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「…那くん…っ、那くんっ!」
「砂座間さん!」
聞き馴染みのある彼ら、彼女らの声の輪郭が、鼓膜を通じて脳へと再介入してくる。
その物理的な刺激に伴い、那の意識は緩やかに現世の座標系へと引き戻されていった。
第零次元の残光が網膜の裏から消失していく過程で、未だに背部に残留するあの鈍痛──数百年前の大戸村で民衆に突き飛ばされた、あの物理的衝撃の不条理な残滓を明確に感知しながら、那は泥濘の地表からゆっくりと上半身を起こした。
──其の時である。
べろり、と、生暖かみのある粘着質な物体が、那の側頭部へと直接押し当てられた。
「…っ、あ…!?」
急激な触覚情報の流入に、那の喉元から思わず間の抜けた声が漏れる。
反射的に上半身を反転させた瞬間、那はその眼を限界まで見開いた。
四脚の、騎士の如き冷徹な輪郭が、其処に在る。
紛れもない、
那の血によって修復された曼荼羅が、神宮の崩落した石段の最下層において完全な受容体を形成した結果、その存在確率は、紛れなき現世の質量を伴って定着していた。
無数の鋭利な突起に覆われた頑強な甲殻、固定された数理項としての棘の幾何学的配列、そして地殻を正確に捉える強靭な四肢。
生物的な有機性と、高次の数理モデルが完全な均衡を以て融合した特異な形態が、そこに確固たる事実として実在していた。
其の背後を見て、更に那は驚愕した。
十字架の如き不規則な甲羅の隆起を背負う、老いた亀である
其の巨躯は、周囲の空間座標を現世の物理定数へと強制的に緊縛する役割を果たしており、彼がそこに座すだけで、空間の液状化プロセスが一時的に無効化されていた。
大地の基底が、ただその質量によって水平へと縫い留められている。
アンは、其の漆黒の視線を那にくばせると、那の認識を確かめるように、いまいちど那の頭を、其の舌で優しく撫で伏せた。
高次存在が提示する、観測者への明確な同調の証明。
「あ、アンちゃん…っが…っ、完全に、固定された…っ!」
伊藤が、今までにない嬉々とした表情と声色を漏らし、那の元へと足早に走る。
彼女の指先は、先ほどの再記述の代償として、未だ泥と自らの鮮血で汚れていたが、その瞳に宿る知的な狂気は、一つの不完全であった数理モデルが完全な物質等実証を得たことへの歓喜によって、より一層純度の高いものへと書き換わっている。
那の元へと駆け寄った伊藤は、其の場の泥濘に躊躇なく両膝をつき、那の掌を強く握りしめた。
「やった…っ、やったやったやった…っ!やったよっ…!!」
燦々と瞳を輝かせる彼女の、朱色に染まった目尻を正面から見据えて、那は極限状態の緊迫から解放されたように、思わず笑みを溢す。
重ね合わされた掌の中で、伊藤の泥濘と指先の血液が、那の皮膚の水分と混じり合いながら、現世の確かな熱を帯びていく。
その熱量こそが、此処が第零次元の空白ではなく、記述されるべき現実の地平であることの証左であった。
「…気にいられたみたいですよ」
オクヤスが、双眼鏡の筒身を握った手の先で、アンの方を指差してほくそ笑む。
一方の凱も、過酷な駆動に耐え抜いたセダン車のボンネットに腰を落とし、屈屈のない微笑を浮かべながら、其の光景を穏やかな表情で眺めていた。
因果を構成する四人の座標が、神宮の崩落地において、一時的な調和を形成している。
「…でも、此処からです」
那は立ち上がり、伊藤らの顔を順に見据えた。
「…信じられないかも知れないですが…私は、カメーバに触れた時──第零次元の核心に触れたんです」
「第零次元…っ、ふ、那くんが…っ」
伊藤は疑問符を付けた声で、呟く。
「…其の時に、芹沢さんに会った。槻御輿縁記残録を書き、鎖を紡いだ…彼に」
那の言葉は、確固たる歴史的記述として神宮の静寂へと撃ち込まれた。
「伊藤さん」
那は再び、伊藤に向き直る。
「貴女の極致は、彼の望んだ墨付きのものです。……必ず、成功させましょう」
伊藤は那の言葉を咀嚼し、小さく、しかし断固とした肯定の意思として、その頭部を縦に振った。
「…うん…っ!」
瞬時、地鳴りが木霊する。
上色見神宮付近の位相を、直接にして掻き回すかのように、ぐちゃぐちゃとしたグリッヂが、周囲へと齎される。
空間の輪郭線が不連続にブレ、色彩の階調が粗いノイズのように反転を繰り返す。
アンが、背後のカメーバを甲羅で庇うようにしながら、警戒の咆哮を漏らした。
─遂に、来た。
「…
伊藤が叫んだ瞬間――大地が鳴動し、激しい揺れが場を支配した。
針葉樹の遥か向こう、其の大質量と激しい放熱による森林火災を引き連れて。
此の世界に再び存在しようとする、紛れもなき『ゴジラ』の肉体が、其処に迫っている。
歩行の一歩ごとに、槻御輿村を構成する『
彼れは、自らを消去しようとした全ての歴史を喰らい尽くすべく、その
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