余命僅かなTS悪役令嬢は、生きる為に吐血魔法で聖女と勘違いされる Remake 作:実験体-C
丘を駆け下りながら、俺は状況を分析する。
ゴブリンの大群。目視で五十体以上。個体のレベルは低い。せいぜい5か6。
統率された動きではない。おそらく食料に釣られて村に集まった烏合の衆だ。
今の俺はレベル32。一体一体は脅威じゃない。
だが数が多い。ナイフで一体ずつ処理していたら時間がかかる。
(範囲攻撃で一掃するのが効率的だ。適切な魔法は……氷結牢。消費HP40%)
40%は重い。だがこのレベルならHP上限は210。消費しても126は残る。
ポーションもある。問題ない。
村の入り口に辿り着く。
ゴブリンたちが家屋を壊し、畑を踏み荒らしている。村人たちは広場の中央に固まって震えていた。老人、子供、女性。武器を持った男は数人いるが、この数を前に手も足も出ていない。
逃げ遅れた子供をゴブリンが追いかけているのが見えた。
(――あれを先に止めるか。巻き込んで凍らせたら寝覚めが悪い)
俺は駆けた。
ゴブリンの一体が子供に手を伸ばす、その瞬間にナイフを投げる。
ミスリルの刃がゴブリンの頭を貫き、そのまま地面に縫い止めた。
子供が転び、こちらを見上げる。
銀色の髪。返り血で頬が赤く染まった少女が立っている。
「……走れ。広場に行け」
子供は数秒固まった後、泣きながら広場へ駆けていった。
よし。巻き込む心配はなくなった。
(――変換)
心臓が跳ねる。血管が燃える。もう何度も味わった痛みだが、慣れはしない。
胃の底から熱いものが込み上げ、口の端から血が溢れる。
だが、魔力は生成された。
十分すぎるほどの。
「――氷結牢」
大気が凍った。
シルヴィアを中心に、白い冷気が爆発的に膨張する。
地面が凍りつき、空気中の水分が一瞬で結晶化し、ゴブリンたちの体が次々と氷に包まれていく。
村の入り口を埋め尽くしていた五十体以上のゴブリンが、一秒で氷の彫刻になった。
静寂。
風が吹き、氷の粒が陽光にきらめく。
凍りついたゴブリンたちの間を、冷気の霧が漂っている。さっきまでの怒号と悲鳴が嘘のように、世界が静止していた。
氷に閉じ込められたゴブリンは、一体残らず絶命している。解凍されることはない。これが消費HP40%の範囲攻撃の威力だ。
その中心に立っているのは、口元から血を流し、白い肌を返り血と自らの鮮血で赤く染めた少女。
銀色の髪が風に揺れ、紅い瞳が夕陽を反射している。
白と紅。その対比は、残酷なほどに美しかった。
村人たちが、呆然とその光景を見ていた。
恐怖よりも先に、畏怖が来た。人間に向ける感情ではない。もっと根源的な、聖なるものを前にしたときの震えだった。
(……消費HP40%。残り126。許容範囲だ。ポーションは後で飲めばいい――この人数の前であのドブ色の液体を取り出す気にはなれん)
俺は袖で口元の血を拭い、広場にいる村人たちのほうを向く。
「道を聞きたい。この村からアカデミア連邦に向かう街道は、どっちだ」
誰も答えない。
全員が、凍りついたように俺を見ている。
(……反応が遅いな。まあ、いきなり魔物が全部凍ったら驚くか)
「聞こえなかったか? 街道の方角を――」
「あ、あなた様は……」
村人の一人――白髪の老人が、震える声で口を開いた。
「何者で、いらっしゃいますか……?」
(何者って……通りすがりだが)
「旅の者だ。この村を通り抜けたいだけで、それ以上の用はない。街道の方角を教えてくれれば、すぐに発つ」
老人は答えなかった。代わりに、ゆっくりと膝をついた。
「……あなた様が、あなた様のような方が、この辺境に来てくださるなど……」
周囲の村人たちも、一人、また一人と膝をつき始める。
(え、何、この反応。なんで跪いてるんだ)
「あの……立ってくれ。ただ通りたいだけなんだ……」
「あの方の傷を見たか」
村人の男が、小声で囁く。
「口から血を……あれだけの血を流しながら、我々を……」
「命を削って……見ず知らずの我々のために……あの方の瞳には一切の見返りを求める色がなかった」
(いや、だから違うんだが。道が塞がれてたから排除しただけで――)
「聖女様だ……」
子供の声が、夕焼けの空に響いた。
さっき助けた子供が、母親にしがみつきながら、俺を指差して叫んでいる。涙を流しながら、それでも笑顔で。
「聖女様が来てくれた!」
(やめろ)
だが連鎖は止まらない。
「聖女様……!」「聖女様がお救いくださった……!」
(やめてくれ。俺はただ効率的に最短ルートを取ろうとしただけだ)
混乱する俺の耳に、うめき声が聞こえた。
見ると、広場の隅に倒れている老人がいた。先ほどの白髪の老人――村長だ。
右腕から大量に出血している。ゴブリンに斬られたらしい。顔面は蒼白で、意識が朦朧としている。
(……あの傷、化膿したら死ぬな。この世界の医療水準じゃ助からない)
俺はインベントリからポーションを一本取り出した。
残り六本。貴重な在庫だ。
正直に言えば、減らしたくない。
(……だが、道を聞けてないんだよな。村長が死んだら情報源がなくなる。面倒だ)
俺は村長の傍に膝をつき、ポーションを口元に運んだ。
「飲め。苦いが、効く」
村長は微かに目を開き、俺の顔を見た。
銀色の髪と紅い瞳が、夕陽に照らされている。
「あなた、様は……」
「いいから飲め」
半ば強引に流し込む。
村長の顔が一瞬歪んだ。そりゃそうだ。あの味だ。
だが数秒後、出血が止まり、傷口が塞がり始めた。蒼白だった顔色に、徐々に赤みが戻る。
周囲の村人たちが息を呑む。
「傷が……傷が治っていく……!」
「奇跡だ……!」
(いや、ポーションだ)
村長の容態が安定したのを確認して、俺は立ち上がった。
「それで、街道はどっちだ」
村長が、涙を流しながら北東の方角を指した。
「あちらに……半日ほど歩けば……」
「ありがとう。世話になった」
等価交換だ。道を教えてもらったのだから、それに見合う対価を払った。
ポーション一本の消費は痛いが、この村を迂回する三日分の時間と食料を考えれば、十分にペイする。
……うん。合理的な判断だ。それ以上の意味はない。
老人が死にかけていたから助けたわけではない。子供が泣いていたから戦ったわけではない。
全ては効率の問題だ。最短経路を確保するための、冷静な損得勘定。
――そう自分に言い聞かせるのは、これで何度目だろう。
俺は踵を返し、歩き出した。
背後から声が追いかけてくる。
「お待ちください! せめてお名前を……!」
(名前なんか教えたら足がつく。身バレは御免だ)
「名乗るほどの者じゃない」
俺はそれだけ言い残して、村を出た。
俺が去った後のココル村では。
村長は涙を拭い、村人たちに向かって語った。
「皆の者。今日、我々はこの目で奇跡を見た。あの方は……命を削る魔法で我々を救い、神秘の薬で儂の命を繋ぎ……そして名も告げず去っていかれた」
村人たちが頷く。子供も、老人も、涙を流している。
「あの方は見返りを求めなかった。儂らのような辺境の民に、あれほどの力を惜しみなく使い、血を吐いてまで……」
「村長。あの方が置いていかれた薬瓶、一滴だけ残っておりました」
村長の娘が、空き瓶を大切そうに抱えて駆け寄ってくる。
ドブのような色の液体が、瓶の底にわずかに残っていた。
「これは……村の宝として保管せよ。聖女様の奇跡の証として」
この日。
辺境の小さな村に、一つの伝説が生まれた。
血を吐きながら村を救い、奇跡の薬を授け、名も告げず去った銀髪の少女。
その噂は、行商人から冒険者へ、冒険者から酒場へ、酒場から街へと伝わり――
尾ひれがつき、装飾が加わり、事実とは似ても似つかない「物語」になって――
やがて、大陸中に広がることになる。
一方、当の聖女様はというと。
街道を歩きながら、ポーションを飲んでいた。
「…………まっず」
残り五本になったポーションの在庫を確認し、ため息をつく。
(素材は確保してあるから、どこかで補充しないとな。……あと、この味をなんとかしたい。聖水を隠し味に入れたら中和できないかな。教会系のアイテムには浄化作用がある。前の持ち主のレシピを改良する余地はありそうだ。次の街に教会があれば試してみよう)
アカデミア連邦は、まだ先だった。
(とにかく、もう余計なことには関わらない。目立たず、静かに、効率よく生きる。それだけだ)
そう固く誓う主人公の背後で。
ココル村の子供が空を見上げて叫んでいた。
「聖女様、また来てね!」
その声は、風に乗って消えていく。
少女には、届かない。
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次回「ポーションが不味すぎて改良を決意する」――毎日投稿です。