武門の名家に生まれたある官僚の話 ~ 銀河英雄伝説より   作:五色鍋

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第三章 リップシュタット戦役勃発の夜

帝国暦四八八年四月。ついに、積み上げられた火薬に火が放たれた。

 

深夜、ヨアヒム・フォン・ミュッケンベルガーは、重く地響きのような音で目を覚ました。それは風の音でも、遠雷でもなかった。数千、数万の兵士が整然と行進し、装甲車が舗装路を削る、軍隊特有の不吉な振動だった。

 

「ヨアヒム……、何事ですの?」

 

隣で眠っていたテレーゼも、異様な気配に身を震わせて起き上がった。ヨアヒムは何も答えず、寝室の窓に歩み寄り、厚手のカーテンをわずかに開けた。

 

「……始まったか」

 

窓の外、深夜のオーディンは、軍用車両のサーチライトと、整然と展開する兵士たちのシルエットで埋め尽くされていた。

 

「内戦ですのね」

 

テレーゼの震える声に、ヨアヒムは短く頷いた。

 

「ああ。これだけの規模だ、単なる暴動じゃない。ローエングラム侯が実力行使に出たんだ」

 

ヨアヒムの脳裏に、真っ先に父と兄の顔が浮かんだ。父は郊外の別荘で隠居の身だが、問題は兄だ。軍務省人事局という中枢に籍を置くエーリッヒが、この事態に黙っているはずがない。

 

ヨアヒムは書斎へ急ぎ、通信回線を開いた。父へ連絡する前に、まずは兄の動向を確認せねばならない。あの熱血漢が、抜き身の剣を振りかざしてラインハルトの兵に突撃でもすれば、ミュッケンベルガー家は今夜限りで断絶する。

 

数回の呼び出し音の後、TV電話のスクリーンに軍服姿のエーリッヒが映し出された。彼はすでに身支度を整え、腰にはブラスターを下げていた。

 

『ヨアヒムか。こんな夜中に何の用だ』

 

「兄上、外の様子は見ましたか。今、動くのは無謀です。家で待機してください」

 

エーリッヒは鼻で笑い、画面越しに鋭い視線を投げた。

 

『何を言う。軍務省の方も騒ぎになっているようだ。人事局員として、あるいは帝国軍人として、反逆者の好き勝手にさせるわけにはいかん。私はこれから省へ向かう』

 

「無謀です! 相手は万全の準備を整えている。今行って騒ぎを起こせば、反逆の疑いで拘束されるのが落ちだ。父上の言葉を忘れたのですか。今は中立を保ち、嵐が過ぎるのを待つ時です」

 

ヨアヒムの必死の訴えに、エーリッヒは一瞬、苦々しい表情を浮かべた。しかし、その目は依然として軍人の意地に燃えていた。

 

『……ふん、またお前の得意な官僚的事なかれ主義か。お前のような合理主義者には、誇りという言葉は通じぬようだな』

 

「兄上!ゲルハルトと義姉上のことも考えてください」

 

『くっ…!。わかったよ、ヨアヒム。お前の顔を立てて、今は様子を見てやろう。だが、状況が変われば私は私の信じる道を行く。それだけだ』

 

そう言い捨てると、エーリッヒは一方的に通信を切った。真っ暗になったスクリーンを見つめ、ヨアヒムは深く、重い溜息をついた。

 

「わかった、と言いつつ、あの目は納得していない……」

 

ヨアヒムは通信端末を再操作して、今度は郊外の別荘へ回線を繋いだ。数秒と経たずに、スクリーンには父、ミュッケンベルガー退役元帥の姿が映し出された。

 

『ヨアヒムか。こんな夜中に何の用だ。母さんはもう寝ているぞ』

 

父の声は平穏を装っていたが、その服装は寝間着ではなく、書斎で執務をしていたことを伺わせるものだった。背後の時計は深夜二時を回っている。

 

「父上、夜分に失礼します。帝都中心部の様子が尋常ではありません。多数の兵が動いています。軍務省周辺も封鎖されているかも知れません。……そちらに変わりはありませんか?」

 

父は鼻を鳴らし、画面の向こうで悠然と椅子に背を預けた。

 

「変わりか。そうだな、どこの部隊かは知らんが、軍人が何人か、ご丁寧にこんな郊外まで警戒にやってきているよ。この老いぼれの屋敷の見回りをわざわざしてくれるんだ。ご苦労なことだ」

 

父の言葉には、隠しようのない皮肉が混じっていた。ローエングラム侯は、引退したはずの元宇宙艦隊司令長官の動向すら、一分の隙もなく監視下に置いているということだ。

 

「……監視がついているのですね」

 

「案ずるな、ヨアヒム。彼らは今のところ礼儀正しい。私を刺激して騒ぎを大きくしたくないのだろう。私は変わらず、ここで馬の世話と読書に専念するつもりだ」

 

父の安全と、その冷静な現状認識を確認できたことで、ヨアヒムはわずかに胸をなでおろした。

 

「承知いたしました。兄上にも連絡し、自重するよう伝えてあります。また状況が変わり次第、連絡いたします」

 

「ああ。お前も、官僚としての領分を越えるなよ。今は嵐が通り過ぎるのを待つことだ」

 

通信が切れた後、ヨアヒムは再び窓の外を確認した。サーチライトの光が、オーディンの古い建築物を白々と照らし出している。

 

 

 

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