あのインペルダウンの監獄見学から実に8年が経った。海軍の仕事にもすっかり慣れた私は着々と任務をこなした。階級も順調に上がっていき今の私は大佐にまで上り詰めた。
実力も昔の私とは比較にならないほど上がり、膂力でいうと軍艦バッグで使っていた廃船を軽々とへこませられるまでだ。覇気ももとから極めていた武装色をさらに磨き、新しい技の開発も試しておりついこの間形になったところだ。と言っても成功率はまだ三割ほどだが安定して使えるようになればこれまでの武装色とは一線を画すものになるはずだ。一方で見聞色の方は今になってようやく通常レベル程度の使い方ができるようになった。今まで直感やなんとなくの気配だけしかわからず、もしかしたら才能がないのかもしれないとも思ったが海鳥の声が人間の言葉で聞こえ始めたときにひどく安心した覚えがある。
だが強くなった一方で悲しいこともたくさんあった。海軍の仕事に慣れるということは人の死にも慣れてしまったということ。昨日まで隣で語りあっていた友人がその日のうちに海賊の凶弾に倒れるなんて珍しい事じゃなかった。人の命はこんなにも軽い。子供の頃にわかっていたはずのことをもう一度突きつけられた。けれどだからこそ、今を懸命に生きている命は尊く守られるべきものであると理解した。それを簡単に奪おうとする奴らは決して許してはいけない。たとえ聖女でなくても私はそう思っていただろう。
だから私はおつる中将の掲げる正義こそが理想の正義であると信じ突き進んだ。それが聖女としても正しいことだと思ったから。そんな思い掲げながらひたすらに走り8年、こうして振り返ると長かったように思うが、体感としてはそれほど長くは感じずむしろ短かったとすら思えた。
その中で取り分けて大きな出来事を挙げるとすれば、年に一回行われる七武海会議に立ち会わせてもらったことだろうか。
七武海とは海賊の中でも頭一つ抜けた影響力と実力を兼ね備えた海賊に海軍から様々な特権を与えて味方をしてもらう制度のこと。たった7人の海賊の集まりではあるが、一つ一つの海賊団が強力であったり個人として絶大な力を持っていたりなど決して無視できない海軍の戦力となっており、同時にその影響力はほかの海賊への抑止力となっている。
そんな七武海全員が一堂に会し、現状報告や海軍側からの要請を行うのだが……そこまでの力を持っている海賊がおとなしく召集に従うわけもなく、七人全員が揃うことはこの8年間一度もなかった。そんな一癖も二癖もある海賊たちが集まる場に私はおつる中将と同席させてもらい、そこで七武海の面々に手合わせを申し込んだ。
……まずは弁明させてほしい。私も海兵になってそれなりに経っている。海賊であることに不信感はあるが味方であることはきちんとわきまえている。インペルダウンではやり方の違いに苦しんだが今となっては恥ずかしくも懐かしい思い出だ。
そのうえで私は気づいた。味方と私情で戦いを挑むのが悪いのなら合意の上の手合わせという形でなら問題ないと。前から七武海とは一度戦ってみたいと思っていたし手合わせ云々の理由は本音ではある。当然叱られることもあったが、このことを面白がったガープ中将がかばってくれたためお咎めなし。それどころか七武海相手の修行を気に入ったらしく、ガープ中将が他の海兵にも推奨するよう強引に掛け合ったらしい。そんなことがあり私は当時の七武海のメンバーほとんどと手合わせすることができた。
一番印象に残っているのは海峡のジンベエ。魚人海賊団の実質的なナンバー2でジンベエザメの魚人。魚人空手の使い手でその技量は師範とも呼ばれるほどだとか。
ジンベエは海賊にしては話が通じる方で、私の知る中では唯一の七武海会議皆勤賞だ。海軍に対しても比較的協力的で七武海の本来あるべき姿だと言えるだろう。
そんなジンベエは私の突然の手合わせにも応じてくれた。ジンベエが七武海に加入してから通算三回、ただそのどれもが快諾というわけではなかったけど。最初の一回はいきなりこんなこと言われて戸惑っていたけど結局乗ってくれた。だが当然その時の私が七武海に勝てるわけもなく一撃も与えられずに負けた。
医務室で反省と脳内シミュレーション、それに加えて魚人空手の対策も考えていた。だが生き物の水分を通じて衝撃を与える技術に正面から抗うすべはない。とにかく食らわないことが一番の正解であるという結論にしかならなかった。
二回目の挑戦はそれなりに抗うことができた。最初よりジンベエの動きが見えたしこちらの攻撃もしっかり効いていたように見えた。それでも最後は負けた。やはり魚人空手が厄介だ、防ぎようがない。けれど何度も受けていたおかげで魚人空手がどうやっているか、どんな原理で技として成立しているか、コツみたいなものがなんとなくわかってきた。それを意識して修行していたら、ひどく不格好で不完全だが魚人空手を使えるようになった。
そして迎えた三回目、ようやく引き分けにまで持ち込めた!魚人空手はまだ使い物になってないけど鉄甲拳や覇気だけで渡り合えるまで強くなったと実感した。それでもおつる中将が途中で私を呼びに来なかったらどうなっていたかはわからない。ギリギリでつかみ取った引き分けだったのかもしれないし、もしかしたら私が勝っていたかも。なんにせよ私にとっては非常に有意義な修行だった。
ジンベエの次に記憶に残る経験と言えば、やはり「鷹の目」だろうか。世界一の剣豪、鷹の目のミホーク。黒い大刀を背負い一太刀で山をも斬り伏せる絶大な剣技。たった一人が持つその圧倒的な強さから王下七武海に選ばれた、誰もが認める最強の剣士。気まぐれな性格のミホークが七武海会議に参加した時点で驚いたが、ダメ元で手合わせをお願いして承諾されたのと比べたら大したことではない。
まさか受けてくれるとは思わずまごついていたらミホークがこんなことを言い出した。
「だが、あいにくお前の丈にあった刃物は持ち合わせていない。この黒刀では余り、それ以下のものでは足らない。」
ミホークが言うには真剣勝負でなければ相手の力量に合わせた刃物を使うようにしてるらしい。黒刀以外ではナイフのような小さいものしか持っていなかったそうなので海軍で使っていた軍刀を渡した。ミホークはそれの使い心地をある程度確かめたあと私にかかってくるよう促した。私はそれに従って向かっていった。
その後は一瞬の出来事だった。正面から拳を構えながら真っすぐ突進する。どこから切られようと私の反射神経なら見てから回避することもできると思っていたから。けれどそれは私の思い上がりだと思い知らされる。ミホークの前に立って拳を振り抜く、その直前のことだった。
急に私の体の感覚がなくなった。足腰の踏ん張りが感じられなくなり左腕も動かせてる感触がない。真っすぐ立っているはずなのに視界が傾き始める。そして私の体は地面に落ちた。
ここまで経ってから私はやっと気づいた。ミホークの目の前に立ったその時すでに私は切られていた。右脇腹から左上腕にかけて一刀両断。真っ二つにされた体を地面に散らし私の意識は暗闇に閉ざされた。
………そんなイメージが脳内に流れ込んできた。ミホークまでの距離60〜70cmの地点、ミホークに渡した軍刀がギリギリ届かない距離で私の足は止まっていた。ひそかに頼っていた私の本能がこれ以上進めばどうなるかを教えてくれたのだと思った。
「ほう……よく見極めたな。」
確かこのときはまだ見聞色は使いこなせてはいなかったはずだ。それでも私の本能が死の気配を感じ取り体を止めたのだろう。
足を止めて動く気配のない私を見てミホークは戦闘態勢を解いた。
「弱き者とは無知な者だ。無知ゆえに自分の力量も知らず早死にする。自分の限界を知りその先へ一歩踏み出せる者が強き者となるのだ。」
呆然とする私をよそにミホークはそんなことを言って立ち去っていった。手も足も出すこともできなかった手合わせだったが、最強の剣豪がなぜ最強と呼ばれているのかその一端が見えたような気がした。
それから個人的に気になった、というか変なことを言っていたのが「海賊女帝」だった。おつる隊と同じように女性のみで構成された九蛇海賊団の船長、海賊女帝ボア・ハンコック。彼女は基本的に自分以外のほとんどの人間、特に男性を見下している。とりわけ世界政府関係者を嫌っているようで政府に関係ある施設に近づくことも嫌がるらしい。実際七武海会議に出席したのも七武海に加入した年の1回だけだった。
横暴で理不尽な性格をしているが、メロメロの実の力で底上げされた彼女自らの美しさのせいでそれを咎められる者はいなかった。そんな人が向こうから私に声をかけてきた。彼女が言うには「鉄甲聖女」の名前は本拠地であるアマゾン・リリーにも聞こえているらしい。
「中枢の者にそなたのような者がおるとはな。気に入ったぞ。そなた、わらわの船に乗らぬか?」
まさか政府嫌いの海賊が海兵を引き抜こうとするなんて。信じられない光景に目を丸くしたのは私だけではなく、九蛇海賊団の面々も一緒だった。
「九蛇の戦士は強い者ほど美しい。そなたのように美しい者は九蛇でもそうは見ぬ。そなたの力わらわのために使うてくれぬか?」
私の頬に手を添えてその顔を目前まで近づけて囁く。端正な顔立ち、たおやかな黒髪、緑がかった蒼色をした瞳、白磁のような肌、凹凸のはっきりした見栄えするスタイル。そしてなにより佇まいだけでわかる圧倒的なまでの強者の風格。女である私でさえ見とれてしまいそうになるほどの美しさの圧が目の前に迫り私を勧誘する。思わず頷いてしまいそうになるのを堪え、正気を保ちハンコックを睨む。
「本日民間の商船が2隻、落とされたそうです。九蛇海賊団にやられたと聞いていますが?」
「それがどうした?わらわ達は七武海の特権に従っただけのこと。それが許せぬからわらわの誘いを断ると?」
「別にそれに腹を立てているから断るわけではありません。私は悪事に手を染めたくないだけですので。」
「異なことを。七武海になれば略奪を認める、それはそちらが提示してきたことであろう。わらわたちの略奪を合法と認めたということではないのか?」
「確かに法で認められていることではあります。ですが略奪が悪であることには変わりありません。今は裁かれることはないでしょうが、あなたはいずれ罰を受けることになる。」
強く握れば折ってしまいそうなほど細い腕を掴み、頬に添えられた手を離させる。
「無礼な!」
怒りを込められた言葉とともに手を振り払われる。仲間にしたいと言うわりには随分な物言いだ。
「下だらぬ!正しさだけで生きていけるとでも?そもそもわらわに罰など与えられるものなどおらぬ。なぜならそうよ……」
「美しいから、ですか?傲慢ですね。……とにかく私は海賊になどなるつもりはありません、失礼します。」
「待て、なぜそこまで正義などというものにこだわる?そなたほどの者がそこまでして中枢の者共に味方をする理由があるのか?」
「私の理想のためです。」
そうして私はその場を去った。それにしても本当に変わった人だ。私が聖女だと知ったうえで海賊に誘うなんて正気とは思えない。この日を境に私は七武海は変人の集まりなのではないかと思い始め、次の会議でそれは間違いではなかったとわからされたのだった。
その他の七武海とは手合わせ自体は受けてくれたものの、そのほとんどが軽くあしらわれる始末だった。あるときは一撃で吹き飛ばされ、あるときはおちょくられ、あるときはとっとと逃げられ、またあるときは死体もどきと戦わされることもあった。
開催時期や参加者もバラバラなためいつの日のことだったか順番があやふやではあるが、大まかに整理するとこんなところだろう。奇妙なこともあったが一年に一度の貴重な経験をさせてもらえた。
明日からはまた通常任務だ。みんなが夢見る聖女として頑張らなければ。
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それから1ヶ月後、海軍本部にいた私はおつる中将の執務室に呼び出された。なんでも話したいことがあるのだとか。
この部屋に入る度に入隊した日のことが思い出されるな、と感傷に浸りながら私はドアを開ける。
「失礼します。」
「来たね。」
部屋の中にはすでにおつる中将がおり、あの日みたいに執務机に肘をついて座っていた。
「さてと、話ってのはほかでもない。お前のことだよシルド。」
「はっ、この1ヶ月備品及び器物の損壊、海賊への過剰攻撃、突発的な対戦の申し込み、その他含めて違反した記憶はありませんがなにかしてしまったでしょうか。」
「今日は珍しくそういうことじゃないよ。」
海軍に入ってから十年、おつる中将に呼び出されてはそういうことで叱られていたため今回もそうだと思っていたがどうやら違うらしい。おつる中将も流れ作業のようにさらっと言ってのける姿に慣れからくる熟練度を感じさせる。
「ほっ…ではどういったお話でしょうか?」
「今更ではあるんだがね、お前そろそろ独立したらどうだい?」
独立、つまりおつる隊から離れ自分が隊長の部隊を作れということだ。しかしそれは以前同じことを聞かれたときに答えたはずだった。
「以前お答えしたように私はまだ未熟です。これからもおつる中将のもとで学ばせていただきたいと…」
「大佐まで昇っておいてなにを言ってんだい。いいかいシルド、海軍における階級ってのは実力もそうだが、時間をかけて身につけた経験ってのも重視されるんだ。お前が入った頃の同期、ヒナだとかスモーカーだとかはもう自分の隊を持ってるってのは聞いてるだろ。」
私の同期だった2人は「白猟のスモーカー」と「黒檻のヒナ」という今や知らないほうが珍しいほどの海兵になっている。二人が活躍する度にその話を自分のことのように喜んでいたものだが、その二人のことを引き合いに出されるとは。
「まぁこれに関しては私にも悪いところがあるから強くは言えないんだが、それでもお前はもうとっくに一人前だ。これからは聖女だとか関係なく誰かを率いる段階さね。」
「それは……そうなのですが……うぅん……」
中将の言うとおりいい加減部隊の一つでも持っていい頃だろう。むしろこの時になるまで持っていないことのほうが問題なのかもしれない。だがそれでも簡単に首を縦に動かせない理由があった。
「どうかしたかい?いつになく煮え切らないじゃないか」
「私……まだ中将から離れたくありません。あなたは私の…大切な人ですから……」
「アラサーの女がなに女々しいこと言ってんだい、ただでさえらしくないってのに。」
「アラサーでも何でも私は女ですよ中将…」
「そんなこと言いそうにないお前だからだよ。他に理由がないなら話進めとくよ。隊員の編成とかでまた呼ぶからそのつもりでいな。」
瞳を潤ませながら顔を薄く紅潮させて告白するも、あえなく振られてしまう。やはり慣れないことはするものではない。………別にすべてがふざけていたわけでもないのだけど。
「……私が心配で出世の話ほとんどせき止めていたくせに……」
「それはそれ、これはこれさ。それと心配だったのはお前じゃなくてお前が要職についた時の海軍の今後だよ。」
ボソッと呟いた声にも耳ざとくつついてくる。もうすっかり白く染まった髪の中将だが聴覚の衰えの心配はなさそうだ。
それにしても年を取ると捻くれがちになるというのはよく聞くが最近は本当かもしれないと思い始めている。師匠はそんなことなかったどころか一切変わらなかったからな。
実際のところ私が聖女として人々を導くとするなら、いやそうでなくてもいずれ人の前に立たなくてはならないときがくる。そのときが来るまでにその術を身に着けておかなくてはならない。何も分からないまま海の底にでも連れて行ったら取り返しがつかないなんてものではない。わがままばかり言ってはいられないか。
「わかりました。部隊編成、謹んでお受けいたします。」
「しっかりやんな。そうだ、うちの隊から何人かつけてやろう。お目付け役はちゃんとつけとかないとね。」
「お手柔らかにお願いします……」
こうして私の部隊が編成されることになった。
この日から私の運命は大きく動き出すことになる。私の人生を大きく変える数々の出会いとともに。そして私という存在がいたことで同様に大きく運命が変わった者も。
聖女の物語は今、ここから始まる。