騎士王は迷宮都市でひっそり暮らしたいけど、エクスカリバーのビームの撃ち方とかわかりません 作:meiTo
『ブモォォォォォォォォォッ!!』
赤黒強化種(ミノタウロス)の大剣が、迷宮の石柱を豆腐のように粉砕する。
「はぁっ、はぁっ……!」
ベル・クラネルは、地面を転がりながらその一撃を間一髪で躱していた。
戦い始めてどれくらい経ったろうか…。
圧倒的な暴力。
死の匂い。
あの時と同じだ。血の気が引き、足が竦む。
怖い…恐い…こわい…コワイ…
アイズとの特訓の中で、彼女がふとこぼした言葉が脳裏をよぎる。
『――君は、臆病だね……』
アイズは決してベルを蔑んだわけではない。
ただ、彼の剣筋に染み付いた「恐怖」を的確に見抜いていたのだ。
このままじゃ、いずれやられてしまう。
あの時のように、また無様に逃げ出すしか……。
「……ん、ぁ……」
その時、瓦礫のそばで気を失っていたリリルカが、微かに目を覚ました。
額から血を流し、焦点の合わない瞳でベルを見つめる。
「……sま……ベル様!!」
彼女の声で、ベルは弾かれたように我に返った。
今の自分は、一人じゃない。守るべき仲間がいる。
「リリ、逃げて!」
悲鳴に近い声に小柄な体が震える。
薙ぎ払われる剣を躱しながら僕は必死になって訴えた。
でも、リリは動かない。立ちつくしたまま、泣きそうな目でこっちを見てる。
カァァッと頭に血が上った。
「にげてっ……逃げろよっ!!」
リリは泣きながら頭をぶんぶんっと振った。
意識が定かではないのか、子供の我儘みたいに言うことを聞かない。
何でだよっ!?
リリがいたら逃げられないだろう!?
リリがここを離れたら、僕だって逃げられるんだよ!!
わかるでしょうっ? わからないのっ? お願いだからわかれよ!
「早くッ、いけぇええええええええええええええ!!」
ベルはミノタウロスの巨体からリリを遠ざけるように叫ぶ。
怒鳴り声がリリを突き飛ばした。
とめどなく涙を溢れさせながら、リリは顔をくしゃっと歪めて僕に背を向ける。
その場から駆け出し、たったったっという足音とともに通路の奥に消えていった。
これで僕も逃げられる!
やっと僕も、逃げ出せる!
逃げ、出せるっ……
(……わけっ、ねーだろっ……!?)
今僕が逃げたら、誰がコイツを押さえ込むんだ。
コイツをこのルームから出したら、今行かせてしまったら、リリが死ぬ。
この牛の化物がリリに狙いを定めたら、リリがっ、リリは……っ!
「……畜生ッ!!」
ベルの血を吐くような絶叫。
リリは、ボロボロになったベルの背中を見て、わっと涙を溢れさせながら、引きずられるようにしてその場から走り去った。
オッタルによって極限まで強化されたこの怪物が、逃げる背中を大人しく見逃すはずがない。
ベルは逃走の選択肢を完全に捨て去り、ミノタウロスに向かって駆け出した。
アルトリアによる、あのデタラメな素振りで鍛えられた『敏捷:SS』の脚力が爆発する。
(かわすだけなら、早さだけなら! 避け切ってやる! 無様でも、惨めでも、時間さえ稼げればいい!)
プロテクターに右腕を突っ込み、短刀(バゼラード)を抜剣。
右に回ろうとする足を殴り飛ばしてミノタウロスと対峙する。
泣きたいのか怒りたいのかわからない。体の中で絡み合う感情の束は既にぐちゃぐちゃだ。
もはやヤケクソの境地に片足を突っ込みながら、僕はミノタウロスと一方的な戦闘を続行させる。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「ッッ!?」
繰り出される左ストレートを『バゼラード』で横に叩く。
右手を衝撃で痺れさせながら、向かってくる大剣を回避。短剣ではあの得物は弾けない。
すぐに後退。詰められる。
盛大に歪めた僕の双眸と、ミノタウロスの鋭い両眼が交差する。
「ルヴッ、ヴゥゥッ!」
「ぐ、ぅぅぅっ!」
命綱の防具もないまま死地の中に身を置き続ける。
大剣が地面を揺るがす都度、砕かれた鋭い石片群が、青白くなっている肌と黒いインナーをボロボロに傷付けていった。
ミノタウロスの呼吸が荒い。捕まらない僕に業を煮やしているのか。
僕の呼吸は言うまでもない。大粒の汗が何度も頬を伝う。喉の渇きが最高潮に達しようとしていた。
ミノタウロスから発散される力の余波が再三にわたって草原をざわめかせる。
ダンジョンの中の音という音が全て僕達の攻防から生まれていた。
天井一面に灯っている燐光に見下ろされながら、茫漠としたルームを二つの影が動き回っていく。
「フゥッ……ゴォオオオオオオオオオオッ!!」
ミノタウロスが怒号をあげる。まるで「逃げるな」と一喝されているようだった。
ありったけの勇気を総動員して短剣での防御を用い始めていた僕は、速度が――『敏捷』が何とかせり合えることに気付いていた。
でも、前に出れない。
耳のすぐ横を掠めていく破滅の風切り音が、体の熱を奪っていく。足をすくませる。僕の恐怖心を膨張させる。
前になんか出るな。
無様に下がり続けろ。
逃げ回って逃げ回って逃げ回って、時間を稼げればそれだけでいい。
この瞬間を切り抜けられれば、それで……!
それで、いいだろう……!?
「は、ぁっ!」
上がる息を野放しにして剛剣を回避。
もう何度目とも知れない死と隣り合わせの脱出劇に、心臓が圧搾される。風圧で頬が切られた。
わななきながら僕は走った。
剣を振り下ろした格好で前屈みになっているミノタウロスの側面に回り込もうとする。相手にとっての死角、つまり唯一の安全地帯だ。
そして僕がそこに足を踏み入れた瞬間、ミノタウロスの瞳が、鋭く光った。
「――」
フッ、フッ、と鼻息を断続させるミノタウロスは、地にめりこんだ大剣から視線を引き剥がすと一気に、自身の頭蓋を僕に向かって振るってきた。
「――なっ!?」
「ヴゥウウウウウウウウウウウウウウウウッ!」
無理な体勢から繰り出された横殴りの頭突き。
強張った牛頭に生えているのは――角!
湾曲した片角が、瞠目する僕を急襲する!
「うあっ!?」
「ンンンンンンッ!!」
無意味と知りながら構えたプロテクターを、ミノタウロスの角は呆気なく貫いた。
僥倖だったのは致命傷を免れたこと。
すくい上げられるように打ち出された牛角は、プロテクターを貫通することで僅かに角度がずれ、僕の左腕を浅く切り裂いただけで済んだ。
けれど。
ミノタウロスの角は、プロテクターを引っかけたまま。
がっしりと固定された角に引っ張られるように、僕は左腕ごとミノタウロスの頭上に掲げられた。
「ひっ!?」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
振り回される。
ミノタウロスが首を振るう度に、僕は振り子のように左右へ流れた。
ダンジョンの床から二メートル以上も離れた空中で体中をシェイクされる。
地面が遠い。
視界が、ままならない!
猛烈な勢いで揺さ振られこみ上げてくる吐き気。
体を繋いでいる左腕が軋み、唸り、関節がイカれてしまう。
やがて二回、三回と、ミノタウロスが狂ったように首を振っていると、僕より先にプロテクターの方が限界を越えた。
既に半壊していた防具が繋ぎ目から千切れる。
ミノタウロスの首が大きく斜め上に振るわれるのと同時に左腕が開放され、僕は、天高く放り出された。
「ぅ――ゎぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
十メートル以上もある9階層の天井にぐっと近付いて、すぐに僕は落下運動に入った。
山なりの放物線を描いて、ダンジョンの床に引き寄せられる。
姿勢の制御もできないまま、天井があっという間に遠くなり――墜落。
「い゛っっ!?」
背中からまともに激突した。
背骨を起点に体中へ絶叫が走り抜ける。頭が、スパークする。
手足が不細工に痙攣した。
【ステータス】の『耐久』補正がなかったら、とっくに死んでる……っ!?
「ぁ……!?」
目がチカチカする。
打ち寄せてくる痛みの波に呻き声が漏れ、僕は眉間に皺を寄せて両目をギュッと瞑った。
やがて接着している地面を通して、ミノタウロスの足音が伝わってくる。
不味い、と思っても体が思うように動かない。喉が喘ぐように酸素を求めるだけだった。
そして身動きが取れなくなった途端、無理矢理封じ込めていた恐怖は簡単にぶり返した。
歯が、カチッカチッと鳴り始める。瞳が揺れて潤み始める。
怖い。
やっぱり、滅茶苦茶怖い。
苦しいし、痛いし、辛い。
でも、何よりも。
恐い。
もう、立ち上がれないくらいに。
「ゥゥ……!」
地響きが徐々に近付いてくるのがハッキリとわかり、身の毛がよだつ。
ゆっくりとミノタウロスは此方に迫ってきている。
こんなの生殺しだ。足先からじわじわと恐怖感に蝕まれていく。
発狂しそうになる。壊れそうになる。
いっそ、そうなってしまえば楽なのかもしれない…。
僕は眩いダンジョンの天井を見上げることしかできなかった。
いくつもの燐光に目を焼かれて、涙腺が静かに砕け散りそうになる。
――もぅ、無理。
恐怖に雁字搦めにされる中、は、と湿った吐息が口から漏れた。
「…………?」
地響きが、止まった。
刻々と読み上げられていた死刑宣告が、不自然に途切れた。
代わりに鳴ったのは、そよ風。
怪訝に思った。何があったのかという、訪れた完全な静寂に対する純粋な疑問。
顔を歪めながら身じろぎする。
いまだ震えがおさまらない体を動かして、何とか首を持ち上げた。
すると、
あの人が、いた。
「……」
澄んだ黄金の長髪。蒼色の鎧。銀のサーベル。
いつかどこかで目にした光景と同じように、あの女剣士が、僕に背を向けて立っていた。
僕は時間を止めた。
「ゥ、ヴォオ……!?」
ミノタウロスが、怯えている。
何も喋らない彼女に見据えられ、じりじりと後ずさっていく。
風が鳴っていた。
一人の少女を取り巻くように気流が踊り、ルームを静謐に震撼させる。
研ぎ澄まされた威圧が、渦巻いていた。
――【剣姫】、アイズ・ヴァレンシュタイン。
「いたぁ! アイズゥー!?」
「ちッ、つまんねえことに振り回されてんじゃねえっての!」
続々と駆け付けてくる足音と声が耳に飛び込んでくるけど、僕の瞳と意識はその後ろ姿に縫い付けられたままだった。
目と鼻の先。
ヴァレンシュタインさんが、僕を庇うようにミノタウロスと対峙している。
頭が混乱する。状況に思考がついていけない。
何が起こっているのか。何が起ころうとしているのか。
吸い寄せられるように上体が起き上ったことに気付かないまま、僕は呆然と彼女の背中を見上げ続けた。
「……大丈夫?」
――大丈夫?
あの時と同じように。
細い横顔が小さく振り向いて、同じ言葉を告げた。
ズクン、と心臓が打ち震える。
「……頑張ったね」
――頑張っ、た?
あの時とは異なって。
労わりの言葉が添えられる。
グシャッッ、と心臓が唸る。
「今、助けるから」
――たす、け?
心臓の音が、暴走する。
視界の中の光景に色が戻った。
灼熱の色が、灯った。
助ける?
助けられる?
また?
この人に?
同じように?
繰り返すように?
誰が?
――僕が。
「ッッッッ!!」
頭に火がついた。
それまでの感情という感情が一掃される。
馬鹿みたいに一途な気炎が、恐怖を上回った。
みじめな強がりが、とどまることを知らない想いの丈が、無様な体たらくを粉砕する。
立て。
立てっ。
立てよッ!
いつまで寝てれば、気が済むんだよッ!?
同じ時を繰り返すのは御免だ!
この人に助けられるだけの弱い自分なんて、絶対にっ、御免だ!!
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!」
竦む体はどこかにいってろ。
怯える暇があったら覚悟を決めろ。
憧れの人の前でこれ以上醜態をさらしてどうする。
誰よりも想いを伝えたいこの人の前で、これ以上カッコ悪い姿を見せてどうする。
そんなこと、耐えられない、耐えられない、耐えられるわけない!
ここで格好をつけないで、いつ格好をつけるんだ!
ここで見返さないで、いつ見返すっていうんだ!
ここで立ち上がらなくて、いつ立ち上がるっていうんだ!
また、自分は背中を見るだけなのか。
また、あの日のように、惨めに命を拾うだけなのか。
いつだってアルトリア先輩に守られ、今はアイズさんにまた守られ……。
ここで“高み”に手を伸ばさないで、いつ、届くっていうんだっ!!
僕の足は地面を蹴り飛ばした。
立ち上がり、再起した。
「!?」
「――いかないんだ……」
ベルは、血まみれの足で、ふらつきながらも立ち上がった。
アイズが驚いて振り返る。
彼女の手を掴む。
力を入れれば折れてしまいそうなそのか細い手を取って、自分の背後に押しやる。
僕は、自分の意志で前に出た。
「もう……アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけには、いかないんだ!!」
腹の底から叫んで短刀を構える。
狂牛は再び現れた僕に目を見開き、そして確かに、獰猛に笑った。
こちらの意志に呼応するように大剣の刃を僕へと向ける。
ロキ・ファミリアの主力たちが続々と駆けつけ、その光景を息を呑んで見守る中、ベルは己の魂を燃やして叫んだ。
「勝負だッ……!!」
冒険を、しよう。
この譲れない想いのために。
僕は今日、初めて冒険をする。
***
少年が駆け出していく。
アイズの唖然とした視線をその一身に受け、小さな冒険者は待ち受ける巨大なモンスターのもとへ飛び込んでいった。
高台からその様子を見下ろしていたベート・ローガは、鼻で笑って見せた。
「ま、ダンジョンで獲物を横取りするのはルール違反だわな。見事にフラれたな、アイズ」
「……」
置いていかれてしまったアイズの背中に、ベートはのん気に言う。
冒険者としてあいつの方が正しいと鼻で笑った。
ルームにはベートとティオナに続いてティオネが到着しており、遅れてリヴェリアとフィンも足を踏み入れていた。
彼等が目撃する中、ベル対ミノタウロスの戦いの火蓋が切られる。
相手の初撃を上手い具合に避けたベルをちらと見たベートは、「ほー」と口を円にした後、「ん?」とあることに気付く。
「……あ? アイツあの時のトマト野郎か!?」
ベートはベルの顔に気づき、下品な笑い声を上げた。
「ギャハハ! なんだアイツ、つくづくミノタウロスに縁があるみてえだなあ。ミノのやつ」
「それって、アイズが間一髪で助けたっていう?」
「おお、間違いねえ!トマト野郎が恋しくて、遥々中層から来たんじゃねえかあ? そりゃ助けられたくねえよなあ。あの時と同じ状況でみっともねえ所を見せちまった相手によお」
「ふざけないで、ベート」
アイズの注意にベートは肩をすくめる。
ニヤニヤと薄笑いを浮かべてアイズとベルを交互に見た。
「ねぇ、いいの? あの男の子、Lv.1なんでしょ? 絶対にミノタウロスにやられちゃうよ!」
「トマト野郎が決めたんだ、俺達が口出しするもんじゃねえっての。なぁアイズ」
「私に振らないでくれる?」
笑みを残したまま軽々しい態度を崩さないベートに、アイズは呆れた表情。
三人で小さな円を作る中、ティオナは異議ありとばかりに食ってかかった。
「どっちにしたって、あのミノタウロス放っておくわけにはいかないんでしょ!先か後かの違いだけじゃん! あたし、行くよ!」
「放っておいてやれって。あのガキ、“男”してるんだぜ? あれだけ痛い目にあって身の程知らずってわけじゃねえだろ。また助けられちまったら、俺だったら死にたくなるね」
「ベートの美学なんてどうでもいいし!」
現状を忘れぎゃーぎゃーと喚くティオナ達だったが、そこにかき消えてしまいそうな声がかかった。
小さな影がずるずると己の体をひきずり、泥だらけになった小柄な影がすがりついた。
逃げたはずのリリだった。
彼女は他の冒険者に助けを求めるため、必死に戻ってきたのだ。
「……お願いします、冒険者様。ベル様を、助けてください……」
「パ、パルゥムちゃん……」
「な、何だよ! 離せって!?」
変身の解けているリリが、倒れ込むようにしてベートのバトル・クロスを掴んだ。
震える小さな手が膝に取りすがってきて、ベートはあからさまに動揺する。
「ご恩には必ず報います。リリは何でもします、何でもしますからっ……ベル様を、助けてくださいっ……!」
「お、おい……」
「お願いします……冒険者様! ベル様を助けてください! お願いします!」
朦朧としながら必死に言葉を紡ぎ出すパルゥムの姿に、ベートは頭上の獣耳を垂らし、この時ばかりは弱り切った顔をした。
リリの背後に歩み寄ったリヴェリアが膝を折り、そっと彼女の両目を右手で覆う。
左手をお腹に回し、そのまま抱き締めるように自分の胸の中へ誘った。
「まだ無理をするな。傷は塞がっても、流れ出た血は戻っていない」
リヴェリアの唇が詠唱を口ずさむと、翡翠色の光が目元を覆った手から発せられる。
彼女が口にしたように、リリの傷は出血の痕を残して塞がりきっていた。
アイズ達がこのルームに駆け付けることができたのは偶然ではない。
ひとえにリリのおかげだった。
ベルを置いて逃げ出せる筈のなかった彼女は、怪我を放置して必死にひた走り続け、執念か、9階層に到達していたアイズを見つけ出したのだ。
仲間のために助けを求めたサポーターの懇願が、彼等をこの場に導いていた。
「お願いします、お願い、します……っ」
「……ちッ」
リリは地面に額を擦りつけ、ボロボロと涙を流しながら懇願した。
「御恩には必ず報います! リリはなんでもします! なんでもしますから! ベル様を助けて……お願いします……ベル様を、ベル様を……ッ!」
うわ言のように呟かれるその悲痛な叫びに、ベートの笑みが消え、苦り切ったように舌打ちをした。
灰髪をガリガリと無造作にかいた後、足を回し、アイズとベルのいる方向につま先を向ける。
「行くのか?」
「チッ、勘違いすんな。雑魚なんて助けるのはごめんだ」
ベートは一歩前に出る。
「勘違いすんな、雑魚なんて助けるのはまっぴら御免だ。だが、自分より弱ぇ奴を苛める雑魚に成り下がるのは、もっと御免だ」
リヴェリアへ無愛想に言い返し、ベートは足を進めた。
ベル達の方に顔を向け、背中を見せているアイズに声を張る。
「どけ、アイズ! 俺がやる!」
「……」
「おい、何ぼさっと突っ立ってっ……」
アイズを追い越そうと彼女の真横に並んだベートは、ぴたりと動きを止めた。
相変わらず感情に乏しい少女の顔は無表情で――その金色の瞳だけが、驚愕に見開かれていた。
これ以上のない真剣な眼差しで、ある光景を真っ直ぐに見据えている。
ベートが視線を戻すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
中層の強化種であるミノタウロスの大剣と、正面からナイフで打ち合っていたのだ。少年が。
お互い一歩も引かずに、凄まじい剣戟を繰り広げていた。
アルトリアの『無自覚な規格外の力』を間近で見てきたベルは、「強い冒険者とはこういう動きをするものだ」という強烈な刷り込みを受けている。
その結果、彼の動きはレベル1の常識を遥かに凌駕していた。
「…………あぁ?」
苛烈な剣舞の音が鳴り響く。
あらゆる物を破砕する力の轟音と、どんな物も切り裂く速度の清音。
過激な曲調がベートの鼓膜に届き、果てはダンジョン全体に染み渡っていく。
交わされるのは銀の光と紫紺の光の応酬だった。銀の輝きが振るわれたかと思えば、紫紺の閃きが円弧を作りあげる。
ミノタウロスとベルの両者が形相を作り、“互角”の攻防戦を展開していた。
「え……あ、あれ?」
「……誰がLv.1ですって?」
その交戦模様にアイズ達も気付く。
形勢こそ、その身体能力キャパシティを活かし攻め続けているミノタウロスが終始有利ではある。
だが、誰もが疑わなかった蹂躙ワンサイドゲームはそこにはなかった。
あるのは、互いの命を平等な条件のもとで賭けた、確かな死闘だ。
一際甲高い音響が炸裂する。
大剣を短刀で弾いてみせたベルから視線を切って、アイズ達はベートの方をバッと振り向いた。どういうことか、と。
ベートは、答える術を持っていなかった。
「僕の記憶が正しければ……」
落ち付いた声音が転がる。
ビクッと肩を上げたベートは、いま自分がどのような顔をしているのかわからないまま、己の背後を顧みた。
彼等の首領であるフィン・ディムナが短い歩幅でゆっくりと近付いてくる。
自身の得物である長槍を担ぎながらベートの隣で足を止め、彼は静かに尋ねた。
「一ヶ月前、ベートの目には、あの少年が“いかにも駆け出し”に見えたんじゃなかったのかい?」
その問いに、ベートは呆然と立ち尽くし、ただ「あぁ……」としか返せなかった。
ロキ・ファミリアの誰もが、ベルに何が起きているのか理解できなかった。
それほどまでに、彼は速く、そして強く成長していたのだ。
彼方で爆炎が咲いた。爆風が足の間をくぐり抜け、緋色の熱光に二人の顔が照らし出される。
じっと見上げてくる黄金の瞳に、ベートは頬を震わせたじろいだ。
駆け出しだった。間違いなく。
ミノタウロスに散々追いかけ回されていたあの子供は、戦いの基本も心構えも何もできていない、一目でわかる新米の冒険者だった。
失笑を買う、みじめな冒険者だった。
それが、
(何が、起きやがった……!?)
激変を遂げていた。
今ミノタウロスと渡り合っているのは、ベートの忌み嫌う、愚かで惰弱な冒険者の一人ではない。
確かな実力の片鱗を窺わせる、紛れもない新人冒険者ルーキーだ。
一ヶ月。まだ、一ヶ月である。
僅か三十日前後のスパンでは、才能に恵まれた冒険者とはいえ見違えるほどの成長は得られない。
並大抵の冒険者ではそれこそ亀の歩みだ。
底辺の脱出からの、ありえない飛躍。
ベートは立ちつくす。
月日とも言えない短い時間の中で、もはや別人に化けたベルに戸惑いを覚えるしかない。
心中で巻き起こるのはことに対する不可解さと、戦慄だった。
「……」
ベートの隣でまた、アイズの視線もベル達に釘付けとなっていた。
透いた輝きを湛える金色の瞳が、驚きを孕み、僅かな興味に揺れている。
「ウヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「あああああああああああああああああああッッ!!」
雄叫びが走る。
モンスターとヒューマンが真っ向から衝突し、力と速度の戦いを継続させる。
自然にアマゾネスの姉妹はアイズ達のもとへ引き寄せられ、リリを横抱きに抱えるリヴェリアも合流する。
誰もが口を閉ざし、一人と一匹が交わす闘争を最も近い所から凝望した。
「…………」
精鋭である【ロキ・ファミリア】の冒険者達がその死闘を見守った。
第一級冒険者を名乗ることを許された彼等から見れば、やはりそれは稚拙な戦いだった。
彼等の足元にも及ぶことはない、レベルの低い争い。
けれど同時に、彼等の瞳を掴んで離さない何かがあった。
少なくとも、彼等の足を縫い止める何かがその中にはあった。
ある者は瞠目し、ある者は鋭く見定め、ある者は冷静に静観する。
幾多の火花が散っていった。高らかな風の音が生まれていた。
薄光が、周囲の空間から切り離すように、その光景を包み込んでいた。
それはまるで童話の一頁のように。
荒ぶる牛の怪物と、小さな少年が、互いの命を燃やし、しのぎを削り合う。
ティオナはゆっくりと目を細めた。
「『アルゴノゥト』……」
それは一つのお伽噺。
英雄になりたいと夢を持つただの青年が、牛人によってラビリンスへ連れ攫われた、とある国の王女を救いに向かう物語。
時には人に騙され、時には王に利用され、多くの者達の思惑に振り回される、滑稽な男の物語。
友人の知恵を借り、精霊から武器を授かって、なし崩しに王女を助け出してしまう、滑稽な、英雄の名前。
「あたし、あの童話、好きだったなぁ……」
体が軽かった。
頭が冴えていた。
想いが燃えていた。
視界を絶え間なく過ぎ去っていく大刃をくぐり、前へ。
浴びせられる雄叫びを自身の咆哮で相殺し、前へ。
勝利をもぎ取ろうと全身を奮い立たせて、前へ。
目の前の敵が、今の自分の全てだった。
初めて思った。
情けない妄想でもない。
カッコ悪い虚栄心でもない。
ただ夢を見ているだけの、不相応な願いでもない。
英雄になりたいって。
コイツを倒せる英雄になりたいって。
弱い自分だって奮い起こしてみせる、強い英雄みたいな男になりたいって、初めて心から思った。
僕は。
英雄に、なりたい。
一方、バベルの頂上からその戦いを神の鏡越しに見下ろしていた『美の女神』フレイヤは、身悶えするように体を震わせ、興奮の溜息を漏らしていた。
「ああ……なんて美しいの。私の騎士(アルトリア)の背中を追って、ついにあの子も殻を破ったのね……!」
「……ああっ!」
目の前で浮かぶ『鏡』を通して見える光景に、フレイヤは顔を驚愕から歓喜、恍惚へと移ろわせる。
「ふふっ、うふふふふっ……!? 見ている、オッタル? この美しい光景を……!」
光った。
ベルの魂が、輝かしいまでに。フレイヤの瞳を焼くほどに。
あれだけの輝きを放ちながら、まだその色は澄み切った透明色。
純粋な願望。
意図も打算もない、汚れも穢れも知らない、純然な意志。少年は何かを願ったのだ。
ベルの中で、“可能性”が芽吹いた。
***
戦いが続く。
ベルとミノタウロスは頻りに互いの立ち位置を入れ替えた。
四本の足が草原を踏み締め、駆け上げ、蹴り貫き、何度も何度も交錯していく。
絡み合う二つの動きは止まらない。
(図体に、騙されるな!)
ベルは猛る意志を己の体に装填する。
既に恐怖とは無縁の位置にいた。
枷を砕き、呪縛から解き放たれたベルにはもう後退の文字はない。
怯むことなくミノタウロスの猛攻を防ぎ続け、隙を見つけては勇猛果敢に斬りかかる。
(ただデカいだけだ! よく見ろ、目を瞑るな!)
ベルは自分の双眸へと念じる。
ミノタウロスの怪力は確かに脅威だ。まともに受ければ致命傷は避けられず、掠っただけでも体の半壊は免れない。
壊すことに特化した力はたった一撃のもとに敵を圧倒してのける。
だが、それだけだ。
一撃を食らう前提は前提を越えない。命中しなければ、大剣という必殺もただの粉飾に成り下がる。
ベルの視界は今までにないほどクリアだった。
その瞳を凝らし、ミノタウロスの表情から筋肉の動きまで鮮明に捉えている。
恐怖を拭い注視すれば、相手の巨躯はありあまる情報をベルに与えてくれた。
常に全力全壊で回転し続ける敵の肉体は――凄まじいまでに怒張する筋肉の塊は、攻撃のタイミングから方向性まで何から何までベルに教えてくれる。
ミノタウロスの動きは愚直だった。雑だった。
ベルが容易に先読みできてしまうほど、“なっちゃいなかった”。
(コイツより“規格外”の相手を知ってるだろッ!!)
自分が師事するあの人と比べれば、目の前の相手は、ただの動く木偶だ。
冒険者の武器を装備してのけるその特殊性も、あくまで大剣を“使える”ようになった、それだけのこと。
この程度では、あのアルトリアさんには遠く及ばない。
ミノタウロスの攻撃は当たらない。当たらせない。
筒抜けの一撃必殺はことごとく空を切り、見え透いた軌道はその漆黒のナイフで叩き落とす。
ベルは速度という己の十八番を最大限に稼働させ、ミノタウロスの攻撃を往なし、防ぎ続けていった。
「……さっきから何なんだ、あのナイフは? 自分てめぇよりずっとでけえ大剣を弾いてやがんぞ?」
「いや、武器の性能もそうだが……」
「上手い。技でミノタウロスの攻撃を捌いてるよ」
「本当によく凌いでる。でも……」
「攻めきれないっ」
(これが僕の冒険……!)
ベルは、極限の集中の中で、自らの命を燃やしていた。
(僕はなりたい! 英雄に……なりたい!!)
ベルの動きは神がかってはいたが、致命的な問題があった。
ミノタウロスに対する確かな評価。
その隆々とした肉質は飾りではない。
筋肉の束はその強度もさることながら、過剰なまでに重なり合うことで、あたかも分厚いゴムを切っているかのような感覚を相手に預けてくる。
更に、耐久力の充実しているドロップアイテムとして評判の高い体皮と組み合わさることで、ミノタウロスの守りは半端な攻撃では崩せない構造となっている。
皮それ自体は耐熱耐寒効果を持つことでも重宝されていた。
中層域のモンスターの中でも群を抜いて特化したその力と耐久力が、多くの冒険者達にモンスターの代表格として覚えられる所以でもあるのだ。
そして今のコイツは、武器を持ちその大剣のリーチが長すぎることだ。
牽制で放った魔法『ファイアボルト』も、強化された皮膚には決定打にならない。
「こん、のッッ!」
間合いが若干開いて仕切り直し。
ベルはこなくそとばかりに勢いよく右手を突き出した。
ミノタウロスはその両眼を大きく見開く。
「【ファイアボルト】!」
炎雷が轟いた。
爆砕音とともにその巨大な体が後退を余儀なくされる。
ダンジョンの天井にも届く叫喚が、緋炎の向こうから発せられた。
「……詠唱、してる? あの魔法?」
「いや……小声で口ずさんでいるようにも見えねえ」
Lv.1のベルがLv.2以上のミノタウロスと戦闘が成り立っているのは、魔法の恩恵に依るところも大きかった。
身体能力では完璧に劣っている中、あわやという場面で追い込まれても『速攻魔法』が絶体絶命の危機を何とか退けている。
しかし、
「ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「……っ!」
通らない。
「軽い」
「ああ、決定打には届かない」
「あの行使速度には目を見張るものがあるけど、相手が悪い。対人には凄い効果を発揮しそうなんだけど……」
【ファイアボルト】の弊害がここに現れていた。
威力が低い。
二メドルを越えるミノタウロスの体は傷付いてはいる。炎雷によって多少の焼け焦げた胴体、しかしそれだけだ。深手にはほど遠い。
一般的な攻撃魔法ならばいざ知らず、【ファイアボルト】の場合は必殺に足りえなかった。
火力が、未熟すぎた。
「手詰まりか」
「決めつけるにはまだ早い……と言いたいところだけど」
猛然と襲いかかってくるミノタウロスにベルは再び防戦を課せられる。
攻められる時間が徐々に長くなっているベルの旗色を、リヴェリアとフィンはいっそ冷徹なまでに観察していた。
どんなにベルがミノタウロスと張り合い奮戦しても、攻撃が成立しないことには勝機は絶対に訪れない。
もはや残されているのは玉砕覚悟の特攻くらいなものだ。
そしてその戦術が敢行されてしまった瞬間、ミノタウロスの勝ちが九分九厘決定してしまう。
攻撃の無機能。いかなる戦局においても、それは致命的と言えた。
ミノタウロスが咆哮する。
大剣によるフルパワーの振り下ろしが、逃げ遅れた《バゼラード》の刃を真っ二つに叩き折った。
ベルの顔が硬直する。
(折れたッ……!? いや、アルトリアさんなら、こんな時どうする……!?)
ベルの脳裏に、かつてアルトリアが「木刀で敵の武器ごと粉砕した」光景が蘇る。
(そうだ。武器なんて関係ない。気迫で、力で、奪い取るんだ!)
ベルは右手に持っていた短剣を、ミノタウロスが振り下ろした大剣の刃に自ら叩きつけた。
ガァァァァンッ!!
短剣は粉々に砕け散るが、その反動でミノタウロスの体勢が大きく崩れ、大剣が手から抜け落ちた。
右手に神様の刃『ヘスティア・ナイフ』。
ベルは歯を食いしばった。
相手は中層の怪物。
しかも通常個体を遥かに凌駕するステイタスを持った化け物。
レベル1のベルが、小細工や持久戦で勝てる相手ではない。
(一撃だ。僕全てを乗せた、最強の一撃で……こいつの息の根を止める!)
ベルの魂の奥底で、熱い塊が臨界点に達しようとしていた。
――『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』が、少年の想いを極限までブーストする。
――そして、その想いが引き金となり、新たなる力が産声を上げた。
キィィィィィン……ッ!
突如として、ベルの足元から、黄金色の淡い光の粒子が立ち昇り始めた。
「え……?」
ベル自身も驚く現象。
その光は彼の全身を包み込み、右手にある『神様の刃』へと収束していく。
同時に、彼の脳内にスキルの名前と使用方法が啓示のように閃いた。
スキル――『騎士英雄願望(アーサーヘロン)』。
(……力が、溜まっていく。僕の意志が、魔力と混ざり合って、刃に集約されていく……!)
ベルはナイフを両手で構え、ミノタウロスから距離を取った。
『チリリン……』
どこからか、微かに鐘の音が鳴った。
それは鐘の音というより、澄み切った『剣鳴』――聖なる剣が、王の誕生を祝福するような荘厳で美しい音色だった。
「なんだ、あれは……!?」
ベルの放つ黄金の光は、暗い迷宮を真昼のように照らし出していた。
『ブモォォォォォォォォォォォォォッ!!』
ミノタウロスもまた、眼前の小さな獲物が放つ「異常な気配」を本能で察知した。
あれを放たせてはならない。
怪物は大剣拾い、両手で握りしめ、全筋肉を隆起させて、ベル・クラネルを粉砕すべく猛烈な突進を開始した。
ゴォォォォォォォォッ!!
迫り来る、死の暴走機関車。
だが、ベルは動かない。
(溜めるんだ。もっと。もっと……!! アルトリアさんのように一撃で全てを薙ぎ払う、絶対的な力を!!)
『チリリン……チリリン……!』
黄金の光が明滅し、剣鳴の音が徐々に大きくなっていく。
しかし、チャージ(溜め)には時間がかかる。ミノタウロスの突進が、目前まで迫っていた。
(まだだ……まだ足りない……!)
その時だった。
『――グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ』
突如として、ベルの腹の底から、とんでもなく巨大な音が鳴り響いた。
(……え?)
ベルの意識が一瞬、現実に戻る。
腹の音?
こんな死闘の最中に?
――スキル『騎士英雄願望(アーサーヘロン)』特殊効果:満腹状態で威力上昇補正。
今日の朝、有給休暇を満喫するためウキウキしていたアルトリアが、「今日は外食するから、ファミリアの朝ごはんはベル君が全部食べていいぞ!」と言って、特大のオーク肉のステーキとジャガ丸くん山盛りを押し付けてきたことを。
ベルは残さず全て平らげてから、ダンジョンに来ていたのだ。
つまり、今のベルは『満腹状態』であった。
『ヂリン、ヂリンヂリヂヂヂィィィィィィンッ!!!!!』
その瞬間。
腹の中の全てカロリーが、一瞬にして爆発的な魔力(エネルギー)へと変換された!
ベルの体を包んでいた黄金の光が突如として数十倍に膨れ上がり、目を開けていられないほどの眩い光柱となって迷宮の天井を穿った。
「な、なんだこの力は……!?」
ベル自身も制御しきれないほどの、圧倒的なチャージ量。
ナイフの刀身が黄金のオーラを纏い、まるで巨大な一振りの『聖剣』のような形を形成している。
「――いける!!」
ミノタウロスの大剣が、ベルの頭上に振り下ろされた。
それと同時。
ベルは全身全霊の力を込め、黄金に輝く刃を振り抜いた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
放たれたのは一筋の『光』。
『騎士英雄願望(アーサーヘロン)』フルチャージ。
それは、純白の雷と黄金の斬撃が混ざり合った、超高密度のエネルギー波だった。
「消し、飛べぇぇぇえええええええええええッッ!!!!!」
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
『―――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!?』
閃光。
そして、鼓膜を破るほどの爆音。
黄金の斬撃は、ミノタウロスの振り下ろした大剣をまるで飴細工のように音もなく両断した。
そのまま光の刃は止まることなく、赤いミノタウロスの分厚い胸板で強靭な筋肉を、その背後にある迷宮の壁ごと、一直線に完全に『薙ぎ払った』のだ。
『ブォ、アァァ…………ッ』
赤いミノタウロスの巨体が、空中でぴたりと静止した。
その瞳から、狂暴な光が消え失せる。
次の瞬間、怪物の体は中央から斜めにズレて崩れ落ち、無数の光の粒子となってダンジョンの空気に溶けて消えていった。
跡に残されたのは巨大な赤い魔石と、ミノタウロスの大角(ドロップアイテム)。
そして、ベルの一撃によっておよそ数百メートルにわたって完全に消滅し、黒焦げの更地と化した第9階層の直線通路だった。
「…………」
静寂が、迷宮を包み込んだ。
「ベル、様……」
リリが、へたり込んだまま呆然と呟く。
「勝ち、やがった……」
呆然と、ベートは呟いた。
信じられないものを見るかのように、視線の先でたたずむベルを見つめる。
こちら側を向く背中から喚起される自己への問い。
自分がミノタウロスを圧倒できるようになったのは、いつの頃だった?
いや、自分一人であのモンスターを倒せるようになるまで、どれほどの時間がかかった?
そう考えた矢先、ベートの顔と体が煮えたぎる。
腹の中心から沸き起こるどうしようもない苛立ちと、羞恥が、全身の隅々まで行き渡った。
「……精神枯渇マインドゼロ」
魔力枯渇による失神。文字通り、持てる力の全てを出し尽くしたのだ。
「た、立ったまま気絶しちゃってる……」
《ヘスティア・ナイフ》を振り抜いた体勢でぴくりとも身動ぎしないベルに、ティオナとティオネの姉妹も唖然と呟きをこぼした。
文字通り力を絞り尽くした少年の姿に、ともすれば畏怖を覚える。
まるで物語のワンシーンを切り抜いたかのように、冒険者は一体の彫刻と化していた。
「っ……! 質問に答えろ、パルゥム! あのガキは一体っ……!」
「ベル様……ベル様ぁっ!」
「おい!? ……ちッ!」
覚束ない足取りで駆け出していったリリにベートは舌打ちをする。
説明できない情動に苛まれながら苦虫を噛み潰していると、その光景が目に飛び込んできた。
防具を剥がされたベルの背中。ボロボロになった黒のインナーは破れ落ちる寸前で、肩甲骨辺りで綱のように残っている生地によって何とか繋ぎ止められている状態だ。
そして所々に穴の空いたその薄布の下、夥しく刻まれている【神聖文字ヒエログリフ】が姿をちらつかせていた。
「――! リヴェリアッ、あいつの【ステイタス】を教えろ!」
「……私に盗み見をしろというのか、お前は」
ベルの素肌が露出されているのは背中の上半分だけだった。
下部の方に記されている魔法やスキルのスロットは窺えず、千切れかかっている生地が邪魔をして目の届かないアビリティ欄もいくつかある。
「あんな堂々と晒しておいて盗み見になるかよ! あれをこのまま放置しておけば、お前が見なくたって他の奴等が目にするだろうぜ!」
ただ視界に入っただけ、違反をするわけではないと、ベートは声を荒げて【ヒエログリフ】を解読できるリヴェリアに詰め寄った。
博識のエルフは嘆息しながら、それでもやはり興味があるのか、すっとベルの背に視線を走らせる。
翡翠色の瞳が黒い文字群を追っていく。
「おい、まだかよっ」
「待て、もうすぐ読み終わ――」
リヴェリアはそこで中途半端に言葉を切った。
ベートは顔を訝しげにし、聞き耳を立てているアイズ達も不思議そうに彼女を見る。
すぐしないうちに、鈴を転がしたような笑声が彼女の口から漏れ始めた。
「なんだ、あれは……」
リヴェリアの瞳が驚愕に見開かれる。
そこには、常識では絶対にあり得ない文字列が刻まれていた。
「……くっ、ふふ、はははっ」
「何なんだよ、オイ!? ったくっ、アイズ、お前もちっとは【ヒエログリフ】が読めんだろ! 何かわからないのかよ!」
心底おかしそうに肩を揺らすリヴェリアにベートは悪態をつき、問答の先をアイズへと向けた。
直立不動を続ける彼女は、少年以外何も見えていないかのように視線をその背にそそいでいる。
金の双眸は剣のように、鋭く構えられていた。
「……S以上だ」
「……はっ?」
「アビリティが……オールS以上だ!」
『オールS以上!?』
筋力:S
耐久:S
器用:S
敏捷:SS
千年の時を生きるエルフの王族でさえ、かつて見たこともない異常な数値。
それは、純粋な少年の「憧れ」と、規格外の先輩(アルトリア)に対する「畏怖」が生み出した、奇跡の結晶だった。
真の『冒険』を果たし、英雄への第一歩を踏み出した少年。
彼を巡る神々の思惑は、ここからさらに激しさを増していくことになる。
***
「…………え?」
同じ頃。地上、オラリオの中央広場。
俺——アルトリアは、両手に『特製イチゴ・生クリームメガ盛りクレープ』を持ち、まさに一口かぶりつこうとした瞬間にピタリと動きを止めていた。
俺の『直感:I』が、遥か地下深くから突き上げてきた、凄まじい魔力の波動を捉えたのだ。
しかもその波動は、俺自身の何かに酷似していた。
(……なんだ今の? ダンジョンの下の方で、 え、まさか……ベル君!?)
俺の社畜センサーが、けたたましくアラームを鳴らした。
(嘘だろ!? 今日は俺の有給だぞ! わざわざ『今日は絶対ダンジョン行かないからね! 労災起こしても責任取らないからね!』って宣言して出てきたのに! まさか、俺のいない隙を突いて中層のモンスターでも出たのか!?)
冷や汗がドッと吹き出す。
もしベル君が死んだら、俺の安全な「窓際族ライフ」は終了だ。
また毎日スライムを棒で叩く日々に戻ってしまう。それに、あんなに純粋でいい後輩を失うのは、おっさんの心臓にも悪すぎる。
「クソッ、やっぱり休日出勤かよぉぉぉ!!」
俺はクレープを一口で胃に流し込み(限界突破の咀嚼力)、ダンジョンへ向かって走り出そうとした。
しかし、その直後。
直感スキルが告げていた「危険な気配」が、スッと霧散して消えた。
代わりに感じ取れたのは、弱々しいが、確かな『生存』の鼓動。そして、ひと回りもふた回りも大きく成長した魂の輝きだった。
「……あ。勝ったのか。ベル君」
俺は立ち止まり、ほうっと息を吐き出した。
どうやら、俺の出番は必要なかったらしい。
新入社員は俺の想像を遥かに超えるスピードで、自らの手で巨大なプロジェクト(試練)を成功させたのだ。
「……ははっ、やるじゃないか後輩」
俺は柄にもなく、口元を綻ばせた。
(これで、明日からは本格的にダンジョンの前衛をベル君に任せられる! 俺は完全に『後ろで見守るだけのマスコット枠』に移行できるぞ! よし、お祝いにもう一個クレープ買おう!)
中身は三十路のおっさん。段々と思考がクズな窓際社員になり始めてる
しかし、その黄金の髪を揺らしながら微笑む姿は、周囲の街行く人々の目を釘付けにするほど、気高く美しい『王の笑顔』であった。
流石に少し休息します。疲れが
※勇者刑に処す最終回、キヴィア団長に色々持っていかれたのでロスになりたい方は是非視聴下さい。