魔法少女のお姉さん達の鎖を繋ぎ直すと決めたけど、眠すぎて寝てしまった次の日。
今日は土曜日で学校が休みだから、鳩がホーホー鳴いてないくらい朝早くに昨日の公園に来た。
僕は今お姉さん達が飛び立って行った場所、つまりは公園の入り口周りを調べている。
直し方が分かってなくとも、まずはお姉さん達の指に巻きついた壊れている鎖自体を見つけるべきだと思ったからだ。
そういう訳でお母さんと良く見ていた刑事ドラマとかみたいに、虫眼鏡を使ってお姉さん達の跡を追えるような"しょうこ"を探している。
大きな石を裏返してたくさん出てきた虫にびっくりしたり、土管の中を覗いて野良猫に威嚇されたり、ゴミ箱を漁っているカラスに睨み負けたり…
「うーん……?」
色々頑張ってみたけど、結局は鳩がホーホー鳴き始めただけで"しょうこ"は全然見つからなかった。
家から持ってきた地図と見合わせたからお姉さん達が飛んでいった方角は何となく分かったけど、それでも他の手がかりが欲しいのに。
「おや、継鎖君。こんな朝早くにどうしたんだい?」
「!おはようございます!!」
そうして途方に暮れていると、近所のおばあちゃんが公園の外から声をかけてきた。
こうしてお日様が出ると同時に散歩をする事を習慣にしていて、いつもは下校の時にしか会わない人だ。
「えっと…昨日、友達とここで遊んだんだけど」
「友達が何か落としてしまったみたいなんだ」
「探してるんだけど、全然見つからなくって…」
昔から度々お菓子とかをくれる良い人で、色んなことを知ってる物知りだから頼れる人だけど流石に魔法少女は知らないと思う。
僕しか知らない事でおばあちゃんを困らせるのはダメだから、少し嘘をついて誤魔化した。
「こんな朝早くから探してあげるだなんて、継鎖君は偉いねぇ」
「ふむ、でも見つからない……もしかすると、そのお友達は此処じゃなくて、家に帰る途中に落とし物をしてしまったのかもしれないねぇ」
「ここじゃない、かぁ…」
それでも、おばあちゃんは頼りになる人だった。
確かに"しょうこ"はここにあるとは限らない。
幸いにも魔法少女のお姉ちゃん達が飛んでいった方向は分かっているから、それに沿えば何か見つかるかも。
「おばあちゃん、ありがとう!ちょっと別の所探してみるね!」
「何かおばあちゃんに手伝える事はあるかい?」
「ううん、大丈夫!多分すぐに見つかるから!!」
そうと決まれば、行くしかない。
3人の魔法少女の内一人が向かった先は地図で見てこの公園から真反対の北、警察署があって高い建物が沢山立っている所だ。
授業ではつまらなかったのに今では冒険みたいでワクワクする地図を見ながら、僕は出てきたばかりの太陽の光とおばあちゃんの"気をつけてね"を背中に背負って出発した。
おばあちゃんや子供ぐらいしかいなかった近所と違って、北の方へと歩く度に背をしっかり伸ばした大人の人が増えてくる。
それに周りの建物も見切れてしまうくらいに大きくなっていて、まるで巨人の国に迷い込んでしまった気分だ。
あっという間に僕の視界はスーツの黒に覆われてしまった。
そんな中だからか未だに"しょうこ"は見つからないけど、周りが見えないくらいに沢山の人がいる場所だからかあるセリフを思い出した。
刑事ドラマの刑事がこんな感じで沢山の人が行き交う場所に来ると、こう言っていた。
『刑事っていうのは、足で稼ぐもんだ!』
『まずは聞き込みをするぞ!』
"ききこみ"、犯人を見た人がいないかを色んな人に尋ねる事。
これだけ人がいるなら、もしかすると探している魔法少女の姿を見た人がいるかもしれない。
良い考えだと思った、だけど少し困った。
(…あっ、でも顔とか…)
うっかりした呟きが心の中で漏れる。
お姉さん達の顔を見たのは一瞬だけで、服装とか顔見たいな特徴はあまり覚えられてない。
どうやって尋ねれば良いか分からないのだ。
どうすれば…
「………あっ!」
一つ、思いついた。
お姉さんは一目で魔法少女だと分かる見た目だから、僕が"ある事"をすれば見た人に思い出させられるかもしれない。
早速、誰もいなさそうな路地に入ってこう唱える。
「私は魔法少女になります」
前みたいな爆音は聞こえないけど、少し目の前がキラキラしたと思うと見覚えのある服が全身に着せられていた。
「よし!これなら"ききこみ"が出来るぞ!」
今の僕は男の子だけど、服装だけは一目で魔法少女だと分かるもの。
きっと僕を例に出せばこんな格好をした人が、つまりは探している魔法少女のお姉ちゃんの"ききこみ"が出来るだろう。
…もちろん恥ずかしい、とっても恥ずかしくて嫌だ。
けれどお姉さんは僕よりもずっと苦しんでいるから、こんな事で立ち止まっちゃいけないんだ。
必死に恥ずかしさを耐え続けて、魔法少女の姿で"ききこみ"をした。
男の人にも、女の人にも、きっと誰かが何かを知っているんじゃないかって。
でも今の僕は、隣町との北境に流れる"線引川"の土手の下で膝を抱えて座り込んでいる。
いつも履いてるズボンがないからか、少し濡れた芝生がパンツ一枚だけを隔ててお尻に触れていてとても冷たいけど、立ち上がる気分にはなれなかった。
「…うぅっ…!」
結局、何も分からなかった。
みんな"かわいい、かわいい"って言うだけで、何にも知ってなかった。
頭を撫でられたりしたのは嬉しかったけど、僕は男の子なのに"かわいい女の子だ"って言われると何か嫌な気持ちになる。
相変わらず"しょうこ"も見つからないし、もうどうしたら良いか分からない。
どんなに恥ずかしくてもやり遂げようとしたけど、何の成果も得られないし、誰にも褒めてなんか貰えないから、遂に耐えきれなくて人が少ない北の川まで逃げて来てしまった。
情けないと思う。最初にあれだけ意気込んで決めた信念が、こんなにあっさりと折れそうになるだなんて。
「ん…?そこのお前、少しいいか?」
そうして中々勇気が湧かないまま膝を両腕で更に抱きよせていると、誰かに声をかけられた。
それはクラスの女の子よりもずっと大人びていて、けれどもお母さんより若い女の人の声だ。
"もしかしたら"そう思って声の方向に目を向けると、その"もしかしたら"がいた。
真っ赤な生地の切り込みから真っ白な下地を見せて花の模様を作っている派手なドレスと、物語の騎士がつける金属の鎧が混ざったかの様な衣装。
そんな衣装を着込んでいるお姉さんは、お母さんどころかお父さんよりもずっと背が高くてスラッとしている。
自然とそのまま見上げると、あの時みたいに胸を少しドキドキさせられる程に綺麗な顔がそこにはあった。
そしてあの時よりもハッキリと映ったその顔に見えるのは、とても真面目そうな印象を与える凛々しい表情と短めな黒い髪。
「お前、他所の魔法少女だよな。ここで何してんだ、ていうか担当地区は?」
「ええっと…あっ!」
思わず目を逸らしてしまったけど、その先で左手の親指に巻きついている千切れた鎖が見えた。
僕が直してあげないといけない鎖の持ち主、正しく目の前のお姉さんが目的の魔法少女だ。
想像してたより平然としていて、寧ろ僕の方が心配されてるけど…
「それとも、もしかして…俺と同じか?」
「お前も記憶が無いのか?」
「記憶が無い…!」
「お姉さん、実は僕…」
実際には、お姉さんは想像よりも遥かに深刻な事態に陥っていた。
記憶を失うと言う形で、一番大切なものどころかそれ以外のものも失ってしまっていたのだ。
今度こそ、恥ずかしがってる場合じゃあ無い。
「僕は 繋 継鎖 と言います…お姉さんの無くなっちゃった記憶を治しに来たんです!」
一秒も無駄には出来なくて、単刀直入に顔を見据えて目的を宣言する。
男の子なのに女の子の格好をしているだけでも変なのに、こんなことを唐突に言った"ふしんしゃ"の僕を、当然お姉さんは少し怪訝な顔をして怪しみ始めた。
このままだと、無視されて何処かに行っちゃうかもしれない。
どうやって記憶を治すかだとか、何で僕がこんな格好をしているかだとか…根拠なんて思いつかないから疑問に答える事も出来ないけど、本当に何としてでも引き止めないと。
「お姉さん!どうか信じてください!!」
「僕は、ただ貴女の記憶を戻したいだけなんです!本当、本当ですから!!」
だからもうとにかく勢いだけで言い切って、頭を下げてお願いするしか無かった。
"宿題を家に忘れてきちゃったけれども、終わらせてはいる"と何とか先生に怒られない様に言い訳した時みたいに、胸の中が冷たくなってバクバクなり始める。
「分かった、分かったから…とりあえず頭下げんのはやめてくれ」
「これじゃあまるで、俺が悪者みたいじゃねえかよ…」
さっきまでとは違って、少し柔らかい雰囲気の言葉。
それでもこれは先生が許してくれる時だけじゃなくて本気で怒り出す時の声みたいでもあるから、まだ安心できない。
恐る恐る顔を上げて目を合わすと、お姉さんはゆっくり口を開いた。
「記憶が戻るっていうなら断る理由なんて何処にもねぇ」
「何をするかは知らねぇが、とりあえずやるだけやってみてくれ」
「俺は…はは、名前も忘れちまったから名乗れねえけど宜しくな」
お姉さんの答えは、了承。
それはつまり、僕の想いがしっかり伝わったということで…
これまでの恥ずかしさだとか、苦労だとか、不安だとかが報われた気がして、思わずその左手を握りしめてしまった。
親指に巻き付いている鎖に、確かに触れた。
「ありがとうございます!!…!」
瞬間、大量の何かが頭の中に流れ込んで来る。
それはバラバラになった絵本のページみたいに幾つかに別れていて、確かに動いている誰かの視点。
僕のものじゃ無い、もちろん見覚えなんて無い。
けれども見ている内に、不思議と誰のものかが分かった。
周りの人を見下せるくらいに高い視点、ついさっきに聞き覚えのある女の人の声、僅かに見える2色の派手衣装、僅かに紐付いている鎖。
これは多分、お姉さんが失った記憶だ。
そう気づいた途端、バラバラな記憶は何処かへ飛んでいってしまった。
また何の"しょうこ"も無いままに飛んで行ったものを探す事になりかけたけど、今度は違った。
記憶の一つ一つを繋げていた鎖が千切れていても、断ち切れなかった何かで辛うじてつながっていたのだ。
この何かを辿っていけば、失った記憶を取り戻せると確信できた。
辿るべき何かの始まり、それは正しく目の前の左親指に巻き付いた鎖だ。
「…大丈夫か?」
「お姉さん!こっちです!」
「ちょ、ちょっと待て!!いくらなんでも、説明が…!!」
お姉さんは何か色々言ってるけど、"善は急げ"。
そんな教科書で習った言葉の通りに、僕はお姉さんの左手を引いて駆け出した。
向かう先は最初の記憶が埋まる場所、沢山の子供とピカピカのジャングルジムが目立つ公園だ。
お姉さんの手を引いて沢山走った。
いつもなら足が痺れて痛くなったり、息がゼェゼェ荒くなったりするけど、何でか今は全然へっちゃらだ。
そうして辿り着いた公園の名前は、"
でもその名前を載せている看板が少し錆びていたり、高いジャングルジムには黄色いテープが貼られていたり、辺りに空き缶やビニール袋が捨ててあったりと、お姉さんの記憶どころか僕の近所の古い公園よりももっと古びていた。
本当に記憶が取り戻せるか怪しくて、思わず僕達2人の眉間にシワが作られてしまう。
「まあ、何だ…とりあえず何かしらやってみない事には分かんないだろ」
それでも何かの拍子で記憶が戻るんじゃ無いかって、二人で色々やって見る事にした。
少し危ないけどテープを避けながらジャングルジムを登ったり、鬼ごっこをしてみたり、だるまさんが転んだをしてみたり…
「…すまねぇ、何も思い出せねぇわ」
けれども、お姉さんは何も思い出さない。
どうして中々上手く事が立ち行かない。
魔法を使う事も考えたけど、結局どう使えば分からなくて頭を抱えてしまう。
何とか良い考えが思いつかないかと悩んでいると、急にカランと音が鳴る。
何と無くその音の方を見ると、お姉さんがビニール袋に何かを入れていた。
「すまん、考えの邪魔しちまったか。少しゴミが気になってな…」
お姉さんが袋に入れているのは、そこら中に落ちていた空き缶。
別に枯れている芝生が戻る訳じゃ無いけど、まだまだ空き缶は沢山あるけど、それでもゴミが減っている風景は公園が記憶の通りに戻っていく様に感じられた。
一つ、思いついたかもしれない。
「お姉さん!僕にもそのゴミ拾い手伝わせて下さい!!」
「…もちろんこれも、記憶を取り戻すためですよ!」
足元に落ちていたビニール袋を拾って、その思い付きをお姉さんに言ってみる。
「もしかするとお姉さんが記憶を取り戻せないのは、今と昔でこの公園がすごい変わっちゃったからだと思うんです」
「だって、お姉さんの記憶の中の公園にはゴミなんて全然無くて、今とは見違えるくらいに綺麗だったんですから」
もし"古句"という名前が無かったら、ここまで来た僕でも場所を間違えてしまったと思うかもしれない。
ただ古びているんじゃ無くて、そう思わせる程にこの公園はゴミで汚くなっていた。
「だけど沢山のゴミを取り除いて綺麗になったら、完全に元通り…とはいかなくとも公園が少しは昔の姿に近くなって、何か思い出すきっかけになるかもしれません」
「お姉さんもゴミをそのままにはしたく無いと思うので…とりあえず、やるだけやってみましょう!」
「……ま、そうだな」
また根拠が乏しい思いつきではあったけど、それでもお姉さんは賛成してくれて、僕達は二人で公園のゴミを拾い始めた。
幸いにも?ビニール袋は沢山落ちてたから、燃えるゴミと燃えないゴミでしっかり分別してゴミを入れて行く。
初めてやった沢山のゴミ拾い。当然だけど、ただ捨てる事より何百倍もキツかった。
ウネウネ動く変な虫がついていたりしてゴミは汚いし、拾うために曲げる腰は痛いし、日差しがさす中で動くからとっても暑い。
そんなものだから何とか拾い終わった頃には、すっかり疲れ果てて木の影で座り込んでしまった。
でも、目の前で何かを思い出そうと試みるお姉さんは違う。
「思っていたより、綺麗になったな……」
僕より沢山のゴミを拾っていたのに、全然休まないで続けていたのに、お姉さんはこうして木の影で休もうとするどころか息すら切らしていないのだ。
あれだけ大変だったのに、全然へっちゃらなその姿を見て…
「…すごい」
思わず、言葉が漏れた。
「すごい…?何がだよ?」
「お姉さんが、です」
「だって、こんなに大変なゴミ拾いしたのに全然疲れてないじゃないですか」
「僕なんてもう、全然動けないし…」
「そりゃあお前は子供だからな、疲れるのもしょうがねぇよ」
「それに褒めるような事じゃ無いだろ、このくらい魔法少女以前に人として当たり前だからな…」
僕の言葉を聞いてもお姉さんは特に自慢げな顔をする事もなく、ただ平然としていた。
言葉が分からなかったと言うより、心の底からこうする事が当然だから何がすごいのか分からないと言う顔だった。
僕だったら、きっとお姉さんみたいにはなれない。
こんなに頑張ったら普通は誰かに褒められたいし、褒められないと少し嫌な気持ちになるから。
だから、そんな事を気にしないで大変なゴミ拾いを頑張ったお姉さんはとっても凄くて…
「か、かっこいい…!」
「は?」
とても、かっこよかった。
でも、そうだからこそ褒めない訳にはいかない。
"誰かにされたい事をしてあげる"。
僕だって頑張ったら褒められたいのだから、きっと平然としているお姉さんだって褒められたいに決まっているから。
「誰かに言われたりしなくても、すっごく大変なゴミ拾いを自分から始めて、そして誰かに褒められなくても全然気にしなくて…」
「えっと、上手く言えないんですけど…とにかくそんなお姉さんは、凄くてかっこいいです!!」
どうして中々上手く褒める事はできないけど、それでも何を言いたいのかが伝わったのかお姉さんは顔を手で少し覆った。
ゴミ拾いの後もずっと日差しの下に居続けたせいか、ちょっとだけ見える顔はようやく赤くなってきている。
それでもずっと何も言わないで立っているから、心配になってお姉さんを同じ木の影まで連れて行こうとした。
そうして左手を引こうと手を差し伸ばした途端、逆にお姉さんが僕の腕を掴んで引き込んだ。
「どうし…「記憶が、戻った」
「えっ!?」
そうして肩を掴んだかと思えば、僕と目を合わせたお姉さんはとんでも無い事を言い出した。
確かにゴミ拾いは記憶を取り戻すためにやった事だけど、それでもこんなに上手く行くとは正直思って無かったのに。
思わず呆気に取られていると、お姉さんが急に嬉しそうな笑顔を浮かべながら肩に置いた手で僕の体をガクガクと揺らし始めた。
「そうだよ、昔もここでゴミ拾いしたんだよ!」
「そん時に知らない婆さんとオッサンに褒められて…」
「ああ、ようやく俺の名前が分かったわ!!」
「いや本っ当にありがとうな!お前のお陰だよマジで!!」
「うわぁっ!?」
運動会の応援団みたいな声で耳が少しキーンとしたと思えば、脇下に何か差し込まれて僕の体が一気に高い場所へと浮く。
何事かと驚いて叫んじゃったけど、下を見ればお姉さんが僕を"高い高い"していた。
慌てて頼んだら降ろしてくれたけど、今度のお姉さんは真面目な顔で話し始めた。
「…お前、継鎖って言ったか。名乗りが遅くなっちまってすまねぇな」
「俺は
お姉さん…もとい蘭お姉さんが僕に伝えたのは思い出した名前、でも本当に伝えたい事はこの先にあるみたいだ。
「名乗りどころか記憶を思い出させてもらったばかりで、厚かましいとは思うが…改めて、お前に頼みたい事がある」
「思い出したといっても、まだ全部の記憶が戻ってきた訳じゃねえんだ。だが、さっきみたいに俺だけじゃ残りの記憶を思い出せねぇ」
「だから…頼む!どうか、俺の記憶を取り戻す手助けをしてくれないか!!」
さっきとは逆に、今度は蘭お姉さんが僕へと頭を下げて必死にお願い事をしている。
相変わらは声量が凄くて耳がピリピリしたけど、そんなお姉さんの話の中でチャリという音が聞こえた。
その音を出していたのは蘭お姉さんの親指、そこに巻きついていた鎖だ。
さっきまでは擦れて音も出せないくらいに短かったのに、今では少し長くなっていた。
それを見ると、少し涙が出そうになる。
「どうした、大丈夫か?何か嫌だったりしたか…?」
「いや、そうじゃ無いです、ただ…」
でもその涙は悲しみから湧いてくる塩辛い涙じゃなくて、堪えきれない喜びの甘塩っぱい涙。
とっても高い建物が立ち並ぶ中で沢山の大人が行き来する巨人の町で感じた恥ずかしさ、それが何の実も結ばなかった悔しさと徒労、ゴミ拾いの大変さ…たとえ小さい鎖だとしても、そんな今までの苦労が報われた事が何よりも嬉しかった。
「ただ、どうしようもなく嬉しいんです」
そして人助けが出来ると費やした苦労の分もあいまってこんなに嬉しくなれる知れたから、もっと助けてあげたくなった。
勿論、お姉さんのお願いに対する答えなんて最初から決まっているけど…こうやって頼んでいるお姉さんは、僕に手伝わせる事が少し気まずいみたいだ。
だから記憶を取り戻せたら僕も同じくらい嬉しいって事を伝える為に、さっきのお姉さんと同じくらいの笑顔で答える。
「もちろん手助けしますよ!」
「一緒に、蘭お姉さんの記憶を取り戻しましょう!!」
「お姉さんの記憶が戻ったら、僕も嬉しいですから!」
「…〜!!」
「ちょっ、今度は何…!?」
そう僕が答えた途端、蘭お姉さんにギュッと抱きしめられた。
お父さんよりも背が高いお姉さんの体は僕一人を完全に覆ってしまうくらいに大きくて、さっきまで見えていたお日様が少しも見えなくなってしまう。
それにフカフカしているドレスからは…とても、良い匂いが漂ってきていて、息をしなくても僕のお腹に入り込んで胸を凄くドキドキ鳴らしていた。
もう胸が爆発しそうになって、何とか抜け出そうとするけど全然抜け出せない。
…結局お姉さんがハグをやめたのはずっと後で、次の記憶に関する場所へ向かう頃には何も言えないくらいにドキドキしてしまった。
二番目の記憶を思い出すのに、そう時間はかからなかった。
それどころか最初の記憶を取り戻してからは、それまでの苦労が嘘かの様に順調に事が進んでいた。
もちろん、ただの偶然では無い。
最初の記憶を取り戻した時の出来事から、"記憶を取り戻すには何か良い事をして褒められればいいんじゃないか"と蘭お姉さんが思いついて…それが見事に合っていたのだ。
小学校とか駅みたいな特定の場所に限らず、時には何の変哲もない道路でゴミを拾ったり、迷ってる人に道案内したり、落とし物を届けたり…
そんな感じで"良い事"を沢山して、その度にお互いに褒め合えば記憶が戻って親指の鎖がドンドン伸びていった。
ついさっき行った高校では褒めなくても記憶が戻った事が気になるけど…残る鎖は後一つ。
でも最後の場所へ行く時の案内は僕じゃなくて、お姉さんが引き受けていた。
眩い橙色に輝く夕陽を前に目を薄くして、五時を伝えるチャイムの音を耳にしながら蘭お姉さんに手を引かれて歩く。
段々と建物の背が低くなっていき人通りが少なっていく中、僕達が向かっている最後の場所とは蘭お姉さんの自宅だ。
けれど、お姉さんの様子はどこか悪そうだった。
「大丈夫?」
「…何がだ?何の問題もないぞ」
「う、うん…」
思えば高校で記憶を取り戻してから、お姉さんは少し変だったかもしれない。
でも何でおかしいかは分からないし、どんな言葉を言えば良いかも分からなかった。
そんな調子で歩き続けて建物の背が見慣れた低さになり周りに人がいなくなった時、ふと蘭お姉さんが足を止めた。
「お姉…「少し、静かにしろ」
それはただ疲れたからだとか、夕焼けが綺麗からだとか、そんな理由じゃない事は顔を見れば分かった。
眉間に力を入れて口を固く結んだそれは、朝に威嚇してきた野良猫みたいな何かを酷く警戒する顔。
そんな顔で周りを注意深く見渡しているお姉さんが、小さな声で囁いてきた。
「お前、怪人と戦った経験は」
「怪人…?…多分、一回だけ…」
「なら逃げ…いや、ここでじっとしてろ。 近くに怪人がいる」
「それもかなり強いやつだ、お前みたいな新人の出る幕じゃねえ」
「いいか、絶対に戦おうだなんて考えるなよ。もしもの事があっても、その時は逃げるだけにしろ」
近くに怪人が…おじさんみたいな怖い人がいる、蘭お姉さんはそう言う。
でも昨日のお魚さんみたいに"戦え"とは言わないで、代わりに何かを唱え始めた。
「…"ハルバード" "カッツバルゲル"」
いつの間にかお姉さんの右手には斧と槍がくっついたような…いわば斧槍が握られていて、腰には魚のヒレみたいな持ち手がある剣が提げられていた。
僕の鎖と違って本当の"戦い"をするのだと、何も言わなくても分かる気迫だ。
「!!」
ガチャリ ガチャリ、そんな鎖よりもずっと重い金属の擦れる音が聞こえてきた。
そんな音が鳴った正面の方へ目を向けると、真っ直ぐな道に沿って左右を囲む様に立ち並ぶブロック塀よりも背が高い人影がある。
でも、そこにいたのは正確には人じゃ…いや人だけではなかった。
またガチャリと言う音、それと共に人影が動くと二本に見えた足が四つに分かれる。
同時にこちらを向いたのか、少し押しつぶされた黒い丸と長方形に近い丸の二つの頭が見えた。
「真正面から来るとは、怪人のくせに高潔な騎士気取りか?」
目の前にいるのは、物語に出てくる様な馬に乗った騎士だ。
騎士だけでなく馬までもが重厚な鎧に覆われていて、背にした夕陽の影で全てが真っ黒に染められた恐ろしい騎士怪人。
でも腰から抜かれて振り上げられた曲剣だけは、橙の光を白く反射してギラギラと輝いている。
瞬間、けたたましいラッパの音と共にベルトサンダみたいな嘶きが響き渡り…
曲剣が振り下ろされると同時に、騎士怪人は馬の腹を蹴って凄まじい勢いをつけながら向かってきた。
ドン、ドン、ドン…未だ距離が離れている筈の馬がその脚で地面を蹴る度に、大太鼓を叩いたかの様な音が周囲の空気を響かせる。
昨日のおじさんみたいな底冷えする様な怖さとは違って、まるで巨大なダンプカーが向かってくるかの様な威圧感の怖さが迫ってきていた。
まるで大きな地震に揺らされた時みたいに、大きく響き渡る音と震動が僕の体をこの場に縛りつけた。
でも、言葉さえ言えないわけではない。
そして向かってくるのが怖いなら、動けなくしてしまえばいい。
だから、こう唱える。
「"縛れ"!」
「…あ、あれっ!?」
昨日の様な錆びた鎖が出てこない。
おじさんは何の問題も無く縛れたのに、何度唱えても鎖以前に鎖を出すための光さえ生じない。
あれだけ使えると思ってた魔法が、使えない…
瞬間、視界が斜め後ろに激しく動いた。
「魔法自体の無力化、いや違うか……もういい継鎖、下がりな!」
「これ以上は邪魔になる。手ぇ出すなよ!」
「待っ…うわぁ!!?」
まるで僕の体が軽いボールになったみたいだった。
襟首がお姉さんに掴まれて視界が急に動いたと思えば、僕は右後ろにある一軒家の屋根へと投げ飛ばされていたのだ。
「!」
「来ぉいっ!引き摺り落としてやんよ!!」
さっきよりも遥かに速く馬が駆ける音は、もう大太鼓なんてものじゃなくてまるで爆発であり何百ものコンクリートの破片が飛び散っていた。
けれどもそんな気迫に怯むことなく、お姉さんは負けじと大声を張りながら両手の斧槍を握りしめて真正面から馬に乗った騎士怪人を迎え討とうとしている。
そんな光景が落ち行く視界の中で流れていて、近くの家の屋根に着地して転んだのと同時に蘭お姉さんと怪人が接触した。
(えっ、一体何が…!)
でも接触した瞬間に、何が起こったかはまるで分からなかった。
怪人は蘭お姉さんの側を通り過ぎたかと思えば、十分に距離を取った後で切り返してから再びお姉さんへと突撃していく。
唯一記憶に残ったのは車同士が正面からぶつかり合った様な金属音であり、あの一瞬では蘭お姉さんの斧槍と騎士怪人の曲剣が一合交わされたであろう事しか分からない。
目でさえ追えなかったその一瞬は即ち、蘭お姉さんに言われた通りこの戦いには僕が出る幕などない事を示していた。
何もできないどころか、お姉さんの邪魔になってしまうかもしれない。
そう思うと、ただ眼下で火花を散らしている戦いを眺めるしかなかった。
十合、二十合、二十五合・・・何度も何度も鳴る凄まじい金属音。
どちらも全く引かない戦いだったけど、段々と形勢が変わり始める。
「はぁ、はぁ・・・クソっ・・・!」
「お姉さん!」
「・・・大丈夫だ!心配すんじゃ、ねえ・・・」
さっきまで気丈だった蘭お姉さんの声が震えていた。
信じたくはないけれど、何の変化もない騎士怪人に比べれば明らかに不利なのはお姉さんだ。
このままだと、お姉さんが負けてしまう。
どれだけ辛いことでも誰かのためならば頑張ってやり遂げる、そんな優しくてかっこよくて尊敬できるお姉さんが僕を守ろうとして怪人に負けてしまう。
本当に、僕にできることは無いのか。
どうしたらあのお姉さんの助けになれるか、それを僕なりに必死に考えないといけない。
(このまま見てばっかりじゃ、お姉さんに守られてばかりじゃいられない・・・!)
僕は魔法少女だけど何でも解決できるヒーローじゃない、だからただ飛び出て体を張るだけでは邪魔になるだけだ。
お姉さんができなくて、僕にはできる事…
それは、魔法だ。
お姉さんみたいに戦い慣れていない僕が持てる、唯一の強み。
魔法さえ発動できれば、あの怪人の動きと共に勢いを止められれば、お姉さんは絶対に勝てる。
(なら次は…どうしたら使えるか)
昨日のおじさんのことも踏まえると、今の騎士怪人も魔法を使えるのだから…さっき使えなかったのは、そんな怪人の魔法のせいだ。
魔法自体を使えなくしてしまう…というのは考えにくい。
お姉さんも僕もほぼ同じ位置で魔法を使ったけど、魔法が使えなかったのは僕だけなのだから。
だとすれば、それこそがヒントなのかもしれない。
お姉さんだけが魔法を使えた条件、それを割り出せれば僕も魔法を使えるだろう。
何かを出す魔法である事は同じ、それに魔法で出すものは同じ金属、僕とお姉さんの違いは…
(魔法を出す距離…?)
お姉さんは手元に武器を出した、けれども僕は騎士怪人の近くに鎖を出そうとした。
もしかすると魔法を使う人と魔法が発動する距離こそが、僕とお姉さんの明確な違いかもしれない。
僕の側に飛んできた瓦礫に対して、魔法を使う。
「…"縛れ"……!」
チャリチャリという音と共に、光から飛び出た鎖が瓦礫を縛り壊した。
最初に決めた通り、これなら最後までお姉さんを助けられる。
眼下で繰り広げられる強烈な一撃の応酬、それはもう少しで四十合に達しようとしていた。
お姉さんの疲れは声ばかりか顔にまで現れている。
もう時間は残り少ない、けれど後は飛び込むだけだ。
何度も何度も騎士怪人の動きを見てきた。最初は目で追えない速さだったけど、今ならば切り返した後の時間からある程度の位置は察せる。
「ラァっ!!……クソっ、何で…!」
またもや一合交わされた。
お姉さんの横を通り過ぎて途轍もないほどの距離を取った騎士怪人は、一度速度を殺すと切り返して再び速度を上げ始める。
「5…」
形を保っていた怪人が、速さを増すごとに黒い帯の様に見えてくる。
「3、2…」
遠くにいるけれども、今の怪人は今や黒く染まった風だ。
たとえ僕の目の前に来たとしても気づけないだろう。
でも、タイミングはわかっている。
「1…」
新幹線の真正面に飛び込むような怖さが今になって湧いてくるけど、もう躊躇う余裕はない。
魔法を唱える準備をして、足を掴み始めた恐怖を振り払うためにも精一杯の力を込めた。
最初で、最後の一歩を踏み出す。
「0!!」
屋根を蹴り上げて、今度は逆に落ちていく。
最初はコンクリート色の道路しか見えなかったけれど…
「ぐうぅっ!……っ!!!」
途轍もない先触れの衝撃波が、空気の波が僕の体を吹き飛ばそうと押し寄せた。
でも鎖とは本来、離れそうなものを繋ぎ止めるためのもの。
「縛れ!!」
魔法を唱えて、すぐ近くの地面に僕の体を縫い止める。
そして次は本命だ、押し寄せる空気の大波の元凶たる黒い風を視界に捉えた。
完全に僕を警戒していない中、急に目の前に飛び出した。
ならば、回避する猶予なんてない。
全身全霊の魔法を放つだけ。
「しばれ!!!!」
思わず目と耳を塞いでしまうほどの轟音。
いつしか聞いた電車の急ブレーキ、あれが何十倍にも大きくなったかの様な金属音が耳をつんざく。
でも、魔法は一切解かなかった。
恐る恐る目を開ければ、そこにいるのは何重にも重ねられた鎖に縛られている騎士怪人。
両腕は巻き込めなかったが、それでも馬と怪人の体を完全に地面へと縛りつけられた。
「お姉さん!今です!!」
「!…そのまま抑えてろ!!」
何かが爆ぜる音と共に、蘭お姉さんが一気に駆け寄ってくる。
馬に乗っているのに動けない怪人と凄まじい速度で接近するお姉さんの二人は、即ち形勢の逆転を意味していた。
あと数歩、お姉さんが踏み込めば斧槍が怪人へと突き刺さる。
怪人が懐から何かを取り出した。
銃と弓をくっつけた様な、ギラリと光る矢を乗せた武器を。
「!?お姉さん!危な…!」
「があっ!?」
その弦が動いたかと思えば、空気が震えた。
さっきまでこちらへと向かっていた筈のお姉さんが、胸に何かを叩きつけられて逆方向に飛ばされている。
ギリギリと弦を引いて矢を番え終えた怪人が、初めて僕の方を見た。
いつの間にか右手の曲剣が鎖を断ち切りながら、僕のすぐ左 に…
(…あ、れ……何が…?)
何も、聞こえない。
目の前にいた筈の怪人がいなくて、何故か蘭お姉さんの服みたいな模様が見える。
背中が何かに支えられている…これは、お姉さんの腕?なら目の前の模様はお姉さん?
「…!!お前…その傷は…!」
「お姉さん…?」
お姉さんが何か言っていて、僕も何か言っている。
なんで、なんで何も聞こえないんだろう?
なんで、お姉さんは悲しそうな顔をしているんだろう?
どんなに辛い事でも、お姉さんは一切表情を変えずに笑顔でこなしちゃう立派な人なのに。
お姉さんが遠ざかっていく。
悲しい顔のままに僕を置いて、怪人がいる向こうに行ってしまう。
あんな顔しないで欲しい、置いて行かないで欲しい……
(待っ て…)
気づけば、僕の左親指に鎖がついていた。
小指の鎖とは違う、錆びていなくてお姉さんの右親指に繋がっている鎖だ。
今まで見えなかったけれど、なぜか今は見えている。
もう何もできないけれど、せめて祈りたい。
お姉さんと離れない様に、蘭お姉さんがさっきまでのカッコいいお姉さんに戻れる様に。
「指切りげんまん」
(ゆびきり、げんまん…)
そう、唱えた。
背後に倒れる幼い魔法少女を庇って、迫り来る重騎兵の怪人を前に立ち塞がる者がいた。
それは大人でさえもそういない恵体を持った騎士の魔法少女 、彼女の名は"筑根人 蘭"。
彼女の得物はハルバードであり、本来ならば"かえし"を使う事で騎兵を馬から引き摺り落とせる特攻の武器だ。
「…もう、逃げられねぇな」
だが、今の今まで彼女がそうする事は出来なかった。
いくら引き摺り落とせるといえども人一人に比べれば遥かに重く大きい重騎兵は正しく恐怖の象徴であり、それ故に彼女は守りを優先してしまっていたのだから。
それに失っていたのは、魔法少女以外の記憶だけではない。
根まで枯れ果てた訳ではないが、"正しき行いを続ける"という信念を貫く為の揺るぎない力と意志さえも失っていたのだから。
故に彼女が迫り来る歩兵の恐怖の象徴へと立ち向かえない事は、至極当然の結果であった。
そんな彼女に、右親指へ巻き付いた鎖を触媒とした小さな魔法が届けられる。
「ゆびきりげんまん」
だが、それはただの魔法ではない。
わずか一日…では無く、その一日だけで共に善行をなして築いた繋がりの証明だ。
それは即ち、一日を通して彼女に与え続けられた善行に対する賞賛でもある。
「…こいつは…!」
(継鎖の声、援護系の魔法か…!?勇気が湧いてきて…)
何の報酬もなく行える善行などたかが知れており、まして誰かのために命を賭けた戦いなど出来るわけがないだろう。
だが何も与えられなかった心に、望み続けていた賞賛が与えられたのならば…
その賞賛を水として、再び揺るぎない力と意志が根から芽生えたのならば…
(ははっ、何も…)
「もう、何も怖くねぇや!!」
彼女が恐れるものなど、何もない。
ただ一度心に決めた善行を貫く強い意志が、今再び戻ってきたのだ。
目の前には音さえも超えた速さで迫り来る重騎兵、それに向かい合う彼女の目に恐怖の曇りなどない。
しかとハルバードを掴んで待ち構える彼女に対し、遂に極限まで速度を乗せた騎兵の曲剣が肉薄する。
だが今度の接近において、先までの金属音は鳴らなかった。
曲剣が、確と彼女の胴へと叩き込まれたのだ。
「…その、程度かぁ…!!」
だがその刃が肉を切り裂く事は出来ず、逆に守りとして使われ無かったハルバードが重騎兵の怪人を釣り上げていた。
乗りに乗った勢いの向きを無理矢理変えて、彼女は怪人を釣り上げられたままに空でぐるりと一回転させ…
「オオォォッラアアッッッ!!!」
爆撃と相違ない轟音と叫びと共に、目の前の地面へと叩きつけた。
その衝撃は如何に重厚な鎧であろうとも防げず、寧ろ鎧はひしゃげる事で中身を潰すだけだ。
そんな怪人に確実なトドメを刺そうと、ハルバードを手放した彼女は腰の剣を抜いて一気に距離を詰める。
同時にギリギリと弦が張り、載せた矢と共に解き放たれんとする音が鳴った。
向かってくる彼女に対し、怪人の持つ切り札である必殺のクロスボウが放たれようとしている。
「芸がねぇなあ!!?」
「それはもう見てんだよ!!」
だがその矢は猫を彷彿とさせる様な横跳びによって躱され、彼女の頬の横を抜けて行った。
此度の矢が胴へ突き刺さる事はなく、空高くに浮かぶ雲に穴を開けるだけだ。
もう、怪人に抵抗する手段は無い。
彼女の構えた剣の切先が、吸い込まれるかの様に鎧の隙間へと向かって行き…
「……これで終わりだ、クソ野郎」
見事、首を刺し貫いた。
噴水の様に溢れ出る血と共に、怪人が鎧と共に黒いチリへと変わって行く。
その光景を前に、彼女はいつもの癖で一つの魔法を唱えた。
「"
その対象は、怪人が持っていたクロスボウ。
全てが黒いチリへとなる中、それだけは形を残しつつ彼女の"武器"となって光に包まれた。
だが、今一番優先すべき事はそれではない。
「…違ぇ!継鎖が先だ!!」
現在の最優先事項は、後ろで意識を失っている魔法少女の安否なのだから。
そうして彼女が振り向くと、そこには魔法少女などいなかった。
「…つぐ、さ…?」
指先からつま先まで、可愛さと美しさを両立した継鎖を想起させるものは何も無かった。
そこにいたのは、ただの…
「シ、男の子…?」
ただの、小学3年生の男の子だった。
急に身体中が痛くなって、思わず目を開く。
(…いたい。……いたい…?)
でも自分で目を開いた…というよりは、ぐっすり眠ってたのに起きてしまった感じだ。
腕とか足を動かそうとすると痛いけれど、何で痛いかがよく分からない。
確か僕は住宅街の中で怪人と戦っていて、剣が迫ってきていて、急に何も聞こえなくなって、それで…
(あれ?じゃあここは…?)
ならば、なぜ僕は道路の上にいないのだろうか。
気になって見回すと僕はとっても大きなベッドの上にいて、周りには勉強机だとかダンベルなんかがあった。
たぶん誰かが住んでいる部屋だと思うけど、誰の部屋かなんてわからないし一緒にいた筈の蘭お姉さんがいない。
そうしてアレコレ悩んでいると、誰かの足音が聞こえた。
「継鎖?起きたのか?」
「蘭お姉さん!…っ!」
「おいおい、まだ無理すんなよ」
少し大きな音と共に扉を開けて姿を現したのは、あの蘭お姉さん。けれども、さっきまでの魔法少女としての格好はしていない。
そんなお姉さんに色々聞きたくて咄嗟に立ちあがろうとしたら、足とか腕が痛くて転んでしまった。
「あ〜…どっから話すか」
「まぁ取り敢えず、例の怪人からな」
転んだ僕をベッドに戻して、お姉さんはこれまで起こったことを話し始める。
怪人はやっつけられたこと、ここはお姉さんの自室で気絶した僕を運び込んだ事、そしてその中でも特に重要だった事は…
「記憶か、もう全部戻ったぞ」
「!本当ですか、やった…!!」
お姉さんの記憶が全て戻った事だろう。
事実として左親指を見ると、そこには完全に元通りになってピンと張る鎖があったのだから。
でも、その途中である事に気がついた。
「……この、鎖は…?」
「ああ、これか…お前が何かしたと思ってたが、違うのか?」
僕の左親指とお姉さんの右親指の間にも、同じ様に鎖が繋がれていたのだ。
どこかで見た覚えがある様な気もするけど、何で繋がっているかが良くわからない。
それに、この鎖だけはお姉さんにも見えている様だった。
僕とお母さんの間で繋がっている鎖は、お母さんに見えなかったのに…
「……まあ、新人なら分からないこともあるよな。今はいいさ」
「それよりも、今後について話そう」
少し悲しくなりそうだったけど、お姉さんが話を切り替えたからか直ぐに悲しい気持ちは無くなった。
真剣な顔をしたお姉さんが、ゆっくりと話し出した。
「お前、この分だと他の魔法少女の記憶も治すんだろ?」
「その事自体が悪いとは言わないが…」
鎖を直さないといけない…または蘭お姉さんみたいに記憶を治すかもしれない魔法少女は、残り二人。
だけど…
「それには、問題がある…分かるか?」
お姉さんは僕のするべき事に、どこか反対しそうな雰囲気で話している。
確かに今日一日は大変だったけど、それでも僕はやり遂げたいのに。
「普通の新人なら契約した使い魔だとか、他の魔法少女に戦い方を教わる筈なんだが、今日の戦いでハッキリわかった」
「お前、新人なのに戦い方を習ってないだろ」
「つまりは…弱過ぎるんだよ、お前は」
「このままだと怪人に殺…やられちまうぞ」
でも、何も言い返せなかった。
実際に僕は、今日の戦いに全くついていけなかったのだから。
お姉さんの言う通り、僕一人だったら負けていたに違いない。
「…ごめんなさい」
思わず謝罪が口から出た。
助けるつもりなのに実際には助けられないとダメなほど弱いのだから、もしかすれば他の魔法少女にも迷惑をかけてしまうかもしれない。
そう思うと、どうすればいいか分からなくなった。
鎖が壊れている魔法少女のお姉さん達は苦しんでいる、けれども僕はお姉さん達を助けられるほど強くは無くて…
そうして頭の中がグルグルして結論を出せないでいると、お姉さんは少し笑顔になって話を続けた。
「まあ、待て。話はまだ終わってない」
「だから、俺がお前に協力するんだろ」
「……えっ?」
「俺だって、誰かを助けたい気持ちは一緒だ。だから、お前のやる事を助けたい」
少し、いやとてもビックリした。
確かに蘭お姉さんが良い事を率先してやる人だとは分かっていたけど、まさかここまで助けてくれるだなんて思わなかったから。
「それにこの役目は、お前みたいな小さい子供には過酷すぎるだろ」
「お前の住む所は確か、ここからかなり遠かったはずだ。…遠く離れた場所から俺を探しにくるのは、本当に大変だったろう?」
「しかも、それで探し当てた相手は記憶喪失だ…そんなのは、ハッキリ言って俺でも骨が折れる」
「だから……あまり、無茶するなよ。お前一人で抱え込まなくていいんだ。お姉さんに頼って良いんだよ」
「……らん、おねえさん…!」
何でか、急に涙が出てきた。
泣いちゃダメなのに、お姉さんを心配させちゃダメなのに、どうしても止まらない。
それどころか喉が震えて、しゃっくりみたいに息が落ち着かない。
お姉さんはゆっくり歩いてきて、そんな僕をそっと抱きしめてくれた。
「僕…僕…っ!!」
「それで良い、泣いて良いんだよ。辛い時は俺に頼っていいんだ」
お姉さんに抱きしめられると…少し懐かしい安心感が止めどなく湧いてくる、
お母さんにギュッとされて慰められていた時みたいに、ただ泣いても良いんだって、辛い事を吐き出していんだって。
「変なおじさんに、襲われて…っ!とっても怖くって、でも魔法少女になって…」
「うん、うん…」
「その時に、お姉さん達を見つけて…絶対に大切なものを取り戻してあげないとって、思って…」
「でも、誰にも頼れなくて……!どれだけ辛くても、僕が一人でやらなきゃいけないんだって…!!」
もう、止まらなかった。
今まで誰にも言えなかった事が、我慢仕切れなくて一気に心から溢れ出てしまう。
でも蘭お姉さんは怒ったり困ったりしないで、ただ抱き締めてゆっくり背中を摩ってくれるだけだった。
吐き出し切って、それでも涙が止まらない。
でも、段々と、眠くなってきた…
「それで、…そ れ で………」
ここは、お姉さんの家だからねたりしちゃ、いけない、のに…
「………おかあさん、も…………」
もう、ダメだ。
「おやすみ、継鎖。好きなだけ休めよ」
さい後に見えたのは、おかあさんみたいな優しいえがお……
怪人"カタフラクト"
分離可能な人型の部位と馬の部位を持ち、その全てを覆う様な鎧をつけている重騎兵に酷似した怪人。
怪人の基本的な性質に則って魔法少女を優先的に狙うが、攻撃を仕掛ける前に曲剣を振り上げて姿を晒す事を好む。
加えて使用する"魔法"も遠距離からの攻撃を弾くものだが、決して正々堂々とした騎士精神を持つ訳でない。
結局の所その本命は右手の曲剣を十分に警戒させた後の、隠していたクロスボウによる強烈な不意打ちであるのだから。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。