超オタ公奮闘記! 作:平成生まれ、令和育ち
ヤチヨとのコラボライブが終わり、かぐやが電撃引退宣言をした後。何度繰り返してもハッピーエンドに辿り着くことができず、ヤチヨと彩葉さんとかぐやの願いを尽く否定される様を見続けて、私は身も心も限界まで疲弊していた。
もはや何をすればいいのかすら分からなくなって、ふらふらと東京の街並みを彷徨っていた。そんな時に私を悩ませる三人の一人、かぐやに声を掛けられた。
かぐやは私の顔を見るや心配そうに声を掛けてきて、私の尋常ならざる様子を放ってはおけないと思ったのだろう。私の手を引いて近くの喫茶店へと入店した。
案内された喫茶店は内装がお洒落でパンケーキが名物のお店だった。
かぐやが手慣れた様子で店員に注文を頼んで十分ほど。テーブルの上には食べ切れるのか不安になるほどのパンケーキの皿が並んだ。
「ここねー、パンケーキがとっても美味しくってかぐやのお気に入りなんだ~。お姉さんの悩みは分かんないけどさ、辛いことは甘いものたくさん食べて、すっぱり片を付けて、忘れちゃうのが一番! ささっ、猫のお礼にたーんと召し上がれ」
と言って私にパンケーキを勧めながら、かぐやは自分の分のふわふわパンケーキを口に運んで表情を蕩かせた。本当に心の底から幸せそうな表情で──その笑顔に、ヤチヨの優しい笑顔がだぶって見えた。
「……っ」
「ん、どったのお姉さん? もしかして甘いもの苦手だったりした?」
「いえ……いただき、ます」
込み上げた吐き気を飲み下し、目の前のパンケーキをフォークで口に運ぶ。味は……よく分からない。いつからだったか、何を食べてもろくに味がしなくなってしまった。多分ストレスが原因だろう。
命に関わるようなものでもなく、ストレスの原因を取り除くこともできないので放置していた。でも推しと一緒に喫茶店でスイーツを食べるというシチュエーションであっても味を感じられないのは末期な気がする。
味のしないスポンジを食みながら対面で幸せそうにパンケーキを頬張るかぐやを見る。月からやってきたリアルかぐや姫はぱくぱくと次々にパンケーキを口に運んではカロリーと幸福の暴力に震えていた。
凄まじい食欲だなぁ、月のお姫様は胃の許容量もとんでもスケールなのか。なんて呑気に思って、つい先程のかぐやの言葉を思い出す。
辛いことは甘いものを食べて忘れちゃうのが一番……それは、もしかして私にだけ言ったのではなくて、かぐやも同じってこと? お気に入りの喫茶店で甘いものを好きなだけ食べて、辛いことを忘れようとしているの?
変わらない笑顔でパンケーキを食べ進めるかぐや。その笑顔が途端に無理して作っているようなものに見えて、私は我慢できずに口を開いていた。
「かぐやは……引退したくないとは、思わないんですか?」
帰りたくないとは思わないのか、ドストレートに口にしかけてぎりぎりで軌道修正した。かぐやが月の住人であることを知る由のない私の口からそんな台詞が飛び出るのは有り得ないからだ。
私の問い掛けにかぐやは目を丸くし、パンケーキを口に運んでいたフォークの動きを止めた。
「あれ、お姉さんにかぐやって名乗ったっけ? あ、もしかしてかぐやのファンだったりした?」
「……ファンです。ヤチヨの次に、かぐやといろPを推してます」
「むむっ、そこはかぐやといろPだけを推してよー……なんて、引退宣言しておいてそれはずっこいか」
からからと笑ってかぐやはフォークを下ろした。
「そりゃあ、思うよ。彩葉──じゃなくて、いろPともっとたくさん歌いたいし、まだまだやりたいことたくさんあるし……でも、これが運命だから」
笑顔のまま、かぐやは訪れる別れの未来を運命だと言った。でもその声色には今まで聞いたこともない寂寥の色が滲んでいた。
「だから、引退の日までやれることぜーんぶやり尽くして、最後まで全力で運命に向かって走り抜ける! それがかぐやだからね!」
自分自身を鼓舞するようにかぐやはそう言って胸を張った。お別れに対する悲しみとか暗い感情を感じさせない。ツクヨミを熱狂させた超新星かぐやがそこにはいた。
でも、私は知っている。無限に繰り返すタイムリープの中で何度も見てきた。彩葉さんと別れたくない、一緒に居たい、そう願って運命に抗おうとした等身大のかぐやを。彩葉さんの現実を否定するような選択だと理解していても、月へ連れ帰ろうとまでしたかぐやを。
私の複雑極まりない眼差しにかぐやは何かを感じたのだろう。バツが悪そうに頬を掻くと、僅かに目を伏せて呟く。
「あーでも、一つだけ悔いがあったりして……ハッピーエンド、連れていくって約束、守れなかったなぁ……」
「──え」
「いやー、いろPをハッピーエンドに連れてくって約束したんだけどね。そればっかりは、守れそうにないや……嘘、ついちゃったなぁ。帰ったら謝んないと」
「……あ」
ピシリ、と何かが軋むような音が聞こえた。
そんな約束、知らなかった。ヤチヨはそんなこと口にしなかったし、今までの周回でも知ることのなかった情報だった。
かぐやは彩葉さんをハッピーエンドに連れていくと約束して、でもその約束は果たせないままに月へと帰ってしまった。その後、彩葉さんの歌に導かれて地球へ向かうも事故で八千年もの時を遡り、現代に辿り着いた時には存在そのものが変質してヤチヨとなっていた。かぐやとして、彩葉さんをハッピーエンドに連れていく約束は到底果たすことができなくなってしまっていたのだ。
そんなヤチヨに対して私は、何も知らないまま、ハッピーエンドを見つけ出すなんて言ったのか。あるかどうかも分からないハッピーエンドを見つけ出すなんて、無責任で愚かなことを、私は、私は──
視界がぐにゃりと歪む。対面に座っていたかぐやが血相を変えて横に倒れていく……違う、倒れているのは私だ。座っていた椅子から身体が傾いて、冷たい床に倒れ込む。どうしてか、身体に力が入らない。
ああ、そういえばここ最近はろくに眠れてもいなかった。食事は味がしないからろくに喉を通らないし、睡眠も不足していれば倒れるのは当然。今までの周回でも、何度か似たようなことはあった。
でもなんでだろう。今回のこれは、もう立ち上がれる気がしない。起き上がる気力が、走り続けようという意志が、完全に折れてしまっていた。
霞む視界の中で必死に呼び掛けてくれるかぐやをぼんやりと見つめながら、襲い来る凄まじい眠気のような何かに身を任せる。視界の端で手首のブレスレットが淡く輝いたのが見えたけれど、もうどうでもよかった。
▼
「──太陽が沈んで、夜がやってきます」
ツクヨミのチュートリアル空間にて、厳かな雰囲気を纏いながら分身体のヤチヨは来訪者を出迎える。八千年の時を超え、ようやっと実現できた仮想の世界のお客様に内心ではしゃぎながら、その感情をおくびにも出さずに。
そんな推しで、恩人で、世界で一番のお姫様を前にして私は──
「ごめん、なさい……」
開口一番、泣きながら謝罪の言葉を口にしていた。
ログインするや否や謝罪の言葉を投げかけられては八千年の時を生きるヤチヨでも困惑する。謝罪される理由も、泣かれる心当たりもないのだから当然だ。
でも、私は謝罪の言葉を止められなかった。もう、これ以上は続けられない。心が、折れてしまったのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! ハッピーエンド、見つけるって言ったのに……ヤチヨと彩葉さんとかぐやが、笑い合える未来が、どこにも、なくて……もう、どうしようもなくて……!」
嗚咽を零しながら、その場に膝から崩れ落ちる。もはや仮想の世界で立っている気力すら維持できなかった。ただヤチヨへの謝罪を繰り返すことしかできない。
唐突に号泣しながら知るはずのない彩葉さんとかぐやの名前を口にする私に、ヤチヨはしばらく呆然とフリーズしていた。しかし私の手首に巻き付くブレスレットの存在に気付くとはっと目を見開き、小走りで駆け寄ってくる。
「ごめんね、ちょっと触れるよ──っ!?」
いつかと同じようにブレスレットに触れようとしたヤチヨが、顔を顰めてブレスレットから手を引っ込めた。まるで沸騰したやかんに誤って手を触れてしまったかのような反応だ。
「なに、この情報密度? いったい何度繰り返したの……っ、いけない。
ヤチヨが何かを言っている。でも、どうしてかよく聞き取れない。仮想の世界なのに、身体が重いような気がする。
涙で歪んだ視界の中で、妙な光景を目にした。私の両手が、指先から細かなポリゴンと化して崩れ落ちている。今まで見たこともない状態だ。
「FUSHI! 今すぐ戻って! 早くしないと、手遅れに──!!」
ヤチヨが何か叫んでる。普段はこんな叫んだり、慌てたりするようなことはないのに、いったい何を焦っているのだろう。
……あれ、そういえば私は何をしているのだろう。なんでこんなところでうずくまって、泣いているの? そもそも、ここは何処? いや、違う。今は何回目? ここは現実? それとも仮想? 次の輪廻は、何をすれば?
浮かんでは消える支離滅裂な思考に感考えが一向に纏まらない。何かおかしいのに、何がおかしいのかすら分からない。
分身体ヤチヨの隣にFUSHIを引き連れた本体であろうヤチヨが何処からともなく現れる。本体のヤチヨは分身体と重なるや否や、酷く慌てた様子で私に手を翳した。
「意識の強制スリープ。ヤチヨが崩壊を留めるから、FUSHIは修復をお願い──」
いつも優しい笑顔のヤチヨが珍しく真剣な顔付きで何かを言っていると思った直後、意識が急激に遠ざかっていく。千々に乱れていた思考も沈んでいく。
薄れゆく意識の中で、普段の優しい笑顔とおちゃらけた態度をかなぐり捨てたヤチヨを見て、新解釈の発見だなぁなんて呑気に考える。随分と久しぶりに、推しの新たな一面を垣間見た気がした。