---
「…名前を、お伺いしても?」
那は、自らの存在が相手の
「――いと、伊藤、ですっ」
「端的に聞きますが、貴方がやっている事について教えてくれますか?」
那は改まって、訊いた。嫌われることへの
その真摯な眼差しに、伊藤は僅かに視線を揺らし、薄い口元をすぼめた。
彼女は細い掌を絡め、数コンマ秒だけ指先を捏ねくり回す。
その
「――
「……ギリシア文字? …抽出?」
那の声色は僅かに揺らいだ。彼女が指を指したのは、紙に描かれた
ギリシア文字のゼータ、或いはリーマンの
僅かに耳にした、或いは知識の断片として保持していた記号たちが、那の脳内で
其の文字は前者より拝借したものであろうが、彼女の構想としては後者――より高度な
「世界には名前のない現象が、たくさんある。見えるけどっ、説明できない、…関係性。例えば、…あのベンチの木の年輪と、遠くの
伊藤は頭をわしゃわしゃと掻いたあと、那に
「新しい『言葉』が必要なの。新しい…『けだもの』として、概念を定義して、育ててっ、その生態を観察することで、見えてくる『答え』があるはずだって……」
那は目を見開いた。其れは知見と言うよりは、情報量の暴力に
「
彼女は、那をまっすぐ見た。その目は狂気というよりは、深遠な純粋さに満ちている。
「そして昨夜の、ゼータ…外部からの『問い』は、この系に、新しい振る舞いを、……誘発したの。だから、私はここに来たっ……この『問い』の、発生源を…記録しにっ」
那は、自分が非常に奇妙な会話の
しかし、同時に、久しぶりに身体の奥底から
──
伊藤の言葉は難解で、その探求が現実のものかどうかも疑わしい。
何より先述の、「絵を描き」其れを「縛り付け」て「シミュレーションする」というプロセスを、創作の一端だと認識していた先程までの心構えでは、到底処理しきれない
しかしそこには、確固たる「内側の論理」があった。
那が長年避けてきた、他者への深い関与の危険性をはらみながらも、この女性の内面世界は、ある種の美しさ――複雑系の数学が持つ、抽象的な美しさを湛えているように思えた。
彼女の中では、あの「カメーバ」も「アン」と呼ばれたものも、単なる妄想の産物ではない。
この不安定な世界を繋ぎ止めるための、血の通った
那は、自分を拒絶するかもしれない恐怖を横に退け、より深く、この「
「……その、探し求めている『問い』の発生源。それは、あの地震…微小な
那の問いかけに、伊藤は一瞬だけ
嫌われることを恐れていたはずの那の指先が、今は無意識に、彼女の描く「
---