天獄の救世主様っ!   作:弥代海月

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16話

数千年前。

天界には全ての天使を統べる王がいた。

名をアストリリア。

圧倒的な知性と魔力を有し、慈愛に満ちた聡明な天界王だった。

天界に階級制度を設けつつも、階級の低い天使達の話も親身に聞いてくれる誰もが慕う存在。

アストリリアが一度姿を現せば、たちまち天使に囲まれる。

そんな日常だった。

そして、そんな天界王の直属の部下のような存在が天使長ルシフェル。

彼は天界王からの指示を受け、天使達をまとめ、導く存在だった。

六対十二枚という熾天使よりも多い立派な羽根を持った、天界の為に懸命に働く立派な天使長だ。

この頃はまだ天使と悪魔はお互い、天界と魔界を自由に行き来出来ていた。

お互いに足りない部分を補い合い、良好な関係を築いていた。

 

はずだった。

 

いつからかめっきり姿を現さなくなったアストリリアの代わりに、天界での悪魔達の悪事が目立ち始めた。

ルシフェルが報告に行ってもいつもアストリリアは「大丈夫」と言うばかりで、天使達には対策のしようがなかった。

上級天使達の間では、悪魔達の悪事にはアストリリアが一枚噛んでいるのではないかという噂が立つようになっていた。

ルシフェルはそんな噂を否定し続け、毎日アストリリアに会いに行った。

今日の出来事やあらぬ噂が広まっている事、悪魔との良好な関係を続けていくなら棲み分けが必要ではないか、等色々な話をしてみるもののアストリリアは「すぐに良くなります」と曖昧な返事ばかりだった。

 

いつものようにアストリリアに会いに来たルシフェルが扉をノックする。

返事を聞いて扉を開けると、そこには無数の悪魔に囲まれ、こちらを向いて笑うアストリリアがいた。

「ルシフェル、丁度良いところに来ましたね。この方達が天界を更に良くする方法をご存知らしいのです。天使達にこの方達の言う事を聞くよう伝えて来てください」

無邪気に笑うアストリリアの目の前でニヤリと嫌な笑みを浮かべる悪魔達。

ルシフェルはショックだった。

「アストリリアが一枚噛んでいる」という噂が本当だった事、そしてあろう事かアストリリア本人が悪魔達を天界に解き放ち、好き放題していた事。

頭の片隅ではまだ「リリア様がそんな事をするはずが無い」と思いつつも、頭が真っ白になってしまったルシフェルはその場にいた全ての悪魔とアストリリアを殺してしまった。

剣を片手に悪魔と天界王の血に塗れながら呆然と立ち尽くしたルシフェルは静かに涙を流していた。

悪魔達の死体の下敷きになり動かなくなった天界王を、ぼんやりと眺めていると扉の開く音が聞こえた。

部屋に入りかけたミカエルは、血溜まりに佇む天使長を見て足を止めた。

美しかった白い羽根は赤黒く濡れて雫を滴らせている。

「ルシフェル様……?何を……」

声をかけたミカエルの方にゆっくりと顔を向けたルシフェルの目は見開かれていた。

次の瞬間、血塗れの顔で引き攣った笑みを浮かべたルシフェルに、嫌な予感がしたミカエルはその場でルシフェルを押し倒し拘束する。

「何してたんだ、ここで」

「リリア様を殺した」

何の躊躇いもなく、いつもの透き通った声で言ったルシフェル。

「僕がやった」

何の感情か、少し震えた声で続けられた一言にミカエルは眉を顰める。

「お前……!」

「罰をちょうだい……魔界の底に堕として……」

目尻に涙を溜めたルシフェルがミカエルを悲痛な顔で見上げる。

言葉を返さないミカエルに、眉を下げたルシフェルがか細く「お願い……」とだけ呟いた。

天使長であるルシフェルが、何の理由も無く悪魔や天界王を殺めるとは考えられなかったミカエルは、何か事情を聞き出せないものかと次に口を開くのを待っていたが、涙を流す天使長の口からは嗚咽が漏れるばかりで、遂に理由を聞き出せないまま魔界の底にルシフェルを封印する事になった。

「ありがとう、ミカエル」

疲弊した笑顔を向けるルシフェルは一切抵抗する素振りも見せず、結局天界王の殺害に至った経緯も話す事は無かった。

「お前、これからどうすんだよ」

荒廃した魔界の片隅、悪魔すらほとんど通らないこんな所にたった一人で、自由を奪われた元天使長は結界越しにミカエルを見据えてから目線を下に落とす。

「……分かんない。でもきっと天界は大丈夫だよ。僕が天界王を殺して、僕の事はミカエルが倒したって、皆にちゃんと伝えてね」

力無く笑うルシフェルを見下ろしたミカエルは頷く。

「……引き受けた。じゃあな、もう今後会わないだろうが達者で」

「うん、ありがとう。ミカエルも元気で」

 

魔界の底に取り残されたルシフェルは長い時をそこで一人で過ごした。

天界に戻る事も今後一切無いのだからと多すぎる羽根を一枚、また一枚と時間をかけて切り捨てていった。

遂に最後の一枚を切り落とし、随分と身軽になったルシフェルは嘲笑にも似た乾いた笑いを零した。

翼を切り落とした姿は無力で哀れな人間そのものだった。

 

どれくらいの時が過ぎたのか、魔界の魔力によってじわじわと削られていたルシフェルの魔力も底を尽きかけており、背中の傷の治りも遅くなっていた。

座り込んだまま遠のく意識を手放してしまおうかと思い始めた頃、久方ぶりに他人の気配を感じて顔を上げる。

結界の中を覗き込んだ大きな動物の骨を被ったそれは、不思議そうにルシフェルに声をかけた。

「なにしてんだお前、こんななんもねぇとこで」

見るからに禍々しい姿を凝視するルシフェルの視線など気にも留めずに、床に出来た血溜まりの跡に目を向ける。

「なんだ?怪我してんのか?血ぃでてんじゃねぇか」

喋ろうとしないルシフェルに小さく溜息をつき、結界に手を添える。

「手当くらいしてやるから出てこいよ」

言いながらグッと結界を握り込むと弾けるようにして結界が消えた。

「え……」

「なんだ喋れんのかお前、ほら来い」

元とはいえ天使長である自分を封印する結界だ。

そう簡単に壊れるはずがないと困惑するルシフェルにそれは手を差し伸べた。

少し迷ってゆっくりと手を伸ばしたルシフェルの手を取り、少し強引に引っ張って外に出したそれはルシフェルの背中の傷の具合を見ていた。

「やけに多いな……羽根か……?」

黙って頷いたルシフェルを見て微笑む。

「さぞ立派だったんだろうなぁ、もったいねぇ……」

「……僕にはもう……必要無いですから……」

羽根の傷跡を癒し、消しながら底を尽きかけていた魔力を補充してやっていたそれは不意に「まずい」と呟いた。

「お前もしかして天使だったか?」

それは魔界王だった。

魔力を分け与えては見たものの、ルシフェルの微かに残っていた天使特有の白っぽい魔力を感じ取ったのだろう。

魔界王が魔力を大量に分け与えてしまった事で、微かに残っていた白い魔力が赤黒く染まってしまったようだった。

もう天使には戻れない、堕天させてしまったという罪悪感からか魔界王は謝罪した。

「もう天使じゃないので良いですよ」

目線を落としたルシフェルを見て、魔界王も同じように目線を落とす。

「……何があったか知んねぇけどよぉ……まぁ知りたくもねぇけどよ」

俯くルシフェルを見て一息ついた魔界王が口を開く。

「お前俺と一緒に来い」

「……え?」

「どうせ暇だろ?話し相手が欲しかったんだ」

人が良さそうに笑う魔界王。

 

元天使長、ルシフェルの話はここまで。

それ以降の話は本人の口から今後語られることになるだろう。

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