武門の名家に生まれたある官僚の話 ~ 銀河英雄伝説より   作:五色鍋

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第四章 砂のような昼食

リップシュタット戦役の火蓋が切られてから数か月。戦況は、ヨアヒムの予想を上回る速度でローエングラム侯ラインハルトの圧倒的優位へと傾いていた。

 

キルヒアイス上級大将によってリッテンハイム侯の艦隊は粉砕され、侯自身も部下の反逆によって戦死したという報が帝都に届いた。リップシュタット連合軍の盟主、ブラウンシュヴァイク公もガイエスブルク要塞へと追い詰められ、その敗北はもはや時間の問題となりつつある。

 

幸いにも、兄エーリッヒは今のところ「人事局の机」に留まってくれていた。帝都の平穏が保たれているのは、ローエングラム侯ラインハルトが帝都に残した法と秩序の番人たちの有能さゆえだろう。

 

そんなある日、ヨアヒムは直属の上司である主計局長から、昼食を共にするよう声をかけられた。

 

「ミュッケンベルガー君、たまには外でゆっくり食事でもどうだね。いい店を見つけたんだ」

 

局長の顔には、いつにない愛想の良さが張り付いていた。ヨアヒムの背筋を、嫌な予感が通り抜ける。財務省の官僚が、内戦の最中に部下をわざわざ外食に誘うなど、業務上の話であるはずがなかった。

 

案内されたのは、財務省に近い、会員制の古風なレストランだった。重厚な扉を開け、奥の個室へ通されると、そこには主計局長のほかに、もう一人の人物が座っていた。

 

「……尚書閣下」

 

ヨアヒムは思わず足を止めた。そこにいたのは、財務尚書ゲルラッハ子爵だった。帝国財政の頂点に立つ老練な政治家であり、帝国宰相リヒテンラーデ公の腹心としても知られる人物である。

 

「おお、ミュッケンベルガー君。急に呼んで済まなかったね。まあ、座りなさい」

 

ゲルラッハ子爵は、穏やかな口調でヨアヒムを促した。食事は運ばれてきたが、ヨアヒムにとってそれは砂を噛むような味に違いなかった。

 

「それで、御父上はお元気かな? 元帥が退役されてから、オーディンの社交界も少し寂しくなってね」

 

「恐縮です。父は郊外の別荘で、相変わらず馬の世話に精を出しております」

 

ヨアヒムは、何度も繰り返してきた「公式回答」を述べた。しかし、ゲルラッハはそれだけでは満足しなかった。

 

「宰相リヒテンラーデ公も、元帥のことを大変気にしておられる。帝国がこのような難局にある今、元帥のような経験豊かな重鎮の知恵が必要とされる時が来るかもしれん。……何かあった時は、君からも協力を頼めるかな?」

 

ゲルラッハの細い目が、ヨアヒムを射抜くように見つめた。

その「何か」が何を指すのか、ヨアヒムには痛いほどよくわかった。リップシュタット貴族連合が滅びた後、残る力はローエングラム侯とリヒテンラーデ公の二大勢力になる。リヒテンラーデ派は、ラインハルトを牽制するために、軍部にいまだ隠然たる影響力を持つミュッケンベルガー元帥の威光を利用したいのだ。

 

「……私のような一官僚に、何ができましょうか。父も今はただの私人でございます。閣下のご期待に沿えるかどうか」

 

ヨアヒムは、精一杯の曖昧な笑みを浮かべて答えた。ゲルラッハはそれ以上追及はしなかったが、去り際に「君の将来もかかっているのだからね」と、逃げ道のない釘を刺すことを忘れなかった。

 

食事を終え、財務省の自分のデスクに戻ったヨアヒムは、椅子に深く背を預け、本日何度目かわからない溜息をついた。

 

「……はぁ」

 

その溜息は、静かなオフィスに場違いなほど重く響いた。

 

「ミュッケンベルガーさん、どうかしたんですか? さっきから溜息ばかりついて。顔色が悪いですよ」

 

隣の席の同僚が、怪訝そうな顔で覗き込んできた。周りの事務官たちも、いつも沈着冷静なヨアヒムの異変に、好奇心と不安の混じった視線を送っている。

 

ヨアヒムは、机の上に積み上げられた無機質な予算書類に目を落とした。

キーボードを叩き、数字を合わせるだけの仕事が、いかに幸福であったか。

権力の残照が、沈みゆく帝国の影を長く引き伸ばし、自分の一族を飲み込もうとしている。

 

「いや……少し、食べ過ぎただけだよ」

 

ヨアヒムは嘘をつき、再びキーボードに手を伸ばした。だが、指先は微かに震えていた。

リヒテンラーデ公とローエングラム侯。その二つの巨人の衝突が迫っている。中立を貫くという父の言葉が、日に日に実現困難な呪縛のように、ヨアヒムの肩に重くのしかかっていた。

 

 

その日の夜。帰宅したヨアヒムは、夕食の後の静かな時間に、テレーゼへ昼食の出来事を打ち明けた。ハイディを寝かしつけ、夫婦二人きりになったリビングに、重苦しい空気が漂う。

 

「……ゲルラッハ尚書閣下が、直接あなたに?」

 

テレーゼの顔から血の気が引いていく。子爵家の令嬢として育った彼女にとって、財務尚書という存在がいかに強大な権力を持っているかは、身に染みてわかっていた。

 

「ああ。父上を……ミュッケンベルガーの名を、リヒテンラーデ公の陣営に引き込みたいのだろう。それも、あからさまな懐柔ではなく、私の将来を人質に取るような言い方でね」

 

ヨアヒムは苦そうにブランデーのグラスを傾けた。

 

「大変なことになりましたわ。内戦の行方もまだ見えませんのに、帝都の中でさえそのような争いがあるなんて」

 

「内戦の行方はもう見えている。だが、その後の『取り分』を巡る争いが、今このオーディンで始まっているんだ」

 

ヨアヒムは少し考え込んだ後、テレーゼの目を見て真剣な口調で続けた。

 

「テレーゼ、以前話したお義父上の領地のことだが……。今すぐ長期休暇を取って全員で避難するというのは、あまりに露骨すぎて角が立つ。財務省の連中や、リヒテンラーデ派の監視の目を刺激しかねない」

 

「では、どうすれば……」

 

「準備だけはしておいてくれ。いつでも、明日にも出発できるようにね。私がお義父上の領地へ行くと言い出したら、ハイディを連れてすぐに動けるように。荷物は最小限でいい、金銭的な手配はこちらで済ませてある」

 

テレーゼは夫の言葉の裏にある、抜き差しならない決意を感じ取った。彼女は静かに、しかし力強く頷いた。

 

「わかりましたわ、ヨアヒム。明日から少しずつ、身の回りのものをまとめておきます。お父様にも、何気ないメッセージの中で、近いうちに伺うかもしれないと伝えておきますね」

 

テレーゼは、ふと思いついたように続ける。

 

「お義父上、元帥閣下には連絡なさらなくてよろしいのですか」

 

ヨアヒムは少し考えてから答えた。

 

「……やめておこう。杞憂かもしれないが、この時期に私と父上の間で通信履歴を残すと、すべてが終わった後に問題になるかもしれない」

 

「そうですか……」

 

テレーゼは俯きがちに悲しげな表情を浮かべた。

 

「すまない、テレーゼ。……君にまで、こんな綱渡りをさせることになるとは思わなかった」

 

「いいえ。私はあなたの妻ですもの。ミュッケンベルガーの名を守るのは、あなたの役目。そして、あなたとハイディを守るのが私の役目ですから」

 

妻の気丈な言葉に、ヨアヒムはわずかに微笑んだ。だが、その胸中は依然として晴れない。

 

窓の外では、オーディンの夜が深く沈んでいた。その暗闇の中で、権力の歯車が軋む音が、ヨアヒムには聞こえるような気がした。

 

 

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