死人が戻ってきたような態度に近かったが、大きな騒ぎもなくバスを走らせて百鬼夜行へと向かった。

 

 どうせ乗客は遠野の生徒たちと先生だけだった。道中、ちょっとした雑談が交わされる。

 

「それにしても、まだ人が残っていたとはな」

 

 バス運転手の言葉に、ココロは無表情で、しかし明らかに不服そうな声で言った。

 

「十人も残ってるよ」

 

「十一人」

 

 レイセンがバスの窓の外を眺めながら訂正した。聞いていた先生もギクッとした。

コイシのことをなぜ忘れていたんだろう? その反応はレイセンと運転手以外、全員が同じものを感じていた。

 

「それにしても、百鬼夜行夏灯篭バザーか~。そんなに大きなお祭りじゃないけど……。前の和楽祭りも、燈籠祭もあったのに、そっちには行かなかったの?」

 

「なに?」ココロは目をわずかに見開いた。

すぐに憂うような仮面をすっとかぶり、口を閉じた。明らかにココロの悲しみの感情表現だった。

 

「どうしても、百鬼夜行のお祭りがいつどこで開かれるか知らなかったので」

 

「それでも大きなお祭りの合間に活気を残してくれる、ありがたいお祭りだよ。楽しむには丁度いいかもしれないね」

 

 運転手はいつの間にか疑いも心配も顔から消して、親切に言った。一緒についてきたミスティアも体を左右に揺らしながらルーミアとペチャクチャ期待を語り合い、カゲロウは先生の隣の席でどこか落ち着かない様子でもじもじしていた。その場の全員が軽トラよりもお祭りへの期待を膨らませながら、バスはただひたすら前へと進んでいく。

 

 

 

 百鬼夜行連合学院。そこは、分かれていた多数の学院がある出来事をきっかけに一つにまとまり、今の形になったお祭りの学院。

 年中無休、どこへ行っても規模を問わず何かしらのお祭りが開かれている学院でもあった。

 きれいに整備された道路と街灯。古い様式を保存したさまざまな建物と屋台。そして遠野の人間なら少し目が回りそうな人混みと呼び込みの声。

 子たちは半ば呆然としながら、ただ周りをきょろきょろと見回し、先生の手や上着の裾、とにかく掴めるものなら何でも掴んで、少々気圧されていた。

 

 唯一、人混みを自然にかき分けながら進むレイセンが、まるで子どもにお使いの内容を再確認させるようにきっぱりと言う。

 

「いい? 私たちにはお金もないし、時間も少ない。市場調査と軽トラ。わかった?」

 

 そう振り返ると、他の子たちは先生を引っ張り、あちこちの屋台に顔を突っ込んでいた。先生の体が奇妙にねじれているような気がしたが、笑顔でつき合っていた。

 

「ねえねえ、これこれ、何?」

 

ルーミアが駄菓子を前に目を輝かせたり、

 

「このソース、遠野にはないやつね!」

 

 焼き鳥屋の品物を前にメモを取るミスティア、お祭り用のお面を触りながら欲しいというオーラを放つココロ、おとなしいと思っていたカゲロウまでもが先生のスーツの裾を掴んで屋台の簪に視線を奪われ、「きれい……」と呟きながら足を止めた。

 

 レイセンの危険察知レーダーがピンと反応する。当然、耳と連動しているため、背がひときわ大きく見えた。

 

 先生は微笑みを隠しきれず、財布を取り出した。きっと、経験したことのなかったこの賑わいの中でお金を払って使う経済活動は、今後の教育にも大いに役立つだろうと自分に言い聞かせたが、実際はただ買ってあげたい気持ちの方が大きかっただけだった。

 

 ルーミアが焼き鳥をそっと持ち上げ、目をキラキラさせていたその時、事件が起きた。

 

「うわっ! 路上でいきなり踊り出さないでよ!」

 

 ざわざわと集まってくる人混みの方をレイセンが鋭い目で見た。ココロが新しいお面を受け取り、嬉しい気持ちを抑えきれずに路上で踊り始めたのだ。市民の誰かが不快そうに声を上げたが、すぐにココロの踊りが只事ではないと気づいたのか、互いにざわめき始めた。

 

「路上パフォーマンス?」

 

「なんか、すごく伝統的な踊りじゃない?」

 

 レイセンが助けに行こうとしても、すぐに別のところがかき回される。ルーミアが店主と口論を始めたのだ。唯一の頼みの綱である先生は……。ミスティアとカゲロウの、それぞれやりたいことの自慢話に巻き込まれて身動きが取れなくなっていた。

 

 レイセンが完全にくたびれたサラリーマンのような表情でため息をつき、銃を持ち上げて空に向けて狙いを定めようとしたその時だった。

 

 

「あら! 先生! ここにいらっしゃったんですね!」

「こら! 屋台の足を噛むな……! うぐっ! なんだこの子力……!?」

 

青い羽織が二つ。

 

 先生には聞き慣れた、勘解由小路ユカリと不破レンゲの声。

ユカリは人混みをかき分けながら手を振り先生へと近づいており、レンゲは屋台の足を噛んでいるルーミアを必死に引き離そうとしていた。

 

「お迎えに参りましたの、先生!」

「ユカリ! レンゲ!」

 

 遠野の生徒二人に四方八方から押されていた先生が明るく答える。同時に、遠野の生徒全員が動きを止めた。各自の認知的不協和。今なんて?ユカリ? つまり会長?

 

 ようやく束縛に近い争奪戦が終わり、先生は百花繚乱の二人の方へ向かった。

 

「みんなは来てないの?」

 

 ユカリが、勘解由小路ユカリが無邪気に答えた。

 

「ナグサ先輩とキョウ先輩は先に陰陽部の部室に行ってらっしゃいますわ!」

 

 あ〜、先生は少し考えた。すぐに笑顔で、

 

「お願いがあるんだけど……」

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