俺の初恋の相手は、きっとどこかの物語の
超能力が出てくるような荒唐無稽な物語で、彼女もまたそうした物語の中の荒唐無稽なキャラクターだった。
そこでは
その物語の中で、俺はエキストラの一人を演じている。
前回までのあらすじに付記された登場人物紹介からも外れる存在。
あえて同定されるほどの描写は与えられず、無から現れては当たり障りのないことを主人公に告げて消え去る何者かであり、何もしていないときにはストーリーの起伏に溺れ続けていて、驚くべきときには驚き、喜ぶべきときには喜んだ。
俺が彼女と仲良くなれたのは、そこが幸いにして物語の裏側だったからに過ぎない。
楽屋裏、ということでも良い。
物語の表舞台に立っていない間、彼女は主人公ではなくただの少女に過ぎなかった――俺がただの少年であるのと同様に。
そこではある意味で時間こそ流れていなかったものの、俺たちは思うままに関係を育むことが許されていた。
どこまでも仲良くなることができたが、それでも恋人になることはできなかった。
それは主人公の主人公たる特権とも呼べるもので、彼女は様々な伏線や予告、考察によって、未来の恋人が確約されていた。
そこには溢れるばかりのラブとピースとハッピーエンドがあって、描かれるべきことだけが描かれ、エキストラの俺はせいぜい、それを祝福することしかできない。
鐘の音と舞い上がる花弁、さも当然のように広がる快晴の下で、俺はウェディングドレス姿の彼女の笑顔を眺めつつ考えている。
これは――
幸せな結末のお話なのか
幸せが終わるお話なのか
街頭スピーカーからは「今年の冬、最も泣けるバラード」が流れている。
この宣伝文句を考えたのはマネージャーで、こちらから苦情を申し立てる隙は与えられなかった。
もっとも、
あとはただ消費され、批評されるだけという事実に、頭では理解していても身体に馴染ませることはなかなか難しい。
稼業はシンガーソングライターとでもなる。
音楽に親近感を抱いたのはそれなりに早かった。
10歳のときには親にねだってMTRを買ってもらい、自作のミュージックをネットに公開しつつ、それとは別に知人たちとバンド活動もしていた。
原点にして、最も精力的な時期だったといえる。
ただしバンドの方はあまり長続きせず、何度かの離脱と合流を繰り返し、やがてソロでの活動に専念するようになった。
感じていたのは周囲との温度感の違いで、それは、自分は別に音楽に心棒しているわけではなく、「音楽が人間に要求するもの」が好きだったことに由来するものなのだとやがて分かった。
ただの「自由が保障された」言葉よりも、旋律に乗せた「制限のある」言葉を好んだ。メロディーに乗せる言葉は自由ではない。
言葉を自由にしようとすれば、たちまち音楽は崩壊してしまう。
韻やリフレインを意識しなければならない窮屈なメッセージは、ただ野放図に広がり続けるメッセージよりもずっと、真に迫る響きを感じた。
俺が作成した楽曲は概ね、人々に好意的に受け入れられた。
たかだか学生風情が誰の支援も受けずに発表する作品としては少々異常なくらいに。
公開すれば瞬く間に拡散され、いくつかの大手レーベルから声がかかった。そのうちのひとつは、こうして「今年の冬、最も泣けるバラード」という正気とは思えない宣伝のもとで売り出されている。
もっとも、声がかかったのはレーベルだけではなかった。
学園都市——人口230万人を有する科学の園。
そこは都市というより、それを模した研究所と表現する方が余程正確だ。
科学の、科学による、科学のための研究機関。
扱う題材は数学・工学・物理学・生物学・電子科学のみならず、心理学や哲学にまで至る。
中でもESPとPK、いわゆる超能力に関する開発研究は世界の中でも唯一にして無二で、学生が人口の八割を占めるのも、それらが超能力開発の研究材料兼被験者ということに由来している。
都市はカリキュラムによって人為的な「能力者」の創出を行っているのだった。
『原石だね』
ちょうど1年前、学園都市の教員を名乗る人物が家にやってきて、俺にそう言った。
『先天的な異能者のことをそう呼ぶ。いわゆる才能とはやや趣が異なるわけだが。能力者は
『……音楽に関連すること、か』
そう問い返した理由はただ、アップロードした楽曲に寄せられる異常な好評価。
それが異能によるものなのかはまるで確信がないが、それ以外に思い当たる節はなかった。
『君の力は、
『“あるいは”って?』
俺は語尾を上げて問いを重ねる。
「断定はできないんだ。これは“解釈の違い”ということでもあってね。現実で起こる事象と、シミュレーション上で起こる事象は異なる。それらをどう折衷するかという問いを扱うのが科学だ。ただ、まず先に言っておくべきことは、別に両能力とも、音楽にまつわる能力ではないよ。君の楽曲が評価を受けているのは君の才能であって、能力ではない。ただしその一方で、“能力ではない”という虚偽の申告を行う力という可能性も否めない」
「よく分からないな」
『それほど複雑な力だということだね』と笑いながら教員は言う。
『暫定ではレベル0。実のところ能力かどうかですら疑わしいともされていてね。研究都市の構成員である我々としてもはっきりさせたいところである。ぜひ、学園都市に入学してみないかね。これは君にとっても悪い話ではない。気になっているはずだ。自分の能力の正体を。
そして、“自分は果たして〈登場人物〉なのか”とね。なんなら君の音楽活動を学園が支援してもいい』
教員は名刺を置いていき、そのまま立ち去った。
そのあとどういう意思決定が自分の中に起こり、名刺に記載された電話番号を打って、編入の手続きをしたのかは覚えていない。あやふやな記憶の河川を泳いで、気が付くと俺は生徒として、イルミネーションにまみれたクリスマスムード一色の街を足早に歩いている。
吐く息は、白かった。
パーカーのフードを目深に被り、マスクをつけていれば、自分の素顔は傍からでは分からない。その姿のままイルミネーションまみれの街並みを――クリスマスムードに浮かれて身を寄せ合う恋人たちの間を足早に歩いていく。
「商品」となったのは俺の楽曲だけではない。
名前やプライバシーもまた、ラッピングされて売り出される。
別に笑わせているわけではないのだと、善意でお人好しなマネージャーは大真面目に言う。
『次はもっと明るい曲調はどうかな?』
『ファンが待ってますよ』
楽曲を発表していた以上なかなか理解されない思想ではあるが、俺は別に歌手を目指していたわけではなかった。俺にとって音楽は「表現方法」であり、発話や身振りなんかと近かった。生存のための技であり、芸術とは対極に位置する。
贅沢な悩みだということは、痛いほど理解している。有り体に言えば、金銭の問題と承認欲求。それを渇望している歌手が世にどれだけいることかは、よく承知しているつもりだ。
しかしバンドが長続きしなかったように、俺は音楽を「仕事」にすることに忌避を覚えていた。特に最近の活動は、レーベルの熱意に根負けして仕方なくやっている部分が大きい。
マネージャーがつき、俺の活動に商業性が伴い始めたのはつい半年前、『ハッピーエンド』という楽曲の発表を契機としている。
この楽曲は聴者の中でも物議を醸し、今まで俺の活動に追従してきた者の中にも俺の感性を疑う派閥が生じ始め、珍しく賛否が分かれる作品となった。つまるところ、その楽曲の公開を重く見たレコード会社が、俺の「保護」に動いたということになり、だからマネージャーは俺の「保護者」なのだった。
否定的な評価が多いことを抜きにしても、俺の中で「ハッピーエンド」は異質な立ち位置にある。一言でいうと「思い出したくない」であり、作成の経緯もさることながら、それに関連した記憶もまたきついものがあった。
そう表現すると大層な過去があるように思えるが、実際はそこそこ、しょうもない理由だというのもいただけない。
一方で、自分の原点を感じさせる一曲でもあった。その曲は苦悶に満ち、本音と建前のせめぎ合いの中で揺れていて、強いメッセージ性を帯びている。
もし俺がこのまま歌手として食っていこうとするならば――ああした曲はもう二度と作れないだろうという、確信にも似た気持ちがあった。
何かの間違いでその曲が街頭スピーカーから流れないことを願いつつ辿り着いたのは、俺が「楽屋裏」と勝手に呼んでいる、雑居ビルの地下にある一軒の店、『サムデイ』。そこは知る人ぞ知る、老舗のジャズ喫茶兼バーだった。
つい先ほどまで缶詰にされていたレコーディングスタジオからはそう離れていないが、以前油断し、道中で俺を知っている人たちに囲まれて難渋したことがあった。収録現場や会議を抜け出しては「楽屋裏」に通っていることを、レコード会社の社員とマネージャーは勿論のこと、ファンにも知られるわけにはいかない。そういう意味でも変装は必須である。
重厚なオーク材の扉に手をかける。
カラン、とドアベルが乾いた音を立てる。ここには肩書きも、他者からの視線もない。あるのは紫煙とアルコール、極上のジャズだけで、俺の曲など絶対にかからない。
一歩足を踏み入れた瞬間、俺の思考はありえないものを見てフリーズする。琥珀色の照明が落ちるカウンターの隅。
俺がいつも個室へ向かう動線のすぐ脇に、この渋い空間にはあまりにも場違いな、ベージュの人影が丸まっていたからだ。
その人影は気配を察して顔を上げる。泣きはらした目が俺を捉え、視線が合う。
半年前に俺を振った相手は、どこかの物語の主人公だった。
それは当然といえば当然の帰結だったが、そこで俺は登場人物としての役割を終え、彼女の物語は予定通り、ハッピーエンドに向けて進行するはずだった。
だからこれは、物語の裏側ということになる。
気品ある常盤台中学の制服。見間違えるはずもない
————御坂美琴。
そこにいるべきではない舞台裏に、彼女は背中を小さく震わせながら、誰かをずっと待っていた。