紅い揺らめきが、焼けるような光が、夜空を
"私"はただ、それを見ていることしか出来ない。
崩れていく家だったモノを見つめる、小さな影があった。
両手を真っ赤に染めた子どもの、いまにも消えてしまいそうな背中だった。
誰かが
お前のおかげだ、と。
誰かが
あなたのせいだ、と。
やがて子どもは走り出した。
何かに追われるように。
あるいは、すべてを振り切るように。
ふわりと揺らぎが広がり、"私"は静かに目を閉じた。
001:入学式前の出会い
S.1204 3.31 WEDNESDAY
鼻に抜けるコーヒーの香りに、ゆっくり目を開けた。
朝日が差し込むカウンター席。客の少ない店内は静かで、時折抑えた話し声と食器の触れ合う音が聞こえてくる。
手にしたカップの中で黒い水面が揺れている。
シエルは小さく息を吐き、まだ細く湯気の立ち昇るカップを一度カウンターに置いた。
側の大きな窓から外を眺めれば、ぽつり、ぽつり、と同じ服を着た少年少女たちが歩いている。進む方向はみな同じだ。
彼らの服に目を向ける。男女の違いはあれど、全て深い緑を基調とした揃いの制服だった。
それに対して――。
シエルは自身の制服に視線を落とす。
彼らと違い、赤を基調としたこの制服は随分と目立つ。店内にも制服を着た人はいるが、同じ色を纏う生徒は一人として見当たらなかった。
まるで、目印のようだ。
再び外を見る。
人の流れは変わらず一つの方向へと向かっていた。
――《トールズ士官学院》。
帝都から30分ほどの距離にある近郊都市《トリスタ》。その地に立つその学院は、《ドライケルス大帝》が創立したとされる由緒正しき名門校だ。
揃いの制服たちが向かう先であり、そしてシエルもまた、そこへ向かう一人だった。
シエルは周りに気付かれないよう、そっとため息を吐いた。
カップの中身は残り少ない。
ぬるくなったコーヒーを一息で飲み干して、席を立った。
「ごちそうさま。美味しかったです」
カウンター向こうの店主に声を掛け、荷物を手に取る。
返ってきた気のいい返事に小さく笑みを浮かべた後、何気なく壁の時計に目を向けた。
時間にはまだ余裕がありそうだ。
宿酒場《キルシェ》の扉を開ければカランと軽やかな音が鳴る。
同時に、柔らかい風が頬を撫でた。ライノの花と、新緑の匂いを乗せた優しい風だった。
シエルは自身の髪を巻き上げた風に鬱陶しそうに眉を寄せた。
乱れた髪を軽く整えて、人の流れの先に目を向けて――
赤い制服の少年と、目が合った。
少年は不思議そうな顔をしていたが、目が合ったことに気付いたのか、気まずそうに頭を下げてくる。
その律義さに、シエルは肩の力を抜いた。
「おはよう。私の顔に何かついてるかな?」
店の入り口から距離を取り、少し近くなった少年に声をかけた。
シエルの着るモノとはデザインが違う、しかし同じ意匠の施された赤い制服。
背には細長い包みを背負い、外にはねた黒髪が風に揺れていた。
目が合った時、意志が強そうに見えた紫の瞳は――今はどこか不安げに揺れている。
シエルは少年が口を開くまでの短い間、あくまで自然体でその出で立ちを観察した。
「――その、すまない。さっき外の店員さんから「今は準備中」って聞いてたからさ。人が出てくると思わなくて、思わず見てしまったんだ」
少年は一瞬、シエルの奥へと目をやった。つられてその先を見れば、シエルが出てきた店先で掃除をする女性店員の姿があった。
「あー…、なるほどね」
そういえば、そんなことを言っていたっけ。
シエルは昨晩、店主との会話を思い出した。
「毎年この日は新入生で宿泊がいっぱいだから、今だけ宿泊客向けに営業してるって言ってたよ。「食事だけの利用は準備中」ってことじゃないかな」
店に入った時間が遅かったこともあり、他に客のいない店内で食べた夕食中のこと。
カウンター席に座っていたからか、店主が気を使ってくれたのか、思いのほか彼との世間話が盛り上がった。
その時、話の流れでそんなことを聞いた気がする。
シエルの言葉を聞いて、少年は納得したようにひとつ頷いた。
「そうだったんだな。…ということは、君も新入生なのか」
「うん、そうだよ。"赤い制服"を着てるってことは君もそうなんでしょ?」
「! もしかして、何か知ってるのか?」
新入生であることを当てた少年に、シエルは驚くことなく肯定を返す。そして何とはなしに制服の色に触れてみると、想像以上の反応が返ってきた。
その反応を見るに、他とは違う色に不安があったのかもしれない。
今度はシエルが気まずくなる番だ。
「私も詳しく知ってるわけじゃないんだ。ただ、去年までは白と緑の2色だけって聞いてたからさ。赤色は新入生なんだろうなって…」
勘違いさせてゴメンね、と謝れば少年も「自分も早とちりだった」と頬をかいた。
間が悪く、風がやむ。
周りの音が一瞬、遠のいたような気がして、何とも言えない沈黙が二人の間に流れた。
「…えっと、同じ新入生ってことは目的地も同じだよな」
沈黙を破ったのは少年の方だった。
「…まあ、そうなるね」
「せっかくだしさ、学校まで一緒に行かないか?」
誘われて、シエルは考えるようにその目を見た。
瞬きの間にも満たない沈黙を少年に気取られないよう、口角を上げる。
「そうだね。これも何かの縁だろうし、一緒に行こうか」
シエルの答えに安心したように少年は息を吐いた。
ひと際強い風が吹く。
それを合図にしたように、シエルと少年は目的地であるトールズ士官学院に向けて歩き出した。
――ふと、思い出したように少年が言った。
「そういえば自己紹介がまだだったな」
その言葉にシエルは「確かに」と呟いて、お互いの顔を見て笑い合った。
「リィン・シュバルツァーだ」
「シエル・アムゼルだよ。よろしく、リィン」
「ああ。こちらこそよろしくな、シエル」
「じゃあ、リィンはユミルから来たんだね」
目的地であるトールズ士官学院までの一本道。
その道中で、二人の会話は途切れることなく続いていた。
目的地まで最後の坂道を上るだけとなった時、会話は出身の話まで進んでいた。
「ユミルって確か、結構山の方だよね。やっぱり雪とかすごいの?」
「そうだな。今年はそれほどでもなかったけど、ひどい時は郷から出られなくなる時もあるかな」
「それは…かなり大変だね」
「慣れればそうでもないさ」
そう言ってリィンは穏やかに笑う。
シエルは先を促すように相槌を打ちながらわずかに目を細めた。
今日が初対面とは思えないほど、自然体で話しているように見える二人。
周囲には旧知の仲のように見えていたかもしれない。
「っと、悪い。俺ばっかり自分のことを話してるな」
「そうかな? 別に私は気にしないけど」
「それならいいけど……、そういえば、シエルはどこから来たんだ?」
坂道を歩く二人の足音が重なる。
目を向けられたシエルは、少し考えるような素振りの後、わずかに視線を外して答えた。
「私は一応、オルディス…かな」
曖昧なその回答にリィンは首を傾げた。
その反応は予想通りだったのか、シエルは補足のように言葉を続ける。
「あー…、かなり北にはずれたところでね。住所はオルディスなんだけど、一般的なイメージとはかなり違う場所っていうか…」
だから、オルディスって断言するのは気が引けるんだよね、とシエルは小さく笑った。
「へえ…。オルディスと言えば《紺碧の海都》なんて呼び名もあるくらいだし、海のイメージがあるけど…」
「あ、待って」
言葉の続きを紡ごうとしたリィンをシエルが制止した。
シエルはいつの間にか道の脇に寄っていて、リィンにも寄るように言う。
言われるがままにリィンが動いた直後。
滑らかな駆動音と砂利の音を響かせて、坂の上から導力車が近づいてきた。
「……っと」
車体の長い"リムジン"と呼ばれるタイプの導力車は、シエルたちの横を抜けて静かに街へと降りていった。
朝日を反射する磨き上げられた車体を目で追いかけながら、シエルは感心したように息を吐いた。
「すごかったね。結構よさげな導力車だったけど、貴族生徒の送迎かな?」
「あ、ああ。多分そうだろうな」
リィンの歯切れの悪い返事に、シエルは小さく首を傾げた。
「どうかした?」
「いや……今の、よく気付いたなと思ってさ。俺、全然わからなかったから」
言われて、シエルはパチリと目を瞬く。
考えるように目を斜め上へ向け、少しの間を置いて口が開かれた。
「ああ……音、かな」
「音?」
リィンが聞き返す。
「うん。私、結構耳がいいからさ。さっき、坂の上の方から少しだけ音がしてたんだ。砂利を踏む感じの音と、導力の駆動音が混ざったような音がさ」
言葉にしてみると、それほど大したことでもない気がしてくる。
シエルは軽く肩をすくめた。
「まあ、たまたまだよ。風も止んでたし、聞こえやすかっただけ」
「……いや、それでもすごいと思うぞ」
素直に感心したような声に、シエルは小さく笑ってみせた。
「褒めたって何も出ないよ」
「別にそういうつもりじゃないんだけどな」
そんなやり取りをしながら二人は再び歩きだした。
坂道を登り切って、視界が開けるまではすぐだった。
二人を出迎えたのは両脇に校章を掲げる正門。
その奥に建つ、歴史を感じさせる石造りの校舎。
正面から見える範囲には限りがあるが、かなりの敷地があることは容易に想像ができた。
「……ここが」
リィンが小さく呟く。
シエルもまた、その光景を見上げて目を細めた。
《トールズ士官学院》。
これから通うことになる場所を前に、二人はしばし言葉を失っていた。