超オタ公奮闘記! 作:平成生まれ、令和育ち
なぜだろう、曇らせは筆が踊る……。
ふと目が覚めると朝焼けの空を背景にしたヤチヨのご尊顔が視界一杯に飛び込んできた。どういう訳か、ヤチヨに顔を覗き込まれているようだった。
「ヤチヨ……? 私、どうなって……」
視線だけで周囲を見回せば、場所は変わらずチュートリアル空間。体勢は……ヤチヨに膝枕されている状態。心に余裕があったのならば、推しとの有り得ない急接近に狂喜乱舞していたことだろう。
でも今は、推しとの美味しい距離感に喜ぶ気力すらなかった。むしろ罪悪感やら何やらで、今すぐにでも離れなければと思った。
「はいだめー、起き上がるのは禁止なのです。ヤッチョが許すまで、オタ公はこのまま休んでね〜」
ちょんと額を手で抑えられて起き上がる動きを封じられる。簡単に押し除けられそうな細い手なのに、どうしてか起き上がることができない。ヤチヨの力が強いのではなく、これは私側に問題がありそうだ。
「無茶をしたねぇ、オタ公。普通の人はそう何度もタイムリープなんてできないよ。ストレスで精神と心が崩壊しちゃうから」
「……でも、ヤチヨが歩んできた八千年に比べたら、私なんて」
「──1684回」
「……え?」
「1684回、オタ公はタイムリープを繰り返してきたんだよ。ヤチヨとFUSHIの二人掛かりでもまだ解析し切れてない。下手したらヤッチョとタメ張れちゃうよ」
言葉は冗談めかしたものなのに、声音が聞いたこともないくらいに怒っていた。ヤチヨも怒ることあるんだ、なんて纏まらない頭でぼんやりと思う。
「普通の人は10回だって無理。でもオタ公は最初の世界でちょっと特殊な状態になっちゃったから耐えられた……ここまで我慢できちゃったんだよ」
「特殊って……?」
「輪廻とツクヨミの崩壊に巻き込まれて、歴史の修正力の影響ももろに受けたせいで、オタ公は月の住人と同じような状態になってしまっていたの」
「……死んだ、ってこと?」
「生身の肉体に戻れないことを死と定義するのなら、そうだね~」
唐突に明かされた衝撃の真実に言葉が出ない。
ヤチヨの言葉が事実なら、私は最初の輪廻崩壊でツクヨミの崩壊諸共命を落としていたことになる。だったら、今ここにいる私はなんなのか。
「意識だけの生命体になったオタ公を救ったのは月人だよ。あんな見た目だけど、優しいところもあるんだよねー……おサボりは許してくれないけど」
ぼそっと毒を吐きながらヤチヨは続ける。
「意識だけの存在になったオタ公を助けるために、月人はタイムリープの力で輪廻崩壊前にオタ公を戻した。でもそこで月人にとっても想定外なことが起きた。一度意識だけの生命体になってしまったことで、存在そのものが不安定になってしまったんだ」
「ええっと……?」
「端的に言えば、崩れやすい砂のお城になっちゃったわけ。ツクヨミに居ようと居まいと、輪廻の崩壊と歴史の修正力が引き起こす揺さぶりから逃れられなくなってしまった。だからオタ公は何度もタイムリープをする羽目になったの」
つまり、私が延々とタイムリープを繰り返すことになったのは誰かの悪意だとか、私の意志だとか関係なく、ただただ不幸な事故だったということ。誰かが望んだ悲劇でも試練でもなく、ただの運命の悪戯だった。
ふふっ……笑える。ハッピーエンドを見つけると高らかに宣言した覚悟も、彩葉さんの頑張りが報われてほしいと祈った心も、かぐやの約束が叶わないことへの嘆きも、全部私が勝手に背負い込んで空回りしていただけの産物。徒労でしかなったんだから。
いっそこのまま消えてしまいたい、そう思った直後。ヤチヨの顔がすぐ目の前にまで接近した。
「ヤチヨ……?」
「ヤッチョのせいでごめんね。あの時、ちゃんと止められていたなら、オタ公にこんな苦しい思いをさせずに済んだのにね……」
「違う、違います……全部私が勝手にやったことで」
「違わないよ~。彩葉のことばっかり見ていたせいで、ヤチヨのために必死に走り続けてくれていた輝きを見落としちゃってたんだ。本当に、ごめんね……」
「やめて、ください! そんな言い方、したら……っ」
おかしい、ヤチヨの様子が何かおかしい。八千年の時を超えてなお彩葉さんと再会することを願っていたヤチヨが、大切な人を蔑ろにするような発言をするはずがない。何が、起きて……。
「……解析? まさか、全部見ているんですか!?」
ついさっきのヤチヨの言葉を思い出して絶叫する。
自覚すらなかった1684回のタイムリープの記憶を解析しているのであれば、ヤチヨがその影響を受けてしまう可能性は十分にあった。特に後半、
「FUSHIさん! お願いだから止めてください! FUSHIさん! FUSHI!?」
今一つどんな存在なのか理解し切れていない謎生物に必死で懇願する。一緒に解析しているという発言が事実なら、FUSHIが止めてくれたらまだ間に合う可能性があった。
でも私の呼び掛けにFUSHIは無言のまま目を逸らしてしまう。他人でしかない私よりも、主従に近いだろうヤチヨの意志を尊重するのは当然だった。
「ごめんね、辛かったよね。分かるよ、長くて終わりのない道を歩き続ける苦しさは、ヤチヨもよく知ってる。でも、もう大丈夫。ヤッチョがいるよ」
「あ、ああ、やめて……」
優しい労わりに満ちた言葉なのに、私の心を支配するのはどうしようもない絶望。推しで、恩人で、世界で一番幸せになってほしいお姫様が絶望に染まっていく様を目の前でまざまざと見せつけられて、どうにかなってしまいそうだった。
必死に抗おうにも仮想の手足は鉛のように重く動かない。一切の抵抗が叶わないまま、私とヤチヨの額が突き合わさり──無慈悲にもタイムリープの記憶の同期は加速してしまった。
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何時間か、或いは数分か。一瞬の出来事だったかもしれない。私の抵抗は虚しく、タイムリープの記憶は全てヤチヨに見られてしまった。
推しで、恩人で、世界で一番のお姫様を絶望させてしまった。こんな未来を見せたくて走り続けた訳じゃなかったのに……。
枯れることのない仮想の涙を流し続けていると、すぐ隣にヤチヨが横になった。その顔色はタイムリープの記憶を見たせいだろう、一目見て分かるほどに悪かった。
「よよよっと。追体験じゃなくて解析なら大丈夫かなーって思ったけど、流石にきつかったかね~。勝手なことしてごめんね、オタ公?」
「どうして……どうして、こんなこと……あんまりです」
「酷い女だよねぇ、ヤチヨってやつは。乙女の秘密を覗いちゃうんだから、ふてー輩だ~……嫌ってもいいんだよ」
「違い、ます……なんで、自分から辛い思いをするようなこと、するんですか……!」
ヤチヨにとって私のタイムリープの記憶はあらゆる可能性が否定された証だ。どんな願いも叶うことが許されなかった、残酷な現実を延々と見せられることになったはずだ。私なんかよりも、当事者であるヤチヨのほうが受けたショックは大きいに決まっている。
「ふふっ、オタ公は優しいねぇ~。本当に……優しい子だね」
ヤチヨの手が私の髪を梳くように撫でる。その手付きと声音が余りにも優しくて、あるはずのない温もりを錯覚した。
「ありがとう、オタ公。オタ公がここまでたーくさん頑張ってくれたから、ヤチヨは間違えずに済む。ちゃんと、輪廻を繋げることができる」
「だめ、です……それは、だって……!」
ハッピーエンドを見つけ出すと息巻いて走り出したあの日と同じ。粛々と運命を受け入れて、諦観と共に前へ進もうとしている。
それを否定したいのに、でも、もう……立ち上がれない。ただ幼子のように泣きじゃくることしかできなかった。
溢れる涙を止められずに泣き続けていると、ヤチヨの手が私の手に重ねられた。細く白い手は撫でるように手首に伸びて──タイムリープのブレスレットを何の抵抗もなく取り去った。
「え……え?」
「うん、これでもう大丈夫。タイムトラベルもタイムリープも、人の身には過ぎたもの。終わらない悪夢は、ここでお終い」
今まで引っ張っても何をしても取れなかったブレスレットが、冗談みたいにするりと取れてしまった。私を永遠のタイムリープに誘い続けた腕輪が、ヤチヨによって取り上げられてしまった。
「か、かえ……」
返して、と。それがないとハッピーエンドを見つけられないのだと。そう言いたいのに、言葉が喉に詰まって出てこない。それどころか、ほんの一瞬だけ、解放されたと安堵してしまった。
最悪だ。今まで散々利用してきた癖に、自分勝手が過ぎる。自己嫌悪のあまり吐きそうだった。
タイムリープのブレスレットがヤチヨの抱えるメンダコの中に仕舞われる。こうなってはもう取り返しようもない。やり直しはもうできなくなってしまった。
「ねえ、オタ公。ううん──
不意にヤチヨがハンドルネームではなく、私のリアルネームを呼んだ。今時の名前から掛け離れた古臭い響の、一時期は本気で嫌っていた名前だ。
驚いて顔を上げれば、ヤチヨがいつになく慈愛に満ちた表情で私を見つめていた。その瞳に、一ファンに向けるにしては大きすぎる熱が宿っていた。
「ヤチヨの、友達になってくれないかな?」
「……えぁ?」
ヤチヨが何を言っているのか、理解できなかった。一ファンでモブオタク女子の私と、友達になろうとしている? 現実なのか疑いたくなる展開だった。
でも疑ったところで現実は変わらない。ヤチヨは可愛らしく小首を傾げて、私の返事を待っている。私が断ることができないと見越した上で、そういった仕草をするのはずるいと思う。
どうして急にこんなことを言ってきたのか。ヤチヨの言葉の裏に隠された真意は何か。少し考えて、すぐに察しがついた。
ヤチヨは私から、推しの笑顔のために頑張るという動機を奪おうとしている。ハッピーエンドを見つけるために走り出した切っ掛けを、原動力を根刮ぎなくしてしまおうとしているのだ。
友達になってしまえば、推しとファンの関係性が壊れてしまう。そうなれば最後、私はきっと二度と立ち上がれなくなってしまう。それは、それだけはダメだ。
断らなくちゃ、ちゃんと拒否しなくちゃ。そう思った直後、ヤチヨはダメ押しの言葉を重ねる。
「ここで衝撃のカミングアウトー☆ ウミウシ時代はそれなりに友達がいたヤッチョですが、ヤチヨになってからはまだお友達が一人もできていません……寂しがりやなお姫様はお友達が欲しくて泣いてしまいそうなのです……」
「……ずるい、です。そんなの」
そんな言い方をされたら、断ることができない。拒否することなんて、できるはずがない。
涙で滲んだ視界の先、すぐ隣で横になっているお姫様に手を伸ばす。この選択が、お互いを縛る呪いになると分かっていながら、それでも私はヤチヨのお願いを拒絶することができなかった。
互いの手を組み合わせ、しっかりと繋がり合う。長い旅路の果てに疲れ果てた心を慰め合うように、強く強く──
そして──今日この日、忠犬オタ公こと
一つの原因解明と解決に数十回単位のタイムリープ+情報収集のためのタイムリープ+過労などによるミス再走+バッドエンドループでこんな感じ。回数盛り過ぎだけど、この数字にしたかった……分かるよね?
ちなみに参考にしたマッドサイエンティストのタイムリープ回数は3000超えです……まあ、ましかな?