ζ(Zeta)   作:AllZ:M

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暴れ廻る驚天動地

 

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球体暴竜──アンの不完全顕現。

其れによって、上色見神宮の静域は、因果の糸が複雑に絡み合う混迷の極致へと叩き落とされた。

 

本来、このアンという個体は、「彼れ」が伊藤の観測を監視し、誘導するために送り込んだ目付け役の筈。

高次存在の意志を現世に繋ぎ止めるための、冷徹な監視装置。

其れこそが、(ふぁろ)で伊藤が断片的に紡いだ、彼への解釈。

 

順当に考えれば、伊藤を見限って「彼れ」の直接的な手足となったスキュラと歩調を合わせ、この場にいる脆弱なものどもを蹂躙し、排除する側に回っていても何ら不可思議ではない。

 

だが、現実はその予測を裏切った。

 

アンの巨大な――全長にして約二十数メートル程の巨躯は、明らかに那や伊藤、そして凱らを守護する立ち位置を維持し、スキュラの突進を阻むようにその歩を進め始めたのだ。

甲羅に聳える茶銀の鱗が重厚な擦れ音を立て、地面の石畳を粉砕しながら、アンはスキュラの猛威の前に立ちはだかる。

 

「…な、なんで…アンちゃんが…っ?私の言葉は、もう届かないはずなのに…っ」

伊藤は、未だ眼前の事実を呑み込み切れていない。

腰を抜かしたまま、土を掴む指先を震わせ、自分の定義したはずの怪獣(けだのもの)が、自分の預かり知らぬ意志で動いている様を呆然と見つめていた。

 

然して、伊藤の頭に浮かぶのは、何よりも、那の行為である。

彼は、伊藤と同じ曼荼羅の筆跡を描き切り、終いには実体そのものを、不完全ながらも現世界に『あらわれ』させてしまった。

アンの肉体の輪郭は、依然ながら不安定な摩擦(グリッヂ)が漂っていたが――其れでも。

彼――砂座間 那(さざまの ふゆ)が、客神(まろうど)の産物を卸した事実を、ひたすらに反芻している。

 

「…此れは、あくまで私の推察なのですが」

那は、いまだ激痛を伴い、熱い鮮血が絶え間なく垂れ続ける右の人差しの指を、もう片方の掌で力任せにさすりながら、掠れた声で呟き始めた。

「…スキュラが、其の自由意志によって、貴方の…伊藤さんの管理下から外れた。…其れは、高次存在の、ζの直接的な介入があったからだ」

那は、痛みを堪えるために奥歯を噛み締め、呼吸を整える。

「…然して、『彼れ』が伊藤さんという媒介を、不確実な不純物として取り除いたとしたなら」

「……っ」

「…同じ条件にあるアンも、自分の意志による選択で、『彼れ』の…ζの命から外れたのだとしたら」

「…っ!」

伊藤が息を呑む。

其れは、高次存在から自立した「個」としての覚醒を意味していた。

神の操り人形であることを辞め、一匹の生命として。

此の場で誰を、何を、守るべきか。

 

アンは其の答えを、自らの内側から導き出したということなのか。

 

スキュラが激昂とも捉れる、内臓を掻き毟るような濁声を上げ、本格的な突貫を開始した。

軟体動物の粘膜に覆われた頭蓋を、地響きと共に激しく震わせる。

頭部付近に付随した無数の触腕が、獲物を狙う蛇のように鎌首をもたげ、標的であるアンに向かって、その先端を鋭く突き刺さんと伸長した。

 

対するアンは依然として、低く構えた姿勢を崩さない。

背部の幾層にも重なった棘を、左右に小刻みに、高速で震わせ始める。

その振動は空気の密度を強制的に変容させ、猛々しい叫びを幾度となく戦場に放つ。

 

「わわっ、棘がビクビクしてやがる…ッ!」

オクヤスが、怯みを見せながら指を指した。

「所謂、威嚇ですか…?伊藤さん」

「…た、単なる威嚇じゃっ、ない…っ」

「自らの周囲の空間を、現世の物理定数と同調させて…っ、独自の怪波(おんぱ)によって、自己領域を確固とさせている、のっ…!」

スキュラの湿り気を帯びた軟体の腕が、アンの頭蓋を正面から捉えんとした――其の時であった。

 

二体の怪獣の境界線において、明確な視界の歪曲が発生した。

 

光が屈折し、背後の杉林が万華鏡のように捩れる。

接触した一点――本来ならばアンの皮膚を貫くはずだったスキュラの触腕が、見えない壁に衝突したかのように「跳弾」し、激しく跳ね返された。

 

其れだけではなかった。

「…捻れている」

那がつぶやく。

反動で勢いを失ったスキュラの触手の一部が、アンの背後の棘が渦巻き出したエルゴ領域へと引き摺り込まれている。

 

アンの甲羅の突出点が、ぎりぎり、と、金属同士を極限の圧力で擦り合わせるような金切り音を上げた。

空間の捩れが極限に達し、物理的な限界を超えた負荷がスキュラの肉体を襲い――其の時。

ぐじゅり、という、肉と粘膜が強引に引き千切られる、厭な音が響く。

 

アンはその場から動くことなく、ただ空間の歪みを操作するだけで、スキュラの太い触腕自体を根本から無慈悲に捻じ切ってしまったのだ。

 

断面から溢れ出すのは、緑黄色の色を帯びた、粘性の高い体液。

それが地面に触れると、地を白く焼き、水蒸気を上げてそそくさと蒸発していく。

 

スキュラは、自らの肉体の一部を喪失したことに、この上ない憤慨と、そして微かな動揺を見せた。

 

那は、冷静に状況を見据えていた。

首に巻き付いた鎖が、先ほどよりもさらに重く、さらに熱く、自らの頚椎に食い込んでいるのを感じている。

 

この戦いは、単なるけだもの同士の縄張り争いではない。

那の流した血と、鎖による不完全な接続。

それが、アンにこの世界での「形」を与えている。

 

均衡は、依然として薄氷の上に立っていたが――。

 

――突如として、アンの肉体が、電子的なノイズを伴う激しい奔流に襲われた。

 

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