ζ(Zeta)   作:AllZ:M

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呉爾羅組曲(ゴジラ・スイート) 謀議(ぼうぎ) 鎮圧要項:爾霞夢(さぎすのうた) (まだみぬ未来へと)

 

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呉爾羅の進路は、依然として槻御輿村の南方、その基底現実が最も脆弱な一点――上色見神宮へと向かっていた。

凱の駆るセダン車は、先の準破局的噴火とそれに伴う直下型地震によって網目状に亀裂が走り、物理的平滑性を喪失したがたがたと揺れ動く車道を、サスペンションの悲鳴と共に走り続けている。

 

那は以前とは異なり、自ら後部座席からの注視を凱に申し出た。

助手席には、情報の結節点である伊藤が座り、窓外に流れる、燃え盛る山々を、その瞳で見据えている。

 

「…其処に居て、何かウマい事象でもあるわけか」

凱は、前方不注視を避けながらも、助手席の伊藤とバックミラー越しに映る那の間で交わされるであろう論理の構築を、すらすらと綴り始めた。

「上色見神宮が、第零次元に一番近い座標だとするなら…其処が、現世という系の連続性を『崩す』のに恰好の場所ってこったな」

「お、恐らくは…っ」

伊藤は、眼前に広がる非現実的な赤熱した地平を注視したいという強迫的な欲求に駆られ、身を乗り出そうとした。

「おっとっと、ベルトだけは絶対外すなよ。法の執行者の前でな」

凱が制止すると、伊藤は僅かに「あっ」と声を漏らし、亀のように首を縮めて座席の奥へと収まった。

 

後部座席からは、がさごそと資材を漁る無機質な音が聞こえる。

金属とプラスチックが擦れる微小な摩擦音。

「伊藤さん!」

オクヤスが座席の隙間から、自らの腕を突き出した。其の手には、光学レンズの周囲に埃を纏った古びた双眼鏡が握られていた。

 

「此れなら、あの大怪獣も見易いんじゃないかって…」

「あ、ありがとう…っ、お、オク…君っ」

「お、オク君…っ? ま、まさか…」

後部座席で、オクヤスの精神構造に何かしらへの過剰な期待が急速に充填されていく。

 

「あ、渾名ッ!? 伊藤さんが、僕を渾名で…ッ!?」

驚愕に近い高揚を隠せず、オクヤスは身を乗り出して訊き返した。

「え、ええと…」

「ばーか、オクヤス。普通に名前を疎覚えだっただけだろうて」

凱が即座に、冷徹な分析を投げかける。

伊藤が困惑した表情を浮かべていたのが、その評の正しさを証明していた。

 

「だはーっ…」

頭を抱え、先程の伊藤と同じように座席に項垂れるオクヤス。

 

那はその滑稽な光景に視線を向けていたが、突如として大気の振動周波数が変化したことに気付く。

 

翔く音が、鼓膜ではなく頭蓋の深奥に響く。

其れは、蟲の羽撃きがもたらす物理的な干渉。

 

「凱さんっ、避けてっ!」

「はあっ!?だ、ああ…っ!!」

その瞬間、セダン車の進行方向正面より、先の鉄の蛾の群体が、高度を極限まで下げた低空飛行で突進してきた。

凱は反射的にステアリングを回し、タイヤが路面の亀裂を跳ね飛ばしながら、からがらで衝突を回避する。

 

「こんん…の、(はべ)()がッ!」

凱が窓を開け、背後の空域に向かって怒声を浴びせる。

 

那はリアガラスに張り付き、去りゆく群体の動態を注視した。

蛾の群れは、空中で急角度の弧を描くと、其の進路を呉爾羅の侵攻方向へと再編し、高速で消え去った。

「ガチで侍蛾(はべりが)なのかよ…」

オクヤスが、呆気に取られた顔で呟きを漏らす。

 

那は、芹沢が残した縁記残録の血の曼荼羅の写しに記されていた、蛾の大群に関する記述を反芻していた。

「…あの蛾は、曼荼羅を護っていた。防御機能の一端なのかも」

「だ、だから…呉爾羅に仕えるために、上色見神宮に向かったのかも、しれない…っ」

伊藤が、自らの脳内にある記述を上書きするように言葉を続ける。

 

「彼らの名前を、仮に…『最珠(モス)』と定義します……っ、その、最珠は…っ、呉爾羅の、爾来遡行のプロセスにおける、調整装置として機能するはず…っ」

「まるで眷属というより、自動制御装置だな」

凱も口を出す。

概念生物という定義の下では生命に分類されるのだろうが、伊藤が提示するそのプロセスは、冷酷なまでに無機質であった。

「…それで、だ。此処からどう動く? 策があると言ったのは、伊藤さん、アンタ自身だぞ」

凱は、加速する車体と共に、核心的な問いを投げかけた。

「先ず、私達が派出所の血の曼荼羅を離れ、彼処──上色見神宮に先回りしようとしているのには、明確な理由があります…っ」

伊藤の声が、車内の振動を縫って響く。

「理由がなきゃ、こんな不正規な車出しはしないさね」

凱の茶化しが、極限まで張り詰めた車内の酸素濃度を僅かに正常値へと戻す。

 

「先ず、那くんの描いた血の曼荼羅に、足りなかった記述を…私が、加筆して…っ、アンちゃんを呼び出した後…っ、私が『カメーバ君』のアクセス権を、呉爾羅側から奪い取って、此方に寄せて…っ、それから、顕現させる…っ」

「だあ…?」

オクヤスが、再び間の抜けた音を漏らした。

「そ、それって、那さんのアンと同じ事を、伊藤さんがやるってことですか?」

「…あの時、那くんは咄嗟に、此の鎖を…首に、巻いた。然して、不完全な数理モデルだったけど…っ、顕現の定着には、成功したの」

那は、その言葉を聞きながら、未だ自らの首に巻かれた鎖を、一方の末端から引き抜き、手元へと手繰り寄せた。

冷たい金属の質感が、掌に現実感を呼び戻す。

 

「だから、此の鎖は…っ、高次情報を物質化させるための、増幅回路としての素養を、持っているんだと思う…っ」

「アクセス権を此方に寄せる、というのはどういう理屈ですか?」

那が質問すると、意外にも次に口を開いたのは凱であった。

「あの巨大なイカ猪…スキュラだったか。アレは伊藤さんと呉爾羅の精神的接続が断絶してからは、完全に呉爾羅の記述の一部として機能していただろう」

「え、ええ…っ、そう、ですね…っ、あの子、制御不能の暴れん坊さん、だったから…っ」

「つまり、那に応えたアンを此方の戦力として固定し、さらにカメーバもこちら側へ再定義して、呉爾羅とぶつける、と」

伊藤は一瞬、言葉を噤む。

暫くの沈黙ののち、意を決して凱へと向き直った。

 

「カメーバ君は…っ、もう時間の遡行によって機能が摩耗した、御老体だから…っ、正直、アンちゃんのような能動的な戦闘行動は出来ない…っ」

「なら、何故呼び出す必要がある?」

「其れは…っ、彼が、この世界の座標を固定するための『羅針盤』だから…っ」

伊藤は再び、脇に抱えていた二本の重厚な鎖に手を伸ばした。

「此の鎖を使って、私の、私達の『とっておき』を…っ、試すの…っ」

「とっておき…?」

那の脳内で、情報の断片が高速で結合を始める。

 

「こ、此れは独自の理論で…っ、縁記残録の内容とも、また違う解釈になるかも知れないけど…っ」

三本の鎖、羅針盤たるカメーバ、そして精兵のアン。これらを用いて行う、あの大質量への突貫。

「…私が、第零次元…上色見神宮に初めて接触した時…っ、呉爾羅の知覚野の中に…っ、ある、未来の記述が、見えたの…っ」

「其れは、何だ」

凱が訊くと、伊藤は即答した。

 

「鎖が、長く長く、虚空へと伸びて…っ、彼れを、其の存在そのものを、縛り付ける、其の姿…っ」

車内の空気が、驚愕によって一瞬で凍結した。

 

「或る種の、確定した未来予知だったのかも、知れない。けれど…っ、其のヴィジョンが、少なくとも…っ、私の記述の片隅に、ずっと、消えずにあった…っ」

「ちょい待て。此の数十センチの鉄の塊が、あの大質量を縛り付ける程に…伸びるのか?」

凱は思わず、物理的な限界を口にした。

 

「凱さん」

オクヤスが、後部座席から低い声で呼びかける。

「何だ、オクヤス」

「僕ら、此れまでに怪獣だの、乾かない血の曼荼羅だの、浮世離れしたものを見てきたんだ。今更、鎖が数百メートル先まで伸びたって、驚くには当たらないですよ」

凱の表情が、僅かに引き攣った。

「だー、はいはいはい!論点を間違えたな、俺が!」

半ば自棄糞気味にハンドルを叩き、凱は認めた。

「那さんの血で顕れた怪獣の方が、よっぽどとんでもないですよ!」

オクヤスがひひっ、と笑う姿を見て、那も僅かな、しかし確かな苦笑を浮かべていた。

 

「…それで、其の鎖で…確実に、呉爾羅を停止させられるのかな」

那が、確認するように訊く。

「其れを完遂する為には…っ、カメーバ君を基点にして、此の槻御輿村の位相を、完璧に『固定された閉鎖系』に仕立てあげなきゃならない…っ、アンちゃんがカメーバ君を護りながら、呉爾羅の注意を此方に引き付けている内に…っ、私達は派出所の血の曼荼羅に、戻る…っ」

「待て、俺の運転がさあ、大忙しじゃないか…ッ!?」

凱が間の抜けた声を上げるが、伊藤はもはや狼狽える事すらせず、その理知的な、しかし狂気に裏打ちされたプランを完結させる。

 

「其処で、此の鎖を、曼荼羅の記述の中心に……『撃ち込む』のっ」

──曼荼羅に、撃ち込む。

其の言葉を聞いた瞬間、那の背筋を激しい戦慄が駆け抜けた。

 

「其れで、鎖という概念を完全に現世へ定着させて…っ、呉爾羅を、『自己言及のパラドックス』による論理的なフリーズ…凍結状態に、追い込む事が…出来るっ」

 

車窓の向こう、凡そ十数キロ先。

 

其処には、大地の構造を破壊しながら、鈍く重い鳴動の足音を携えて侵攻を続ける、呉爾羅の巨躯が在った。

 

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