弁当を食べ切っても雨は止まず、むしろ強くなっているような気さえもする。雨で下着が透けるシチュは好きだが、雨そのものはどうも好きになれない。そんな中、レゼちゃんがポツリと質問を降らす。
「デンジ君はさ、田舎のネズミと都会のネズミどっちがいい?」
「……なにそれ?」
相変わらず無知なデンジに心の中から教える。イソップ寓話の一つで、ローリスクローリターンな田舎のネズミとハイリスクハイリターンな都会のネズミのどちらが幸せかという話だ。畢竟、自分の身の丈や気質に合った生活の方が幸せだというありきたりな教えを仕込まれて、その生活を壊すのが好きな俺としてはあまり好きな話ではない。
(ここは彼女に合わせた方が良い)
「……レゼはどっちなんだ?」
「私は田舎のネズミかな~。平和が一番ですよ」
(じゃあ田舎だな。レゼちゃんと一緒にいられるからって言えよ)
(そうした方が良いならそうするけどよ……)「……俺も田舎だな。そうすりゃレゼと一緒にいられるし」
普通の女ならここでそっかそっか~と嬉しがって終わるところだが、レゼちゃんは一歩踏み込んできた。
「……私がいなかったら?」
(彼女に会うために都会のカフェに行く、だな)
「レゼに会うために都会のカフェに行くな」
デンジの発言に彼女がきょとんとこちらを見つめている。
「……この話知らなかったくせに、よくそんなお洒落な事言えるね?」
「契約している悪魔に良いセリフ教えてもらったからな」
「だと思った。でも、今のって嘘にならないの?」
(……そういやそうだな。パワ子みてえにすぐ意見変えちまったが、舌爆発しなかったぞ?)
パワーちゃんの舌が爆発しないのはあの子の頭がヤバいからだが、今回はしっかりと理由がある。
(条件が変われば答えも変わるだろ? 2つのサイコロを振って出た目の積が偶数になる確率を求める問題だって、大きさの異なるサイコロ2つと同じ大きさのサイコロ2つじゃ答えが変わるんだぜ?)
「……なんか条件が変わると答えも変わって当然だってよ。サイコロ2つが……なんだっけな……?」
「……よく分かんないけど、嘘はついてないってことだね?」
「……んまあ、そうなるな」
ならいいやと彼女がにこっと笑う。もし俺が経験不足だったら彼女に惚れていただろう。
「じゃあ明日さ、近くでお祭りあるから一緒に行かない? 私に会えるよ」
「……仕事終わってからならいーよ」
俺が何か言う前に約束を取り付けた。これなら俺のアドバイスはもう不要になるだろう。お花摘みに行った彼女を見送り、彼は机の上に寝っ転がって俺に話しかけてきた。
(なあ、レイエル。色々きてえんだけどさ)
(何だ? 覗きはダメだぜ?)
(あのネズミの話さ、本当は都会の方がいーと思ってるんだよ。ウマいモンあるし楽しそうだし……でも田舎が良いって言っても舌が爆発しなかったんだよ。なんでだ?)
(……心の底ではレゼちゃんがいる方が良いと思っているからだろ)
どんな人間も悪魔も心に嘘はつけない。だから嘘の悪魔の力は頭と心次第で覆せるし、心が変われば嘘かどうかも変わる。そう説明したらデンジはふーんと鼻を鳴らしてなんとなく納得し、次の悩みに移った。
(それとよ……まだマキマさんとレゼで迷ってんだ……レゼを好きになるたびにマキマさんがチラついちまう……)
コイツまだ諦めてないのか。王ちゃんみたいな盛大な溜息をついてデンジを脅す。
(じゃあレゼちゃんとの祭りデートが終わったら俺と王ちゃんと戦うか。そしたら絶対的な差を思い知るぜ?)
(どうかな? 俺が本気になったらお前も示札さんも倒しちまうかもしれないぜ?)
そんな一炊の夢にもならない出来事は不可能だろうと軽く鼻で笑ってやった。
予報にない通り雨だろうから車内で待っていればいいだけなのだが、僕はどうも雨が好きになれない。大学生の時はバイト先の飲食店の入客が減るから好きだったが、大人になると面倒事の方が多くて憂鬱になる。そんな時は助手席で牛タン弁当を頬張っているメイド服の天使を見て癒されるに限る。
「『二道』の看板娘を見て思ったんだ、天使くんはいつか看板娘になれるって」
「僕は男だよ?」
「仕事でミスしたらレイエルに女の子にしてもらうから」
それを聞いて天使くんは心底嫌そうに眉をひそめた。料理のできない面倒臭がり屋にはおあつらえ向きの末路だと思うが、どうやら気に入らないらしい。
「君は男にされると言われたら嫌じゃないのかい?」
「死ぬほど嫌だけど、レイエルは1つの対象に1つしか状態を付与できないんだ。僕はすでにレイエルに"嘘の悪魔の能力を付与する"って宣言をされてるから男にされないよ」
「こんなことに悩まされるぐらいなら死にたいなあ……」
天使くんはよく死にたいという。怠けもここまでくると感心ものだが、僕の作った弁当を食べながら言われるとちょっと思う所がある。
「僕の牛タン弁当ぐらいじゃ生きる気力にもならないんだ?」
「美味しいのは認めるけど、これの為に生きたいとは思えないね。というか、あれだけレイエルに振り回されていながら死にたいと言わない君の方が不思議だよ」
「死にたいって言ったら嘘になるからね。無意味に舌を爆発させたくないんだ」
彼女と結ばれるまでは死にたくないというのもあるが、僕は誰かに理不尽に振り回されることを受け入れてしまっている。もはやレイエルに振り回されるのは日常のなのだ。
「僕は都会のネズミに唆された田舎のネズミなんだ。都会の魅力を味わってしまった以上、田舎に戻ることは出来ないんだ」
「良いえて妙だね。僕は田舎のネズミが良かった……けどマキマに捕まって都会に連れて来られたんだ。僕の心は田舎にあるのさ」
「君も中々良いセンスしてるね。僕も心は田舎にあるけど体が都会を求めちゃってるんだ」
都会コッチに来てから色々知りすぎてしまった。レイエルとの出会い、日乃門仁との交際、公安のデビルハンターへの就職、彼女への恋心、デンジくんとの交流、知らなければよかった楽しいものが多すぎる。
「……今……何を思浮かべた……?」
明らかに変な物が紛れ込んでいたはずだ。出会い? 違う。交際? 違う。就職? 違う。恋心? 違う。交流? これだ。
「……デンジくんとの交流は────」
楽しくない。楽しくないと言えばいい。言えよ。言ってはっきりさせろよ。
「────……」
どれだけ自分の心をまくしたてても言えなかった。どんな悪魔と対峙してもこんなことにはならなかった。胸いっぱいに綿を敷き詰められたような苦しさに顔が歪む。思わずシートを倒して天を仰いだ。
「どうしたんだい? 止まってるのに車酔いでもしたのかい?」
「……自分の心がよく分からないんだ……」
彼はふうんと興味なさそうに頷いて空になったタッパーを僕のお腹の上に乗せてきた。
「君ってさ、ひねくれ者だよね」
彼もシートを倒して天を仰いだ。ちらりと見た横顔はぽやっとした気の抜けたものだった。
「常識外れな癖にどんなことも受け入れて、その代わりにどんなことも受け入れさせて……なんていうかもっと程々にいるべきじゃないかな」
「……これでも自由にやってるつもりだよ」
「程々と自由は別物だよ。君は自由にやるために力を入れ過ぎてる。対して僕は自由じゃないけど程々にやってるつもりだよ。もっと嫌なら嫌だと、好きなら好きだと言えばいいんじゃないかな」
彼は天使である前に悪魔のはずだ。悪魔らしく人は苦しんで死ねばいいと思うような存在だ。なのに僕にこうやって道を提示している。その理由が分からなかった。
「……どうして助言をしてくれるの?」
「う~ん……君とバディを組んでいる間は楽な仕事で済むから、じゃダメかな?」
本来バディとはこういう存在だったのかもしれない。僕は彼にほんの少しだけ心を許し、彼の言う通りに僕の好きな人の名前を言った。
「……人の好みにとやかく言うつもりはないけど、もう少し選んだ方が良いんじゃない?」
「僕は彼女じゃなきゃ嫌なんだ。彼女と結ばれるためなら人殺しだってやるよ」
「恋は人を変えるって言うけど、人を悪魔にもしちゃうんだね」
「誰にも言わないでよ?」
「……言ったらバディを解約されそうだから言わないよ」
少しだけ軽くなった心が眠気を誘う。雨が止んだら起こしてほしいとバディに頼んで少し目を閉じることにした。