けたたましく鳴る目覚ましに、響はゆっくりと目を開ける。
「ん………」
目覚ましを止めてのそりと起き上がる。
カーテンの隙間から漏れる朝日を頼りに窓際までよたよたと歩き、カーテンを開け眩しさに目を細める。
ひとつ伸びをしてから、顔を洗いに洗面所へ向かおうとドアノブに手をかけた瞬間、部屋のドアが勢いよく開く。
「おはようございます響様!朝食のご用意済んでおりますよ!」
大声で、満面の笑みでフライパン片手にエプロンを身につけた悪魔がそこに立っていた。
「おや、起こさなければいけないかと思っていましたがご自分で起きられるのですね!素晴らしい!」
「お、おはようルシファー………」
「はぁい!おはようございます!」
不気味な程に、にこやかなルシファーの横をするりと抜けて響は洗面所へと向かう。
顔を洗って水滴を拭き取り鏡を見上げると、肩の辺りに羽の生えた小さい黒いものがパタパタと浮遊していてビクリと肩を震わせる。
それに気付いたらしい黒い小さい生き物は先程のルシファーと同じ目で笑って響に話しかける。
『脅かしてしまったみたいで申し訳ございません響様!こちら私の分身的な使い魔的なそんな感じのものでございます!気軽にルシくんとでもお呼びください!』
パタパタと周りをあちこち飛び回りながら上機嫌に接している。
「ル、ルシくん……?」
順応の早い響は得体の知れない生物の存在を受け入れ、指でちょんとつついた。
『はい!基本的に私の出来ることはルシくんもほとんど出来ますので色々お申し付けくださいませ!』
朝食のいい匂いが漂ってくるキッチンへと移動しながらルシくんを眺めている。
「これってルシファーが喋ってるの?」
『えぇ!そうですよ!あんまり見つめられると少々照れますね!』
そう言って照れたようにあからさまに頬を赤らめ、片方の羽で頭の辺りをポリポリとかくルシくん。
響は便利だね、などと話しかけながらルシファーの待つ台所へと向かった。
豪勢な朝食の並ぶテーブルをぼーっと眺めているとルシくんが背中を押す。
『ささ、冷めないうちにどうぞ!』
促されるままに食卓に着いた響。
朝から食べるには少し量が多い気もするが、そこは食べ盛りの男子中学生、
「いただきます」
「はぁい!召し上がれ!」
台所でまだ何やらやっているルシファーが上機嫌に返事をした。
1口食べて顔を輝かせた響は思わず声を漏らす。
「……!美味しい……!」
「それは良かったです〜!沢山食べてくださいね!」
台所から出てきたルシファーは弁当箱を机に置いた。
「あ、お弁当……」
「ついでに作らせていただきました!ご不要でしたか?」
「ううん、ありがと」
向かいの席に着いたルシファーは朝食を食べる響を満足気に眺めていた。
見つめられていることに気付いた響は居心地悪そうに目線を逸らす。
「ルシファーは食べないの?」
「私ですか?余ったら食べますのでお気になさらず」
そっか、と呟いて響は黙々と机の上の料理を減らしていった。
「ごちそうさまでした」
少し食べ過ぎたかな、と言いながら食器を片付けようと立ち上がった響をルシファーが制止する。
「後片付けでしたらやりますのでそのままで!響様はご支度なさってください!」
「え……でも何から何まで悪いよ……僕もやる……」
「平日の朝なんてお忙しいでしょう!何の心配もいりませんよ!ささ、私にお任せを!」
微妙に噛み合わない答えを貰ってそのまま背中を押され、部屋を追い出された響は仕方無く身支度に向かった。
歯磨き、着替えを済ませた響はまだ時間もあるしとテレビでもつけようかとした瞬間に家の外に居た。
「……???」
「さて!学校へ向かいましょうか!」
状況を飲み込めていない響の隣に当たり前のように鞄を持って立つルシファーが元気よく歩き出して一瞬唖然とする。
「学校にまで着いてこなくていいよ!」
ルシファーから鞄を奪い取りグイグイと家の前へと押しやる。
そんなぁ〜とあからさまにしおらしくしたルシファーの目の前に響は鍵をぶら下げる。
「家にいてもやること無かったらその辺散歩してていいよ、これ家の合鍵……要らなかったら下駄箱にでも置いといて、じゃあ行ってきます」
鍵を受け取りポカンとしたままのルシファーは遠ざかる響の背中を見送った。
「行ってらっしゃいませ……」
「で、何でいるの?」
登校する響の隣でぱたぱたと羽ばたくルシくんを睨む。
『私と契約したのがどれ程危険かご存知無いようですので……用心棒とでも思っていてください!決して学業の邪魔は致しませんので!』
その言葉の通り黒い浮遊物は、授業中は何も喋りかけず、ある時は姿も無かったが下校の頃には朝と同じように隣でぱたぱたと忙しなく羽根を動かしていた。
「ルシくん気付いた時たまにいなかったけどどこにいたの?」
『屋上だったり校庭だったりですかね〜あまり楽しいことはしていませんよ』
「そうなんだ」
帰り道にそんな言葉を交わしていると、前から真っ直ぐ二人に向かう若い男がいる。
「あれぇ〜?ルシファーいねぇの?そのちっちぇのからルシファーの気配するっちゃするけど……」
少し遠くから声をかけられ立ち止まる響。
先程までぱたぱたと羽ばたいていたルシくんも羽根を静止させてその場で浮かんでいた。
「ルシファー知り合い……?」
『いえ……まぁ心当たりくらいは……』
こそこそと話す二人を気にもとめずに若い男は響と目線を合わせる。
「何くんだったっけ?まぁいいや、名前なんかなんでも」
言いながら響の目の前で手を狐の形にした男はゆっくりと狐の口を開けた。
「じゃ、いただきま〜す」
男の後ろから得体の知れない大きな口が現れて、鋭利な牙を見せ付けながら響を飲み込もうと口を開いた。
突然の事に声も出せずに固まってしまった響と、隣でその様子を眺めるルシくん。
そこへ上空から「待て待て待て待て待て〜い!」という高めの声と共に少女が降ってきてそのまま禍々しい口を携えた男を蹴り飛ばして撃退した。
度重なる超常現象に唖然としている響の目の前で男を地面にねじ伏せた少女は、ゆらりと立ち上がりルシくんを睨みつける。
そのままこちらへと力強い歩幅で歩み寄り、ルシくんを叱りつける。
「ちょっとルシファー!サボり!?せめて契約の報告くらい寄越しなさいよ!」
ルシくんはそれを聞いてやれやれ、とわざとらしく呟きルシファーへと姿を変えた。
「サボりじゃないお前の気配がしたから俺が出るまでも無いと判断しただけだ。契約の報告はいつもしてないだろ」
「そういうとこが!嫌いなのよ!自由奔放!傍若無人!悪魔〜!」
「まぁ悪魔だしな」
「そういう余裕ぶってるとこも嫌い〜!」
突如始まる言い争いに、
「うわ、あ、え」
「へへっ、
そのまま走り去ろうとする男をルシファーと少女は鋭い目付きで睨み付け、見事なコンビネーションで今度は跡形も無く消し飛ばした。
「「まだ話し合いの途中だから邪魔!」」
ピッタリと息が揃ってしまったことに対して、二人はまたいがみ合いを始めるかと思われたが、ルシファーの「響様の安全が優先だ」との発言で帰宅を最優先とした。
「私は大天使ラファエル!ルシファーの契約者と契約させてもらってる天使だよ!よろしくねご主人!」
「天使?悪魔と契約したら天使とも契約しないとダメなの?」
「ダメって訳じゃないけど……まぁ出来れば?って感じかなぁ……」
あまり乗り気では無さそうな響を横から覗き込む形でルシファーが
「悪魔と違って断る理由も無いですよね?」
「自分で言うんだ」
ツッコミを入れたラファエルは数枚の紙を手元へと召喚する。
「そういえばさっきの男の人ってなんだったの?」
召喚した紙に目を通しながらラファエルが答える。
「あ〜あれね、悪魔だよ。多分ご主人は今後も悪魔に狙われまくるだろうから私達でちゃんと守るよ」
「え、何で狙われるの……」
「そりゃあ魔界のほぼトップにいるルシファーと契約した人間だからね、人質にとるなりしてルシファーに言うこと聞かせたいだとかルシファーと契約出来るってことはつまり魔力量も相当だろうから魔力食べる為とか色々あるでしょうよ」
「ルシファーって凄いんだね……」
「滅相もない」
ニコニコと見下ろすルシファーを見上げている響の前にラファエルが紙を数枚差し出す。
「はい、これ契約書になるからちゃんと読んでサインしてね」
ルシファーのものとは違い、びっしりと文字の書かれた紙に感嘆の声を漏らして黙々と読み進める響。
ある一つの項目が線を引かれて消されている事に気が付いた。
線を引かれた項目の太文字のタイトルを読み上げる。
「魔力の供給について……?」
「あぁそれね、本当なら人間って誰しも微量ながら魔力を持ってて人間と契約した天使と悪魔はその契約者から魔力を分けてもらうっていう構図になってるんだけどご主人ってさ、魔力がゼロなんだよね」
「ゼロ?」
「そ、不思議だよね〜ルシファーが契約する人の大半が魔力ゼロでさ、私は魔力補充の為にたまに天界に帰ったりするんだけど……」
「へぇ……」
そういうものなのだろう、くらいの気持ちで軽く流した響はその後も契約書を読み進め、"天使と悪魔の存在を他人に口外しないこと"や"過度な欲望の為に天使と悪魔の力を使おうとした場合には天使と悪魔の方から契約を切る場合がある"等、書かれている事の大まかな輪郭を理解した。
そして最後の空欄に自分の名前を記入してラファエルに返す。
サインを確認したラファエルは大きく頷いて立ち上がる。
「ん!じゃあこれで契約完了です!改めてよろしくねご主人!」
「え?終わり?噛まないの?」
「?噛まないよ?……え、もしかしてそこのバカ悪魔噛んだの……??」
信じられないという顔でルシファーを見上げるラファエル。
視線に気付いて、ルシファーは片手で頬を押さえた。
「味見ついでに少し……」
「はぁ!?ふざけんじゃないわよ!」
一気に賑やかになった