チャイムの音とカァカァ鳴くカラスの声が眠気を覚ましてくれた、小学校の放課後。
下校路の途中で友だちと別れて赤い夕陽の眩しさに思わず目を瞑ると、ふと昨日のお母さんとの話が思い浮かんだ。
『ただいま、おかあさん!見てみて!』
『あ、あのね…図工でね、コンクールに入賞したんだよ』
『だ、だから…』
けれど、その話は"あっそ"の一言で終わっちゃった。
今日はテストで100点を取れたのに、頑張ったからお母さんに褒めてもらいたかったのに、妹に向いた目と言葉を少しでも向けてくれると思ったのに、夕陽を背にしてなくても目の前が暗くなりそうだ。
少しだけ夕陽が歪んでお母さんに抱きしめてもらいたくなるけど、抱き締めてくれなかったらもっと悲しくなるから、僕は二つ目の十字路を右に曲がって誰もいない古い公園に向かった。
「…おかあさん…」
とても怖くて悲しいから、ブランコに座って前までの楽しかった事を思い出す。
近くに新しい公園が出来るよりもずっと前、僕がランドセルを買ってもらう少し前まで、ここには何度もお母さんと一緒に来ていた。
その時は今こいでるブランコもキィキィ鳴らなかったし、友だちもお母さんも誰も妹の話なんかしてなかった。
でも、結局は昔の事。
赤茶色に錆びたブランコの鎖と枯れちゃった芝生みたいに、今のお母さんが前みたいには戻らない。
だからもうブランコをこいでられなくて、いつもみたいに歪んだ夕陽を無理やり手で拭って家に帰るしかなかった。
カラスさえ鳴かない公園の入り口に逆向きの足跡をつけて家に帰ろうとすると、知らない人が目の前にいた。
「こんにちは、君のお名前は何かな?」
「え…なまえ…?」
僕のお父さんよりもずっと背が高くて、教科書の落書きみたいな顔をしたスーツのおじさん。
一度も見た事がない変な人でびっくりしたけど、すぐに思い出せた。
『皆さん、この辺りで子供に声をかける不審者が出たというお知らせがありました』
『友だちと一緒に早めに家に帰って、遊ぶ時も一人で遊ばない様にしましょう』
(この人、"ふしんしゃ"だ…!)
「…………」
"ふしんしゃ"、怪しくて危ない人で名前とかを教えちゃいけない人。
だから、何も言わない。
何も言わないで、そっと横を通る。
「お名前、何かな?」
「お名前、何?」
「お名前、」
それでも"ふしんしゃ"のおじさんは、僕に付き纏いながら話しかけてくる。
何度も、何度も、何度も何度も…
「名前、名前、名前名前…」
最初は大丈夫だったけど、とっても怖い。
何でこの人は僕の名前を知りたいんだろう、何で答えないのに何度も聞いてくるんだろう。
おじさんが何度も何度も名前を聞いてくるたびに、分からなくなって怖くなる。
誰か他の人に来て欲しいと何度も願うけど、さっきの公園から出てないと思えるくらいに誰も来ない。
怖くて怖くて仕方がなくて、学校の黄色い帽子を下げたらひたすらに目を瞑って歩いた。
しばらくすると、おじさんの声がいなくなった。
「…いない?」
おじさんがいなくなったのは、家に着いたからだ。
そう思うと安心できて、目を開けられた。
「ただいまっ!!おかあ」「ナ マ エ 」
「ナマエ オシエテ?」
「ヒッ…!」
けれど目の前にあったのは玄関の扉じゃなくて、輪ゴムみたいにグニャリと体を曲げて目を合わせるおじさん。
その顔は変わらず落書きみたいだったけど、少し大きくなった声は怒りそうなお母さんみたいだった。
でもお母さんよりずっと怖い。
胸が痛くなる、体からドクドクと音が鳴る、あれだけ歩いたのに体の中が冷たくなる、目だけが熱くなる。
もう、無理だ。
「ヒィッ……!!!」
助けを求めようとしても引き攣る喉を無理やり開いて、僕は居ても立っても居られずに走り出した。
家に帰るとか、お母さんとか、そんな事よりもただただ今はこのおじさんが怖かった。
「ナ マ エ !!!」
「オォ シィ エェ テェ!!!」
(いやだ、いやだ、いやだいやだ!だれかっ誰か助けて!!)
(お母さん!!お父さん!!先生!)
「…ぁっ!!…っ!!!」
後ろからおじさんが大声を出して、怒りながらドスドスと追いかけてくる。
誰かに助けて欲しいのに、声が出ない。
肩からかけた水筒がゴツゴツお腹にぶつかる事も気にしないで住宅街の中を必死に走っても、窓を見ても誰も見つからない。
(僕っ…ぼく、これから…!!)
僕はこれからどうなるのだろう。
ホラー映画みたいに殺されちゃうのか、おじさんに食べられちゃうのか、それとも…もっともっと怖い目に遭うのだろうか。
たくさん走って足が痛いのに、怖くなるとそんな足が痺れて来る。
徒競走では三位だったのに、もう走り続けられない。
「…っち、こっち」
ふと、知らない声が聞こえた。
僕よりもずっと高くて、おもちゃみたいな声が。
途絶え途絶えなその声は僕を誘っていた。
「危な………こっち…来…クマ」
もしかしたらおじさんみたいに怖い人かもしれない、それどころかおじさんかもしれない。
でも誰か他の人が居るってだけで、何であろうともその人に助けを求めたかった。
(……えぇいっ…!!)
だから、思い切ってその声が聞こえる路地に入った。
曲がり角で僕を見失ったおじさんが、すぐ後ろを走って行く。
音を立てないように口を手で塞いで壁に寄りかかったけど、おじさんのドスドスという足音が聞こえなくなると、思わず力が抜けてそのままお尻が地面にくっついた。
「どうにか間に合ったクマね…君、怪我は無いクマか?」
「う、うん、ありがと……」
荒くなった息を整えていると、さっきの声がハッキリ聞こえた。
うまく隠れられる場所を教えてくれたお礼を言おうとしたけど…
「うわーっ!!??」
「静かにするクマ!アイツが来るクマよ!!」
目の前で空を泳ぐお魚が、映画で見たオレンジ色のお魚が話していた。
ここは安全だと思ったのに、また変な人?がいるせいで思わず大声をあげてしまう。
でも、そのお魚はヒレで僕の口を閉じるだけで怖がらせたりはしなかった。
だから少し驚いたままだけど、何とか落ち着けた。
そんな僕を見て、お魚は話し出す。
「僕は君を助けに、ここまで来たんだクマ」
「名前も言わない魚なんて信じられないと思うクマが、帰りたいなら僕の話を聞いて欲しいクマよ…」
「君はとても厄介な奴に捕まっちゃったんだクマ」
「このままだと家に帰れないクマよ」
ここが変な場所だと言う事は少し分かっていたけど、帰れないだなんて思わなかった。
"このままだと帰れない"。
そんな言葉を聞くと、お母さんの顔が浮かんできた。
「…っ…っ…!!」
「…まだ、話は終わってないクマ。だから泣かないで欲しいクマ」
「君がここから帰る方法が一つだけあるクマ」
泣き出しそうな僕の頭をヒレで優しく撫でながら、お魚さんは帰る方法を教えようとしてくれる。
何をしないといけないかは分からない、僕に出来るかも本当の事なのかも。
けれど、帰れるなら何でもするつもりだ。
「僕と契約を交わして魔法少年になって、あの怪人を倒すクマよ」
「そうすれば、ここから帰れるクマ」
「魔法、少年…?」
「よくアニメに出る魔法少女みたいなものクマよ」
魔法少女、妹がじっと見てたアニメだとかクラスの女の子の文房具にいる人。
僕が男の子である事よりも、アニメの中だけの出来事だと思っていたからピンと来ない。
「色々聞きたい事はあると思うクマが、早く魔法少年にならないとまずいクマ」
「アイツがここから逃げ出したら、飢え死にしちゃうクマよ」
「"俺は魔法少年になります"…そう、覚悟を決めて言うだけでいいクマ」
「う、うん……?」
お魚さんは早く魔法少年になってと言うだけ。
一方的で疑問はたくさん、けれど段々と切羽詰まる彼の様子から絶対にしなきゃいけない事だとは分かる。
だから、その言葉を言おうとした。
夕陽がさしていた筈の路地が、急に暗くなった。
早すぎる暗さ、何故か日がささない背中から冷たい空気が流れて来る。
「…?」
「どうしたクマか?早く…!」
「ミ ツ ケ タ」
「ああーっ!!!」
「急いで!急いで言うクマァ!!!!」
おじさんが、夕陽の代わりに僕らを見つめていた。
大きな体で狭い路地に入れないけど、長い手足をビタビタと壁に這わせて無理矢理にでも入ってこようとする。
声がまた引き攣る。お魚さんに言われた言葉が吐けない。
「お、おおぉ…りぇっ、ヒッ…!」
どうしても怖くて怖くてたまらない、するべき事ができない。
でも言わなくちゃならない。
(…あっ…)
こんな時なのに、ふと昨日の記憶が思い浮かんだ。
日曜日の朝に、妹と一緒に見た番組を。
その時に妹が真面目な顔で言った言葉を。
『「私は魔法少女になります」』
「!?君、今何を言っ…!」
瞬間、爆音と共に目の前が赤茶色の何かで覆われた。
キーンと耳の中で響く音が僕の目を覚ました。
おじさんに襲われかけたところで記憶は途切れていて、何が起こったかは分からない。
目を開くと路地にいた筈なのに周りの建物は無くなっていて、瓦礫の上で赤い夕陽が輝いている。
その夕日の根元にある壊れかけの家で、何かが蠢いていた。
でも、それより気になる事がある。
「ん…?」
しっかり洋服を着ていた筈なのに、足やお腹や腕周りがスースーする。
腰に何かがサラリと触れて揺れる感覚がある。
ほっぺが何処か膨れている気がする。
お腹が少し張って冷たい感覚がする。
声が前よりも高くなっている。
まるで僕の体じゃないみたい…
「ひゃっ!」
(えっ、このヒラヒラは…?)
急に吹いた風が股の間を潜り抜けると、女の子の服みたいなヒラヒラした布が僕の胸まで舞い上がった。
でも、こんなものさっきまで無かった。
少し、勇気を振り絞って下を向く。
「こ、これって!」
そこにはアニメの中だとか、幼稚園の遊戯会でだけ女の子が着るような服があった…いや僕が着ていた。
チャリチャリとなる鎖が端に沢山ついた短いスカートと、大きなリボン結びの鎖が胸に付いてる上着。
でも布の色は給食のスプーンみたいな鉄の色で女の子みたいじゃないし、お腹には鎖が何本か垂れているだけで丸出しだ。
思いきってスカートの下を見ると、やっぱりこっちも僕が着ていた服じゃなかった。
さっきまで履いてたシューズは膝の下まで入る白色のブーツになっていた。
そのブーツにはお母さんの部屋にあった"がーたーべると"みたいに、スカートの根元まで太ももを這っている二本の鎖がついている。
さっきまで長いズボンと半袖のシャツを着ていたのに、何で脇とか太ももとかおへそが見えちゃう服になってるか分からない。
もちろん吹いて来る風が冷たいけど、それ以上に…
(〜っ!!こんなの、恥ずかしいよ…)
恥ずかしい。
男の子の僕がこんな服を着ていると思うだけで、恥ずかしい。
風が冷たいはずなのに、顔だけはとっても熱い。
「君、大丈夫クマか!?」
「お魚さんっ!?み、見ないで…」
さっきのお魚さんなら何か知ってると思う。
けれど、こんな姿を誰かに見せたく無くてそれどころじゃない。
「混乱する事はないクマ!君は魔法少女になれただけクマよ!」
「今は、取り敢えずそういう事にするクマ!」
「それよりも、まだあの"おじさん"が来るクマよ!」
「!!」
恥ずかしくて目を瞑ってたけど、お魚さんの言葉でハッとした。
夕陽の下で蠢いていた影が、段々と大きくなってる。
最初は丸だったのに少しずつ形が崩れてきて、丸が歪むと夕陽の光が微かに漏れ出す。
やがて長細い影になったその歪みは、凄く見覚えがあるものだ。
「ナ マ エ ェ…!!」
おじさんが長い手足を地面に着けて、蜘蛛みたいな動きでこっちへ向かってきていた。
落書きみたいな顔だけは、下を向かずに。
でも不思議と怖くなかった。
「いいクマか?魔法少女は"魔法"を使って戦うんだクマ」
「どんな魔法を使えるかは知らないクマが、もう君は何をどう使うか分かっているクマ」
「今なら、あの怪人をやっつけられるクマ」
さっきまで分からない事ばかりのお魚さんの言葉が、今は何でか分かる。
まるで息をする方法を伝えられたかのように、とっても当たり前の事を言われたみたいだ。
だから、目の前のおじさんなんて怖くない。
どうすればアレを倒せるか、もう分かったのだから。
目を閉じず、しっかり見据えて、言うべき言葉を言う。
想像するのは"鎖"。
「"縛れ"」
「ナァァァ!!!?」
今度は、はっきり言えた。
言葉と共におじさんの近くで何かが光ると、錆びた鎖が光の中から伸びてきて長い手足を縛り付けた。
不思議な出来事なのに、これは普通の事だと納得できる。
その事自体がおかしい気もするけど、そんな事より今は目の前のおじさんが重要だった。
「"締め付けろ"、"襲いかかれ"」
長い手足をウネウネさせて今にも抜け出しそうなソレの鎖を、更に締め付けさせる。
そうして動きを十分に止めたら、次は思いっきり腕を振りかぶって鎖を叩きつける。
「よし!やっぱり素の戦闘力は大した事ないタイプクマ!!」
「君、この調子でいくクマよ!!」
「うん…"縛れ""縛れ""締め付けろ""襲いかかれ"…!!」
お魚さんは何か言ってるけど、気にせずあのおじさんを鎖で痛めつける。おじさんは何度ももがくけど、錆びていても鎖は決して切れたりしない。
このままやっつければ、家に帰れる。
筈だった。
名前を聞くだけだったおじさんが、急に変な事を言い出す。
「オ ジ サ ン ノ …コドモ タチ」
「タ ス ケ テ 」
「!誰、ですか…?」
「なっ、魔法少女…!?こんな能力、報告にないクマ!」
おじさんの声に答えるように影の中から、僕よりも背が高い人たちが現れた。
僕と全く同じじゃなくても"魔法少女"だと自然に分かる格好をしてるけど、味方じゃない事はすぐに分かった。
その顔はおじさんみたいな落書きになっていて、お姉さん達三人は僕の方へと向かってきた。
躊躇する暇もない。おじさんにそうした様に"魔法"を使う。
「"縛れ""縛れ""しば…ぐっ!」
けれど、おじさんよりもずっと速くて強い三人の魔法少女達は簡単に鎖で縛り付けることができない。
魔法は使ってこないし、一人一人なら何とか抑えられるけど三人全員は抑え切れなくて僕が取り押さえられてしまった。
(…!この、ままだと…)
何とか抜け出そうと魔法を使って鎖を出すけど、その分の寄り戻しかおじさんが鎖から抜け出してしまった。
それに周りの魔法少女達を振り払うための鎖が、段々と出せなくなってきた。
動けない僕に向かって、長い手足をブラリと動かしてゆっくりとおじさんが歩いて来る。
さっきまで無かった怖さが、また出てきた。
魔法少女になれば、魔法を使えば、おじさんに勝てる筈だったのに…
それだけが、唯一僕が家に帰れる方法だったのに。
「いや、だ…いやだ…!」
(このままだと、ぼく、もう家に…)
引っ込んだ筈の涙が、また出て来た。
必死に助けを求めるけど、さっき見たいな助けはもう来ない。
お魚さんはどうにかして僕を助けようとしてくれるけど、敵の魔法少女の一人に掴まれて遠くに投げ飛ばされてしまった。
だから誰も、誰も助けてなんてくれない。
「…グスッ…ぅぅっ…!」
「オ ナ マ エ 」
遂に声まで漏れ出した時、おじさんが目の前まで来た。
さっきまで怒っていた筈なのに、ずっと変わっていない落書きの顔は何でかとても嬉しそうに見える。
ここで名前を言ったら、絶対に家に帰れない。
根拠は無いけど、絶対にそうだと分かっていた。
だから口を絶対に開かない様に、必死に食いしばる、
「……ん!ぼ、く……」
「オ ナ マ エ…イ イ マ シ ョ ウ」
そうした筈なのに、おじさんが僕の頭に手をかざすと勝手に口が動き始めた。
自分で何を言うつもりか分からないのに、何を言わされるのかがいやでも分かった。
「…の、…な まえ は…」
このままだと僕は、僕の名前を言ってしまう。
けれど抵抗できない。
「…!"
"繋 継鎖"、お母さんとお父さんから貰った大事な名前。
言ってはいけないのに、言ってしまった。
「チ ガ ウ … キ ミ ノ ナ マ エ ハ…」
「ーーーー ダ ヨ」
僕の名前を否定して、おじさんは新しい名前を僕につける。
何という名前かは分からない、そもそも僕の名前は…
僕の、名前は……
「違う、そんな、僕の本当の名前…」
「そんなの、じゃ…?」
僕の名前は、何だった?
思い出せない、分からない、そもそも本当の名前なんてあった?
「ーーーー デ シ ョ ウ」
おじさんの言う通りかもしれない。
僕の名前はーーーーだったような。
うん、そうだ。
僕の名前は、
「ー!!!ぁっ!!」
名前を言おうと口を開くと、急に左手の小指が痛くなった。
ガチャガチャと何かが鳴り始める。
痛い、痛い、小指が何かに強く締め付けられている。
「ぎゃぁっ!!………」
小指が千切れるくらいに痛くなって叫んだ時、そこに見えたのはギチギチと巻きつく一本の錆びた鎖。
まるで細い糸みたいなその鎖は何処かに伸びていて、決して弛まずにピンと張っている。
「………!」
繋がっている先は分からない筈なのに、分かった。
これは絶対に切れない鎖、魔法を知る前からずっとずうっと一番大切な人と繋げてくれていた最初の鎖。
たとえ錆び付いても、たとえ忘れられたとしても…僕のこの大事な名前は、お母さんとの縁は決して誰にも渡さない。
だから、おじさんにこの鎖は繋げられない。
だから、こんな名前なんて言う必要はない。
「…違う!!僕は、僕はぁっ!!」
「僕はっ、繋 継鎖…お母さんの、子供だ!!」
『…指切りげんまん、ほらこうすればお母さんとずっと一緒だからね』
『どこで迷子になっても、大丈夫』
『お母さんが、見つけてあげるから』
何処であっても、お母さんは僕を見つけてくれる。
何故なら決して切れない小指の鎖があるから。
これを辿れば、絶対に逢えるから。
家に帰るなら、ただこの鎖を辿ればよかったんだ。
「お母さんっ!待ってて!!」
「今っ、帰るよ!!!」
小指の鎖を握りしめて、ただ只管にイメージする。
在るべき場所、僕が帰らないといけない場所に。
「マ ッ テ !!」
おじさんの事なんて、もう気にならない。
ただ帰るだけなんだから。
僕は思い切り目を瞑って、魔法の呪文を唱えた。
「"指切りげんまん"!!」
カァカァ鳴くカラスの声で目を開くと、そこは見慣れた場所だった。
枯れた芝生、錆切った鎖のブランコ…おじさんに出会した公園だ。
「…っ!」
そして目の前には、まだあのおじさんがいた。
何かに叩きつけられたみたいにうつ伏せで寝てるけど、モゾモゾ動いている。
まだ、終わってない。
ここで逃げても追いかけられる、なら今の内に魔法でやっつける。
「"縛れ"!」
「……なっ…!」
魔法が発動しない。
さっきまで沢山出てきていた鎖が、一つも出てこない。
まずい、おじさんが起き上がった。
「コ ン ナ モ ノ ォ!!」
「…千切れる ものかぁ!!」
おじさんはさっきの喜んでいた様子とは一変して、とても焦りながら小指の鎖に掴みかかってくる。
こんな人に触られたくもない、そんな思いで小指の鎖に力を込める。
その想いが通じたのか、掴まれていた鎖に棘が生えておじさんの手を串刺しにした。
けれど、諦めてくれない。
寧ろ無理矢理に千切ろうと更におじさんの力は込められて、小指がギリギリと締め付けられる。
「タ ス ケ テ 」
おじさんが、さっきみたいに助けを呼んだ。
深くなって行く電柱と空き家の影から、見覚えのある姿が弱々しく這い出して来る。
おじさんみたいな顔をした魔法少女、お姉さん達が来てしまったらこの引き合いに負けてしまう。
鎖が千切れなくても、小指が千切れてしまう。
そしたらもう、今度こそお母さんとは…
(どうする、どうしたら…!?)
近づいて来る、終わりが近づいて来る。
あと一歩で、お姉さん達に鎖が握られてしまう。
突然、おじさんが鎖から手を離して仰向けにひっくり返った。
「イ マ マ マ ママママママ…!!!」
「えっ、何…!?」
おじさんはずっと不気味だったけど、今はもっと不気味だ。
ひっくり返ったと思ったら、マをずっと言い続けてブルブルと震え続けている。
頭と足だけを地面につけて腰を浮かして、ただただブルブル震えている。
近づいて来ていた魔法少女達は、そんなおじさんに戸惑ってか動きを止めた。
そんなお姉さん達と違って、おじさんの震えはどんどん大きくなって行く。
「オチオチオチオチオチオチオチオチンチ………」
「…やっつけ、られ…た…?」
でも、ずっとは続かなかった。
おじさんは最後に何か言いたかったみたいだけど、結局言い切らずにピタリと動きを止めた。
足も手も、それどころか胸も動いていない。
「ミ セ テ !!」
「うわぁっ!?」
…最後に、凄い声で叫んだけど。
おじさんはそれきりで、本当に動かなくなった。
すると、おじさんの体が段々と黒いチリになって空へと飛んで行く。
あれだけ怖かった落書きみたいな顔も、立派なスーツも、何もかも無かったかの様に消えて行く。
残されたのは僕と…
「「「…………」」」
おじさんが呼び出した、三人の魔法少女達だった。
落書きみたいだったお姉さん達の顔は、おじさんみたいに段々と崩れるけど無くなりはしなかった。
まるで被ってたお面が外されたかのように、崩れた顔から本当の顔が出てくる。
夕焼けの影が濃すぎてよく見えなかったけど、その顔はどれも綺麗だった。
「…あっ…!」
少し胸がドキドキして思わず目を背けると、三人の魔法少女は各々で何処かへと飛んでいってしまった。
さっき僕を取り押さえたときよりも凄く速くて、顔を覚える間も無く行ってしまったお姉さん達。
そんなお姉さん達の顔は覚えられなかったけど、一つだけ気になる事があった。
「お姉さん達にも…」
お姉さん達の指で一つづつ鈍く光っていた鎖、僕の小指みたいに結ばれていたけど千切れて垂れてしまっていたソレが妙に頭の中で光り続けている。
おじさんをやっつけて魔法少女の三人が去ったあと、気づけば僕の服は元通りになっていた。
半袖長ズボンにお気に入りのシューズ。
そして背中には黒のランドセルが、肩にはちょっと重たい水筒が掛かっていて、頭には学校の黄色い帽子を被っている。
きっと、妹と見たアニメみたいに変身が解けたのだと思う。
お魚さんがいないから、本当はよく分からないけど。
でも、とにかく今はただ家に帰りたくてそんな事どうでもよかった。
おじさんに連れ去られていた時間は少し長かったのか、いつもよりも深くお日様が沈んじゃったせいで玄関の扉は少し暗い色だった。
そんないつもよりも重く感じる玄関の扉を開けて、"ただいま"の声を絞り出す。
「おかえりー」
「おかえり!お兄ちゃ…ん……?」
いつも通りの返事、いつも通りの夕ご飯、いつも通りのお風呂、いつも通りの歯磨き、いつも通りの 寝る時間…
妹の様子が少しおかしかっただけで、帰ってからは何もかもがいつも通りだった。
あれだけ頑張ったのに、"ふしんしゃ"がいるのに、それでいつもより遅く帰って来たのに、お母さんは何も気づいてなんかいない。
お父さんが帰って来るまでは一人だけの布団で、心が少しチクリとする。
でも、あと一つだけ違う事があった。
おじさんをやっつけた後に何処かへ行っちゃった魔法少女達、あのお姉さん達が指につけていた千切れた鎖がどうしても気になってしまう。
あの鎖がお姉さん達にとってどういうものか僕は知らない、けれど小指に今でも強く巻きついているこの鎖は僕にとって一番大切なものだ。
「もし、千切れたら…」
おじさんに千切られかけた時の思いが、また浮かび上がってくる。
この鎖が僕とお母さんを絶対に繋げてくれる、 けれどもそんな強い鎖が無くなってしまうということは。
「………二度と、会えない」
それは自分の一番大切な人との、永遠の別れになってしまうだろう。
もしそうだとすれば、鎖が千切れてしまった今のお姉さん達は一体どれだけ苦しんでいるのだろう。
お母さんに二度と会えないと思うだけで、僕はとても悲しくて胸が押し潰されそうになるのに。
ふと、お母さんの言った事が頭をよぎった。
『継鎖、継鎖はとってもいい子ね』
『だからお母さん、とっておきの秘密を教えてあげるわ』
『あなたがされたい事は人にしていい、けれどされたくない事は人に絶対してはいけない』
『これは当たり前の事、だけど本当に出来る人はとっても少ないのよ』
『でもお母さんは継鎖ならきっと出来ると信じてるわ』
『あなたは本当にとても優しくて良い子なのだから…』
「直そう」
「お姉さん達の千切れちゃった鎖を、また繋ぎ直そう」
頭の中でお母さんの声が響くと、そんな言葉が自然と出て来た。
もし自分の鎖が千切れてしまったら、そうしてお母さんを失ってしまったら、きっと僕は自分だけではどうしたら良いか分からないだろう。
一番頼れる大切な人を失ったのに、それでも誰かに助けて欲しくて必死に泣いてしまうだろう。
それはきっと、魔法少女のお姉さん達でも同じ。
だから僕はお姉さん達を助けたい、一番大切な人との鎖をもう一度繋ぎ直して涙を止めてあげたい。
あの時の鎖が頭の中でずっと光り続けていた理由が、ようやく分かった気が す、る……
「うん、そう しよ う…」
「くさり を なおす なら……」
今日魔法少女になったばかりの少年こと"継鎖"が、静かな決意を胸に秘めた。
あまりにもイレギュラーな状況故に契約を交わした使い魔が近くにおらず、魔法少女としての在り方を知らない彼だが不思議と道は違っていない。
魔法少女の本懐は魔法でも戦いでもなく、困っている誰かを助ける事なのだから。
だが、そんな彼といえども所詮は子どもである。
「ま ず は………こうえ…」
「………スーッ…」
初めて魔法少女として戦った疲れも相まって、彼はストンと眠りに落ちてしまった。
今日の出来事にも関わらず、布団の中で少しヨダレを垂らして幸せそうに寝る小学3年生の"
この物語は、そんな一見するとただの少年である彼が"鎖繋の魔法少女"として呼ばれるようになった所以を語る小話である。
………最も男でありながら魔法少女となってしまったが故に、その話は少々正道から外れているかもしれないが
怪人 "名前おじさん"
夕方に一人でいる子供を狙って異空間に連れ去る、特殊なタイプの怪人。
しつこく名前を聞いて恐怖で消耗させる初期、しばらく空間を離れて極限状態まで追い込む中期、極限状態に陥った子供に親しい人を真似た声をかけて名前を言わせる後期の三段階で名前を言わせようとする。
名前を言えば、おじさんの"子供"になってしまう。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。