---
産声を上げるが如き、あるいは空間そのものを巨刃で切り裂く斬撃の如き、金属質の高周波を孕んだ狂暴なる咆哮が、槻御輿村の全域へと轟き渡った。
其の絶叫は、現世の音響物理学における如何なるデシベル数をも超越しており、大気そのものを不連続な細片へと破砕しながら、空間の座標系を激しく振動させていく。
三色の光が織り成す幾何学的な緊縛は、呉爾羅の二百五十メートルを超える超大質量に対し、局所的な重力制御の完全な失効を強制した。
地殻に土着していたはずの呉爾羅の巨大な両足が、作用反作用の公理を無視して泥濘から離れ、中空へと不自然に浮揚を開始する。
呉爾羅は、自らの全体意識を縛り上げるその絶対的な因果の鎖をせんと、残された全出力を以て激しく肉体を悶えさせた。
口腔の奥からは、なおも『ちぇれんこふ』の青白い光条が漏れ出そうとする。
然しながら、三頭の
首の一対が、呉爾羅の喉許へと迫り、其の口腔を発光させた。
一本の紅の光線が背鰭の励起を剪断し、一本の紺碧が体内代謝を完全凍結せんと深部へ浸透する。
残る黄金の一頭の鎖の頭部が、青白い光の源泉たる呉爾羅の喉許へと深く喰らいつく。
高次元の情報圧が衝突し、接合面から可視光線のスペクトルを外れた強烈な摩擦放射が爆ぜた。
だが、現世への絶対的な回帰の執念に燃える呉爾羅は、未だその駆動を停止してはいなかった。
緊縛の隙間から、超大質量の尾が時空の不連続面を強暴に叩き、幾何学の檻に微細な亀裂を発生させる。
其の抵抗の波形を感知した瞬間、上色見神宮の崩落地より、満身創痍の
高次の脳髄ネットワークを極限まで励起させ、不連続に変調した『怪球』の質量を、呉爾羅の弾む尾の基部へと物理的に衝突させる。
同時に、血の曼荼羅から召喚された
その頑強な両前肢を泥濘へと突き立て、眼力による位相の偏向を呉爾羅の右半身へと集中させ、その物理的自由度を力づくで減衰させていく。
地表に深く土着した楔としての機能が、神宮全域の空間定数を強制的に現世の数理へと同調させ、呉爾羅の抵抗による時空の引き裂きを相殺していく。
三疋の
刹那、浮揚する呉爾羅の背部、骨格の結合部から、全てを覆い尽くすほどの強大なる「翼」の輪郭が、三色の光の結晶体として不連続に顕現した。
其の巨大な翼は、現世の地平に向かって羽ばたくための器官ではない。
其れは、天を遮る巨大な障壁として静かに広がる。
其の瞬間、拘束された呉爾羅の巨躯を内側へと完全に包み込むようにして、優しく、されど絶対的な質量を以て、その肉体を握り締め、閉塞させていく。
---
「―――っっぐ、ああ゛ッ゛、ぎっ、ううッ゛!!」
「――っ、っく、っ、うう゛う゛ッ!!!」
那と伊藤の、魂の全容量を圧搾するような激しい叫びが、松中派出所の特異点において同期し、極限値へと到達した、まさにその瞬間であった。
呉爾羅の演算回路が、『自己言及』を引き起こす。
三頭の鎖の頭部が呉爾羅の巨躯を完全に制圧し、三色の光が上限値の限界を超えて臨界へと達した瞬間――。
現世の時空を歪めていた全ての非対称な数理が、一斉に崩壊した。
那と伊藤の喉元から、自己の存在確率のすべてを吐き出すかのような絶叫が消え去ると同時に、槻御輿村の全域を覆っていたあの不条理な因果の残滓が、破滅的な収束を開始する。
空が、晴れた。
穹を完全に覆い尽くし、不連続な赤色のノイズを放射し続けていた紅のグリッヂが、空間の境界線からガラスの破片のようにして不連続に変調し、剥がれ落ちていく。
現世の物理定数へ記述を強制置換された大気からは、電離したオゾンの異臭が急速に霧散し、近代の科学が規定した本来の窒素と酸素の組成へと、絶対的な速度で再記述されていった。
爾来遡行の最大の物質的実証であった、天を衝くシダの巨木とメタセコイアの鬱蒼たる密林。
其れらの古生代の植物群は、存在の肯定の源泉たる呉爾羅が三色の翼の内部へと完全閉塞されたことにより、この時間軸における生存の正当性を完全に剥奪された。
巨木の葉脈から順に、緑色の色素が不自然なグリッヂを伴って、急速に失われていく。
数億年の時間を強硬に跳び越えて現出していた肉厚な茎や不条理にのたうつ巨根は、現世の時間軸の圧倒的な質量圧に耐え切れず、水分を一瞬にして喪失し、灰白色の塵へと変じていった。
サラサラと、音もなく崩れ去る原始の植物たちの残骸が、槻御輿村の全域に白い雪のごとく降り注ぐ。
その崩落の底から、かつて近代の科学が施したアスファルトの黒い路面、ひしゃげた鉄筋コンクリートの基礎、そして見慣れた村の輪郭が、現世の確たる座標として地表へと急速に再記述され、その姿を現していった。
松中派出所の跡地において、那と伊藤の周囲を埋め尽くしていた数万、数億の古代の船虫の群れもまた、その肉体を構成する情報の記述を維持できず、一斉に灰の粒子となって空気中へと霧散していく。
二人の皮膚を咀嚼していた凄惨な痛覚のインプットが、存在の消滅とともに急速に減衰していく。
那は、いまだ血と泥に塗れた自らの掌の中に、伊藤の細い指先の確かな「熱量」が、現世の実在の証として残されているのを、確かに知覚していた。
温もりの中で、那の意識は、深層へ、深層へと潜りゆく。
---