武門の名家に生まれたある官僚の話 ~ 銀河英雄伝説より   作:五色鍋

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第八章 財産防衛計画

帝国暦四八九年は、まさに怒涛の如き速さで過ぎ去っていった。

幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐事件に端を発し、亡命貴族らによる「銀河帝国正統政府」の樹立、そして新帝カザリン・ケートヘンの即位。ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵は、これら一連の動乱を逆手に取り、ついに叛乱軍(自由惑星同盟)を根絶すべく「神々の黄昏(ラグナロック)」作戦を発動した。

 

オーディンから遠く離れた戦域で宇宙艦隊が火花を散らす中、ヨアヒム・フォン・ミュッケンベルガーは別の戦場にいた。

 

冬、テレーゼが無事に男児を出産した。産声を聞いた瞬間、ヨアヒムの心は深い充足感に満たされたが、その喜びを噛みしめる暇もなく、彼は再び計算と格闘する日々に戻った。

宰相府が進める「社会経済再建計画」の輪郭が、いよいよ残酷なまでに明確になってきたからだ。

 

新たな税制では、個人の全収入に対して累進所得税が導入される。さらに、固定資産税の扱いは極めて厳格だ。居住実態がない、あるいは何らかの事業に供されていない不動産には、相当な高税率が課されることが判明した。これは、広大な領地を「単なる身分の象徴」として所有し続けてきた貴族階級への、事実上の死刑宣告に等しかった。

 

宰相府は、新法施行後の混乱を抑えるため、計画の概要を公表してはいるが、新法の意図を理解している貴族がどれだけいるか…、ヨアヒムは考えざるを得なかった。

 

ある日、孫の誕生を祝うために別荘を訪れた義父バウムガルト子爵に対し、ヨアヒムは祝辞もそこそこに、持参した分厚い資料をテーブルに広げた。

 

「お義父上、今日はお耳の痛いお話をしなければなりません」

 

「……何かな、ヨアヒム。そんなに怖い顔をして。せっかく孫の顔を見に来たというのに。……ああ、例の新法の話かね。あれは一体どういうことかね」

 

音楽を愛する穏やかな義父は、困ったように眉を下げた。だがヨアヒムの手は止まらない。

 

「それをこれからご説明いたします。義父上にはこれからは、『貴族』としてではなく『オーケストラ経営者』として生きていただく必要があります。まず、これまで家計と境界が曖昧だったオーケストラの会計を完全に切り離し、法人化してください」

 

「法人……? 会社にするというのかね。私の楽団を」

 

「左様です。そうしなければ、楽団の維持費を正当な経費として計上できず、莫大な所得税に飲み込まれます。また、惑星領の土地についても、屋敷とその周辺を除き、すべて法人所有に移します。その上で、余剰地については整理するなり、あるいは開発事業や観光資源化に力を入れなければ、固定資産税だけで領地が収公されてしまうでしょう」

 

ヨアヒムは、圧倒される義父を気遣う余裕すらなかった。

 

「必要であれば、私の学友の会計士や、信頼できる経営顧問を紹介します。お義父上には音楽の総監督として専念していただくためにも、この『構造改革』は避けて通れません」

 

義父は、ヨアヒムが提示したシミュレーションの数字に目を落とし、呆然とした様子で頷くしかなかった。

「……お前がそこまで言うのなら、そうせねばならんのだろうな。ミュッケンベルガーの家系に、これほど商才のある者が現れるとは、先代も驚いているに違いない」

 

ヨアヒムはわずかに苦笑した。

「商才ではありません。生き残るための計算です」

 

産着に包まれた長男を抱くテレーゼの姿を、開いたドアの隙間から見やりながら、ヨアヒムは心に誓った。

ラインハルトが武力で宇宙を統一するなら、自分は数字で家族の居場所を確保してみせる。古い皮袋を捨て、中身の酒を守り抜く。それが、新しい時代の父親としての戦い方なのだと。

 

 

数日後には、長男の誕生を祝うため、ヨアヒムの邸宅に別の親族たちが集まった。兄エーリッヒ夫婦とその義父母である子爵夫妻、そして妹夫婦。広間には赤ん坊を囲む華やかな笑い声が響き、テレーゼも幸せそうに客をもてなしていた。

 

一通りの祝いが済んだ後、ヨアヒムは一同を別室へと促した。そこで彼が口にしたのは、先日テレーゼの父に説いたのと同様の、峻烈な生存戦略であった。

 

「――つまり、ただ領地を『持っている』だけの時代は終わりました。法人化し、事業を興し、利益を上げなければ、資産税だけで家は潰れます」

 

ヨアヒムの説明が終わると、部屋には重苦しい沈黙が流れた。

妹婿であるフーゲンベルク伯爵の嫡子ヴィーラントは、手元の資料をめくりながら静かに頷いた。

「……やはりそうか。内務省の知人からも、身分制の解体に伴う増税の話は聞いていた。私の方はすでに、領内の鉱山資源を基盤にした新会社の設立準備を進めている」

 

対照的だったのは、兄エーリッヒとその義父シュレーゲル子爵である。

「馬鹿な……。中立を貫き、戦火に耐えてようやく復興が始まった領地だぞ。領主でなくなるというだけでも言語道断なのに、それを今度は商人のように切り売りして事業を始めろというのか!」

義父の子爵は顔を赤くして憤慨し、エーリッヒもまた、軍務省人事局での不満をぶつけるように机を叩いた。

「ヨアヒム、お前は冷たすぎるぞ。領民を慈しみ、土地を守るのも貴族の務めではないのか」

 

「兄上、貴族が領主の務めを果たす時代は終わろうとしているのです」

ヨアヒムは冷徹に言い放った。感情に流されれば、共倒れになるだけだ。

 

会合が終わり、客たちが帰路につく際、玄関先でエーリッヒがヨアヒムを呼び止めた。

「ヨアヒム……。さっきの話だがな」

先ほどまでの激昂は消え、兄の顔にはどこか憑き物が落ちたような、寂しげな色が浮かんでいた。

「義父上の領地で、お前の言うような事業を興さねばならんというのなら……。俺は、軍を退役して手伝ったほうがいいかもしれん。軍務省で書類の山を呪っているよりは、まだ義父上の力になれるだろう」

 

「兄上が、軍を……?」

ヨアヒムは絶句した。あれほどミュッケンベルガーの軍人であることに固執していた兄が、自らその道を捨てようとしている。

 

「どうした、官僚のお前にも予想外か?」

エーリッヒは自嘲気味に笑い、夜の闇へと消えていった。

 

ヨアヒムは、去りゆく兄の背中をいつまでも眺めていた。

一族を守るために自分が引いた図面通りに、事態は動き始めた。だが、自分の言葉が兄から「軍服」を脱がせようとしていることに、ヨアヒムは予期せぬ、そして深い寂しさを感じずにはいられなかった。

 

新しい時代の幕開けは、喜びだけでなく、守るべきものの形すらも変えていく。ヨアヒムは寒風の中で、窓から漏れる家族の明かりをじっと見つめていた。

 

 

数日後、ヨアヒム一家は冬の澄んだ空気の中、父ミュッケンベルガー退役元帥が隠居生活を送る郊外の屋敷へと向かった。かつての華やかな官庁街の邸宅とは違い、森に囲まれたその平屋の屋敷は、権力の喧騒から切り離された静謐な空気に包まれていた。

 

「おお、よく来たな。……ほう、これが私の孫か」

 

出迎えた父は、軍服を脱ぎ、厚手のカーディガンを羽織っていた。その手はかつて数百万の将兵を指揮した峻烈さを失い、今はただ、愛おしそうに赤ん坊の頬を撫でる老人のそれであった。母もまた、目を細めてテレーゼをねぎらい、幼いハイディを抱き寄せた。

 

「ヨアヒム。この子の名は、フリッツと名付けよう」

 

父は、かつての皇帝の名ではなく、一族の遠い祖先にいた、質実剛健で知られた先祖の名を選んだ。

「派手な功績はいらん。嵐の時代を、根を張って生き抜く男になれ、という願いだ」

 

「フリッツ……。ありがとうございます、父上。大切に育てます」

 

ヨアヒムは深々と頭を下げた。命名の儀を終え、ヨアヒムと父は書斎に向かった。ヨアヒムは、ここ数週間の間に親族たちと交わした対話、そして兄エーリッヒの退役の決意について、淡々と報告した。

 

父は暖炉の火を見つめたまま、しばらくは何も言わなかった。エーリッヒが軍を去るという話にも、眉ひとつ動かさない。ただ、揺らめく炎がその深い刻まれた皺を照らしていた。

 

「……一族の行く末、エーリッヒの決断。すべて、お前の引いた図面通りというわけか」

 

父は短くそう言うと、視線をヨアヒムへと向けた。その眼光は、老いてもなお鋭く、息子の心の奥底を見透かすようだった。

 

「ヨアヒム。身内の心配ばかりして、官僚としての本分を忘れるなよ」

 

「……本分、でございますか」

 

「そうだ。お前はミュッケンベルガーの息子である前に、帝国の官吏だ。一族を守るための計算が、国を動かす公の理を歪めるようなことがあってはならん。それは、あのローエングラム公が最も嫌うことだろう」

 

父の言葉は、釘を刺すような厳しさを含んでいた。ヨアヒムが一族のために奔走するあまり、ラインハルトが進める「公平な新時代」の理念と衝突し、破滅することを危惧しているのだ。それは、父なりの不器用な愛情であった。

 

「肝に銘じます。私は、公の数字を扱う者として、最後まで誠実であるつもりです」

 

「……ならばよい。」

 

辞去の際、母はテレーゼの手を握り、「困ったことがあったら、いつでもここへいらっしゃいね」と優しく微笑んだ。車に乗り込み、遠ざかっていく屋敷を振り返ると、父は玄関先に立ち、影のように静かにこちらを見送っていた。

 

「父上は、すべてを見抜いておられるようでしたわ」

 

隣でテレーゼが小さく呟いた。ヨアヒムは自動運転の地上車に目的地を入力し、夜の帷が下り始めたオーディンの街へと車を走らせた。

父の警告は重い。だが、一族の安寧と官僚としての誠実さ。その二つを両立させるための複雑な方程式を解くことこそが、自分に課された真の試練なのだと、ヨアヒムは改めて自分に言い聞かせた。

 

バックミラーに映るハイディの寝顔と、テレーゼに抱かれたフリッツの小さな温もり。そのすべてを背負って、ヨアヒムは新しい時代の入り口へと踏み出していった。

 

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