山中。
風に揺れる木々の中に、そこだけ空気が淀んでいる。
建物がある。
外壁は古い。
だが、配線だけが新しい。
入口までの地面は荒れている。
深く刻まれたタイヤ痕が何本も重なり、土が削れたまま乾いている。
出て行った跡。
それも、一度ではない。
扉の前。
電子ロックは焼き切られている。
内側から。
急いだ形跡。
触れる。
金属が鈍く軋み、内側へ沈む。
無理やり閉じたものを、さらに押し潰す感触。
内部。
空気が重い。
湿っている。
薬品と、血と、焦げた匂いが混ざって残っている。
換気が止まっている。
非常灯が点いている。
赤い光が、一定の間隔で瞬く。
その下を進む。
足音が、やけに大きく響く。
床には跡が残っている。
台車の車輪。
引きずられた線。
何かを落とした跡。
途中で、途切れている。
回収しきれなかった。
壁。
抉れた傷。
爪の跡。
内側から叩きつけられた痕。
その上から、雑に塞いだ補修。
パネルの隙間から、乾ききっていない何かが滲んでいる。
通路の端。
倒れた器具。
ガラスが割れている。
中身は空。
ラベルは剥がされ、粘着だけが残っている。
識別を消した跡。
奥へ。
扉は開いたまま。
ロックは解除されている。
閉じる余裕がなかった。
そのまま進む。
広い空間。
並ぶカプセル。
いくつも空になっている。
いくつも割れている。
外側から強引に開けた跡。
中身は、もうない。
床に液体が広がっている。
まだ乾ききっていない。
靴底にわずかに張り付く。
端に、残っている。
いくつかだけ。
歪な肉体。
未完成。
形が安定していない。
統一されていない構造。
反応する。
こちらを認識する。
動こうとする。
その瞬間。
空気が沈む。
床が軋む。
重さが一気に落ちる。
すべてが、その場に縫い付けられる。
筋肉が膨張する。
骨が鳴る。
関節が歪む。
それでも、一切動けない。
完全な停止。
一歩、踏み込む。
視線は向けない。
横を通り過ぎる。
わずかに、床がきしむ。
その圧の中で、さらに沈む。
奥へ。
制御室。
モニターは半分が落ちている。
残りはついたまま。
画面に残るログ。
途中で切れている。
同じ時刻で止まっている。
一斉に。
持ち出しの履歴。
削除の跡。
急いだ形。
必要なものだけ抜かれている。
残りはそのまま。
触れる。
一瞬だけ表示が揺れる。
追加のログが流れる。
断片。
繋がらない。
それで十分。
視線を外す。
振り返る。
残された個体。
まだ固定されたまま。
動けない。
圧はそのまま維持されている。
「........必要ないか」
重さが変わる。
次の瞬間。
全てが潰れる。
骨が砕ける。
肉が押し潰される。
形が崩れる。
音は遅れて、鈍く響く。
それもすぐに消える。
残るのは、潰れた塊。
動くものはない。
静かになる。
さっきまでの“痕跡”だけが残る。
視線を戻す。
もう見るものはない。
外へ向かう。
同じ歩調。
同じ速度。
出口へ向かう。
冷たい空気が流れ込む。
一歩外へ出る。
風が強い。
使われていた場所。
途中で切り捨てられた場所。
足は止まらない。
ただ進み続ける。
空間が歪む。
姿が消える。
夜。
人気のない通り。
ひしゃげた標識。
割れた舗装。
倒れたまま動かない影がいくつか。
息はある。
短時間で終わった戦闘の跡。
その中心に、立っている。
「……そこまでだ」
背後から声に、彼の動きが止まる。
振り返らない。
距離を測る。
気配を読む。
「イレイザーヘッドだね」
その声は静かに。
ただ、少しの興味が宿っている。
「知ってるよ。君、有名だから」
沈黙。
風が抜ける。
その中で、意識がほんの少しだけ向く。
「……面倒な個性だよね」
2人の間に流れる空気は冷たい。
「そう思うなら助かる」
短く返す。
距離は変わらない。
「でも」
わずかに間。
「止まる理由には足りないかな」
「それで、どう?」
「確認しにきたんでしょ?」
「……ああ」
短い肯定。
「どこまでなら切り捨てられる」
静かに問う。
少しだけ間。
「必要なら、どこまでもだよ」
気だるく返す。
「僕の目的は一つだけ」
"知ってるでしょ?"
彼の目は言外にそう伝えている。
空気がわずかに重くなる。
「今日は、戦いに来たわけではなさそうだけど」
彼の目が真っ直ぐ相澤を見つめた。
「……ああ」
2人の間を風が吹き抜けた。
「どこまで掴んでるかは、教える気はないよね?」
「……ないな」
それを聞くと残念そうに笑った。
「それじゃあ、さよなら」
相澤の横を通り過ぎる。
止めることはない。
追うこともない。
距離が開く。
「ただ」
短く。
「次は止める」
それだけ。
一瞬、足が止まる。
「なるほど」
振り返らない。
ただ、伝える。
「邪魔になるなら消すだけだよ」
再び彼は歩き出した。
その姿が見えなくなると、
相澤は静かにため息をついた。