なんかかっこいい。
責任を選んだ翌朝、世界は何も変わっていなかった。
薄曇りの空。
通学路のざわめき。
スマートフォンに沈む人々。
だが終音の内側は、わずかに軋んでいた。
壊さないと決めた。
そのはずだった。
大学の掲示板の前に人だかりができている。
「見た?」
「マジで?」
ざわつき。
近づくと、そこに貼られていたのは一枚の紙だった。
――内部告発に関する調査開始。
名前は伏せられている。
だが文面から、誰のことかすぐわかった。
あの警察官。
胸の奥が、鈍く沈む。
スマートフォンが震える。
誠からだ。
《あの人、やばいかも》
続けて、図書館の彼女。
《ニュース見た?》
さらに、遼。
《正しいって、何だろうな》
世界が、わずかに傾く。
終音はその場を離れる。
静かな中庭。
ベンチに座る。
責任。
壊さないと選んだ。
だが、彼らの人生は進む。
自分の言葉とは無関係に。
いや、完全に無関係ではない。
あの夜。
「曲げないほうがいい」と言った。
孤立を肯定した。
あの言葉が、今の状況の一部を作ったかもしれない。
俺のせいか?
その問いは、甘くない。
逃げ道のない問い。
衝動とは違う。
これは、重さだ。
スマートフォンが再び震える。
非通知。
出る。
「見ました?」
ライターの声。
「ええ」
「あなたの言葉が、彼を後押しした可能性は?」
直球。
終音は沈黙する。
「……あるでしょうね」
「後悔してますか」
問いは、静かだ。
後悔。
終音は考える。
もしあのとき、「少し曲げてもいい」と言っていたら。
彼は今、穏やかだったかもしれない。
だが。
「わかりません」
正直に言う。
「曲げた彼を想像できない」
電話の向こうで、息が止まる。
「あなた、残酷ですね」
「自覚してます」
「でも」
ライターは続ける。
「あなたは今、逃げていない」
逃げていない。
その言葉が、わずかに救いになる。
電話が切れる。
終音は立ち上がる。
交番へ向かう。
自分の言葉の行き先を、見届けるために。
交番の前は静かだった。
中に、あの警察官がいる。
顔色は悪い。
だが、背筋は伸びている。
「学生か」
声は変わらない。
「ニュース、見ました」
「そうか」
短い返答。
沈黙。
終音は、初めて迷わず言う。
「……後悔してますか」
警察官は、ゆっくりと息を吐く。
「していないと言えば嘘だ」
正直な声。
「だが」
視線が真っ直ぐ向く。
「曲げなかったことは、後悔していない」
その目は、疲れているが、濁っていない。
終音の胸の奥で、何かが静かにほどける。
「あなたは?」
警察官が問う。
「俺は……」
言葉を探す。
「境界に立っているつもりでした」
「今は?」
「立っていられない気がします」
警察官は小さく笑う。
「誰も、境界にずっと立てない」
静かな声。
「いつかは、どちらかを選ぶ」
その言葉は、重い。
終音は理解する。
自分は触媒ではいられない。
選ばないことは、もう選べない。
誰かの選択に影響を与えるなら。
その結果も背負うしかない。
「俺の言葉が、あなたを後押ししたかもしれない」
終音は言う。
警察官は少し驚き、それから首を振る。
「決めたのは俺だ」
きっぱりと。
「人のせいにするほど、若くない」
その言葉に、終音は救われる。
だが同時に、突き放される。
責任は、共有できない。
各自のものだ。
交番を出る。
空は晴れている。
薄い膜は、まだある。
だが、透けている。
境界は消えない。
衝動も消えない。
だが今、終音は理解する。
壊すか、壊さないか。
救うか、救わないか。
それよりも前に。
「選んだ言葉の責任を引き受ける」
それが、境界の外へ出るということ。
胸の奥の衝動は、静かだ。
消えてはいない。
だが、形を変えた。
破壊衝動ではなく。
覚悟に近いものへ。
日守終音は歩き出す。
もう、観察者ではない。
触媒でもない。
揺れ続けながらも。
自分の言葉を選び、その重さを背負う人間として。
物語は終わらない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
彼はもう。
壊れる瞬間を見るためには、立っていない。
選ばれる瞬間を、共に引き受けるために、そこにいる。
そしてそれは。
救いと破壊のあいだに立つ者が、初めて得る立場だった。
確固たる信念を持つ人に会ったことありますか?
私はないです。