武門の名家に生まれたある官僚の話 ~ 銀河英雄伝説より   作:五色鍋

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第一章 内戦前の退役パーティー

帝都オーディンの喧騒を遠く離れ、地上車(地上車)は針葉樹の森に囲まれたミュッケンベルガー家の別荘へと到着した。古風な石造りの外観は、銀河帝国が誇る質実剛健な伝統を体現している。

 

車を降りたところで、ちょうど別の車から降りてきた一行と鉢合わせた。ヨアヒムの兄、エーリッヒ・フォン・ミュッケンベルガー大佐の一家である。

 

「兄上、お久しぶりです」

 

ヨアヒムが声をかけると、軍服を隙なく着こなした三十歳のエーリッヒは、弟の顔を見るなり、苦虫を噛み潰したような顔で短く応えた。

 

「……ああ、来たか」

 

それだけ言うと、エーリッヒは足早に玄関へと向かってしまう。かつての父を彷彿とさせる厳格な兄だが、今日の不機嫌さは際立っていた。ヨアヒムは、エーリッヒの妻である義姉マルガレータに歩み寄り、声を潜めた。

 

「義姉上、兄上はどうかなさったのですか? いつにも増して険があるようですが」

「それが……今度の人事で、色々と納得がいかないことがあったようなのですわ。何でも――」

 

義姉が言いかけたとき、玄関先からエーリッヒの鋭い声が響いた。

 

「おい、何を立ち話をしている。早く来い!」

 

促されるまま、ヨアヒムたちは屋敷へと入った。エントランスでは、母である元帥夫人が穏やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。

 

「よく来てくれましたね、ヨアヒム、テレーゼ。ハイディも大きくなって」

 

やがて、別荘の広間にはミュッケンベルガー家の血縁者たちが次々と集結した。

 

パーティーの顔ぶれは、まさに帝国の縮図であった。

ヨアヒム一家と、不機嫌なエーリッヒ大佐の一家。そこには彼の四歳になる息子ゲルハルトと、妻の実家であるシュレーゲル子爵家夫妻の姿もある。さらに、ヨアヒムの妹カロリーネとその夫であるフーゲンベルク伯爵家の嫡子ヴィーラント。テレーゼの両親であるバウムガルト子爵夫妻。そして、元帥夫人の弟であり、ヨアヒムの叔父にあたる退役大将のグートシュタイン男爵。

 

広間には贅を尽くした料理が並び、テレーゼの実家が経営するオーケストラの録音だろうか、格調高いバロック音楽が流れていた。表向きは、長年軍を支えた老雄の引退を祝う和やかな宴である。各テーブルでは、子供たちの成長や、辺境領地での作物の出来、あるいは最近の帝都の流行について会話が弾んでいた。

 

「それで、兄上の不機嫌の理由は何なのですか?」

 

パーティーの中盤、ヨアヒムは再び義姉マルガレータから話の続きを聞くことができた。彼女は溜息をつきながら、夫の心中を代弁した。

 

「ええ。今回の大規模な人事異動で、うちの人は艦隊勤務から外されてしまったのです。新しい配属先は、軍務省の人事局。前線で武勲を立てることこそが軍人の本分だと信じている彼にとっては、事務机に縛り付けられるのは屈辱なのでしょうね」

 

人事局への異動。それは、これからの軍の主流がラインハルト・フォン・ローエングラムの影響下にある者たちへ移り変わる中で、旧勢力を中枢から遠ざける意図が含まれているのかもしれない。ヨアヒムは、財務官僚としての冷静さでその意味を反芻した。兄のプライドは、時代の変化という荒波に飲み込まれようとしていた。

 

宴もたけなわとなり、デザートが配られた頃、主役であるミュッケンベルガー元帥が立ち上がった。その双眸は、現役時代と変わらぬ鋭い光を放っている。

 

「さて、子供たちとご婦人方ははここでゆっくりと楽しむといい。各家の当主諸君、私の書斎でもう少し飲もうではないか。……エーリッヒ、ヨアヒム。お前たちも来い」

 

父の言葉は命令に等しかった。

和やかな空気の中に、一筋の冷たい風が吹き抜けた。ヨアヒムはテレーゼと視線を交わし、黙って席を立った。

 

父がこれから何を語り出すのか。

一族の長として、そして帝国の黄昏を見つめてきた老人として。

ヨアヒムは、自分の中に芽生えた予感を打ち消せないまま、重厚な扉の向こうにある父の書斎へと足を向けた。

 

 

書斎の重厚なマホガニーの扉が閉まると、広間の喧騒は遮断され、代わりに芳醇な葉巻の香りと古い書物の匂いが立ち込めた。

壁一面の書棚には兵法書や歴史書が並び、そこが帝国の軍事的中枢を担ってきた男の牙城であることを物語っている。

 

ミュッケンベルガー元帥は、集まった当主たちに上質なブランデーを自ら勧めた。

 

「皆様、本日は私の退役のために足をお運びいただき、心より感謝申し上げます」

 

父の声は、家族の前で見せる峻厳なそれとは異なり、一族の長、あるいは社交界の重鎮としての礼節を尽くした丁寧なものだった。だが、グラスに琥珀色の液体が満たされても、元帥は乾杯の音頭を取ろうとはしなかった。

 

「さて……乾杯の前に、皆様にどうしてもお伝えしておきたい大事な話がございましてな」

 

室内が静まり返る。ヨアヒムは、傍らに立つ兄エーリッヒの拳が固く握りしめられているのに気づいた。

 

「おそらく、遠からぬうちにこの帝国は二つに割れ、内戦が始まるでしょう。ブラウンシュヴァイク、リッテンハイム両家を中心とする門閥貴族連合と、リヒテンラーデ公、そしてローエングラム侯……。私は、皆様にはこの争いにおいて、どちらの側にもつかず、徹底して中立を貫いていただきたいのです」

 

ヨアヒムは、驚きのあまり呼吸を止めた。

かつて父がラインハルト・フォン・ローエングラムを「金髪の小僧」と呼び、露骨に不快感を示していたのを覚えている。当然、門閥貴族側に立って戦うものだと思っていた。だが、同時に胸の奥で深い安堵が広がった。

 

「……中立、ですかな」

ヨアヒムの妹の夫であるヴィーラントが、困惑した表情で問いかけた。

「元帥閣下、率直に伺いたい。軍の最高幹部を歴任された閣下の眼から見て、この内戦、一体どちらが勝つとお見通しなのですか? ブラウンシュバイク公らの貴族としての伝統と財力、軍事力か、それともローエングラム侯の武力か。……我々が今後どうすべきかは、その一点にかかっていると言っても過言ではありません?」

 

元帥はグラスを揺らし、氷が触れ合う冷ややかな音を響かせた。

 

「それがわからぬからこそ、中立を、と申しておるのです。この戦いは、これまでの帝国の常識が通用しない、混沌としたものになるでしょう。どちらかに賭け、その予測が外れたとき、皆様の家系は断絶の憂き目に遭う。賭けをしないことこそが、今なし得る唯一の最善手なのです」

 

元帥の言葉は重く、しかしどこか突き放したような冷徹さを帯びていた。

 

「……なるほど。閣下ですら断言できぬほど、情勢は混迷しているということですな」

 

伯爵家の嫡子は、納得したというよりは、逃げ場を失ったような表情で深く溜息をついた。

ヨアヒムは、静かに当主たちの表情を観察した。

 

彼らの顔には、一様に悩ましげな、そして暗い思案の影が落ちていた。

貴族社会における「中立」は言葉ほど容易ではない。何世紀にもわたって積み上げられた姻戚関係、家同士の友誼、経済的な貸し借り、そして何より所有する惑星領土の地理的位置。それらすべてが、否応なしにどちらかの陣営への加担を迫ってくる。

 

ふと、自分の義父バウムガルト子爵に目を向けると、彼はどこかぼんやりと壁の絵画を眺めていた。政治的な見識も、戦火を回避する狡猾さも持たぬ善良な芸術愛好家。ヨアヒムは、テレーゼの実家を守るためには、自分が財務省での立場を利用し、裏で手を尽くす必要があることを痛感した。

 

一方で、兄のエーリッヒは明白な不満を顔に出していた。軍人としての名誉を重んじる彼にとって、戦わずして身を潜めるなど、屈辱以外の何物でもないのだろう。

 

「……話は以上です。では、一族の行く末に」

 

元帥の短い発声で、静かな乾杯が行われた。

それからしばらくの間、形式的な近況報告が続いたが、先ほどの重い沈黙を拭い去ることはできなかった。

 

「では、今日はこれで解散としましょう。夜道に気をつけて」

 

元帥の促しで、各々の家路につくことになった。

 

親族たちが退出し、重厚な扉が再び閉じられると、書斎の空気は先ほどまでの社交的な緊張感とは異なる、血の通った、しかし刺すような険悪さに支配された。

 

「……父上、本気なのですか」

 

沈黙を破ったのは長男のエーリッヒ大佐だった。その声は震えていた。怒りと、信じがたいものを見たという困惑が混じり合っている。

 

「門閥貴族の方々にあのような弱腰な提案をなさるとは。我らミュッケンベルガー家が、あのような出自も定かでない若造に恐れをなし、日和見を決め込むというのですか! 帝国軍人の誇りはどこへ行ったのです!」

 

ミュッケンベルガー元帥は、息子の激昂を柳に風と受け流しながら、ゆっくりと椅子に深く腰掛けた。

 

「エーリッヒ、お前はアムリッツァを見たか」 「……記録映像なら、何度となく」 「映像ではわからぬ。あの広大な宇宙で、三千万の敵兵が手玉に取られる戦慄はな」

 

元帥の目は、遠い戦場を見ていた。

「ローエングラム侯は、ただの幸運児ではない。あれは、我ら凡俗が一生をかけて積み上げた戦術理論を、一瞬で過去のものにする天才だ。伝統や秩序という盾が、あの者の前でいかに無力か。わしはそれを思い知らされたのだよ」

 

「だからといって、戦わずして屈せよと仰るのか!」

「戦うべき時と相手を見極めろと言っているのだ。今は、我らのような古い家系が表舞台で踊る時ではない」

 

その時、エーリッヒの顔がさらに赤黒く染まった。彼は何かに気づいたように、父を指差した。

 

「……まさか、今回の人事も父上の差し金ですか。私を最前線の艦隊勤務から引き剥がし、人事局という安全な後方に押し込めたのは、私が内戦に参加するのを物理的に阻止するためだったのですね!」

 

「そうだ。お前を無駄死にさせるわけにはいかん」

 

「侮辱だ!」エーリッヒは叫んだ。「私はミュッケンベルガーの男だ! 事務机に縛り付けられて、家名の没落をただ眺めていろというのか!」

 

一触即発の空気に、それまで沈黙を守っていたヨアヒムが割って入った。

 

「兄上、落ち着いてください」

ヨアヒムは一歩前に出、激昂する兄の肩に手を置いた。

「父上が仰りたいのは、家名の没落を眺めることではありません。没落させないための『楔』になれ、ということでしょう」

 

「……何だと、ヨアヒム」

 

「今、兄上が前線に出てローエングラム侯と戦っても、勝ち目は薄い。そして敗れれば、我が家は反逆者として根絶やしにされる。ですが、兄上が後方で中立を保っていれば、戦後にどちらの陣営が勝とうとも、ミュッケンベルガーの名は残る可能性がある。……これは撤退戦なのです。最も困難で、最も名誉なき、しかし最も重要な戦いなのです」

 

ヨアヒムの言葉には、官僚として培った冷徹な説得力があった。エーリッヒは肩を震わせていたが、やがてその力は抜けていった。

 

「……官僚の理屈だな。吐き気がする」

 

エーリッヒは吐き捨てるように言うと、父を一度も振り返ることなく、足音を荒立てて書斎を出て行った。

 

扉が勢いよく閉まる音が響き、再び静寂が戻った。元帥は力なく息を吐き、机の上のブランデーグラスに手を伸ばした。

 

 

「父上……。失礼ながら、父上がそこまでローエングラム侯を高く評価されているとは思いませんでした。あれほど『金髪の小僧』と忌み嫌っておられたのに」

 

元帥は自嘲気味に口角を上げました。

 

「好き嫌いと、能力を認めるかどうかは別だ。あのような男を敵に回して、感情だけで戦えるほど、宇宙(そら)は甘くない」

 

ヨアヒムは少しの間を置いてから、慎重に言葉を選んで続けました。

 

「父上……。そこまでローエングラム侯を高く、天才とまで評価されるのであれば、いっそ我らもローエングラム侯に与(くみ)するという選択肢はございませんか。中立ではなく、最初から勝ち馬に乗るという道も……」

 

ヨアヒムの問いに、元帥は視線を上げ、試すような光をその瞳に宿した。

 

「ヨアヒム、お前はローエングラム侯が勝つと思うか」

 

「……はい。官僚としての乏しい経験から言わせていただければ、侯が勝つでしょう」

 

ヨアヒムは淀みなく答えた。財務省という、帝国の血流を司る場所に身を置いているからこそ見える景色がある。

 

「私は省内で、惑星領を持つ貴族の方々の実態を嫌というほど見てきました。彼らの多くは、領地の経営すら満足に行えず、財務状況は放漫そのものです。そのような人々が、何万隻もの艦艇を効率的に運用し、一つの組織として軍を動かすことができるとは思えません。対して、帝国軍の正規宇宙艦隊の主力は、すでにローエングラム侯の手にあります」

 

ヨアヒムはさらに言葉を継いだ。

 

「ブラウンシュヴァイク公たちが集める兵力は、数こそ多いでしょう。しかしその中身は、実戦経験の乏しい貴族の私兵の寄せ集めです。組織力、兵站、そして何より指揮官の質。どこをどう計算しても、侯が敗れる要素が見当たらないのです」

 

元帥は、息子の整然とした分析にわずかな驚きを隠さなかった。かつて、ひ弱で運動神経の悪かった次男が、これほどまでに鋭い見識を持つ男に成長していたとは。

 

「……ほう。お前の見識、なかなかのものだな。だがな、ヨアヒム。理屈ではわかっていても、できぬことがあるのが人間だ」

 

元帥は自嘲気味に笑った。

 

「わしは旧体制の中で元帥にまで上り詰めた人間だ。今さら新しい時代に媚びを売るほど、器用ではないのだよ。だいだい、あの小僧が若き元帥として台頭してきた際、わしは事あるごとにその足を引っ張り、冷遇してきた。今さら厚顔無恥にも軍門に降ったところで、あやつがわしを快く迎えるとも思えんし、わしもあやつに膝を屈する自分を許せぬのだ。それにだ、ヨアヒム。肝に銘じておけ」

 

元帥は窓の外の闇を見つめた。

 

「いかに軍事的天才であっても、宮廷という場所には思わぬ落とし穴がある。策謀、嫉妬、背後からの刃……。あの小僧がすべてを勝ち取れるとは限らん。ローエングラム侯がすべてを掌握するとしても、まだ紆余曲折があるだろう。ヨアヒム、お前はあまり表に出すぎるな。自重し、機が熟すのを待つのだ。……わかったな」

 

「……承知いたしました」

 

ヨアヒムは一礼し、書斎を後にした。

父に褒められたのは、これが人生で初めてかもしれない。その事実を噛みしめようとしたが、すぐに現実に引き戻された。

 

廊下には、不安げな表情で夫を待つテレーゼがいた。彼女の顔を見ると、ぼんやりとしていた義父の姿が頭をよぎった。政治的見識のない義父、そして伝統という重荷を背負った兄。彼らをどう守り、どう立ち振る舞うべきか。

 

「ヨアヒム……?」

 

「ああ、帰ろう。少し、考え事が多くなりそうだ」

 

テレーゼの柔らかい手を握りながら、ヨアヒムはこれからの立ち回りの難しさに、鉛を飲み込んだような重い予感を感じていた。

 

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