私は天気予報しか見てないです。
ニュースは、思っていたより小さかった。
《市内企業で情報流出未遂》
未遂。
終音はスマートフォンの画面を見つめる。
記事は短い。被害は限定的。内部犯行の疑い。詳細は非公開。
名前は出ていない。
だが、わかる。
止まったのか
胸の奥で、何かがわずかに沈む。
満足でも、失望でもない。
奇妙な空白。
図書館へ向かう足が自然と速くなる。
閲覧室。
あの席は、空いている。
雨は止んでいる。
窓に残った水滴だけが、昨日の名残のように光っている。
「探してるの?」
声。
振り向く。
彼女が立っている。
顔色は悪いが、立っている。
「消さなかったんですね」
終音は言う。
彼女は苦笑する。
「半分だけ」
「半分」
「途中で、怖くなった」
椅子に座る。
指先はまだ少し震えている。
「やる直前に、あなたの顔が浮かんだ」
終音の喉が、わずかに詰まる。
「止めなかったのに?」
「だからよ」
静かな声。
「止めなかった。でも、全部失う覚悟でやれって言った」
視線が真っ直ぐ向く。
「私、覚悟なんてなかった」
沈黙。
「半分消して、止めた」
「会社は混乱してる?」
「してる。でも致命傷じゃない」
「あなたは?」
彼女は笑う。
疲れた笑み。
「辞めた。処分はまだ決まってない」
「後悔してますか」
少し考える。
「……してる」
正直な答え。
「でも、何もしなかった私よりは、少しだけマシ」
終音は胸の奥の感覚を探る。
満たされていない。
壊れきらなかった。
救いきらなかった。
中途半端。
「あなたは、何がしたいの?」
彼女が問う。
「人を壊したいの?」
直球だった。
終音は否定しない。
「わからない」
「嘘」
彼女は首を振る。
「あなた、壊れる瞬間を見てる目をしてる」
図星。
言葉が出ない。
「でもね」
彼女は続ける。
「あなた、自分が壊れるのも見たいでしょ」
空気が止まる。
終音の呼吸が浅くなる。
「……どういう意味ですか」
「昨日のあなた、楽しそうだった」
静かな指摘。
「私がやるかやらないか、その境界にいるのが」
胸の奥の何かが、ひび割れる。
「違う」
「違わない」
彼女は優しく言う。
「あなたは、共犯になりたがってる」
共犯。
その言葉が重く落ちる。
「でもね」
彼女は目を伏せる。
「最後に止まれたのは、あなたのせいでもある」
終音は顔を上げる。
「どういう」
「全部失う覚悟って言われて、怖くなった」
小さく笑う。
「あなた、残酷だけど、誠実だった」
残酷で、誠実。
矛盾した評価。
「だから、半分で止まった」
沈黙。
終音は、自分の内側を探る。
確かに、背中を押した。
だが同時に、甘えを許さなかった。
中途半端を否定した。
その結果が、これ。
「私、あなたのせいにできない」
彼女は言う。
「やったのは、私」
その言葉は、重い。
責任の所在を、彼女は自分に置いた。
終音は、初めて気づく。
自分は、結果を他人に預けている。
壊れるかどうか。
止まるかどうか。
選ぶのは、相手。
自分は、境界を揺らすだけ。
「ずるい」
彼女がぽつりと言う。
「あなた、自分は安全な場所に立ってる」
言葉が刺さる。
安全。
本当に?
胸の奥の衝動は、日に日に濃くなっている。
境界の上を歩き続ける感覚。
いつ落ちてもおかしくない。
「ねえ」
彼女が立ち上がる。
「あなたも、壊れたほうがいい」
終音の心臓が跳ねる。
「一度、自分で選んで壊れてみたら?」
静かな提案。
悪意はない。
ただの観察。
「じゃないと、ずっと他人の境界で遊び続ける」
言い終えて、彼女は鞄を肩にかける。
「さよなら、観察者さん」
振り返らない。
閲覧室の扉が閉まる。
終音は、動けない。
壊れたほうがいい。
その言葉が、反響する。
俺が、壊れる
どうやって?
誰を巻き込む?
それとも。
自分一人で?
胸の奥の「何か」が、ゆっくりと形を変える。
これまで、他人の揺れを見てきた。
だが今。
初めて、自分の足元が揺れている。
選択は、刃だ。
これまでは他人に向けていた。
次は。
自分に向ける番かもしれない。
窓の外は、晴れている。
だが終音の視界は、薄い膜に覆われたままだった。
救いと破壊の間。
その境界線は、もう外側だけのものではない。
内側にも、走り始めている。
安全圏で見てるのって結構楽しいですよね。