超オタ公奮闘記! 作:平成生まれ、令和育ち
吾輩は宇宙人である。名前はまだない。
温度も味も楽しいこともなーんにもない月を脱走して地球までやってきた。今は彩葉のお家に転がり込んでハッピーエンドを目指してるよ。
なのに彩葉は私を置いて学校? とかいう場所に行っちゃうし。作ってくれたパンケーキはくそまじぃし。何の面白みもない部屋に置いていかれて寂しいしつまんなーい。
というわけで、彩葉のPCで色々やってみたり、彩葉のためにご飯の材料の買い出しに行ったりして時間を潰した。でもやっぱり一人じゃつまんなーい!
……命より大事かぁ。学校ってそんなにいいところなのかなぁ。調べた感じ楽しそうなこともありそうだけど、あんな
よし、気になるし部屋にいても面白くないし、様子を見に行っちゃおう! 善は急げってやつだよね!
くそまじぃパンケーキを無理くりお腹に収め、彩葉の服を借りて準備OK。彩葉の通う学校へと向かった。
道中あっつい思いしながら歩いて、やっとのことで校門前に辿り着く。授業が終わってみんな帰り始める時間なのか、校舎らしき建物から制服姿の男の子女の子がちらほら出てきている。
彩葉も来るかなぁ、と校門近くに身を潜めて待っていると不意に背中から声を掛けられた。
「こんにちは、お嬢さん。そんなところで何をしているんですか?」
「んあ?」
思わず後ろを振り返ると、そこにはつばの広い帽子を被り、肩には大きなキャリーバッグを掛けたお姉さんが立っていた。
お姉さんは校門前で伏せて校舎を覗いていた私を困ったような顔で見ている。私の行動が不審者過ぎて声を掛けてきたみたいだ。
んー、困ったなぁ。まさか声を掛けられるとは思わなかった。なんて答えよう……。
返答に悩んでいると、何処からともなく何かの鳴き声が聞こえてきた。声の発生源はお姉さんが抱えているキャリーバッグの中だ。
ついついじっと見つめていると、お姉さんは徐にバッグの口を半分ほど開けて地面に下ろした。そしてこっちにおいでとばかりに私を手招く。
誘われるがままにバッグの中を覗き込むと、中からにゅっと真っ白な毛玉の塊みたいなのが顔を覗かせた。
こ、これは。私の知識に間違いがなければ、猫とかいうやつだ!
「うはー、かわいいー!」
「定期検診の帰りなんです。よかったら撫でていいですよ」
「いいの? ありがとー!」
バッグの口から頭だけ出している猫をぐりぐりと撫で回す。おぉ、これが至福の感触というやつですなぁ。猫も気持ち良さそうだし、私も気持ちよくてさいこー!
「いいなー、私もこういうのほしー」
でも彩葉の部屋じゃ難しいだろうなぁ。うーん、本物は無理でも電子ならいけるかな? 帰ったら試してみよう。
「にゃちよって言うんですよ、その子」
「にゃちよぉ? ヤチヨのパクリじゃーん」
彩葉が好きだって、推しだって言ってた月見ヤチヨ。その名前まんまである。さてはこのお姉さんもヤチヨ推しなのか。
まあこのお姉さんがヤチヨ推しなのは別にいいや。
「ところでお嬢さん、貴女のお名前はなんですか?」
「んえ? 私? 私はー……まだない」
生まれて三日ぐらいしか経ってないし、彩葉からもあんたとかしか呼ばれてないしね。でも名前かぁ……猫にだって名前があるのに、私だけないのはなんだかなー。
「名前がないんですか?」
「んー、まあないと困るよねー。もうてきとーに考えちゃおうかなー」
どうせ付けるなら可愛い名前がいいよねー。あ、キラキラしている感じのもありかも。例えば──
「自分で決めるより、誰かに付けてもらったほうがいいんじゃないですか?」
「えー? どうして?」
「名前は、その人が生まれて初めて貰う贈り物なんです。これからの一生をその名前と生きることになる、大切なものなんです」
「おおー、そうなんだ」
なんだろう、お姉さんの言葉には凄い実感がこもっているような重さがあった。名前で何か苦労することでもあったのかな。
何処か遠い過去を見るような目で虚空を見つめていた女の人は、意識を現実に引き戻すとふっと柔らかに微笑んだ。
「これはちょっとしたアドバイスですけど、どうせなら貴女にとって大切な人に付けてもらってはどうですか? 大切な人からもらった名前。それだけでなんだか嬉しくなりません?」
「大切な人……」
お姉さんの言葉に、脳裏に浮かんだのは彩葉の顔。強くて凛としていて、ちょっぴり悲しそうな、とても綺麗な顔。私がハッピーエンドに連れていくと宣言した人だ。
「うん、そうする! 彩葉にもらってくるよ!」
「ふふっ、それはよかったです。じゃあ、私は予定があるのでこのあたりで」
「あ、待ってよお姉さん。お姉さんの名前は?」
猫の入ったキャリーバッグを肩に掛け直して去ろうとするお姉さんに名前を訊く。まだ名前のない私と違って、お姉さんには名乗る名前があるはずだ。
私の誰何にお姉さんは足を止め、首だけ巡らせて振り返る。その顔には何処か思わせぶりな、謎めいた微笑が浮かんでいた。
「私の名前はまたいつか。お嬢さんが素敵なお名前をもらって、再会した時の楽しみにでもしましょう。さようなら」
そう言ってお姉さんは揺れる夏の蜃気楼に消えていった。
なんだか不思議な人だったな。不審者同然の私にもやけに優しかったし、猫も撫でさせてくれたし。でも名前は教えてくれなかったけど。
こんな広い街でまた会えるのかな~、帽子で顔もよく見えなかったし。でも案外すんなり会えそうな気もする。ま、会えたらその時にちゃんと名前を訊けばいいよね。だから今は猫のお姉さんとして記憶しておけばいいや。
そうして私は猫のお姉さんとの不思議な出会いを記憶の片隅に仕舞い、校舎から友達と出てきた彩葉の尾行に精を出すのだった。
それから私は猫のお姉さんのアドバイスに従って彩葉にかぐやという名前を貰い、彩葉をハッピーエンドに連れていくために日々を全力で邁進した。
キラキラと楽しいことで満ち溢れたツクヨミで彩葉が心酔しているヤチヨとコラボするためにライバーデビューして、彩葉にプロデューサーとしてたくさん支えてもらいながらヤチヨカップのランキングを駆け上がり、優勝候補だった彩葉のリアルお兄ちゃん帝も押し退けて大勝利。ヤチヨとのコラボライブの権利を掴み取った。
彩葉と一緒にツクヨミのトップライバーにまで上り詰め、毎日が楽しいことだらけで幸せだった。ヤチヨとのコラボライブも最高に楽しくて、これ以上はないってくらい大盛り上がりで、このままずっと彩葉と一緒がいいなと思って。
「あー、もー、彩葉と結婚しようかなー」
なんてライブの熱に浮かされたまま口走ったりして。こんな日々がずっと続くとこれっぽっちも疑っていなかったんだよね──月人がライブに乱入するまでは。
月人は月から逃げた私を連れ戻しにきた。ライブではヤチヨが追い払ってくれたけど、月人は諦めた訳ではない。猶予期間こそくれたけど、今度は絶対に引かないだろう。
お迎えは月の世界と構造が似ているツクヨミに来るだろう。だからといってログインせずに逃げたところで、月人は現実に無理やり干渉してでも連れ戻そうとするはず。月に帰ることは避けられない運命だった。
ごめんね、彩葉。かぐやはかぐや姫だったみたい。彩葉をハッピーエンドに連れて行くって約束したのになぁ……。
夏期講習で彩葉が学校に行ってしまい、部屋に一人。ライバー活動で稼いだお金で引っ越したタワーマンションの部屋は広くて、一人でいるにはちょっと寂しかった。
月人が監視とばかりにうろちょろしているのも気になるし、ちょっと気分転換がてら外に出る。ぶらぶらと当てもなく街並みを歩いていたところで──
「お久しぶりですね、かぐやさん」
──猫のお姉さんとばったり遭遇したのだった。
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再会記念だと言って近くの喫茶店に私を誘った。特に断る理由もなく、何よりその喫茶店がパンケーキで有名なところだと知っていた私は二つ返事で頷いた。
彩葉が聞いたら、知らない人についていったらダメって怒るかな。でも猫のお姉さんは知らない人でもないし、悪意も感じられない。今日くらいはいいよね?
カフェの奥まった席で二人揃ってパンケーキを注文。しばらく待つとふわふわのパンケーキが運ばれてきた。うひゃー、これが食べたかったんだよねー!
ぱくっとパンケーキを頬張りながら、そういえばと気になったことを尋ねる。
「ねーねー、お姉さん。どうしてかぐやの名前知ってたの? もしかしてかぐやといろPのファンだったりして?」
「はい、ファンですよ。ヤチヨの次に推してます」
「ええ〜二推しぃ? かぐやといろPだけ推して〜……なーんて、引退するのに言うのはずっこいか」
既に引退宣言をして、卒業ライブの告知もしてしまっている。そんな私に、単推しを願う資格なんてなかった。
私の我儘にお姉さんも困っているかと思えば、私を見る目は何故か優しいまま。微笑ましいものを見るような眼差しだった。
「かぐやさん。私はかぐやさんが卒業する理由を知りません。でも望んで引退しようとしているわけじゃないことは、なんとなく分かります」
「分かっちゃう? いやー、お姉さんエスパーだね。かぐやの心も全部お見通しってやつ?」
「はい、全部お見通しですよ」
おちゃらけて流そうとしたらとんでもない豪速球が返ってきた件について。冗談だって分かるけど、一ミリも目を逸らさず言われたら本当なんじゃないかって身構えちゃうよ。
でも、なんでだろう。エスパー云々は嘘でも、かぐやの心をなんとなく分かっているという言葉は嘘に感じられない。やっぱり不思議な人だなぁ。
偽って隠したところでお姉さんには見透かされている。そんな気がして、私は誤魔化すのをやめた。
「まあねー……ちょっと色々あって、元いた場所に帰らないといけなくなっちゃったんだー。元を正せば、逃げ出したかぐやが悪いんだけどさ……」
そう、悪いのは私だ。仕事ほっぽり出して地球に来て、やりたいこと散々やりまくった私が悪いんだ。むしろ月人はあんな見た目だけど割と優しい。コラボライブで強制送還だってできたのに、次の満月までって猶予までくれた。これ以上は文句を言えない。
でも、でもさ……やりたいことはまだまだたくさんあるし、彩葉をハッピーエンドに連れて行くって約束も果たせていない。本当は月に帰りたくない、彩葉の側にいたい。
目を伏せて黙り込んでしまった私に、お姉さんは静かな口調で語り始める。
「どうやったって避けられない運命はあります。私はそれを、誰よりもよく知っている」
その言葉に思わず顔を上げる。私を見つめるお姉さんの表情は、見た目よりもずっと大人びた雰囲気を纏っていた。
「だから、私から言えることは一つ。ヤチヨの言葉を忘れないでということ。コラボライブでヤチヨが言ったこと、覚えていますか?」
「ヤチヨの言葉? えっと……」
なんだったかな。あの時はコラボライブを彩葉とヤチヨの三人で精一杯楽しみ抜くことばかり考えていて、正直あんまり覚えていなかったりする……。
すぐに思い出せない私にお姉さんは苦笑しながら答えをくれる。
「ヤチヨが言っていた。どんなに孤独な道のりでも、楽しかった思い出が暗い足元を照らしてくれる。その光の先には、きっと眩しいハッピーエンドが待っています。最後はちょっと私が付け足しちゃいましたけどね」
ああ、そう言えばそんな感じのことを観客に向けて言っていた。でも正直、私には半分も意味が理解できないというか、ヤチヨは誰に向けて言っているのだろうって不思議に思っていた。
「今は意味のない言葉やおためごかしに聞こえていても、いつかその意味が分かる時がくる。その日まで、どうか歩みを止めないでください」
訴える声は真摯で、私を見つめる瞳は真剣で。お姉さんが口から出任せや適当なことを言っている訳でないことはすぐに分かった。それでもやっぱり言葉の意味を全て理解するには情報も何もかもが足りなくて、私は曖昧に頷くことしかできなかった。
私の反応から理解が追い付いていないことを察しているだろうお姉さんは、察した上でそれ以上は言葉を重ねなかった。ただ淡く優しく微笑むだけだった。
「今日はご一緒してくれてありがとうございました、かぐやさん。推しとお茶ができて嬉しかったです」
パンケーキを思う存分に堪能してお店を出たところで、お姉さんは丁寧にお礼を言った。別にそんな気にしなくてもいいんだけどね。私も月に帰る前に大好きなパンケーキが食べられて満足できたから。
私に背を向けて雑踏へと消えていこうとするお姉さん。その歩みが不意に止まると、いつかの時のように振り返った。
「──卒業ライブ、
「んえ? う、うん?」
楽しみにしている、じゃなくて? と疑問に思う間もなくお姉さんは今度こそ雑踏の中に消えていく。その時、肩口に何かがいたような気がしたけど、なんだろう。私の気のせいかな……。
……あ、しまった。お姉さんの名前訊くの、すっかり忘れてた。それに……あれ? おかしいな。今日はこの前と違って帽子を被ってなかったはずなのに、どうしてか顔がよく思い出せない。そんなに印象の薄い人だったっけ?
不思議だ。何もかもが不思議で、結局最後まで猫のお姉さんのままだった。
EX:オタ公
自分がオタ公であり忠子であることがかぐやの記憶に残ってしまわないように立ち回った結果、余りにも意味深な発言を連発する謎のお姉さんムーブをすることになった不審者。しかも??に協力してもらって認識阻害染みた干渉までする徹底ぶり。かぐやの中ではどう頑張っても猫のお姉さんから進展することができない──今は。